深読み(3)

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深読み(1)深読み(2)そして、今日は(3)になりますが、予定ではソルフェジオ周波数をテーマに書こうと思っていましたが、興味をそそる別件(笑)を見つけたので変更します。申し訳ありません。

皆さんはエジプトの三大ピラミッドのひとつクフ王のピラミッドをご存知と思います。たくさんの人が建造者はクフ王ではないとしていますが、王の間と言い、謎多き建造物ですよね。
私は最近、保江邦夫さんの本を幾つか読み終え、保江さんが王の間でハトホルの秘儀…イニシエートしたことを知った訳です。興味深い内容なのですが、保江さんは通称クフ王のピラミッドはアトランティスの記憶を保持する装置(そうは書いてなかったと思いますが、いわゆる性質としては)で、王の間はこの世を高次元に繋げる部屋としています。で、建造者はアトランティスのトト。

ところが、サイエンスエンターテナー飛鳥昭雄さんはアトランティスそのものを超古代文明に位置付けてないんですね…!これには「へぇ」ですが、飛鳥さん情報によるとプラトンだかの旅をして得た伝承書物を根拠にしており…それに「アトランティスとギリシャが戦った」という記述があって、これではアトランティスは超古代文明となり得ない云々…まぁ説得力ありきともこじ付けとも言えなくもない内容を示唆しています。

大西洋に没したとされるアトランティス大陸

保江さんはアトランティスのトトが滅亡を予知し、記録を残さんがためにあの三大ピラミッドを建築したと書いています。ところが、飛鳥さんはエノクと言う。エノクとはノアより以前の預言者とか。天空のラピュタゆかりの人物とのこと。

どっちが事実なの?「ハッキリしてよ!」と言いたくもなりますよね?

飛鳥さんはアトランティスは超古代文明などではなく、ギリシャ文明と同時期に地中海に存在し、火山活動により水没(地中海に)した島と結論づけているんですね。つまり超古代文明などではなかったと。ところが保江さんはアトランティスは超古代文明と疑ってはいないようです。

どうしてでしょうね。どうして、こうも違うんでしょうね。大ピラミッドは実際に存在しているのに。誰がどうやって造ったかは未だに決定打となる説は存在しないようです。

また、三大ピラミッドはオリオンの三ツ星と同列に位置するそうで…なので、オリオン星人が関わっているというチャネル情報もあったりする。これに関してはこれまた!飛鳥さんが興味深い情報を示唆しています。それを話すといつに増して長~~くなってしまうので端折りますが(笑)どうやらオリオン星人ではないらしいとだけ。

飛鳥さんのアトランティスは超古代文明なんかじゃない説の根拠はプラトンの見聞書物。何代渡る伝承を聞きかじったものといいます。とすると、人間の記憶っていい加減なところがあります。実際、10人並べて…例えば「鳩・トマト・時計・井戸・土間」という言葉を耳打ちして行くとしますよね?最後の人に何と聞き及んだかを確かめると「鳩…、トマト…、時計…、椅子…、スイカ」とかいうふうに正確性を欠いてしまいがちです。

口伝・伝承の類は違う!と言い切れるのかしら?

八咫烏のように国家規模の重要事項ならいざ知らず。「むか~し昔、アトランティスという島があってぇ。ギリシャ軍と戦いぃ~。最後には火山活動で沈みましたとさ」という民間伝承って精度に欠けるだろうし、第一、年号も曖昧となれば…それを根拠に事実とするのは早計な気がしますしね。第一、そのギリシャ軍と戦った島国には別名があったようだし…何とも微妙と言わざるを得ない。情報って本当に何を根拠とするかって重要。まぁ100%正しい情報を持っている人間はいないでしょうし、当人が信じるところを主張しているということではある訳ですね。

私が何を言いたいかというと

三大ピラミッド、クフ王の王の間…王の間には神秘的な何かが隠されているのだろということと、現実的にあのエジプトの地に巨大建造物があるということ、そして、オリオン星の三ツ星とど同列の位置関係ということは確かかな!と。

