お前が餌を与える方

Category : 魂のご飯

2匹のオオカミの話

先住民の長老が孫に言った。
人間の心には2匹のオオカミが住んでいる。
1匹は悪いオオカミで怒り、妬み、傲慢、劣等感を持ち、
もう1匹は良いオオカミで喜び、平和、愛、希望、信念を持っている。
この2匹のオオカミが常に人間の心の中で争っている。
孫が尋ねた。「お祖父さん、どっちのオオカミが勝つの?」

長老は答えた。「お前が餌を与える方だ





深いい話と思うんですけど、いかがですか? これは韓流ドラマの中で紹介されていた絵本なんですね。確か…映画『トモローランド』でもセリフにあった気がしますが…うろ覚えながら。
良い悪いの定義は文化や習慣によってマチマチかも知れませんが、今日わたしが話そうとする内容に沿うならば、

悪い=自己中(「私んだよ〜」精神)

良い=シェア(分かち合い/補い合う)

という落としどころ。国会で請求書白紙提出は法的に問題ないという諸先生方の答弁はこの「悪い」サンプルになるでしょうね。まったく品性の欠片もなければ、無法地帯と化す厚顔の構え…やれやれ。なんですけどね、この娑婆世界は自由意志がつつがなく施行されています。自分の言動は自分で最終的には全責任を問うしかない訳で…それこそ人は鑑と肝に命じたいものです。







この「2匹のオオカミの話」の「お前が餌を与える方」って、ドキッとしませんか?

わたしは一瞬時間が止まった(笑)。そして、大きく納得。私たちは正邪・陰陽を内在させています。どちらの種も持っているんですね。<如何に生きるか>が「お前が餌を与える方」に直結するのだと思いますが、政治家の横暴さや無神経さ、保身一筋の見苦しさを見るにつけ、ハラワタが煮え返る人もいるでしょう。私もその一人ですが、同時に「もし自分があの立場にあったら、どうだろう」とも思うんですね。なにしろ内情が見えてきません。憶測とリークの域を出ない世界のこと。闇の深さも尋常ではないのでしょう。まぁ靴も靴下も左右ちぐはぐに履いて夫人の写メに収まる(SNSにアップする方もする方と思いますが)、漢字もろくに読めない方がおらが国の総理…彼は象徴的存在と思いますよ、今を表す。

さて

「お前が餌を与える方」を鑑みるにつけ、思い起こされるのはラスボス。最後にして最強の敵という造語のようですが、これも言えて妙!ですよねぇ。初めて耳にした時、えらく感心しましたもん、私。その娘は「お母さん、日本経済はオタクが回しているの」と仰る(^^)なるほど〜 蛇の道は蛇なウチのお嬢さん(笑)です。

で、このラスボスですが、外にはいません。これも「最終的には」というニュアンスを込めた話ですが、2匹のオオカミのどちらに餌を与えるか…が鍵。そう。常に私ら自身が苦楽の種の元凶。どうしてそうなるかと言うと、常に周囲の人間関係やあらゆる情報の影響をもろに受け、なんらかの影響を受けることで言動が左右される…その一言で人間関係が崩壊することもあれば、成立することもある。日頃の食生活のツケが回って成人病発症(!)とか…如何に私ら人間は無造作か、って話。自戒の念も込めて、あまりにも私たちは無自覚なんですよ。かく言う私も『聖なる予言』を読んで「早く言ってよ〜」な有り様で(苦笑)。確かに私たちはエネルギーの勝敗を期するような人間関係の中にあります。気づかぬうちに<優位・不利>の立ち位置が出来てませんか?そして、それが連鎖を呼ぶ。より弱い者に矛先が向く。

どこかで止めなきゃ。

あなたが止めなきゃ。

気づいた者が「一抜け」するっきゃありません。そうそう…『聖なる予言』以降、知り合った人から教わったことなんですけど、悪想念送る人っていますよね?

