パラダイムシフト

Category : ウェークアップコール

久しぶりに In Deep を閲覧しました。中でも『「パラダイムシフト」は専門家や指導者たちによってなされるのではなく、私たち一般人ひとりひとりからしか起こり得ないことを改めて強く思い』という長いタイトルが気になって読み進めました。以下にURLも貼っておきます。

http://indeep.jp/paradigm-shift-is-rapid-change-and-revolution-by-amateurs/

私はこの人の視点けっこう好きで…納得するとかしないとかは関係なく、物事の捉え方というか…感じ方が独特だなあといつも感じるんですね。捉えどころがないかに思えて…実際、この人自身が世に出回っている情報を元にしているし、専門家などの解説を交えてはいるのだけれど、何処か浮遊感があるというのでしょうか。感覚を泳がせているというのでしょうか。思うに

自分なりに

という…そういうことなのかなぁと思うんですね。この「自分なりに」って、言うなれば、人の手垢がついたもの(情報にしろ専門家の知識にしろ)なのに、この人の思念にかかると手垢のない独自な感覚が流れ始める…という、分かりづらいですよね(苦笑)説明が下手で申し訳ない。

群れようとしない。かと言って隠遁的でもない。不思議な人だなぁと思ってみています、私。

さて、今日のタイトルは『パラダイムシフト』ということで。他に書きたいことはあるのですが、これを先に書いてみようと思います。








Wikipedia によると「パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う」のだそうで。

今回ご紹介した In Deep の記事の「「パラダイムシフト」は専門家や指導者たちによってなされるのではなく、私たち一般人ひとりひとりからしか起こり得ないことを改めて強く思い」というタイトルはずっと私が持ち続ける思いと重なる…違わずに同じじゃないでしょうが、この「私たちひとりひとりから」という部分に共感。

アセンション

これはスピリチャル界のバイブル的地位と思いますが、そこには常に<集合意識>や<宇宙存在のメッセージ>が伴ってきました。多分これからもそうでしょう。集団瞑想。集団平和の祈り。そういうイベントも長年行われていますが、功を奏した試しがありません。その理由をこの数年私なりに書いてきた訳ですが、私が書く内容も他のものも、それはみなさんにとっては<人の手垢がついた情報>な訳です。それを自分の心に持ち帰ろうとせずに、情報提供者のコピペに留まる人たちがいます。情報拡散っていう…それはいわゆる「レシピは丸覚えしているけれど、一度もその料理を作ったことがない」のと同じ。それの何処が悪い訳?という反論を買ってしまうかも知れないんですけどね。多くがここで足踏みしていると私は思ってしまう訳ですね。書いてしまう。

門前の小僧経を読むという。

これが何を意味するかは皆さんはご存知でしょう。要するに「身についてない」ただ暗記しているだけという…アセンションもこれに似た現象だったように思う。いずれにしても、チャネラーや啓蒙者の話が先行し、拡散が広まって行きました。

アセンション情報を知った時、皆さんはどういう気持ちになりましたか?

私はバシャールじゃないけれど、ワクワクしました。信じる信じない以前に説明のつかないあの感覚は心の深い部分が知っていることなのかなぁと。ただし実際に何がどう起きるかは啓蒙者でもチャネラーでも分からないんだなぁと思わせられた歳月でもあった訳です。2012年12月マヤ暦も何ごともなく過ぎ去り、情報だけが電信柱のボロボロのチラシのように忘れ去られた感があります。(実際はかなりシフトしました。ただ社会現象として劇的変化は何もなかった)あんなに元気で本を書き、講演会で活躍していた人もアセンション延期に次ぐ延期、先延ばしな感は否めず、何処かシラけたムードもない訳じゃありません。

これが何を物語っているか…これって、つまり皆んなが私を含めて門前の小僧だったてことかと。

啓蒙者・チャネラーに至っては情報(そのソースが宇宙人であれ、精霊であれ、妄想であれ)をただ拡散していただけ。とは言え、情報拡散に何の意味もないとは言えず。私たちは今でも信じているか、あるいはシラけてしまったかに二分されたでしょうか? そのくらい曖昧模糊だった気がします、アセンション情報って。いかがですか?

いずれにしても、私たちに欠けていたのはIn Deepの管理者のような「自分の思念に持ち帰って、自分なりに感じる」プロセスじゃなかったのかな?と思うんですけど、いかがですか?