謎だらけのピラミッド

もし飛鳥さん情報と保江さん体験&情報、そのどちらも事実なら一致するはず…ですよね?私的には体験者が語る方が説得力ありかなぁとは思います。思いますが、あぁそうだ!グラハム・ハンコックの著作『神々の指紋』でしたっけ?それもかなりエキサイティングな内容でした。あの三大ピラミッドとスフィンクスは歴史書でいうところよりもっともっと古い建造物という追跡・検証書でした。

エノクが造ったのか?トトが造ったのか?オリオン星人が造ったのか?クフ王は除外確定か?いずれにしてもミステリーを追求する人間の情熱は果てることがないようです。

検証って、次から次に新たな事実とか発見が出てきて通説が覆るってザラ。エジプト発掘研究者の有名な教授は「クフ王のピラミッド」という姿勢を崩してなかったと記憶していますし、超古代文明という説を一笑に伏す研究者だっているようですし、私は本当に確かなのはあの地にピラミッドとスフィンクスがあるということかなあと。スフィンクスの視線にはケンタッキー・フライドチキンがあるんですよね(笑)なんか茶化すようだけど微笑ましい。

研究に一生を捧げる人もいて、研究ということではなく…王の間で神秘体験する人もいる。あるいは臨死体験で古代を旅したという人。

どれが真実真相かは分からないが、人間の情熱の矛先はひとつピラミッドをとってもこれだけのバリエーション。諸説紛々する中に真実を求めるって…それって私らにとって重要なことなのかなあと、つい思ってしまうんですよ。
私にとってどの情報も体験談も映画やドラマを観るような…それってエンタメの括りなんですね。まぁ色んな楽しみ方の一例に過ぎませんが、映画やドラマだって創作なんだけど、そこに心理的リアリティを込めるなどする訳ですよね?

三大ピラミッドにしても、王の間にしても、アトランティスにしても、そこに興味を覚えるって、きっと深い記憶が刺激されているのかも知れない。何らかの記憶が眠っているってことかも知れない。

誰が造ったかは確かに知ってみたいとは私も思います。思いますが、そういうのって重要なのかしら?そりゃぁ歴史にスポットを当てるって分野では必要でしょうけれど、私個人の履歴にはな~んにも影響がありません。

飛鳥さん情報も保江さんの体験も私にとって興味は尽きないけれど、エンターテイメント。大いに楽しませてもらっている…それ以上でも以下でもありません。超古代文明に神秘を感じ、関心を持つのは私ら自身が何らかの記憶や知識を深い部分で持つからだろうと思うし、だから…何処かに事実があるとすれば、私たち自身の深い意識内なのかな?と思うんですよ。





伝わりづらかったかなあ…今日の話。



深読み(2)

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深読み(!)からの続き。

今日は<愛魂(あいき)>に矛先を持っていきます。愛魂とは保江邦夫さんという合気道を主宰する物理学者が貫く精神・・・概略としてはそういうことかと思いますが、これはキリストと聖母の無条件の愛の状態・・・奇妙な表現と思われるでしょうが、まさにその状態を指すようです。
愛魂とは深読み(1)で、飛鳥さん情報「アルザルが北極から地表に現れる。その際、魂が磨かれた人はプラズマシールドで保護され救いとられるが、その他の人はプラズマで焼かれる」の<魂が磨かれた>に値するという感想を私は持った訳ですね。そして、いつもの辛口を「助かりたいなら利他心に基づく善根を植えよう」「俺の講演会に知り合いを誘おう」は「違うだろ」と書き添えるのも怠らず。

人は結果先取りで行動する癖が身についています。

確かにアスリートにしても習い事にしても<ゴール>があります。ですが、善根・利他心はそれと同列に並べて考える・・・それが古今東西の宗教が推し進めてきた教義でもあり訳ですね。ですが、それが共依存を生む土壌になった。それで機能し続ける歴史を人間は築いてきた。ですが、それとは相容れないウェーブが地球に、人間の意識に流れ込んだ・・・アセンションや精神世界の台頭がそれに当たると思いますが、それは<目覚め>を促すものでした。

精神世界では<二極化>が通説になっていますよね? ぶっちゃけた話、アセンションする人としない人というふうに人間は分離し始めるという。ですが、実際はそんな単純な話ではない。政治不信や原発問題という目の前に突きつけられたトラブルにより私たち下々の人間が<声を上げ始める>という時代に突入。そこに大きく影響しているのがネット社会です。よくも悪くも人間はネットで繋がりを持ち始めました。家にいながら世界情勢の生々しいニュースにもYouTubeのような表現形態も共有。

