体験型社会見聞

Category : 魂のご飯

この世は幻というスピリチャルな人いますよね? では…その幻を誰が?何が?創造したのでしょう。創造主ともサムシンググレートとも…いずれにしても人智を超えた何かが宇宙創生し、地球も然りと。
人間は猿から進化したという説に異論を唱える宇宙人介入説があります。宇宙人が遥々地球に飛来して自分らのDNAと当時の地球に生息していた生物と掛け合わしたなどなど…情報の出どころはチャネル。

世界(宇宙)創造も人類の起源も諸説あって、これはミスター都市伝説の決め台詞「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない気がしますが、どの説を唱えようと信じようと信じまいと「だから…何?」と思ってしまう私です。探究心や好奇心を満足させたい!人の心理は理解できるものの、それを知ったからと言って、あなたが私が今ここでこうして生きている理由に答えを見い出せるの?と。自分が何故こうして存在するかは気にならないのかぁと思ってしまう。

宇宙創生・人類の起源を知ることと、人生の意味は別もの。創生・起源を知ることは地球を知り、生命の神秘に触れる得難い機会なのは確かですし、それに人生を賭ける人もいます。確かに意義のあることとは一定の理解には至る訳ですね。

そこに一矢を射るのが預言や伝承

アトランティスなどの超古代文明と遺跡発掘がリンクして、その存在を証明するかのような異物も発見されつつあります。

そういう研究や発掘に人生を捧げる生き方を私は否定するものではありませんが、その動機の起源に何があるのか?そこを煎じ詰めいくと見えるのが

霊(魂)の存在

今日は<霊>をモチーフにして、人生の意味を考察してみようと思います。今日はいつにも増して長文になる予感。








今年に入って、保江邦夫さんという方の講演会に出かけるようになりました。知る人ぞ知る物理学者であり、合気道の指南という経歴の持ち主。この人のユニークさは群を抜くものがありますが、話も毎回興味が尽きません。次に何が飛び出すだろうというワクワク感があります。で、講演の中で私は「看取り士」という職業を初めて知ったんですけど、皆さんはご存知でしたか?

看取り士とは死にゆく人を看取る専門職(興味のある方はネット検索で調べてみて下さいね)。臨終間近の人を抱き、ただただ見つめるんだそうです。もう言葉は必要ない。日本で看取り士を束ねる女性から保江さんが聞いた話として、その女性は看取る回数を重ねるうちに

魂が抜ける刹那を目撃。

それは白い靄のようなものだったそうで…、もうこれこそ「信じる信じないかはあなた次第」という話なんですけど、これって、「人間は死ねばお終い」と思っている人には馬の耳に念仏。喧々諤々とテレビでこの種のネタを論争戦わす番組ありましたよね? 私はあぁいう主張合戦って不毛と思う性格なので番宣観ただけで拒否…、相容れないサルカニ合戦でしょ?互いに一歩も譲らない…意地と意地のぶっつけ合いっこ。ビートたけしって、ある霊能者界隈では豊臣秀吉の生まれ変わりで有名らしいんですけど、悪ふざけが過ぎる性格(?)は輪廻しようと変わらないってことなんでしょうか。マット事件もありましたしね。

おっと…話が逸れた。

まだまだ看取り士の深イイ話はあるのですが、そこは<霊魂>の存在なしに語れるものばかり。霊魂にしても、死んだ後の世界にしてもこの娑婆世界では信じる信じないの話な訳ですが、死んでみりゃ誰もが分かる(苦笑)、行き先は別々でも。
また、この世だけが世界じゃない…パラレル・ユニバースと言って、平行宇宙ってのがあって…あの『千と千尋の神隠し』…まぁあれはフィクションですが、ちびまるこちゃんの作者も子どもの頃に不思議体験しているそうで。「この世は幻」と言う人の頭にはこういうこともあるんでしょうか? いずれにしても、この世界が幻だろうと、実態だろうと、その辺で論争してもラチがあかない。霊魂の存在も同様。私の今回の話も霊魂の存在を信じる人にのみ有効な訳ですが、

この世界は何のためにあるのか?

これ!だと思うんですね、起源云々ではない…何ゆえ?私らは此処に存在しているのか? あるいは「居る』という感覚を持っているのか?

