半永久不滅の乳児性

Category : 辛口ごめんなさい

買い物先で喚(わめ)く幼児と出くわすことがあります。私は基本、幼児は苦手…理由はあの喚きっぷりでエネルギー消耗を否応なくされるからですが、先日それと遭遇。で、ふとその小さな怪獣(笑)に「なぜ人間は要求を満たそうとして相手を困らせる手段に出るのか?」という疑問が湧いたんですね。

答えは<赤ちゃん>にあり

答えはあっけなく出たんですけど、赤ちゃんは言葉を持ちません。従って<泣く>ことで知らせる訳ですね。オムツが汚れたよとか、おなかがついたよとか。

泣けば、何とかしてくれる。

少なくともママは自分のために何かしら工夫してくれるという習慣を身につける。一般論ですが、赤ちゃん時期に身につけた習慣は人間の基礎を作る。行動パターンを決定する。いわゆる深層意識・潜在意識に叩き込まれるという…個々の習性となる。

赤ちゃんは決して自分を世話する人間を「困らせようとして」泣く、喚く訳ではないでしょうが、泣けば何とかしてくれる習慣は意識に刷り込まれ…で、そのまんま人は成長する訳ですね。
私自身を振り返ってみて…えぇけっこう小さい頃の困ったちゃん時代のこと覚えてるんですけど、何か欲しいものがあるでしょう? で、我慢させられる。すると不満爆発(苦笑)泣きわめくことで自分は如何にこれが欲しいかを全身で表現(笑、笑いごとじゃないぞ!)痛すぎる思い出(^^;)

欲求を満たさんとして、その気持ちを一心不乱に表現する






表現せねば、相手に伝わらない。

ところが、パパママは困る訳ですね。「泣けば何とかなる」という子育てではワガママ人間に育つだろうし、ダメダメ!ばかりでも屈折した人間にとか…そういう調子で子育ては親にとっては試行錯誤の連続。同じ親から生まれたのに兄弟で性格が違うとかもあるでしょうしね。

で、ストアで何か買って欲しくって怒り爆発させている幼児を見て、私はつくづく思った。キャツら(幼児)はパパママを困らせようとしているんじゃなく、自分の欲求を満たそうという頭しかない(!) それがイコール困らせる事態になっているという悪循環。
キャツらは同時にバレバレの嘘をつく(これけっこう多いと思うんですけど)などして猿知恵を働かせる。パパママは手を焼く。パパママの負の反応(対応)あるもキャツらは懲りない。何度でもやってくれちゃう!(感情移入)

赤ちゃんは言葉を持たない。従って不満不服は泣くことで訴えるしかない。

ところが(!)

ところが、片言でも喋るようになり、やって良い悪いという知恵がつき始めても、言葉を持たなかった赤ちゃん当時の習性は残るんですよ。
泣くことでしか不満・不服を訴えられなかった、その不満とは実に単純な…オムツがどうの、おなかすいたの、あやして欲しいだの、自分ではどうすることも出来ない生理的なものが主。自分じゃ出来ない、大人の手を借りなくてはどうすることも出来ないことだった。それが成長と同時に
 
要求は複雑化する(笑)

言葉を使うようになり、知恵もつく。幼児は家計など知らない(笑)財布も基本持たない。持つとしても親の管理下にあるでしょう。なので、欲しいものがあると「買って〜!」となる。で、「もう持ってるでしょう!」とか却下されると、欲求を満たそうとする本能がムクムクっと。で、猿知恵を駆使して何とかしようとする。中には日頃のママの口調そのままにママに怒る子もいる。泣き真似も手のうち。時にそれが通用…ジジババなんかには有効だったりする。そうやって猿知恵が高まる。

幼児は決して親を困らせようとしている訳ではなく、ただ…自分の欲求を満たそうと躍起になっているだけ。親が困るとかはキャツらの思考回路の最優先順位では2番手3番手。ひたすら欲しいものは欲しい! そのために騒ぐ。単純なんですねぇ。私はその幼児を見て、今更ながらそう感じた。

行動パターンは赤ちゃんの頃の習性そのまんま引き継がれる

大人になっても変わらない

私たちの行動パターンは案外単純なもののようです。あなたは自分は違う!と思うかも知れない。辛口で申し訳ありませんが、どいつもこいつも50歩100歩かと。私? 私とて例外じゃなかった。えぇ「なかった」って過去形…感じ悪いですか?
人って不思議なんですよ。恋愛でも相手の気を引こうとして、かえって困ったちゃんと化すことありますよね? そこのあなた!身に覚えがないとは言わせません(笑、笑えない)。南沙織の「17歳」という歌の歌詞(古いよね)「ふたりの愛を確かめたくって〜♪あなたの腕をすり抜けてみた〜の〜♪」とか…女はそういうふうに習性が引き継がれる。

