輪廻(3)

Category : 輪廻

映画『マトリックス』を観た人も観ていない人もいると思いますが、あの映画はこの世界は<プログラム>でリアルワールドはコンピューターが支配する世界…そこに一部、プログラムじゃないホンモノの人間が隠れ住む<ザイオン>があるという設定でした。<ザイオン>とは<シオン>聖書、この映画は聖書を色濃く反映しています。主人公ネオ(唯一の者)然り、ヒロインのトリニティ(三位一体)然り。飛鳥昭雄さんは「三位三体だって!」と主張しています。確かに頷ける。ですが、究極はどちらも「真なり」ではないかと私は思っています。

さて

今日は「この世界は<プログラム>」を受けて思うことを書いてみようと思います。








マトリックスじゃありませんが、確かに霊魂の世界がリアルで、この世はプログラムと言えなくないのかなぁと。と言うのは魂がこの世に転生を試みる際に見せられる実体(人間)の存在があるためで…転生とは霊的世界、あるいは他宇宙からワープし、その実体に「入る」行為を指す訳ですね。それを受肉という。
以前、これって「憑依と何処が違うの?」という話をしたことありますが、受肉するって憑依と違いはないと言って差し障りはないかと。異論はあるでしょうが、ある一定の肉体(実体)に「入る」訳で、要するにまっとうな魂が入ることを「受肉」と言い、悪しき霊体が入るのを「憑依」と言う…そういう落としどころでしょうか。

この世とあの世は明確な次元差があり、一定のルートがある。

興味深いのは魂こそが本体なのに、架空現実にせよ、プログラムにせよ、そういう世界の住人の肉体を必要とするってこと。「この世は架空世界。実態はない」と、そこで思考停止している精神世界の達人は多いと思いますが、彼らとて何故?魂は架空現実に身を置こうとするのか?の明確な説明をしていない。

「There is no spoon」なのに、何故具現化しているのか?

手に取り、事実スープなど食す訳で、その有るとか無いとかの狭間で思考停止、頭機能しなくなってる人けっこういると思うんですけど、いかがですか?

その場合、頭を切り替えましょう(笑)

要するにこの世界は必要に応じて<設定>されており、誰が必要とするかって、私ら魂が。宇宙とて創造主が「欲する」ことなしには存在すらしていません。魂とて。

創造主とて想像し、宇宙を創造し、受肉者を通して初めて体験という証(あかし)を得ている訳です。

証を得る

何のために? そうですね…要するに知ることで納得を得て、次に進むためでしょうか。何もすることがないほど辛いことはないようですしね。そのくせ、この世で七転八倒してるんですから、世話ない。

ひとつひとつの行為が結果を生む。それが脈々と続いている…それが宇宙です。究極は宇宙そのものもマトリックス。ところが、このイリュージョンともプログラムとも言える世界をなぜ創造主は産んだのか?ということでしょう?

魂の世界こそが本体なのに何故、架空現実が登場したのか?

感じてみて下さいね。私らは創造主(いわゆる全存在の生みの親とも言える壮大なエネルギー)の末端です。私らには「体験したい!」という意欲が予め備わっています。何故か?私らの生みの親たる壮大なエネルギーこそが体験を欲しているから。その意欲と好奇心は末端にまで行き届いているという訳ですね。

ひとつ体験しますよね? すると次を試したくなる。そうやって脈々と末端はその先へ続いている訳です。

生命の樹。Tree of Life という悟りがあります。ところが創造主の情熱は海!空!と創造の限りを尽くす。人の悟りの、その体系を凌ぎ、宇宙は人智を超えて存在し続けています。

この肉体には寿命があります。

何故か?それはあくなき魂の要求があるためです。ひとつ体験すると次を欲する。魂は実に意欲的に出来ています。それは体験を通して成長したいためです。体験の中には成長どころか…という残念なこともある訳ですね。ところが、その残念なことでさえ魂は経験値にするんですよ。幼児が熱い痛い悲しいを知るように。

何故この世が存在するのか?

それは「幼児が熱い痛い悲しいを知るように」実際に体験してみないと何が痛いのか?、熱いってどういうことなのか?をいちいち実体験しないことには皆目分からないからです。

この世は架空現実。

この気づきは私らに「執着から解放させる」でしょう。確かにそうです。人生も一回限りで、やり直しが効かない訳ではないと知ることは良いことです。「この世は架空のもの」「喜怒哀楽に執着するなかれ」というのも私らに救いをもたらすでしょう。ですが、だったら何故?わざわざこの世に魂は来るのか?という答えに、それらはなってはいません。

その答えが「体験こそが本分」というもの。魂がなぜ創造されたのか?の鍵です。

魂は体験するための器この世は機会

故にこの世は架空というところに留まり、それを悟りとするのは早計…節目というか、ターニングポイントではあるのだと思う。そこを超えて、その垣根を超えて、私たちはより広い視野を持って、この人生を生きるに越したことはありません。

私たちは常に「もしあの時」という思いを抱くと思う。それは生きるって選択の連続だからですが、どういう選択をしたか…その結果を受け止める方向に進むしかありません。他の選択肢がある…それがパラレル・ユニバースの存在を私らにもたらしました。ですが、そこでブレてはならないのだと思う。

この選択と結果を受け入れる。受け入れ難くともまずは自己責任として受け入れて、自己解決するのは先です。ひとつ自己解決するしか次への道はありません。もっと他に道があったはずという、どっちつかずな人間は足踏みしている自分が見えてはいない。

と言うのも、夫婦で説明つくんですよ。割れ鍋に綴じ蓋。夫婦も親子関係も同点同士しか縁が生じません。「もっと素敵な男性が」は、あなたはもっと素敵になってからにしましょうということ。キツいですか?でも本当のことです。

スピリチュアルな人たち…私もその一人ですが、気づきって案外身近かなことだと私は思っています。何故か? だって、あなたが設定してきた通りの親だし、家族な訳です。そこに人生のテーマがあることを気づきもせず、なんのためのスピリチャルなのでしょう。

スピリチャルって平たく言うと<魂の課題とその取り組み>かと。

この受肉なくしてスピリチャルはあり得ません。魂のままでいることをせず、なぜ受肉するのか?

不思議なシステムと思いませんか?

創造主は自ら体験してないとも言えるし、してるとも言える。何故なら、鳥も獣も植物も、海も好物も…この地球に限った中でさえ、すべてが創造主(壮大なエネルギーの源)が生んだもの。末端の私らも。世するに隅から隅に至るまで、ズズズイッ〜ト!創造主の体験な訳です。

お粗末だろうが高尚だろうが、架空の世界だろうが、その設定を生み、そこに生命に営みをさせることで、創造主は体験を共有する。架空だろうが、そこに生命に営みをさせることなしに創造主は如何なる体験もすること叶わず。

面白いと思う。

確かに魂の世界こそが本体。ところが、この架空世界で体験を積むことなしに成長はない。

面白い仕組みと思いますよ、輪廻って。





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(2016年12月27日記)

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