中庸 第23章

Category : 魂のご飯

韓流ドラマにハマって幾年。飽きそうになる頃、新たにハマるの繰り返し、笑。で、先日ケーブルテレビで『王の涙』という映画があったんですね。英語題が意味深なんですよ、『FATAL ENCOUNTER』(致命的な出逢い)。ヒョンビンという日本でも人気の韓流スター主演の時代劇なんですけど、第22代イ・サン国王がモデル。このイ・サンと15代光海(クアンへ(別名イ・ホン))王を題材にしたドラマは複数…それだけ魅力ある人物なんでしょうね…あって、今は『華政(ファジョン)』というドラマで光海が即位していた時代のドラマが放映されてます。

朝鮮時代(李(イ)王朝)の朝廷は陰謀攻防の歴史そのものですが、権力あるところ闘争ありは人の世の習い…つくづくドラマを観ていて、悔い改まらない人間は死ぬまで…いや死んでもでしょうが、改まらないと思う訳ですね。朝鮮時代(李王朝時代)の王族・宦官・学者が学を修めた、その中心が「小庸」「中庸」「大庸」というもので、先日観た映画『王の涙』の劇中、中庸第23章が諳んじられる場面があったんですね。それを紹介します。






中庸 第23章

小事を軽んじず

至誠(この上なく誠実なこと)を尽くせ。

小事に至誠を尽くせば

誠(まこと)となる。

誠あるものは にじみ出る

にじみ出れば 表れる。

表れれば いよいよ著しく

著しければ 感動を呼ぶ。

感動は 変化を起こす

変化は万物を生育する。

天下においてー

至誠を尽す者のみが

己を世を変えることができる。





人はなかなか自分の落ち度を認めたがりません。暴言や暴力、蔑みや言い逃れ。それらは人の弱みでもあり、残酷な一面でもありますが、弱みも残忍さも煎じ詰めればエゴの表れ。失礼な発言をしたら、相手に謝罪するに越したことは無い。無いのに謝れない。いい年をした大人も子供も変わりなく。よしんば謝罪したとして、許しを得られないと逆ギレするヒトもいる…やれやれ。

この世は自由意志が貫かれています。故に最終的に自分の方向を決めるのは自分自身…わたしも含めて、なんびととも逃れることは適いません。
生涯を通じて慈善事業に捧げても、たった一度の保身のための偽善がその人の行く末を暗示することもあれば、その逆に悪事に染まった半生を生きていても、保身に基づかず、悔い改めた人生を歩めば、それもまたその人の行く末を暗示する。まさに私たちは死ぬまでまな板の上です。ビビらず覚悟を決めましょう。

さて

あなたが誰かに暴言を吐かれたとします。あるいは暴力を受けたとします。原因はあなたにもあったとして…例えば口論とか。ですが、暴力を振るった人間に非はある…暴力という行為は現実的に人に痛みや傷を負わせます。故に現実罪に問われる訳ですね。あるいは言葉の暴力となると…人により同じ暴言でも平気な人もいて…なかなか因果関係の証明は難しいでしょう。ですが、一人の心無いひと言が誰かの心を傷つけ、生涯癒せぬトラウマになることもあります。

もし あなたが無自覚のうちに誰かを言葉や態度で傷つてているとしたら

その可能性が1%でもあったなら、あなたは「ごめんなさい」と心に刻んだ方が良いです。もし 傷つけるつもりはなかったと告げる機会があったなら、どうぞ言い訳はしないで下さいね。言い訳は見苦しいだけですし、「そのつもりはなかった」と相手に理解してもらうのが本望なのですから。

『王の涙』この映画のラストシーンでもこの第23章が主人公イ・サンにより語られます(ナレーションで)。その直前に貧民層の子供(捨てられた子供)を刺客に仕立てて金儲けしている老人がイ・サンに「俺ひとり殺しても世の中は変わらんよ」とニヤリと笑うシーンがあるんですね。その後に聞くこの章に私はちょっと泣けてしまいました。

映画は歴史上実在の人物をモデルに制作されたフィクションです。ですが、描かれている精神性には訴える力があります。映画やドラマ、歌の存在理由もこの辺にあるのでしょう。何がどうあなたに私に響くかは人それぞれ。