それは私たちが選ぶ側に立ったことを意味しています。政治不信もそういう流れの・・・産みの苦しみの時期と言えそう。選挙が民意の最終権利ではもう治らなくなるでしょうが、一足飛びには行かないのも大いに予想できるでしょう。

私たちは憤り・怒りをエネルギーに変える知恵を持ち始めています。ただ不平不満をブーたれるのではなく、同じ動機を共有し、矛先を一致させる市民運動へ。それは日に日に数を増しているようです。とは言え、市民とて一枚岩ではなさそう。二極化どころか!

多極化の波に私たちは乗っていると言えそうな勢いです。流されるのではなく、自らの意思を持つ。自分たちの命と健康は自分たちで守るしかない。理不尽な政(まつりごと)がかえって私たちに自立と連帯を呼び覚ましています。皮肉なことだと思いますが、デモクラシーとは理不尽な現実が起爆剤となって市民運動へ発展する・・・ベルリンの壁崩壊などがそれに当たると思います。

その渦中に<愛魂>という精神を謳う人物がいるという

これって本当に神意と思わざるを得ないんですね、私は。愛魂とは「神の視点で人を事象を観、接する」世界のようです。

愛魂という精神と「魂磨き」は同意語と言える気がしますが、いかがでしょう?

愛魂で合気道の試合に立つ。相手を倒す。確かにそこは勝敗を決する場です。「愛で相手を倒すって可笑しくね?」と「ハグだろ」と思う人がいると思うんですね。私はそれもひとつと思う。ですが、神意とは皮肉なことに「求めよ!さらば与えられん」なんです。求めるとか「おねだり」ではありませんよ、あしからず。ですが、武道とは敵を倒すというより自己鍛錬の一環だったり、自分を守る法だったり・・・、対人と向かい合うことで始まる<道>かと思うんですね。

向き合う

神の視点で相手と向き合う

相手も自分と神の視点で向き合う

あるいは神の御技を体感す


そこに「何が流れるか」なんだと思う。そこにはベストを尽くす人間しかおらず、神が介入する世界。人と神意が一体化した世界。
勝敗は時の運。倒す倒されるが本末ではないと私は視ます。愛魂により投げられた人は神の御技に浴するのだと思う。否定的な人は体験してみる価値があるかも知れませんよ。あくまでも「かも」ですが(笑)。

これが「助かりたいなら善根を植えよ」は「違うよ」と私がいう所以です。そう啓蒙する人が発する「あなたがたはこうでも言わねば助からない」という想念です。そこに「神の視点」は存在していません。事実「私は宇宙船には乗りませんけど」と答えていました。自分はその必要がない。アセンションするという自負があるのだろうと私は当時を振り返ります。

神の視点が<無条件の愛>とすれば

例え、救われたい一心で誰かにすがる人にもずっとサインは出しているのではないでしょうか。一縷の可能性がある限り。押し並べて私たちは可能性を秘めていると言えそう。ただしそれは妄信から抜けてこそと思いますが。

魂が磨かれた人

ひとりひとり愛魂と繋がりを持つを知る

救う救われるではないと知る

聖フランチェスコは「神の前では皆が貧しい」と説いたといいます。乞食を始めて、農作業の手伝いをした後、農夫が「こいつらは裕福な家の息子らだ」とパンを分け与える理由がないと言った際の一言だったとか。これは意味深長です。裕福であろうと貧困に喘いでようと、私たちは等しい。

愛魂は保江さんがいうところの「救済の使命感に燃えて地球に転生し、それをすっかり忘れ、転生の輪に飲まれた人間と神聖なエネルギーを結ぶ」という・・・。そうやって帰還を果たさんとする魂に差し伸べられた慈愛なんでしょうね。

その愛魂<神の視点>とソルフェジオ周波数はリンクしているようです。その話は次回で。





深読み(1)