幻と達観する気持ちも分からなくはないけれど、そいつって稚拙と私は思ってしまいます。何故か?だって、そいつも色々な生理現象を体験しているはずでしょう? それをどう説明する? もっと視野を深めなよと上から目線な私な訳です。
この世は幻と達観している人間も死んだ後、霊的世界で休息した後、新たな転生先に向かう。

じゃぁどの世界なのでしょう?

何処かに幻じゃない世界があると、彼らは思っているんでしょう?

多分ですが、霊的世界こそが実態と言うと思うんですけど、いかがですか? 私は言葉遊びをしている訳ではありません。霊的世界こそが実態とすれば…そうですね、保江さんは前世アシュタール(自称吹聴ではない)らしいんですけど、アシュタールが活動する世界はどうもこの地球と次元が違うようですよね? アシュタールは霊的存在ではなく、シリウス系(?かどうかは私には分からんけれど)宇宙人というじゃありませんか。

宇宙人ですよ、宇宙人!じゃぁアシュタールが生きる世界も幻ってこと?

煎じ詰めれば、霊魂が転生した先の世界…ここは地球ですが、それを幻とかいう話はそれこそ実態がない。地に足つかない思想でしかなくないですか? 何が実態で何が幻想なのか…そこで悟りを得た気になっているだけと私には思えるんですよ。

魂が何故こういう体験を欲するのか?

思念すべきはここと思うんですけど、いかがですか?

五感六感を刺激する体験…臓器を伴う体験…それらは霊魂の<実感したい!>欲求を満たす目的のために用意されたもの。自然もそう。この地球で生きる命すべてが享受するもの。生き死にも老いも同様と思う。条件さえ整えば変化する事象に身を委ねる…何のため?

霊魂の、実感したい!という欲求を満たすため。それ以上でも以下でもない。喜怒哀楽もそう。体験しなければ、何が悲しいということか…何が喜びなのか…霊魂は分からないのですよ。転生の一歩を踏み出す前の霊魂はある種、ニュートラルな状態ではないんでしょうか。転生により染まる…まるでまっさらなキャンバスのようかも知れません。

確かに実態は霊魂と言えるでしょう。だって、転生によりもたらされた経験を霊魂は蓄える訳ですから。では何故、転生の経験を蓄えようとするのか?

成長を自身に期待しているから

妙な表現かも知れませんが、成長こそが魂の誓願です。皮肉にも成長を誓願とする…すべての事象には陰陽の要素があって…退化もする。だからこそなんですね、人生はチャレンジと称されるのは。リスクなきチャレンジはチャレンジとは言わない。魂は押し並べて冒険好きなのでしょう。

この世がすべてではない。それが「この世は幻」という世界観を生むのだと思いますが、釈迦の説く「無常」はこの世の習いには常というものがなく、すべて移り変わるという悟り。生き死にする訳ですね、この世に生を受けたものはすべて。だからこそ釈迦は「怠りなく精進せよ」と遺言を弟子に残したのではないでしょうか。仏修行だけが精進の場ではありません。生まれて死ぬまでの人生そのものが精進の場な訳ですね。

今日のお題は『体験型社会見聞』その心は(笑)

霊魂は転生希望する際、その動機が問われます。「何故、受肉(転生)する必要があるのか?」を問われる。問われるということは同時に自身に問うことになる訳です。退行催眠被験者は「地球に行きたがる魂」について語るようですが、宇宙人もそうらしく…私は物好きだなぁと思うけれど(笑、笑えない。私もそうか)、どうも「勇気あるよね〜」とも言われるらしい。思うに、その理由には

異文化交流の坩堝

これがあると思うんですけど、いかがですか? これが何を物語るかは推して測るべしだと思いますが、紛争も喧騒も絶えない…人社会な訳です。
地球で人間としての体験を希望するって「怖いもの知らずだったな」と私はつくづく感じるんですけど、同時にだからこそ有意義な機会とも思うんですね。そりゃぁ達成感を得られれば、この上ない喜びでしょう。ですが、背中合わせに失望や喪失がある。怒りや憎しみがある。
何故この世での転生がチャレンジと言われるか…悲壮と歓喜が同時成立する世界で生きるからと思いますが、紛争が絶え間ない地域があると思えば、平和な社会もある。紛争地に敢えて転生する魂があるって…敢えて!そうする理由がその魂にはある訳ですね。

