運命

Category : 魂のご飯

今日のお題は運命。私個人のことではなく、魂が輪廻するという…そこに踏み込んでみようと思います。世の中には輪廻などないと言い張る人いますが、聞く耳持たない人に費やす時間は私にはありません。柔軟な心で読んで頂けたら幸いです。



死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」―退行催眠による「生」と「生」の間に起こること、全記録 マイケル ニュートン (著)

前世を扱った著書はたくさんあります。どれも興味深い内容ですが、この本から私は謎解きのヒントを得ました。霧の晴れ間を見出した感があって読んで本当に良かったと思える一冊です。
今を中心軸にみて、退行催眠で得られる情報の多くは過去世と思いますが、未来世のものもあるようですね。未来世療法という。いずれにしても、それは見る時間軸(時点)で事象は過去にも未来にもなり得る訳ですね。例えば…あなたに1800年代に生きた経験があったとして、その当時に退行催眠を受けたとして…これは仮に、の話なので「当時そういう療法があった?」とかは無しで(笑)…2016年に生きる自分を視たとします。とすると視たのは<未来>ということになりますよね?

退行催眠で視るのは療法意図に沿う出来事。インナーチャイルドを癒すという場合は過去世まで辿らなくても、母親のおなかの中での記憶<胎内記憶>ということも。

で、私は常々「魂はバランスをとろうとする」と言っています。因果応報とは罰というより、バランスをとるという魂の意思がある故と私は視ています。自分が蒔いた種は自分で刈り取る。それは宗教以前の宇宙の理かと。今回ご紹介したマイケル ニュートン博士の著作の中に今世は女性に生まれた被験者の話があります。彼女はバイキングとしての転生を持っており、かなりヤンチャな人生を送ったようで、そのバランスをとるために怪我で体が不自由になる運命の少女へと転生したとあります。時代的にかなり隔たっていたと記憶していますが、すべてが絶妙のタイミングなんだなぁと関心したのを覚えています。

一度や二度の失敗じゃぁへこたれない(笑)魂は案外タフなんですね。

彼女は今世に問題を抱えて ニュートン博士の元に療法に訪れた訳ですが、私的に興味をそそられたのは「バランスをとるために怪我で体が不自由になる運命の少女へと転生した」という…本の描写をそのまま再現した訳ではありませんが、私は運命に想いを馳せました。

運命

運命とは魂の深い意図に沿い、人生を決定づけるもののようです。もしあの時あの人と出逢わなければ…というふうに表面意識的に「意図せず」に起きる出来事を指すでしょうし、それは愛を運ぶものでもあるでしょう。
魂は自分が何をどうするべきか知っています。その舞台として私たちは地球を選んだ訳ですね。よりにもよって(笑、笑えない)自分が何をどうすべきか…とは課題。そのために自分の意図に沿うような<希望>を人生に込める。このバイキングで散々ヤンチャな(略奪・暴力行為の限りを尽くした)人生を送った…ここで興味深いのは決して後悔などしていないということなんです。スゴくないですか? 思いっきり!やり尽くした…達成感さえ覚えてるんですよ。ところが、魂にはバランスをとろうとする性質が備わっています。彼女の場合、達成感の背後には自分が傷つけた人々がいた…相手の立場に立てば、実に残虐非道で自己中心的な人生だった訳です。

これは精神世界で言われるところの「あなたは私であり、私はあなたである」という、他人など厳密にはいないということを物語っていると思いますが、同時にその精神に則って魂は自分が蒔いた種を<自分なりに>刈り取ろうとする訳ですね。
「あなたは私であり、私はあなたである」これは私らが創造主から生み出された魂であることを物語るでしょう。それは特定の誰かというより、押し並べて命に対する尊厳という次元の話。

少し話は逸れますが、この時代は地上の人間にとって<総決算>な気運。となれば、命に対する尊厳に欠けた人間は淘汰されると私は視ています。永遠にチャンスが続く訳ではありません。学ぼうともせず、気づこうともせずな輩は「バルス!」かと。(分かる人には分かる)