Category : 深読み

今回から<深読み(テーマ)>を設けることにします。情報、閃きが交叉することってありませんか?そこから導き出されるものを文章に書き起こしてみようという試み…これまでとさほど代わり映えはしませんが、シリーズ化すると面白いかも知れませんね。ひとつ書くと「じゃぁさぁ」と新たなネタが思い浮かぶ。一冊の本・・・いや小冊子が出来上がるように連ねていくのも一興かと思います(笑)。しばらくお付き合い下さいね。

私は飛鳥昭雄さんのエクストリーム・サイエンスを楽しみに視聴しています。飛鳥さんほどアルザルに詳しい人間はいないんじゃないかと思えるほどですが、飛鳥さんによるとアルザルはイスラエル失われた十支族が住む…シャンバラともシャングリラとも言われる桃源郷…そこはプラズマで覆われた亜空間(月くらいの大きさとか?)とのこと。アルザルの住人は地底人とは言え、私らと同じ次元の人間ではないとか。

いつだかの話に
・アルザルが北極から地表に出てくる

・暗黒天体

・ヤハウェ(地球からは太陽の対角線上にあって見えない地球に似た惑星?)ホピの予言にある「青い星」

という興味深い内容があったと思いますが、「アルザルが北極から地表に出てくる」に関して「魂が十分に磨かれた人々は救われるが、磨かれていない人々はプラズマで焼かれる」という話を飛鳥さんはしていたかと。どう救われるかというとプラズマでシールドされ、アルザルに携挙されるという趣旨だったと記憶しています。更には「アルザルは太陽をゲートに異空間へ旅立つ」とも。そこに至る前に第三次世界大戦とハルマゲドンがあるとも。実に壮大なストーリーですよね。私としては荒唐無稽と一笑に伏す気にはなれませんが。

この「魂が磨かれた人々はプラズマでシールドされる」という部分は本当に興味深いと思います。これはいわゆる『聖人』が放つオーラを指すのでは? それがアルザルが桃源郷と称される所以かと思いますが、桃源郷とは<天国に一番近い場所>なのかも知れませんね。

肉体を伴ったままこの天国の境涯に至る

これって<アセンション>にリンクしているのでは?もう下火の話題でしょうか。

9月27日28日はスーパームーン・ブラッドムーン・皆既月食が話題になりました。ブラッドムーンはヨーロッパ圏のみだったんですね。ネットで絵のような画像が配信されていました。ブラッド…ブラッドって血ですよね?なんとも意味深と思いますが、十字軍だのとキリスト教圏は何かと血生臭い闘争の歴史てんこ盛り。今だに物騒なニュースには事欠きません。

この天体ショーの後…29日~30日にかけ…その日を境に何かがクルリとひっくり返りました。私はそれを<分岐点>と直感したんですけど、皆さんはいかがですか? 聖書にある「盗人のように」また<分離>が起きました。知らなかったんですけど、9月28日アセンションとか言われてたんですね。多分ですが、そういうふうにソワソワしていた中にはまた「な~んにも起きなかったじゃんか」とガッカリした人がいたかも知れません。

劇的変化を期待すると裏切られます。2012年12月のマヤ暦が取り沙汰されたあの時期も「盗人のように」変化がありました。世界の終わりでも、光の12日間でもなかった…。多くがアセンション啓蒙者やアカシックリーダー情報に乗せられ…いえ、啓蒙者やリーダー自身が神秘情報に飲まれていたのじゃないでしょうか。情報それが霊的なものであっても、宇宙存在からもたらされたものであっても、劇的変化を待ちわびた人は数知れずいたでしょう。で、「何も起きなかったじゃないか」とテンションがた落ちした人も少なくなかった。ですが、あの日、静かにシフトは起きました。

夜明け

カウントダウンの賑わいからも、期待からも無縁の静かな夜明けでした。感知した人は幸いです。あの年は10月から変化の波がありました。本当に稀有な時代を私たちは生きていると思います。何ごとも一足飛びにはいきません。準備というものがありますものね。ヒタヒタと粛々と準備は整えられています。今もです。
世の中には<善根を植える><利他心>と啓蒙する人がいます。中には自分の講演会に知り合いを誘って来なさい。未曾有の危機に「あなたが助かりたいなら」と「宇宙船天空に満つる時に携挙されたいなら」とアセンション情報を開示し続けた人がいます。それが善根を植えることにも利他心にも繋がるという論法は残念なお知らせながら、信者を増殖させるに留まります。一人でも多くを救いたいという熱い思いに嘘はないでしょう。しかしながら利他心を「助かりたい」という気持ちのツールにする手法は稚拙の域を出ません。言い過ぎですか?果たしてそうでしょうか。