それぞれの魂(霊魂)に希望があって、吟味され、いよいよ転生する。

どういう実感を得たいか、その心には、目的意識がある。転生は勝手気ままに成立する訳ではなく、何らかのディスカッションが為されるフシがある。その魂にどういう体験をさせるのが良いか?が問われる。それは人智を超えた恩寵と思いますが、恩寵は同時に<審判>でもある。

混沌を解消すべく来た魂もあれば、混沌に拍車をかけるべく来たのも。それが何を物語っているかというと、この世界は異文化交流の場であり、未開地だから。えぇここは未開地。地球が!ではなく、人社会がってことですけど。地球はできの悪い子供の面倒を見る乳母のようです。受肉の場でもありますが、受肉するヤツは霊的世界からやって来る訳でしょう? 私らのことですが、地球は舞台な訳です。そこで何をどう演じるか…役者にこそ責任がある。地球はマザーアースと言われます。まぁ勝手に人間が言ってる訳ですが、マザーにも限界があるでしょう…地球も生命体とすれば。

私ら人間は混沌として万遍ない平和を築けない。

異文化交流の難しさを思い知るばかりですが、もうそろそろ人類ってヤツの混沌に限界が迫る頃でしょう。私たち一人一人が問われる…どういう世界が好ましいか。この人社会が何故こうなのか…もし あなたに創造主から「そろそろレポート提出してもらおうか」と期限設定されたら?

あなたは明確なビジョンを描いて、レポートを書けるでしょうか?

私ですか?書きますよ、合否の如何は別にして。絶対に他人事のようには書きません。この人社会は私にとって体験型社会見聞の場です。それ以外の存在価値はありません。地球が、というじゃありませんよ。この人社会がってことです。

私はこの舞台…地球のあるべき姿を思い起こします。そこから書き始めねばならないと思っています。霊的な意味で私は既にレポート書き進めていると言えるでしょう。私は日々、人社会から受け取れるたビジョンを意識的に送っています。何処へ? 私に転生の機会を与えてくれた領域に。そして、この世を通して感じる世界に。

レポートを提出するとは比喩ですが、<気づきを放つ>とでも言うのでしょうか…言えて妙な表現が見つかりませんが、この人社会の有りようは私らに何かを常にもたらしているのではないでしょうか。そのもたらされたものに何かしら感じることがあるはず。

感じたら、何が人社会を混沌とさせるかの自分なりの答えを持つものだと思うのですが、いかがですか?

体験しなければ分からなかったことばかりじゃないでしょうか?

この人社会の最大の欠陥は<富と権力の蜜月>です。それを可能にするシステム。極一部の人間が掌握する…少数の権現と大多数の民衆という構図が何千年何万年に渡ってまかり通ってきた世界。知的好奇心も<富と権力の蜜月>に抱き込まれる。

自由意志

これが宇宙の法則である限り、改まることはないでしょう。首をすげ替え、権力の構図は衰えることを知らないでしょう。
私は飛鳥昭雄さんの話に興味を持っていますが、飛鳥さんは聖書予言を紐解き、もうすぐハルマゲドン…世界最終戦争が勃発すると警告し続けています。そこに一マヤ暦や一部に話題のアセンション情報にも関心がある。そうそう。宇宙船が大挙して行いの正しい人たちを携挙するという話も。こういう情報って、意味ない訳がない。現実化するかどうかは別にして、私らが気づくべき何かのヒントだと思うんですね。

社会体験から得られる「何がこの社会を狂わせているか」その自分なりの答えと、この予言やスピリチャルな情報がもたらす<刺激>

これも抱き合わせっちゃ抱き合わせと思いますが、自分なりの答えは、スピリチャルなインスピレーションがもたらされると昇華されると思うんですけど、いかがですか?

