間違いじゃないけど正しくもない。

Category : 魂のご飯

臨死体験者の対談のようですが、以下を抜粋します。




A:天国はどういう風景だったんですか。
B:最初は真っ暗なんです。だんだん暗いのが見えるという感じになってくるんです。要するに、空間というのはないみたいで、いろんなものが形をつくって見えるようにそのとき感じたんです。見ると、人みたいなのが歩いているんです。シースルーの人間みたいなのが歩いていて、靴も履いてない し、そのまま空を歩いているんです。床みたいなのがあって、歩いていく。家はないし、ケーキ屋さんもないし、車も一切ないです。木みたいなのはあったかもしれないけど、本当に何もないところで、本当に多くの人が歩いている。歩いているというか、浮遊している。
C:完全に霊界を見たのですね。心の世界。
B:ともかく全く興味ない。楽しいことが全くない。あまりにも平和すぎて、ピースだけですね。
A:ピースだけではつまらないので人間界に行きたいのでしょうね。
B:だから私はおすすめしてない。
C:やはり喜怒哀楽の刺激がないとおもしろくないですよね。






皆さんはどう思うか分かりませんが、臨死体験者の感覚が見て取れるのではないかと思うんですけど、本当に感覚的…何というか…間違いじゃないけど、正しくもないのかなと私は思いました。まぁ人の揚げ足をとるようではあるけれど、「ピースだけではつまらないので人間界に行きたいのでしょうね」や「喜怒哀楽の刺激がないとおもしろくない」とかいう理由で、この世に転生するとあなたは本当に思いますか?この人たちに納得しますか?私はしません。




天国はどういう風景だっかという質問に「人みたいなのが歩いている」「浮遊している」と臨死体験者Bは語っています。これは『ヒヤーアフター』や『ステキな金縛り』と映画などでも描かれている描写ですが、これ天国ではありません。地獄でもない。これは言うなれば<passage ー通路ー>のようなエリアのことかと思います。

霊界の一部。霊魂が最終目的地に辿るまえの前段階…それも初期の段階で辿るエリア。しかしながら、このエリアを全部が全部通る訳ではありません。三途の川でさえ。ちなみにワームホールのようなのを辿る…それはこの世に来る時に産道を通るような退行催眠被験者の弁もあります。それは私も退行催眠時に体感しています。このワームホールは時空間を繋ぐんだと思うんですけど、雲の中を行くようだったという被験者もいて…もうそれは主観のオンパレード。ただし、興味深かったのは退行催眠時にそのワームホールみたいなのを通過している間、外の気配を感じることなんです。色んな場所を通過しているのが感じられました。決してな〜んにもない空間を行き来しているのではないなと思ったのを記憶しています。で、目的地に近づくとスピードダウンするんですよ、笑。で、明るい場所に辿り着く。

思うに、魂それぞれの到着地があって、魔法のように一瞬で移動というのではないようなんですね。スターウォーズなどの宇宙船でワープする描写ってリアルと思います。きっと記憶の中にあることなんでしょうね。そうそう!『コンタクト』という映画にもありました。

決して、な〜んにもない場所ではなかったですよ。スケルトンな人間みたいなのが浮遊してたりもしてなく。まぁ臨死体験者の弁と退行催眠被験者の弁…どっちがリアルかという話にはなるんだと思うんですけど、言わせてもらえば、臨死体験者が逝ったエリアは初期の段階じゃないのかなあと。というのは、完全に「死んだ」訳ではなく、肉体的には生命機能が停止している状態でもまだ「一線を踏み込んでいない」状態。いわゆる三途の川の手前ということではないかと思うんですけど、いかがですか?退行催眠の死後体験は三途の川を渡ったその後をも示唆するものです。何故このことに多くの人は気がつかないのでしょう。

また霊界通信においても「ピースだけではつまらない」という表現は見当たりません。それどころか「やることがたくさんある」というのが主流。ピースだけではつまらないなどあり得ない。臨死体験者の逝った先は不安定というのでしょうか…微妙に<揺らぐ>エリアなのかも知れないなあと。

また『奇跡の輝き』というロビン・ウィリアムズの映画の最終部分で、死後にソウルメイト(妻)との平和を見出した主人公が再度、人生という冒険に出ようと言う場面があります。満足を得て平和裡に過ごしていると魂には冒険心がフツフツと沸く…臨死体験者Bが言わんとするのはこういうこと…じゃないよね、笑。

いずれにしても、人間は見聞きしたことから色々判断をします。それはイコール見聞きしたものが全てではないことを意味していると思うんですけど、いかがですか?