私たちが今生きる世界も世の中も、イ・サンが生きた時代も人の業という点では変わりがない。利権がある限り、人はそれに抗いようがないようです。あなたは「自分は違う」と言いたくなるかも知れません。ですが、権威って狡猾です。人の弱点を突きながら巻き込んでいく…例えば家族の存在が恋人の存在が人質となるケースも多々あるでしょう。そこにメスを入れても老人の言うように「世の中は変わらない」でしょう。首をすげ替えての堂々巡り。

それでも!なんですね。それでも、私は自分が出来る範囲…ささやかとしても…命ある期間、「至誠」を尽す道を歩んでいこうとしているのだと思う。そうありたいと思っているのだと思う。

もし間違いを指摘され、改善の余地があるのなら、ちっぽけなプライドを横に置き、真摯に受け止め、今後に活かそうと思う。多分…その繰り返しなのだと思う…上手く機能しない日もあるだろうし、その辺は叩き上げていこうとも思う。

時に人は「大事の前の小事。少々の犠牲は大義のためなのだから仕方がない」と言うようです。ですが、大義のための小事を犠牲にしようという…それって、自分は大義の側に立つから言えることな訳ですね。それもエゴの表れ…やれやれではないでしょうか。




小事に至誠を尽くせば

誠(まこと)となる。




私たちのこの世でもゴールには「私欲を断つ」というのがあるのだと思う。韓流観てるとそれを痛感しますけど(苦笑、笑えない)、それは善根を植えるためとかそういう思考じゃアウトと思いますよ、それこそ私欲。自分の厚意が、行動のひとつひとつが世の中の役に立っているかどうか分からないくらいが丁度良くて…何か事を起こす時には迷うことだってあるのだと思う。



天下においてー

至誠を尽す者のみが

己を世を変えることができる。




成就には至らないかも知れませんね。ですが、心に植えて、行いで「尽くそう」とすることなら出来る。

いよいよ…バシャールが言っていた「この秋には」の時期に突入しました。9月に入って、これまでにはなかった心の変化を感じています。皆さんはいかがですか?
英語表現に「Something inside has died」というのがあります。意味は「心の中の何かが死んだ」ですが、私の中の、何か…奇妙な表現で申し訳ないのですが、「いなくなった」「倒れて息絶えた」感覚を覚えました。その「いなくなった」感覚は何処へ行ったのか?

還って行った。

本当に奇妙な感覚で恥ずかしい限りですが、そう表現するしか今のところありません。だからと言って、喪失感はなく。ただ…いなくなったという。不可思議ですよね。説明のしようがありません。多分ですが、徐々にその%が増えていくのでしょうか?今は未知数です。

転生の意味。魂が此処に来ようとした動機について私はずっと書き続けてきました。その中核は「達成感を得たいため」と書いてきましたよね? それを書き換えようとは思いませんが、どうもその先がある…そこに至り始めたのでしょうか。




達成感のその先




結果とはついてくるもの。

結果を当てにせず、気にも留めず、常に今、至誠を尽くせ。

にじみ出ること、表れること、著しくなること、感動を呼ぶこと…

それらを念頭に置くことなく、常に至誠を尽くせ。




結果を期待しない。それは「信頼」の表れ…それは耳にタコと思っていました(笑)。その「結果を気にしない」心はどうも奥が深そうです。本当に魂は永遠の旅人。好奇心こそが生きる…魂が生きる原動力なのだと思う。学びでさえ、ついてくるもの…糧となる訳ですね。例え、達成感…その道半ばとしても。達成感…その先の高みは

気が遠くなりそうですよね。でも、分かり始めた気がします。それって遠くには無いんですよ…青い鳥の寓話のようにね。



おっと!書き忘れるところでした。in Deep に興味深い記事がアップされていました。以下に抜粋しておきます。やはり長〜いタイトルです。







地球が新しい地質時代「人新世 / アントロポセン」に入 ったと科学者たちが宣言しようとしていることに対して 少し思ったことは

http://indeep.jp/the-anthropocene-dawn-of-a-new-epoch-human-age/

しかし、私たちが考えることで、もっと大事なことがあるはずです。 それは、私たち人類が、「地球の浄化能力のものすごさ」 を改めて知り、地球に今よりさらにさらに大きな尊敬の念を持つことです。






相変わらず…素晴らしいと思いました。独特の視点ですよね。今回も心地よく触発されました。



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(2016年12月27日記)

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