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あの時は仕方なかった?


まずはツカミから(笑)

びっくりぽんや(わかる人はわかる、笑)キムタクが前世のお父さんと言う人、出てきました。ご自分は北条政子だそうで。芋づる式に夫となりますが、源頼朝は真矢みきなのだとか。申し訳ないけれど、笑っちゃいました。チャネラーが絡んでるんですね。この方が師事するレイキヒーラーは(自称)義経だそうで…本当に困ったちゃんたちと思いますが、こういう人たちにつける薬はありません。しかも念が強いので、触らぬ何とかに祟りなし。
自称マリーアントワネットの生まれ変わり東西対抗ってのも以前あったなぁ。まぁいずれにしてもこういうことを吹聴する、ブログに書く人間は引き寄せもかなりのものでしょう。潜在意識が都合の良い偶然の一致を引き寄せては「ほら!事実でしょ?」と翳す材料を引き寄せる。無意識こそがしっかり働きます。その方「魔女」とも言われたそうで…やれやれ、もともと念が強い傾向があるのでしょう。

ほんものは名乗りません。

名乗る必要がありません。この意味わかりますか? 嫌味?上から目線で感じ悪いですか?今に始まったことじゃありませんが。ほんものの霊能者は一笑に伏すでしょう。私はお節介ですからね(苦笑)

キムタクはどうひっくり返しても北条政子の父親の生まれ変わりではありません。

「どおりで夢に出てくるはず」とか書いているようですが、それって有名人…イケメン有名人は「つらいよ」ということかと。キムタクの夢を見て「ひょっとしたら」と思ってる女性少なくないと思いますよ。韓流スターも同様かと。今年は福山雅治ロスですか?ショックを受けた奥様方の悲鳴が…!まぁいずれにしても皆さんはこういう錯覚思い込み症候群には陥らないで頂きたいと思います。

上記の女性はせっかく「人の役に立ちたい」と活動しているのに残念です。前世、自分が歴史的有名人と知らせるって…何か役に立つのでしょうか?「私は前世、北条政子なんだって!」だからどうしたってことではないでしょうか?心の底に何を眠らせているのでしょうね。

良い人と思える。人の役に立とうと頑張っている。この条件の元、こういう肩書きが閲覧ファンに浸透する…これがどう影響するでしょう。「へぇスゴい!」ってことになってやしませんか?嘘か誠か証明のしようがないでしょうに。

隠れ慢心。

自覚に上がってこないこの手の思念は手強いと思います。せっかくの奉仕(人の役に立たいという)をザルにしてしまいます。他人事じゃなく、私たちは常にお試しのまな板の上と思うに越したことはありません。

どうぞ…人から言われたとかいう実況を混じえて屁の役にも立たない…えぇ屁の役にも立ちません。それどころか多くを「あの人の言うことだから」と信じ込ませる訳ですよね? これ…カルマを積むことになります。例外はありません。良い行いと相殺などありません。それどころか、

人の役に立つことをしようと自分は頑張っているという自覚が心に隙を作る。

ネットはある種、新種の新興宗教になり得ます。「あの人は前世北条政子でキムタクが父親だったんだって」と広まる。慎まねばならない心のひとつと、どうぞ心に留め置いて頂きたいと思います。







さて

今日日はTPP、集団的自衛権、マイナンバーなど日本は何処に向かおうとしているかを案じる人も少なくないでしょう。私もその一人ですが、もうこれは現時点の社会システム(政治が国民をコントロールする)が法の下にあるため少々デモ起こしてもピクリともしないでしょう。働いて税金、家買って税金、酒買って税金。国というシステムは国民の稼ぎで回っているようですが、要するに政治家に贅沢をさせているのも私ら納税者って話。まったく夢も希望も持てそうにありません、私。
働いていない人も何か買う度に消費税払っている訳で、赤ちゃんでさえ、おなかにいる時から間接的に消費税払っていることになる。それ10%に跳ね上がるのでしょ?
いったい国の税収はどんだけなんでしょう。ありとあらゆる国民の生活が税収に充当されるシステム。濡れ手に泡ってこういうことでしょう。ここにメスが入らな限り、ここが覆らない限り、真の改革は成立しないかと。します?しませんよ。秘密保護法と言い、マイナンバーで国民監視ですか?それ誰の利益なんでしょうね。マイナンバーを巡っては既に詐欺トラブルが発生し、法律違反では?という話も浮上しそうだそうで。

末世

まさに私らが生きる社会はそういうことのようです。「ホタルが舞う渋谷」「人間が想像することは実現できる」ですか?渋谷(歓楽街)にホタルって、世迷言いうんじゃない!って話ではないでしょうか? いち企業がCMで綺麗ごと言うな!と私思っちゃいますけど…だったら「やってみな」ってね。ものすごい反発食らうに決まってますよ。あれだけの歓楽街なんですよ。よほどの天変地異が起きない限り…いや、そうなれがマッドマックスの世界が到来するかも知れません。人心荒廃して。