人間は自分を介入させたがるところがあります。自分の講演会に誘いなさい。ホームページを広めなさい。何故ならそれが「あなたもあなたの大切な人たちを救う道」と布教します。えぇそれは布教ですよ。だって自分が信じるところを広く知らしめるのでしょう?宗教法人じゃなかろうとそれは布教と同種かと。そうやっていつまでも自分に人心を引き寄せる。全ては「良かれ」との思いからなのは疑いようもありません。何故でしょう?なぜ一人ひとり実は宇宙と、聖なるエネルギーと直接繋がることが出来るのに。何故でしょうね。自分の講演会をホームページを布教せよと言い続けるのは。

答えは簡単です。

啓蒙者も被啓蒙者も<共依存>から抜けていないからです。「俺の話を聞きなさい」「俺の話を広めなさい」「俺のところに誘いなさい」「助かりたいなら利他の善根を植えなさい」それらは過去世とった杵柄。双方揃うことで関係性が成り立っている。
更には啓蒙者も被啓蒙者も<義務教育の魂>だからです。情報は導入に過ぎません。高が情報されど情報。そこから自分の心に持ち帰って各々が吟味して四捨五入し、暮らしに役立てる。時々、図書館に寄って資料集めをして、不足箇所を埋めるに過ぎません。

あなたの中に答えがある

情報はそれを引き出すためのツールでしかありません。大上段に掲げる質ではないというのが私の結論です。
これまでの人間の歴史から多くを学べる。それは共依存とピラミッド構造ではないかと思いますが、私たちが生きる時代はこれまでの価値観がグデンとひっくり返る転換期だと思うんですね。ジワッジワッと詰め寄って来た<一部の人間のみが享受する富>から<分布し、共有する豊かさ>へ移行する流れ…これまでになかった世界へ移行する時代を私たちは生きている。
それは同時に「誰かについて行けば大丈夫」とか「信じれば救われる」という宗教信仰に飽き足らない精神の登場を物語っていると思いますが、そこにアセンション情報が雪崩れ込んだ訳ですね。私の場合は『聖なる予言』という本がきっかけでしたが、それぞれにきっかけがあったのじゃないでしょうか?いずれにしても私らはそうやって精神世界に傾倒し、アセンションに思いを馳せた。

このアセンションと飛鳥さんの「アルザルが北極から地表に出てくる」「魂が十分に磨かれた人々は救われるが、磨かれていない人々はプラズマで焼かれる」という話や『天空に宇宙船満つる日』がリンクしはしないでしょうか?

何をして「魂が磨かれた」と言えるのか?

私は既存の信仰にしても利他心・善根を植えるという行為にしても、良い行いをしているという自覚が仇になっていると視ています。隠れ慢心と私は呼んでいますが、本当に根が深いと思います。その根拠はある講演会終了後に「今日は友達を連れて来ました。先生が徳積みと仰っていたので。宇宙船に私も乗れますよね」と話しかける女性を間近に見た…それが決定打になりました。その女性は準備が整った人は宇宙船に携挙されるという講演者の話を信じている訳ですね。「先生の言うとおりにやっていれば救われる」という心が彼女を動かしている訳です。罪作りと思いますよ。善意は善意として、実際にその女性が救われるか…、宇宙船が大挙して空を埋め尽くして啓蒙者の話を信じる人々を携挙するか…誰がそれを保証するというのでしょう。

「信じる者が救われる」聖書はそう説きます。飛鳥さんも熱心な信者で終末論に傾倒しています。聖書をベースにアルザル情報も展開している飛鳥さんですが、「魂磨かれた人はプラズマでシールドされ、救いとられる」という「魂が磨かれる」っていったいどういうことか? それは決して情報通とか誰かのいうとおりにするとかではないと思うのですが、いかがですか?