このBという人は臨死体験時「地獄などない。それは人間が自分らの戒めのための方便」的なこと光の存在に言われたとか。それって『この世の先』という霊界通信とも相容れない…まぁどっちがホンモノ?ってことではあるけれど、臨死体験者って「キリストは髭なかった。髭は弟の方」とか目撃談として喋っているようですが、霊視絵画を描く少女のキリストにはりっぱなお髭が…というふうに何かしら微妙。話半分ということかも知れず…皆さん、気をつけましょう。

魂が平和な霊界からこの世に転生するのは「ピースだけではつまらない」という理由とあなたは本気で思いますか?この人たちの対談を鵜呑みにする人がいると思うと悲しくもあり、無責任な人たちとも思う。パッセージ(通路)を目撃しただけなのに天国だか霊界だかを見てきた気になっているだけなのに…ねえ。

魂が転生するのは課題があるからです。例え好奇心に駆られて…としても何の課題もないヤツは此処には来ないと思いますよ、受肉してまで。

そして、平和裡に過ごしていると霊的に回復する…故に冒険へ繰り出したいエネルギーがフツフツと沸くということ。「ピースだけではつまらない」という表現は悟りが「足りてなくね?」かと。まぁ…霊界がどうなっているかは退行催眠被験者であろうと臨死体験者であろうと、実際に死ねば分かることです。ですが、決して同じではないかも知れません。何故なら魂それぞれに出身エリアが異なるからです。そんなに語りたけりゃ「霊界通信してみな!」ですが、それとて霊界の一例でしかないのだと思います。宇宙も霊的世界も時空を超えて存在します。その広大さは推して知るべしかと。

また

2010年以降の数年間は霊界…地球という括りだと思いますが…消滅状態でした。神社には…御神体もからっぽ!ところが、数年前に各神社に神様が戻ってきています。すべてを見透かしている訳ではありません。それでもこの大変化には驚いていたんですね、私。

今言えることは「大編成が為されたのだろう」ということ。伊勢神宮と出雲大社のダブル式年遷宮もこれが決して偶然ではないのでしょう。

霊界とて幾重にもなっているでしょう。地球人口を見てもこれだけの雑多な魂群です。多種多様な異文化がせめぎ合う娑婆は私たちにとって格好の学びと自己確認、価値観の構築、取捨選択の場かと。

私個人のことで言えば、私の魂の故郷は決して「つまらない」場所ではありません。それはもう美しいところです。笑われるかも知れませんが、スケールに圧倒されて気が遠のくようなんです。そして、そこに満ちているのは法悦です。その法悦は慣れることも飽きることもない。それどころか「自分に何かできることはないだろうか」と内観せざるを得ないんですよ。あまりにも愛が溢れていて。

「ピースだけではつまらない」?愚かな人たちですね。

私はその場所から段階を経て、此処にやって来ました。来るにはそれ相当の理由があってのことです。退屈しのぎなんかじゃありません。いったん記憶を消去しての旅。記憶を取り戻す度に色々思う。悲喜こもごも思います。

臨死体験にしろ、退行催眠にしろ、自分が見たものは一部に過ぎないと知る心が大切です。私には私の、あなたにはあなたの世界がある。そして、それを共有する大切な人がきっといる。今ともに人生を歩んでいる人たちもいるでしょう。そして、今はなんらかの理由があって離れ離れかもしれない人も。でも、いつかは再会を果たす私たちです。

そのことを忘れないで。




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(2016年12月27日記)

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