生きていれば

Category : 魂のご飯


娘がある人から「心に傷がある」と言われたことがあり、当時は「人のことより自分だろ」とため息ついて終わったのですが、ふと昨日「生きていれば大なり小なり」と思うところが・・・。なので書いてみることにします。

まず我が家ですが、娘に夢を託す両親ではどちらもありません。何かやりたいことがあるなら本人が努力するのが筋だし、第一コネないし(笑)で、干渉しない主義。
親は自分の子に少しでも才能の兆し(ほとんどが気のせい親の欲目)があると親として子に賭けたくもなるようですが、そんなのイッサイなし。第一うちの娘は「窓際のトットちゃん」でした。そのお陰で色々経験させられました。いじめもありましたが、不思議と友だちは多く、親同士の交流もあり、相見互いな親業。有り難かったですねぇ。確かに子育てとは自分育てと悟った次第です。

ただし「やられて嫌なことはしない。やってもらって嬉しいことをする。ただしあなたが嬉しいと思うことでも友だちも同じように嬉しいとは限らない」と少し禅問答な子育てだったかも知れません。娘はいちいち経験して親の言う意味を時間をかけながら身につけていきました。

そして、親は完璧ではないことを彼女は日常生活で自然に悟ったようで(苦笑)人それぞれに性格があり、それに応じた接し方があること、人つきあいは案外ストレスなことはこの親からも友人からも経験したようです。
血を分けた子供でも性格は違います。それは

・魂の質

・関係性

あってのこと。なので一概に言えないこともたくさんある訳ですね。家族というのは日常が形作っていきますが、大切なのは会話だなぁと思いますねぇ。逆にそっとしておく必要も。そのサジ加減は難しい。
会話はテレビのネタなんかでも良いんです。それがきっかけで相手がどのような性格かとか理解する手がかりになります。

テレビは害あって一利なし

そう思っている人いるでしょうけど、テレビを子供には観せないとかどぉとか仰って自分はネットサーフィンして精神世界をウロウロしている母親もいる・・・え、耳が痛い?
テレビってエンタメでしょ?番組チョイスすりゃぁイイだけですよ。マスコミをマスゴミとか言って本当のことは報道しないと毛嫌いし、攻撃的な人いるようですが、考えようによっては彼ら情報依存の典型かと。どんな情報も直感でイエス・ノー取捨選択すれば良いだけのことと私は思う。何ごともケースバイケース。ネットもテレビも新聞も同列。如何に直感力を駆使するか、ではないでしょうか。

さて

「あなたは心に傷がある」

人は生きていれば大なり小なり身も心もかと思いますが、心配してのことでしょう。ですが、やたらに口にすべきことではありません。カウンセラー的言動ですが、言った、ではその後のケアは?というと、これがゼロ。しかも娘が何か深刻な相談をしたのならまだ理解できるのです。ところが単に気になったから言ったまでのようで無責任な気が…こういう人少なくない気がするのは私だけでしょうか。

誰かの痛みに接する時ってね、慎重を期す必要があります。気になったから口にしたとしても言われた相手は戸惑うでしょうし、その訳を知りたいと思うでしょう。デリケートな問題ではないでしょうか。

ご意見番な私ですが、人の痛みに安易に触れるようなことはしません。安易と敢えて表現するのは実際安易と思うからですが、「気になったから」としても自分がそれを相手に伝えるべき立場か、タイミングかどうかを考慮すべきというのが私の持論です。かえってグダグダになる場合もある。

娘の心に傷ひとつないとは思いませんし、私だってなくはありません。消すことができない痛みだってあります。しかしながら

それが人生の意味でもあると私は経験上確信しています。娘がどう乗り越えるかを見守り続けるのも私の役目だし、当の私ら(両親)が言葉で傷つけている場合もあるでしょう。お互いさまという場合だってある。でもね、親ってね、無責任ではいられませんよ。可愛くって仕方ありませんもの。この切なさも人の子の親になって知った感情です。

魂はどんな親の元に生まれようと、どんな人間関係に身を置こうと経験値をそこで積みます。それがトラウマとなる懸念があってさえも、です。現に癒し難い経験をするケースも少なくない。世界には自立さえ許されない人々もいます。

不条理

それが娑婆世界を貫いています。このやるせない世界はなぜ存在しているのでしょうか?

私たち(魂)のため

ですよ。そのこと知らずに私たちは多くの時間を費やしてきました。経験しなければ魂は自分を組み立てることができない質なんです。どう自分を構築するか、魂の興味が尽きることはありません。

そして、この世で癒せないとしても救いはあるのです。見離されたという感情におぼれる時もあるでしょうが、この世に存在すること自体、あなたの希望は叶えられた訳で誰もあなたに強要した試しもない訳です(大抵は記憶にないだけで)。
なので、どんな時でも自分には繋がっている故郷があり、苦況は試練と覚悟を決めて「今は堪え時」と自分と向きあうように心がけて欲しいと思いますが、いずれにしても

あなたを

私を

娘を

送り出してくれた世界が放っておくはずがないのですよ。なぜ救済してくれないかと恨んだこともあるでしょう。でもそこで手を指し伸べたら、せっかくのプランが台なしという場合があって、彼らはエネルギーを送りながら見守るしかしないこともある。その逆に偶然の一致のように助け船が来ることもある。守護者はサジ加減の達人です。私らが納得いかなくても(苦笑)

人生とは私たちの魂の成長にとって!というお題に則って遂行されている舞台

傷つくことも経験値のひとつ。癒す段階あり、そこからどうリカバリーするかの段階あり、残念ながら心が壊れることもある。全ての人が強い訳でもなく弱いままでもありません。

心の傷は試練

試練は魂を鍛えもし萎えもする。従って人生の重要なパートを勤めます。何ひとつ無駄なことはないことを私たちは知り始めましたが、まだこの辺を咀嚼するには時間を要する人もいるでしょう。私たちは自分のペースで歩んでいけば良いのだと思います。




人のフリみて




と言います。中に「主人は頑固で私の言うことを聞きません。もう放っておくことにしました」ということ言う人がいます。ひとりやふたりではありません。そういう時、私は

「夫婦は同点。頑固な亭主ということは、あなたも頑固なところがあるのでは?」と投げかけます。




家族こそは魂が自身の成長のためにいの一番に設置する関係です。夫婦も同様に。
人のことより家庭という膝元で互いに理解を深める・・・あなたの夫はあなたの鑑かと。子供はあなたに問題定義というお題をくれます。




いずれにしても生きていれば傷のひとつやふたつ




事実 私は知りませんでしたよ。誰かを愛するまでは。そして、今思うのは痛い目にあってでなければ分からなかったことがどれだけたくさんかと。





あなたは?





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(2016年12月27日記)

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