私はある時期、アセンションは人類という単位ではもたらされないとハタ!と気づいた。考え抜いてではなく、偶然…ふと気づいた。
宇宙存在は「あなたたち地球人は」と語りかける…実際に宇宙人がチャネラーに語ったかどうかは別にして、それはまるで人類にもたらされたと思える語り口です。確かにそうなんでしょうけど、その真意は私たちひとりひとりだったのでは?と私は思った訳ですね。

大勢の<ひとりひとり>に向けられたメッセージと。

理由は簡単です。私自身が視る機会を得て、ひとりひとり…それぞれに人生の課題を持っているし、やって来た領域が違うことに思い至ったから。そして、この世の人間ほど不協和音を奏でる生きものはいないということ。更に言うなら…実は一番大切なのだけど、

自発・自立

ひとりひとりの自覚。ひとりひとりが自分の感覚に情報を落とし込む。誰かの何かの説やメソッドを利用したとしても…そうですね…遠足に行って写生したとして(笑)同じ目的地に着いたとして、「写生しましょう」となったとして、描く風景ってそれぞれ。例え美術室で同じ対象を描くとしても、それぞれに表現ってありますよね?

スマップの『世界にひとつだけの花』という歌が多くに感動をもたらしました。

多くがそこに共感を覚えた。ところが実生活になるとイジメあり、異分子拒否あり。つまり人間てね、実生活に落とし込んで生きるのが不得手な面があるってことかと。どんなに素晴らしい情報でもいったん自分の心に生活に落とし込んで活かす必要がある…でも、それが機能していない人間が少なくないのが現実。


パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。(Wikipedia)


ところが、精神世界のリーダー的存在にしても従来の宗教や道徳にしても…宗教は特にですが、「救われたければ、良い行いをしなさい」「人の役に立つ人間になりなさい」と教えを垂れてきました。それはそれでモーゼの十戒を彷彿とさせます。人としての善業。決してやぶさかではない訳です。ですが、ある段階に差し掛かるとそれさえシックリ来なくなる。

良い行いをする動機が「自分が救われたいなら」は打算とどう違うの?という疑問が湧き、この世をより良い世界にするために人間として為すべき行為…それはそうなんだけど、結果を見込んで善業実践するって「どうなのかなぁ」と疑問が湧く。少なくとも私はそうでした。
皆さんの中にはそれの何処に疑問が湧くか「気が知れない」と思う人がいるかも知れません。それはそれとして。そういうのって要するに幼児期・児童期という物事の良し悪しがまだ理解できない段階の人間に必要な道徳感じゃないかと思った訳ですね。それは視る毎に募っていきました。納得できない人もいるでしょう。それはそれとして。これは私の感覚な訳です。譲りようがありません。

パラダイムシフト

その中にはこうした、人が疑問に思わないことが含まれているのじゃないかと思う。既存の価値観に収まらない心のシフトも含まれるはずではと。「人助け(善業)をする…それの何処がいけない訳?」と思うのも無理はない訳です。人助けって目の前にそれを必要とする人がいて尽力する…それはそれとして、何故そこに「自分が救われたいなら」という理を込めるのでしょう? しかもそれが先行するって、どうなんでしょうね。そういう理(ことわり)は自転車の補助輪のようではないでしょうか?
「いい年をして未だに補助輪付きじゃなきゃ自転車に乗れないのかよ」とは誰も言いませんよね(笑)。ものの喩えでしかありませんしね。ですが、私は誰かの役に立つことが自分を救うとも、それで幸せになれるとも繋げて考えることはありません。それはそれ!仮に人の役に立ったとして、そこで完結なんです。

自分の幸福感は自分の中で味わうもの

人に与えられるものではない。例えば「ありがとう」と感謝されたとします。あなたはきっと心から嬉しい気分に満たされると思います。ですが、それは「ありがとう」という言葉が持つ意味…それをどんな時に人が使うかを知っているからではないでしょうか。

自分が人の役に立てたという喜び

その喜びと「助かりたいなら」とかけ合わすのは打算でしかありません。そういうのは忘れた方が良いと少なくとも私は思っています。
極端な例かも知れないけれど、新興宗教の勧誘ってありますよね? 勧誘=人助け、人助け=極楽浄土(表現はまちまちでしょうけど)というメソッド。それを間違っていると私は言おうとしている訳ではありません。手法として利用しているだけとは思っている訳ですね。実際問題、勧誘=人助けかは微妙。かつ…幸福感って個人個人ではないでしょうか? つまりね、世間が悪徳宗教と言おうが、そこでルンルン♪な会員っているのでしょう? 勧誘は人助けと本気で思っている人も。

幸福感は個人それぞれ

人間はそれぞれの感覚で生きている訳です。なので私は飽きもせず、「あなたにはあなたの価値観があり、感じ方がある」と言い続けている訳ですね。それは大きなヒントです。今回のお題の。

集合意識など存在しない

少なくとも地上に暮らす人間に見える景色ではない。それは宇宙から地球を眺めて「地球は青い」と言うに等しい。宇宙的視野のはず。宇宙人は「あなたたち人類とか人間」と呼びかけます。それをチャネルした一人間がまた複数の人間にそう呼びかけるという連鎖。ですが、人類という括りは絵に描いた餅のように儚い。国籍・文化・宗教・土地などなど様々な異文化が溢れかえる世界に住む…それが私ら人類ではないでしょうか?