ものごとに周期があるように宇宙にもあるということ。

2万6千年周期の末期→初期化→スタート という、それが今とすれば? 生きとし生きる命はそれに相応しい周波数へ移行すべく今を生きていると言えるでしょう。話を戻します。

運命は私たちが生前の記憶を伴わないこととリンクして人間に神秘的な印象を与えます。多分ですが、記憶を伴った人生としても<運命>って神秘なのだと思う。それは神の領分なのでしょうね。まさに命を運ぶ…命とは創造主がもたらした恩寵なのでしょうし、創造主みずから好奇心を具現化したものと言えそう。独りぽつねんとでは単純すぎる…常に変化の徒にあるとは、創造主みずからの意図なのでしょう。何が一番苦痛かというと<退屈>と言った人がいますが、なんと贅沢なことかと私は思いますけど。

いずれにしても、魂はひとつの経験から得た経験値、その情報を鑑みて次のステップを目指します。経験して初めて次がある。想像は想像でしかない。実行して初めて何かを得る…あるいは何かを失う。得る、失う、あらゆる過程を経て魂は「自分にとって何が必要か」「何をすべきか」を思念する訳ですね。

時に敢えて試練を自分に課す。

何故か?それが自分の為だからですよ。今こうして七転八倒しているあなた(私も)にとっては「え〜っ」かもしれないんですけどね、笑。皮肉なものです。試練こそが魂をグ〜ン!と成長させます。逃げや誤魔化しは本当に残念な結果をもたらします。あるいは利権どっぷりもね。

さて話を進めていきましょう。

ニュートン博士の著書には<宿主>という表現があったような…、あの眠れる預言者エドガー・ケイシーは<実体(日本語訳)>と呼んでいましたっけ?ここでは<宿主>と表現しましょう。<宿主>それは退行催眠の被験者が語った内容に沿うものですが、魂は地球上の<人生>を複数見せられ…その中からひとつを選ぶ。中には同時代にふたつの人生を送ることもあるそうで…まぁそれは置いといて、

地球上の人生を見せられる

収まりの悪い表現で申し訳ないのだけれど、「人生を見せられる」が言えて妙かと。そして、その人生を生きる(送る)存在を<宿主>と呼ぶ訳ですが、魂は一定の宿主に入る。それは<受肉する>と表現される訳ですね。
この世界は幻想という考えは魂こそがリアルであって、この世界は実際は存在しないというものでしょうが、無いとか有るとかいう禅問答ではラチが開かないかと。この世界は必要があって存在する訳です。誰が必要としたかって?

私らですよ。

魂が欲する体験の場、そのひとつが地球という訳です。実在するとかしないではなく、此処は必要に応じて設定された世界と捉えるのが健全かと思いますが、いかがすか?
あなたも私も実は存在しないということにもなりかねません。何故なら此処は魂が欲する体験実現のために創造された舞台

確かに実体は魂です。不思議な仕組みだと思いませんか? 魂は何かしらに<受肉>することにより<経験>し、自己実現を図る。

私らを創造したソース(源)それを創造主と呼ぶ。創造主は実に好奇心旺盛と私は思う。

創造主の欲するエネルギーがなければ、私たちは存在さえしません。魂としてもね。役者には役柄が必要って話なんでしょうね。だから、この世界があるとか無いとかで躍起になることの虚しさを私は思う訳ですね。
飛鳥昭雄さんは「輪廻などない」と言い切っています。それは退行催眠被験者を全否定することになりますが、それ以前に魂は好奇心旺盛です。一度この愛すべきロクでもない世界で受肉したら、たったひとつの人生・実体で果たして満足するでしょうか?

私が視る限りで申し訳ないけれど、人間に生まれて魂が陥る最大の代物はエゴです。表裏一体、それは自己嫌悪という形でも現れますが、大元の根っこは一緒。魂それ自体に自意識が備わっています。

自分は何者なのか?

そのためには何をすべきか?