愛を確かめたくて、かえって困ったちゃんと化す。

男は? 男は…思春期とか暴走上等!という具合でしょうか? 荒れる!グレる!などして欲求不満を爆発させる。全部が全部じゃなくても大なり少なり「飯!金!風呂」しか言わなくなる時期があるらしいじゃないですか?中には女子も…か? ホルモンも関係してるんでしょうしね。

半永久不滅の乳児性

人間って大なり小なり、乳児期の泣くことで「周囲がなんとかしてくれる」を学習し、それが習性と化すんでしょうね。無意識に習慣化している。幼児の困ったちゃん行動は「まだ幼児だから」「ものの分別がつかないから」というのがあるでしょう。「分別がつかない」とは「恥ずかしい」という意識が欠落しているってことでもあるでしょうしね。「こんなことしてるとバカと思われる」とか感じるようになる訳です、そういうするうちに。まぁ一般的に、でしかありませんが。

分別がついても尚、「拗ねる」というふうに…乳幼時期に培った「泣けばなんとか周囲がしてくれる」という経験値が付いて回る。逆に乳幼時期、見捨てられた体験をしたとして…それも深層・潜在意識に刷り込まれるでしょう。如何に私たち人間は乳幼児の習性が行動パターンに影響しているかを思い、私はため息が出たんですね。


何処かで気づかなきゃ。


話は逸れますが、ドキュメンタリーで同一性症候群の19歳の女子の心情が放送されていて…途中までですが、観ました。女の子に惹かれる自分…小学生の時、男子2人がふざけあっているのを教師が「お前らホモか」と注意(と言えるかは不明)したとか。彼女はそれを聞いてショックを受けた。普通じゃないと思われるのかと心が傷ついた。まぁその教師は傷つけるつもりなどなかったと想像します。当事者の男子2人もどうってことなかったかも? ところが、それを小耳に挟んだ少女がショックを受けた…確かに言葉の暴力ってあって、差別的発言を教師がすべきじゃなかったと思うんですけど。ここにも

人の反応を伺う

人間の習性があると私は感じたし、それは良い悪いじゃないけれど、そうやって人間は集団の中の自分を<自分で評価>するってことでしょう。もうそういうのは無意識の意識と言って良いほどの<習性>かとも思う。批難している訳ではありません。
そりゃぁ同性に惹かれる人に対する偏見は根深いでしょうし、もし我が子がそうだった場合は親も心を試されるでしょう。私ですか?私は平気だと思う。というのも、中学・高校とナヨナヨ系の男子がクラスメイトにいましたし、クラス全員偏見ないという環境でしたから。高校は進学校だったんですけどね。その男子、別に問題児じゃなかったですからね。
それでも一般的には難しい問題とは思う。ですが、19歳のこの女の子に思うことはあって…彼女はそういう社会の偏見を相手に「私は傷ついた」と、弱者として自分を意識し、社会に訴え…漫画に描いているようなのですが、彼女は気づかねばならない。それはね、世間がどう思おうと、

「私は私」

偏見という壁を乗り切るのは、偏見を持つ人への悲しみや怒りでは無理と思う。厳しい言い方ですが、自分の心と向き合うことで乗り切るしかないと思う。
私には火傷の跡が大きく残っています。小中学の頃、「醜くて汚いから触るな!」と席を並べた男子から言われたり、わざわざ火傷の跡を覗き見されたり…けっこう傷ついてたんですね。
なので、傷つきやすい性格をとやかく言うのは憚られるのだけれど、最終的には自分を好きでいられれば、OK。それが一番と思うんですね。人に迷惑かけてる訳じゃないのなら。

人の評価を気にする気持ちって誰にでもある訳ですよね? それでも最終的には自分は自分。他人の偏見はキリがありません。彼女のように同性に恋愛感情を抱く人間にはあっけらかんと公表する人だっている。ただし狭い地域だと村八分的に追い詰めるってことありますから…何とも難しい問題ですよね。

もし、彼女が私の身近にいるとしたら?