これが何を物語るかというと

私らは常に霊的世界と繋がっているということ。ただ…日頃ボ〜ッとしている(苦笑)んだけど、何かをきっかけに冴えるってことありませんか? それって、繋がっている証拠かと思いますよ。で、私たちを介して霊的世界は情報収集してると思うんですね。送り出した奴らがどうやっているか。

生と死。それはまるで呼吸のようだと私は感じています。それは引いては創造主…サムシンググレートとも称される…何かが吸収し、また新たな息吹を排出する…そうやって、宇宙は永遠に呼吸し続けては創造と破壊を繰り返す。この人社会はまさに創造と破壊を物語っていると思いますが、この宇宙には例外はないのだと思います。

文化圏で暮らす人間はネット利用しています。テレビラジオという媒体を飛び出して、私たちはより活発な情報収集を試みるようになりました。溢れる情報の中から自由に取捨選択して共有する…良くも悪くも私たちは拡大する情報社会に生きています。情報の加速化は世界を狭くしましたよね。手に取るように私たちは世界情勢をネットでキャッチ。便利な世の中ですが、同時に顔の見えない者同士のコミュニケーションも活発化。発言もネットで行き交うようになっていますし、ブログやFacebookで国境の区別なく情報が飛び交います。ひと昔前なら雲上人な人の動向も日々配信され、それに対する意見感想がネット配信され、更に意見が重ねられる。コンピューターから始まった情報収集速度はまさに脅威。人は本当に貪欲に何かしら編み出す頭脳集団…現状に甘んじることなく高みを目指す生きもののようです。

その弊害が原発や細菌兵器…もう自分たち手に負えないモンスターを世に放って久しい状態と思いますが、編み出したがために自分らの首を絞めているという皮肉さが世界を覆い尽くしています。

私は常々、ビジョンを描こうと推奨しています。

個々にバーズビジョンがあるとも語ります。ですが、個人と社会は両輪な訳ですね。どんなに夢を描いても戦争が起きて徴兵でもされた日には夢どころではありません。私たちは社会に対してそれぞれが責任を持たねばならない訳ですね。ところが(!)責任を果たそうにも果たしようがない…もう民心に限界が来ているのが今!と思うのですが、一縷の望みも残ってはいる訳です。それは

ネットの力

飯山一郎さん…有名ブロガーですが、以前、信奉者の女性が放射能汚染云々で頭がおかしいと強制入院されそうになって飯山さんにSOS。そこで飯山さんはネット閲覧者に呼びかけ…その病院に苦情の電話が殺到!入院しなくて良くなったという顛末が披露されていましたっけ。

騒ぐ人の背後には数千の仲間がいる。

良い悪いではなく、ネットは連帯感を私らにもたらしています。圧力かけてもかえって「騒ぐ」現象が起きて政治不信に拍車がかかる。ネットの力ってスゴいと思うんですね。井戸端会議がスケールアップ。蛇の道は蛇。
政治家が一番恐れるのは民衆の怒りのようですが、事実を知った民衆の怒りほど激しいものはないかも知れません。そりゃぁエラい騒ぎになります。日本の中の出来事も即時世界に発信される。
原発反対!と国会に押し寄せようものなら「テロですよ、皆さん」とか仰った議員さんが…いましたよね?最近なりを潜めているようですが、ネット情報って抑止力になる。絆が生まれる。これはもう時代のニーズ。起きるべくして起きている現象だと思います。

私らひとりひとりは弱小でもネットワークの力ってある訳ですね。要するに賢く使いこなさない手はない訳です。蛇の道は蛇。

あるいは陰謀論を展開するネットユーザーの数もハンパない。要はこれらも賢く見極めつつ、何が自分に必要で不必要かってことだと思うんですけど、ネットは私らの想念信号とリンクしています。故に類友な面もあって…世界は…人間が思念する世界は多様化に拍車がかかっています。

これは私の想像の範囲ですが、これから政治的抑圧が高まれば高まるほど、かえって民間から知恵者が登場し、それも複数…ネットを介するなどして、連帯感が高まるようになるだろうと思うんですね。

何が当てになるか?

