映画『コンスタンティン』 ガブリエルの言葉

Category : 魂のご飯

キアヌ・リーブズの映画『コンスタンティン』ご覧になった方もいるでしょう。先日BSで放映され(以前にも観てたんですけど)録画しました。
キアヌ・リーブスが演じるコンスタンティンはエクソシスト(悪魔払い)この映画は天使界と地獄界の狭間にある人間界のお話。サタンの息子が父の支配にウンザリして人間界に入り込み、自分の王国を築こうとする企みをベースに物語は展開していきます。
聖書を下地にしているのですが、天使も悪魔も人間界には入らないというルールがあって、でもハーフブリッドという100%天使でも悪魔でもない存在は人間界に棲んでいるという設定。実際はどうなんだろうと思わせる面白さがあります。

で、いよいよサタンの放蕩息子が霊感の強い人間(女性)の体内から生まれ出る刹那、そいつを手引きした張本人をコンスタンティンが召喚するんですけど、それが

ガブリエル

このガブリエルの台詞を記します。飛鳥昭雄さんが言う「全宇宙どこを探してもない。キリストとルシフェルがいる世界は」というのとリンクして興味深いですよ。





 人間はこの上ない恩恵を受けています
 一人一人が神から赦しを得たのです
 犯罪者も悔い改めさえすれば、神の御胸に抱かれる
 
 宇宙どこを探してもそんな恵まれたものはいない

 公平ではない
 神がそれほど人間を愛するなら、その愛に見合わければならない

 ずっと見てきましたが、
 恐怖に直面しないと人間の気高さは現れない

 お前たちは気高いはず
 だから
 試練を与えます、恐怖をね
 
 乗り越えられるはず

 悪魔の支配に耐え抜いた人間だけが神に愛される資格がある

 救済の道が始まります





いかがですか? このガブリエルはハーフブリッド。人間を見守るのにほとほと「ウンザリ」したんでしょうね(笑、笑えない)で、地獄界のサタンの放蕩息子の野望に加担。最終的にこのガブリエルは神に見放されてしまいます。

皆さんはどう思うか分かりませんが、神はガブリエルをある種…泳がせていたと言える。もっと早い段階でガブリエルの野心を挫くことは出来たはず。これは創作です。現実ではありません。ですが、ものすごいエッセンスが込められた映画と思う。

最後の審判

それは決して世界の最終段階で神が下す審判とは限りません。人間が生まれ落ち、死に至るまでの道筋は常にそれぞれの魂の思惑で出来ています。途中で軌道修正する機会を得る…それも魂の成り立ちゆえと言えるでしょう。
このカブリエル的な人間、たくさんいますよ。想念により出方は違いますが、自分の主観を他者に向ける。洗脳し、世界を意のままに動かそうとする。

もし、このガブリエルが内観に向かっていたら

サタンの息子と接点は結ばなかったでしょう。内観は達観に通じます。それは自分が見えなくなるのを防ぐ心眼なんです。

ガブリエルは人間に試練を与えようとした。

未来永劫、悔い改めそうにない人間を地獄に住まわせ(人間界を地獄と化し)そこから這い上がったものだけが神の恩寵に授かると勝手に想念を膨らませていった。その過程でなぜ神は動かなかったか?

なぜ動かなかったか?

神は中途半端な段階では動きません。何故か?そいつ(私も含めて)のためにならないからですよ。普遍的に貫かれている…それは

自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない

という法則です。収穫をみない段階でどうして神が介入するというんです?それ甘えです。「だったら、もっと早くに言ってくれれば良かったのに」という声が聞こえて来そう。ですが、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」はこの世に生まれるためのお約束です。

ガブリエルがコンスタンティンに言った言葉には以下もあります。





 神から授かった能力をあなた(コンスタンティン)は自分本位に使っている
 なにもかもそうです
 神の恩寵に浴するため





コンスタンティンは人間界を悪魔から守り続けている。彼の人生は自分のためではなく、人間を救うために費やされている。なのにガブリエルは鋭い指摘をするんですね。「それ、自分が天国に行きたいためでしょう?」と。