私はその気持ちを優先する方向で向き合うだろうし、向きあわざるを得ないだろうなと思う。で、それが何を物語るかというと

おもりが必要

厳しい言い方ですよね。ですが、彼女の主張は決して「他に方法がない」ほど切実とは私には思えない。知り合いのニューヨーク在住のダンサーたちはほぼ!だし、同棲もしてたりする。地域によって同性婚だって合法な時代です。だからと言って、偏見に会い、傷つく気持ちも分からなくはない。でも、私は違和感ない。大切なのはそこ(!)ですしね。偏見のない社会はいつまでたっても来ませんよ。この人社界は発展途上のど真ん中。だからこそ、なんです。

何処かで気づかなきゃ。

人がどう言う、どういう目で見てるかじゃない。こういう偏見の類はこれからだってなくならないでしょう。もちろん、偏見差別をされれば、傷つく。目の前に誰かを偏見で笑い者にしていたら、私は怒り露わにしますよ。私に対してだったら?暴れます。

人に否定されたくない。存在を否定する人に対する悲しみや怒り…それは当然の気持ちです。ネットには隣国民族に対し、侮蔑発言するヒトがたくさんいます。私は「言わしとけ」と思う。だって、言い争いになるだけでしょうし、価値観の違いですからね。

ずいぶん話が逸れました。

人間が未熟な理由の中に、乳幼児時期に培った習性をずっと引きずっているためというのがありはしないか?という今回の<辛口ごめんなさい>ですが、人間は本当に心の持ちようが肝心と思うんですね。ニューヨークの知り合いのダンサーたちは偏見を受けてきたでしょうに、皆、人生を大いに目一杯生きるエネルギーに溢れています。そして、人に対してとても優しいんです。痛みを知っていますからね、とても思いやりに溢れています。中には困ったちゃんもいますが(笑)、ご愛嬌(^^)例外は常に存在する

その彼らを思い出して思うこと。それは彼らは<自立>しているということ。人の目がどうのではない。そういう意味では乳幼児性を克服していたかなと振り返ります。

傷ついた…その部分でずっと生きるには人生はもったいないんですよ。もちろん、そういう表現もある。だからこそ生まれたアートも音楽もある訳ですね。ですが、ことここに至って…なんですね。

もったいない(!)

人類の負の遺産…精神性を問うところの負の遺産は出尽くした感があるように感じるんですけど、いかがですか? 性同一性障害を障害のひとつと見るのは限界があるんじゃないでしょうか。

個性

もちろん心的要因には深い闇があるケースもあるでしょう。エイズ発症のリスクもない訳じゃないのでしょうが…、障害と決めつけるのは筋じゃない。個性とみるのが健全かと思うんですけど。

いずれにしても

人社会には何処かザワついた感がある。今回遭遇した幼児は人社会、ザワつきの基本パターンかな?と。相手に不愉快な思いをさせようと、わざと(!)やらかすって人もいなくはないが、大概のケースは自分の欲求を満たそうとしてザワついてるんじゃないかと。で、揉める。トラブる。あるいは自己憐憫に陥る。

なんか話散らかした感がありますが、習性に流されたままで「大丈夫?」なのか?私たち。思春期はまだまだ猶予期間でしょうけどね、成長過程ですしね、ホルモンも盛ん。ですが、やって良いことと悪いことがある。だけど、ついやってしまう…心の弱さを私たち人間は持っています。その深層に乳幼児に培った習性があるとすれば?

フロイト?の実験に、被験者を睡眠から解く前に「あなたは地面を四つん這いに這う」と暗示をかけたというのがあって。すると、目覚めた被験者は「財布を落とした」とか理由を言って四つん這いになったそうで。

私らの自己正当って、そのレベルかと。

人間には愛を確かめようと自虐的行動に出るという人がいます…女に多いという特徴がありますが(^^;)何か?

人間の行動パターンには乳児の習性がインプットされており、泣くことでしか要求を分かってもらえなかった習慣が根っこにあるとしたら?

要求を満たす。

動植物はいたって明快と思うんですけど、人間の心理って入り組んでると思う訳ですね。それは多分、生まれて死ぬまでの期間の社会の複雑さもあるんでしょうけど、言葉がない状態から言葉を駆使する状態に移行するというのもあるんでしょう。

言葉…言語を必要としない動物は表現もストレート。ですが、人間に近いペット…ワンちゃんとかは人間っぽくなるかも? 拗ねてみたりしてね(^^)野生動物だと拗ねても助けてもらえないでしょうしね。食べ物にだって有り付けない。



人の心には半永久不滅の乳児性が潜む。



何処かでスイッチ切り替えなきゃ。おもりを必要としない方向に。自分の傾向に注意を注いで、人の評判に振り回されないくらいには成長しましょうよ。




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(2016年12月27日記)

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