厭世観?

Category : アセンション

ルルドに出現した聖母は『人々を癒す』泉のメッセージをベルナデットに授けました。

一方、ファティマに出現した聖母は3人の牧童に『預言』を授けたそうですね。3つめの預言は謎が多い…ですが、人類はまさにお告げのままに驀進し続けているかに見えます。秋田の教会でもやはり「このままで行くと」という警告が授けられたとか。

聖母はいずれにしても私たちに救いの手を差し伸べているのでしょう。癒しと警告…それはまさに親が幼子に生きる術を教えるのにも通じるように思います。

しっかり生きて欲しい。幸せになって欲しい。思いやりのある子に育って欲しい。

親業とは自分が報われるがためにあるのではないのでしょう。

この世に生を受けた命の身体と心を養う、この世の大切な『お仕事』なのでしょうね。
でも、それは子育てだけに限ったことではなく、人と何かと関わる全てがそうなのだと思います。
自分が報われるかどうかは二の次三の次。果報はおねだりしてもたらされるものではなさそうですから。そういう色気はかえって右肩下がりなのかも知れません。



それにしてもこの世はゴタゴタし過ぎです。

いつも何処かで戦闘が起きていて、銃弾が止む時がありません。人社会って利害の交わる世界、その背後には相互協力が控えているんですけどね。
あるいは…グッと庶民の生活に目を転じてみても安いものに飛びつくか、ブランドを金の糸目をつけず買い漁るか。あるドラマの番宣で「食べものを頂くということは、その命を頂くということ」という台詞が流されていました。

まさに。

あるスーパーマーケットが激安で繁盛しているとTVで取り上げられていました。キャベツ5円とか!店内でアナウンスされると人々が我先に群がる様子が映し出されていました。確かに家計がキビしいのでしょう。少しでも安く買い物して家計を支えるのが主婦の知恵でもありますものね。
でも、叩き売りの様相って…。
それって野菜にしろ家畜にしろ海の幸にしろ、私たちを養ってくれている生命にも生産者にも敬意の欠片も見当たらない光景だなと私は感じてしまいました。何か…生鮮食品激安って「命を頂く」ことの敬意が置き去りにされているようでなりません。

ここにもマネーマネーマネーな人の意識が反映されている。

でも、もうそういう思考についていけなくなった人々が出現している、これは良い兆しです。自分で畑を耕し収穫したものを日々頂く。将来は自分とこで収穫したものでレストランを開くのが夢と語る若者もいるようです。

自分で耕すとその大変さを知ることになります。自ずと感謝の気持ちが高まるのでしょう。感謝の気持ちが高まると、その人の『目』が澄んできます。そうすると自然と波動が高まり、果報はおねだにせずとももたらされるのだと思います。


アセンションン組の定義があるそうです…!驚いてしまいました、私。

ジャッジしないとか、あるがままとか、いつも陽気であることとか。さすがの私も言いたいことは理解出来ます。でも、それを鵜呑みにすると色々「私はどうせアセンション組ではないし」とかいう心がムクムクと湧き起こってきそう。

一旦は、

嫌だなと、こんな暮らしは「疲れた」と。自分は何のために生きているのだろうと。給金を得るためにだけに一日が費やされる日々に疑問を感じてとかあると思うんですよ。

ジャッジしないとか、あるがままとか、いつも陽気であることとか「出来ないよ~」「無理~」という臨界点ってあると思うんですね。なのでアセンション組教授的な人々の言葉を鵜呑みは出来ないと私は感じます。

だって、彼らは私たちの個人的な事情を把握している訳じゃないんですよ。把握してもらうにしてもセッション料が必要な人たちなんですよ、違います?

キリストはセッション料など要求しなかった。釈迦も然り。彼らが生きていた当時から貨幣経済はしっかり根付いていたのに、です。
お金儲けが生き甲斐という人もいるでしょう。それをとやかく言う権利は私にはありません。しかしながら、市場の動きを見ていても今の金権世界が音を立てて崩壊していやしませんか? いや、不況下でも儲けている人っているんですよ。何だか生き残りゲームのようだなと感じてしまう私です。

そこに嫌気がさす

それは一旦、

しっかり自分の目で見て吟味して、その機構に自分がフィットしているかを『判断』して自分の身の振り方って決めることだって、ありと思うんですね。
どういう状況でもあるがままでいられるような、いつも陽気でいられるような人ではない!私ゆえに、そう思えるだけかも知れません。

ジャッジする=アセンション出来ない組なんて、一概には言えないと思いますよ。何て傲慢な思考かと私なんか思ってしまいます。

毎日毎日、土日有給休暇は別にして満員電車に揺られ、定年を迎えるまでそうだったとしても、退職後に夢を持っている人だっていると思います。実際、退職後に趣味を活かしてお店を持ったという人だっていますからね。

本当に生き様は様々。

すべては一概には言えない。アセンション組的発想でジャッジする人はアセンションできない組とか云々すること自体がジャッジしているように思えますけど。すべては個人個人の状況を把握しないと言い切れないのではないでしょうか。ネット上では他の霊能者を無能無明とあからさまに断罪しているものもあります。「こんなことも分からないのか!」と高び~なものまで(笑)。

一概には言えませんね…。

やはり、
人は自分の心と向き合っていくしかないんだと思います。人が何と言おうと。そうですよ、かく言う私の熱弁も(笑)一応の参考程度にして後はご自分で。

でも、心に天国を築くことだけは心の片隅に置いといて下さいね。私、シツコく連呼していますよね(笑)。それだってお勧めでしかないんですけど。



癒しと警告。

聖母は無垢な人にメッセージ託すようです。

それでも私たちの祈りは聞き届けられる…?

それはケースバイケースなのでは…としか言いようがありません。



アセンション。

この人社会の有りようは本当に千差万別。厭世観を駆り立てられるニュースも後を絶ちません。

私はというと、

もうこの人社会の混沌にフィットしない自分を否定しませんが、…かと言って厭世観とも違うんですよ。どう説明すれば良いのでしょうね。

ただ…心に天国を築き出したら、視えてきた世界がある、

私はそこに自分を住まわせることにOKを出した、ということに尽きると思います。

私は嫌なことされてもジャッジせず、ニコニコとあるがままでいられる性分ではありません、残念ながら。
人を不快にさせる自己中心的な存在、人のせいにする存在は、少なくとも私が視る上の世界にはいません。心が狭いのかも知れません。しかしながら、上の世界も種々雑多なようです。すべては魂の成長に沿って、なのでしょう。


え? takakoさん、偉そうに…?

笑…言い訳はしません。それでも私は自分を心地良い環境に住まわせたいと思っているんですね。
なので、自分の反省点も含めて前向きでありたいと思っています。




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(2016年12月27日記)

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