人助けという名目の自己満足

「宇宙船に乗りたいなら、私の講演会に人を導きなさい」

「マグダラのマリアのカルマを解消します」

「私は自費を投じて皆さんのためにHPを立ち上げている」

見せかけの自己犠牲

手厳しいですよね。ですが、この世の多くがここに満足を得ているように私には見えます。ガブリエルは人のことには明るい(笑、笑えない)が、自分のエゴには暗かった訳ですが、これはラスボス(最後にして最強の敵)なのだと思う。

「一人一人が神から赦しを得たのです
 犯罪者も悔い改めさえすれば、神の御胸に抱かれる」

これはキリストの自己犠牲を物語っていると思う。磔などなかったというチャネラーがいますが、キリストはヤハウェーが受肉した姿とされています。キリストは自分を「I there」と表現したと聖書が残しています。その根拠の上に立てば、神みずからが自己犠牲を図ったことになります。怖いですか?

何故そういうことを計画したか?

愛ですよ。ガブリエルのこの言葉がそれを裏付けています。

「人間はこの上ない恩恵を受けています
 一人一人が神から赦しを得たのです
 犯罪者も悔い改めさえすれば、神の御胸に抱かれる」

この世界を創造した存在は未熟者たち<罪深い者>を棲まわせた。彼らがどういうふうな道を辿るかは予想し得たでしょう。それでも棲まわせたのは何故か?

愛ですよ。中途半端に手取り足とりなどするはずがありません。自分で気づく…成長を見届ける…これが最大級の恩寵なのだと思う。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』はけだし名作です。彼は菩薩。カトリック敵解釈では自殺者は地獄に堕ちるとされていますが、墜ちていません。この世の道理はカソリック的解釈がすべてではありません。

悔い改める

これにも落とし穴がシッカリとあります。良い行いをして天に…は動機が不純。手厳しいですか?そうでしょうか。それおねだりではないでしょうか?
こんなに良い行いをしたのだから「私を天国に連れてって〜」ですか?そんな言い方されると腑に落ちるでしょうか。

人助けは自分が天国に行くためですか?

宇宙船天に滿つる時、携挙してもらうためですか?

浅川さんの講演会に足を運ぶ人に実際そう言っている女性いました。宇宙船に乗せてもらいたい。先生(浅川さん)がそのためには友人を導きなさいと言っていたので「講演会に知り合いを連れてきました」と。
人はね、善かれという思いに駆られて色んなこと仕出かします。自分は正しいことをしているという信念が人の心を曇らせるが、本人は気付かない。

人は鏡

そういう信念に浸りきった人に苦言は届きません。聞きたくもないのでしょう。そういうのを尻目に神の愛はどこまでも貫かれます。
 
「宇宙どこを探してもそんな恵まれたものはいない
 公平ではない
 神がそれほど人間を愛するなら、その愛に見合わければならない」

この脚本を書いた人、鋭いですよ。本当に鋭い。そこにはなぜ天使が堕ちるかも表しています。いったんスイッチが入るともう引き戻れない。ズンズン深みに嵌る。計画実行するためには容赦もない。
ガブリエルの主張は決して間違ってはいません。いないが、越権行為へ突っ走ってしまった訳ですね。この映画ではそういうふうに描かれています。

天使の分を超えてしまった。

天使に<自我>が芽生える時もこの映画では描かれています。興味は尽きません。

人は鏡

私たちは自分ひとりだと単色のまま…でも、たくさんのタイプに遭遇することで自分を形成し続けている訳ですね。取捨選択を繰り返しながら。えぇそうですよ。私たちは常にそうやって自分は何者かを構築し続けています。

私たちは押し並べて未熟です。同じ間違いを何度でも繰り返します。元来の心癖って、なかなか手ごわいもののようです。


自分が見えなくなる。


そのきっかけのひとつは<自分は善い行いをしているという慢心>でしょうか…それがあるように思う。自分のHPを飛ばし読みするな、とかね(苦笑)この人の正義感…痛いです。まさに裸の王様。



この映画の中心に貫かれているのは<自己犠牲とはなんぞや>というもの。ガブリエルの台詞は本当に意味深長です。





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(2016年12月27日記)

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