ワンネス

それだからこそ統一意識が待ち望まれるという流れが成立する。でもね、それ押し付けになりかねない。宗教ひとつとってもそうでしょう? 私はワンネスは互いの違いを尊重することからしか、もたらされないと思っています。

尊重が互いの絆を深める。

違う文化が共存してこそ平和はもたらされる。違いを認め合い、土足で踏み込まないという暗黙の了解があるに越したことはない世界。その延長線上にあるのが



なんです。意外でしたか? 私たちは互いに影響し合いながら生きています。『世界にひとつだけの花』という価値観を日常の心に落とし込んで活かす必要がある。

飢餓地域で食物提供しているNPO団体…その活動は尊い。寄付を募るキャンペーンも長きに渡って行われています。ですが、飢餓が絶えることはありません。何故か分かりますか? 根本、その国の政治が問題なんですよ。そして、国際政治と経済を極少数の人間が掌握しているというシステムが。

どんなに世界的祈り、瞑想ムーブメントを呼びかけようと、この世界にも自由意思が貫かれています。その善良な祈りに支配層の心が響くと思いますか? この世界は混沌が加速しています。それが響いていない証拠かと。

何もしないより、する!に越したことはありません。しかしながら、飢餓にしても貧困にしても誰が原因を作っているか?ではないでしょうか?

救援活動する人は無関心こそ敵を言います。確かにそうです。しかしながら、無関心の最たるものは飢餓・貧困の只中にある上流社会の人間です。そいつらは巨大な国際機構とつるんでいる…無関心こそ敵としても、その中枢に切り込むのは命がけではないでしょうか?
飢餓地域に食糧支援…しないに越したことはありません。確かにそうです。しかしながら、それって焼け石に水…残念ながらキリがない状況がないでしょうか。教育・医療・食物流通など問題は山積しています。

核心部分に切り込む。

命を賭ける。核心に切り込んで謎の死を遂げた人は? この世の闇は深い。

祈らずにはいられない。

チャネルなどの台頭は「人間は肉体にあらず。魂こそ本体」という気づきを世界にもたらしました。そこにアセンション情報が乗っかっている。それは偶然ではなく、地球人(私らのこと)の混沌にメスを入れる動きがあったことを物語っていると思う。確かにそれは宇宙的視野です。それは同時に一個一個の魂に向けたメッセージではなかったでしょうか。

アセンション

これは次元上昇…地球が三次元(あるいは密度)から四次元〜五次元に移行する時期ということとされています。そして、だからこそ集合意識の統一感が求められたとも言えるでしょう。ひとりでも多くが気づき、次元上昇を果たすべく。でも、私が視る限りで申し訳ないのだけれど、宗教や活動の如何に限ることなく、ベジタリアンかどうかも関係なく、個々の周波数の問題と私には思えて仕方がありません。生活習慣が違うとか関係ない。

如何に自分のアンテナを独自に張っているか。

ひとつのパラボナアンテナに群がっても、それぞれに周波数が違うので無駄と私は感じます。せっかくの感性をそれぞれに持っているのに、もったいないとさえ思う。

これまでのアセンション通説や精神世界で活躍している伝道師の言うことを拠りどころにする生き方から、自分の感覚を拠りどころにする生き方へ、ギアチェンジ。

チャネルでさえ私は依存と思っています。

最終的には孤独な作業かと。でも、それって実は孤独でもなんでもありません。かえって<繋がり>を感じるはず。ひとりではないことが身に沁みるはず。

ひとりひとりの小さなパラダイムシフト

それがこの世界に広がりを見せる

その様子を想像するだけで私はワクワクします。だって、目に見えない血管のようなのが、ひとりがシフトするでしょう?そうすると血管のようなのが伸びて、探すように成長するんです。そして、それは次元を超えて宇宙とも繋がっている。

例え同じ着地点じゃないとしても、そんなこと気にする必要などありません。

私たちはそれぞれに課題を抱えて此処にやって来ました。達成感もそれぞれにあるはず。

私のブログに辿ってきた あなた。

あなたはきっと心底 目を覚ましたかったのじゃないでしょうか?

自分自身が内蔵する世界に。

あなたの中に眠る叡智に。

私はそのお手伝いなら出来ると思ったんでしょう。こうやって発信しているということは。決して多くないとうすうす気づきながら。

大それた気づきも覚醒も決して私はもたらさないでしょう。

小さな覚醒は内宇宙への道です。それ以上の法悦はない気がします。内宇宙は時空を超えて私たちを導く鍵です。




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(2016年12月27日記)

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