私たちひとりひとりの直感こそ!だと思うんですね。もし選択ミスと気づいたとしても、やり直すことは可能です。方向転換も比較的容易いと思いますよ。ネット社会ですから。

個人の趣向と社会の趣向は持ちつ持たれつ多様化し続けるでしょうし、月日がたつにつれ淘汰もされるでしょう。

それが何を物語るかというと<選択の自由の共有

これからは「あなたについて行きます」じゃなく、「参加します」という切り替えが必要です。まったく違うんですよ、この意識。前者は依存だし、後者は自主的行為。雲泥の差です。

「助けて下さい」ではなく、「役に立って頂けませんか?」という意識でいて下さい。

何故なら、何らかの癒しや救済活動している人は「役に立ちたい」という意欲でいる訳です。そして、彼らがあなたの役に立ったなら、あなたは他の誰かのために手を差し伸べる…というふうにステップフォーワードする訳ですね。
皮肉なことですが、政治不信が高まれば高まるほど、こういう意識の流れが具現化していくと思います。実際そうですよね。

で、気がつけば、あなたの個人的なビジョンと社会がリンクし始める。

もし現実化しなくてもビジョンは持ち続けて欲しいと思います。だって難しいことも実際あります。かなりハードなことも。いずれにしても、個人のビジョンと社会がリンクし始めると100匹目の猿現象があちこちで起き始めます。もう既にだと思いますが、この世で起きていることは霊的世界に反映されるだと思うんですね。

この世界も自由意志が貫かれています。

安倍マリオにどう世の習いを諭そうと暖簾に手押しな気がしますが、自由意志にいったんの区切りがつけられる時ってあるのでしょう。この数十年はその時期に当たると感じます。良くも悪くも東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊するなどした時期はスピリチャル的な変換期でもあった気がします。良くも悪くもというのは、精神世界ビジネスの台頭による祭りの屋台化が推し進められたことと、内省内観の機会がもたらされたという。

社会が個人の幸せを反映させ、個人が社会に責任を負う

この両輪を機能させるために何をどうすべきかを私たち大人は真剣に具現化せねばなりません。未来へ希望を繋ぐためにも。

興味深いのは政治不信が高まれば高まるほど、あちこちでユニークな発想の取り組みが為されていることです。黄金の××さんなどはダーチャプロジェクトなるものに取り込み始めたようですし、飯山さんは中国に新日本を作ろう!と張り切っている。

呼吸のように文明も栄えもし滅びもする。滅ぶ原因は色々でしょうが、その根幹にあるのは<傲慢さ>ではないでしょうか。『小さな宇宙人アミ』で描かれていましたよね? 武器を放棄して平和を勝ち得た惑星の話。残念ですが、地球に君臨する私ら地球人は第何回目かは知りませんが、滅びの時を迎えようとしている…その予感を持つ人の数は決して少なくないでしょう。奇跡のりんごの木村さんの「地球カレンダー」の話もありますしね。

でも、どうぞ希望を絶やさないで下さいね。

魂は永遠。今は限りある命に身をやつしているけれど、この体験はとっても貴重なもの。異文化交流を生きる…そこで共存共栄する難しさを知っただけでも大いなる学習といえるでしょう。あなたも私も人間体験しながら、社会見聞を深めて来た訳です。そりゃぁレポートのひとつやふたつ発信しないでか…!ではないでしょうか。だからこそ!なんですね。人にいちいち説明する必要などない。ですが、何がイエスで何がノーなのかを明確に意識して下さい。誰かが言っていたとか、何かに書いてあったとか、一切捨てて…あなたの直感を信頼して下さい。あ!

これからは「あなたについて行きます」じゃなく、「参加します」と。「助けて下さい」ではなく、「役に立って頂けませんか?」という意識(気持ちで。そのまんま口にすると生意気と思われるかも知れませんから)でいて下さい は参考にしてもらえれば幸い(^^)ども

体験型社会見聞の成果を存分に発揮して頂きたいと思います。

人生を生きる…それイコール修行です。釈迦は「怠ることなく精進せよ」と言い残したといいます。精進という目的意識を後押しする心的エネルギーは何か?

それこそがバースビジョンです。

人生は長いようで短く、短いようで長い。霊魂はそれを重々承知で転生して来ます。限りある命という条件を飲んで受肉します。予定したの半分も達成していないかも知れないなぁと思うこともあるんですね、私。そうじゃないかも知れませんが、かえって躓かなくても良いところで大いに躓いたかな?ということもあったように思うんですね。そういうイケてない部分も人生な訳です。

何もかも提げて(ひっさげて)帰還してやるぞ!

酸いも甘いも体験したものにしか語れない…その粋ですよ。一緒に精進していきましょう。置かれた場所で咲いてみせましょうよ。






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(2016年12月27日記)

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