敬虔なクリスチャン(あるいはカトリック信者)で魂が磨かれ昇天した人たちがいます。テレーズやルルドのベルナデッド、アッシジのフランチェスコなどがそうだと思うのですが、彼らと共依存者の違いが分かるでしょうか? それは

直接対話

神あるいはキリストその人、聖母その人と心の絆を持っていた。揺るがぬ真心があった。そして、第一自分が助かる助からないなどどうでもよかった。「神の御技が行われる」ことに不信が入り込む隙さえなかった。それは声が聴こえるとか、姿が視えるとかいう以上に大切な心なのだと思うのですが、いかがですか?

私はよく自分は視えないからとか聴こえないからという話を耳にします。ですが、私とて声を聴いた訳でも姿を視た訳でもないことの方が多いんです。私が感じるのは彼らの揺るぎない<慈愛>です。時に情けない自分にうんざりすることだってあります。私とて人の子です。失敗談も数知れません。ですが、心の繋がりを疑うことはなくなりました。内省の果てに得た気づきです。

そして、キリストと聖母は私たちに何を伝えようとしていたか、今もなお伝え続けているかを私なりに感じるからです。それはあなたも同様かと思います。私なりに。それで充分ではないでしょうか。

イエスも聖母も愛を必要とする生きとしいけるものの傍にいます。相手は人間とは限りません。ただ私らが悲しみやら思い込みやら何やらで心が覆われ尽くしているだけなんです。

慈愛は私たちの求めに応じます。

それは無意識の意識ででも。もちろん心の叫びにも。手取り足とりしてくれなくても。試練とは私たちが乗り越えるべくセットしたハードルです。聖母が代わりに飛び越えてくれるはずがありません。それじゃ成長になりません。試練とは達成感を味わいたいがためのシナリオ。私たちは案外タフなんですね。

今わたしたちが迎えている試練は一人一人がダイレクトに<磨かれた魂と繋がること>。同調感応し合うこと。それは可能なんですよ。だって心があるのでしょう?心はゲートなんです。それぞれの意志・意図に沿って、それに見合った存在を引き寄せます。

善根とか利他心とかお題目を後生大事に奉じるより、あなたが生きることに真心を込める、接するものや人に真心を添えることだと思うのですが、いかがですか?

成果の結果が先行しがち

これは人間の悪習慣です。結果は後々ついてきても遅くはないのです。1分1秒も怠ることなく真心を込めよとは言いません(笑、実際無理と思う)。時にリラックスし、英気を養うなどして、備えることも必要かと思います。

魂が磨かれた存在を思い描いてみて下さい。慈しみの心で満ち溢れてやしませんか?

救われたいなど思ってないかと思いますが、いかがですか?彼らはこの世に生きていた時から、目覚めた時から助かりたいとは思ってなかったと思いますよ。

愛するより愛したい

聖フランチェスコの有名な座右の銘ですが、愛したいとは充分に愛されていることを悟る人が「あなたも愛されているのですよ」と伝える行為なのだと思う

まずは一歩踏み出すことで精霊に導かれた人たち

皮肉なことですが、人を介入しなくなり、独り立ちし始めると、かえって慈悲を感じます。生かされているとこを痛感させられます。自立とは「俺が俺が」じゃないのですよ。あなたが赤ちゃんだった時、親の手や補助なしに一人立った時、どんな気持ちだったでしょうね?

多分ですが、世界を感じたと思うのですよ。





魂が磨かれたとは実際はダイレクトに魂が磨かれた存在を感知し、姿が見えようと見えまいとその存在を疑いようがなく<同調>した状態を指すのがワンステップ。ツーステップは依存からの卒業。そして、誰もがこの光栄に浴す機会を持っていると知る。相身互い。

誰かに寄りかかるのではなく<手をつなぎ>輪を広げること。

その一翼であること。

精一杯生きること。どんなに自分の講演会が真実に富むからと言って(実際は不明ですよ、そんなこと)「講演会に人を誘いなさい。利他心・善根を植えるため。宇宙船に救いとられるため」と餌で釣らないこと。そういう姿勢は共依存の温床です。





続きは日を改めて。<愛魂(あいき)>へ話を進めようと思います。






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(2016年12月27日記)

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