どう防御するか!

その人は「鏡をイメージして。その鏡を相手に向ける」

それを実践して、相手が具合悪くなったという報告も(怖い!汗)。如何にそいつが悪想念を送ってるか(!)って話なんですけど、なぜ鏡を相手に向けるかというと、その人曰く「だって要らないでしょ?要らないから本人にお返しする

なんという超絶簡単な秘儀!悪想念返し!でしょう。

でもね、それには後日談があって。あまりに具合が悪くなる人が相次いで、かえって心苦しくなって「鏡の技(?)」を止めた女が。多分ですが、その人も念強かった…?

で、もうひとつ秘儀(笑)があって

それは薔薇をイメージして、相手と自分の間に置く。「薔薇は愛の象徴ですから」と涼しい顔で仰る。「それ早く言ってよ〜」ですが、私はどちらも「あり!」と思います。悪いオオカミ的自己中人間は確実にいます。応急処置的にも「鏡の技」もありでしょう。

さて

なぜ今日こういう話をするかと言うと、2匹のオオカミの話はこれから私たちが向かおうとする世界を象徴すると思うからなんですね。

悪い=自己中(「私んだよ〜」精神)

良い=シェア(分かち合い/補い合う)

オリンピック問題にしろ豊洲問題にしろ、それらは「悪い=自己中(「私んだよ〜精神)」を象徴しています。私たちには所有欲があります。私はそれ自体をダメ!と言おうとしているのではありません。

奪い取るようであってはならない。

一部の人間のみが享受する富であってはならない。

言わんとするのはそこです。私は今の騒動を見て、オリンピックが世界のあちこちで開催されるのは誘致がもたらす利権…それ以外に理由などないと確信しました。オリンピック発祥の地ギリシャに開催地を定着させようという議案も出ているようですが、却下されるかも? だって、旨い汁吸ってるお偉いさんらにとっては死活問題(?)インフラの濡れ手に粟の様相も露呈。なぜシンキロウが役員に収まってるか、も納得です。請求書白紙提出を「法的に問題ない」と言ってのける議員さんらも同じ。

「私んだよ〜」精神ど真ん中でしょう。

この精神がこれまでの人間社会を構築してきたんですよ。もうコップの水が擦り切れて溢れ出している…これが新しい流れです。精神世界ビジネスですが、まだまだ前者…営利目的を手放さない限り、真のスピリチャルを彼らは体現できないでしょう。これ、自然の理です。

良いオオカミに餌を与える

良い=シェア(分かち合い/補い合う)という想定内での話ですが、一気に良い方向には向かないかもしれません。それでも歩みを止めないで頂きたいと思います。

また、悪いオオカミに餌を与えるような言動が自分にあるとしても

責めないで下さい。ホノボノオの精神ですよ。「ありがとう」「ごめんなない」「愛しています」「許してください」そう私たちはこういう脆さを持っています。手放すのではなく、抱き参らせて、受け入れて、その土台の上に新しい一歩を進めて頂きたいと思います。本当に怖いのはそういう気持ちが欠落していることです。

難しそうですか?

私は今現在の政治形態に怒りを禁じ得ません。ですが、同時に「もし自分が」とも思う…従って、怒りは感じますが、彼らは彼らの責任から逃れることは出来ないことも知っていることもあり、加えて今は集大成ということ…大掃除があることも察知していることもあり、彼らに正義の鉄拳を喰らわす気持ちは然ほど強くはありません。そういうふうに気持ちの処し方が身についていることを有り難く思ています。

何を育てるか?

自分の中に何を育てるか…なんですね、最初から最後まで。良いオオカミも悪いオオカミもどちらも私たちは内在させています。

この世はいろんな意味で誘惑が多い。

いち早くその囲いの中から退出するに越したことはありません。精神的に(!)ですよ。まずは心からです。心の向く方向が肝心です。




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(2016年12月27日記)

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