それが定まる以前も以後も魂は試行錯誤を繰り返します、意欲的に。方向性を見出したら、もう迷いもなくなるでしょうし、より直感が研ぎ澄まされていくでしょう。私たちはその道の途中ということかと思います。

興味深いのは生まれる前に「宿主を選ぶ」ということ。色々見せられ、その中で本人が一番納得する宿主を決める。宿主の数は無限大なんだと思う。しかも…岐路の選択いかんで幾通りにもなり得る道程を辿る。本にも魂の伴侶と出逢っていながら!性格の不一致(笑、笑えない)でずっと前(今世の)に別れてしまった。で、「あぁあの人が」と大いに悔やむケースも報告されています。それでも「間違うこともできるんです」とイケシャーシャーと答える被験者たち…思うに、この人生は決めたコースどおりの正解を生きるのが使命ではなく、その都度の選択によって歩む…例えズレても、ある種、恩情の上に人生って成立しているんだろうなと私は思うんですね。今は「もう恩情などやらん!」な御仁も相当数いそうな世の中。例えズレても…、まぁ念仏婆さんってこともあります。(分かる人には分かる)極楽往生まちがいないと。ところが、閻魔大王の前に駆り出され、青鬼赤鬼から「こいつは地獄行き」と宣告されたという、人間が良いことをしたという自覚など屁の役にも立たないという戒めな譬え話。いずれにしても、

経験値を積む。

何のために積む?

己が何者であるかを知るために。自分の行為の結果を鑑みて、その後を決めるために。その連続性が魂の旅を形作っている訳ですね。そりゃぁ悲喜こもごもあろうと手鍋下げてもなのでしょうね。

魂が自分に寄せる関心は並々ならぬものがあります。

取っ替え引っ替え鏡の前で服を試着するように、どれが一番自分に似合うかに余念がありません。で、「あ、これも似合いそう」とかキリがないんだと思いますが、同時に似合わないもの、気分が乗らないものとか出て来る…それは経験値の賜物と思う。

魂は自分を演出する

そのために経験を積む。役者が役を必要とするように…湧き出る泉のようなエネルギーがあるからだと思う。それって自己愛ですよね? 良いも悪いもない。そのために自分に試練を課す訳ですね。なぜ試練を課すかというと、

な〜んにもすることがないほど苦痛なことはないからですよ。

創造主みずからがそうでしょう? 自分以外だ〜れもいない、な〜んにもないって…ねぇ。想像してみて下さい。次々に星を、生命を、創造しては生と死のスイッチの中に置いて動向を共に体験しているのだと思う。えぇ創造主こそが呼吸をするように世界を味わっているのだと思う。だとすると、きっとこういう旅を企画すると思う。

ゼロから始める人生という

決めたことをいったんクローズして、手探りで宝探しをするような冒険

だ〜れもいない、な〜んにもない、と同様に、全てどうなるか分かりきっているって…「やる必要ある?」ってなるでしょう。それは停滞を意味するのだと思う。

永遠の時間を あなたたら どう生きるでしょう?

無人島にひとり残された男を描いた映画がありました。彼、何かに人の顔を描いて話しかけたりしていましたっけ。創造主と真人間を一緒にするな!というお叱りの声もありそうですが、これだけの宇宙が何故あるのか?のひとつの考察にはなると思いますよ。創造主は宇宙を抱き参らせて、生死の機会を命に、星にもたらしています。

創造主から派生した私たち

生まれる前の記憶を封印して転生した私たち

中には前世の記憶のある人もいるようですが、人生の途中で思い出すのでも構わないでしょう? だって人生は冒険なんですから。先が知りたくて不安だらけという設定にこそ燃えるのだと思う、皮肉と思いますが。その先が見えないという設定に影のように寄り添うのが

運命

なのだと思う。宿命と運命とは別物という人いますけど、それをどう呼ぼうと、人生のコースに盗人のように忍び寄り、抗いようのない事態へ私らを導く…宿るものだろうと、運ぶものだろうと、そんなのどっちでもいい。いずれにしても私らの自覚など無視するかのような

不思議

で、皮肉なことにそういう一切合切を私らは同意をして、設定して、生まれてきているということ。

どれだけ神秘好き。冒険好きなんでしょうね。





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(2016年12月27日記)

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