まずは政治腐敗が露呈し始めて

私ら国民が事実を知り始めて

色んなカラクリが取り沙汰され

それでも決して今の社会システムは改まりはしないでしょう。日本は合衆国の傘下にあり、アメリカの意思こそが最大限尊重される。もうネットユーザーなら知らない人の方が少ないかと思いますが。でもね、

安倍にしろ、麻生にしろ、甘利にしろ、私らがどうであれ「やるべきことをしているまで」と思ってると思いますよ。罪悪感?ないでしょう。彼らが持つスイッチはまったく別物と思った方が良いかと。良心の呵責を当てにしても埒があきません。

皆さんはどう思うか分かりませんが、上記のブロガーの「私、北条政子」も私には安倍らと同じに視える。

「すべきことをやっている」

この自覚は魂それぞれの癖というか、精神的宿題の上に乗っかっています。なので罪の意識が浮上しない。上記ブロガーがかっこうの例かと思う。

人は「人の役に立つ」とはどういうことか、それぞれに尺度を持っていると思います。

そう言えば、浅川さんって方はその最たる公人…かなり霊能者の話を鵜呑みのし、ホームページの載せ、事実かどうかは「読者に委ねる」として収束を見たアセンション啓蒙者ですよね?ですが、本に書き、講演をした…それなら事実確認する責任くらいはあるでしょう。ありませんか?だって読者は浅川さんを信じて「ついていっている」のでしょう?

信頼に応える度量はあっても良いと思いますが、いかがですか?

「浅川さんの言うことだから嘘のはずがない」ですか?それ盲信では?

浅川さんが日本に紹介したカヴァーロ氏。彼が著書に掲載したクラリオン星人はスーパーモデルのコピーだったと暴露されました。真意のほどは分かりません。だからこそ、真相追及する責任を浅川さんは持っていたと思うのですが、浅川さん責任果たしましたか? カヴァーロ氏の名誉もかかっているのでしょうに。あるいはカヴァーロ氏はトンズラでしょうか?
浅川さんは「**が事実のようである」という書き方を多用する人でした。今はどうでしょう?私はとうに閲覧しなくなりましたが。

人には、公に口にした、本に書いた事柄に対する責任があるんですよ。それが人の信頼に応えるということではないでしょうか。政治家はどうでしょう?公人とは嘘も方便のお手本と多くが思っていると思いますが(私も思っている)、彼らに良心の呵責を期待する方が間違いなのでしょう。それは人気ブロガーも例外ではないのかと。

罪の意識がない。

スイッチが入らない。あるいは…ない。仲間意識が働いて、「この人のいうことなら」という連鎖が人心を動かす。私が指摘した人物に例外はいるのでしょうか?手厳しいと言われるかも知れませんね。それでも私は感じるんですよ。

「あの時は仕方なかった」

そう死後に呟く彼らが。「仕方なかった」これは言い訳に過ぎませんが、彼らには無理からぬ事情かと。この無理からぬ事情に酌量の余地はありません。

最後の審判?

浅川さんはずっとこういうことを主張し続けてましたよね?今もでしょうか…ですが、灯台下暗し…自分が一番見え難い。それが人の業です。自分のことが棚上げになる。自分は大丈夫ときっと思っていると思いますよ。だって、「すべきことをやっている」という自覚の上に立っているのですもの。

人はね、誰もが未完です。

私も例外じゃありません。ひょっとすると「そのブロガー本当に北条政子の生まれ変わりかも知れないじゃないか」と思う人もいるでしょう。彼女は100%違います(笑)キムタクは前世のパパ…仮にそうだとして、公言することで、どういう影響が出ると皆さんは思いますか?「スゴい!キムタクが**さんの前世のお父さんなんですね」とかいう話になってやしませんか?

嘘か誠か…話を信じる以外にはない事柄を吹聴する…それにどんな意味があるのでしょう。「この人の言うことだから」という根拠は時に虚しい。断言しますが、

霊視の信ぴょう性と人柄は無関係

良い人そうだと信憑性がごっちゃ混ぜになりがちです。逆説として、霊視能力が秀でていても人格的にアウトな人もいます。そして、そこには憑依が含まれる。憑依されているので通力がスゴい!という人も現にいるんですよ。なぜ憑依するか、ですか?

依存の連鎖ですよ。

「認められたい」私は、俺は、スゴいんだと認められたい!という渇望があるんですよ。堕天使はそうやって出来上がります。上記ブロガーは魔女と指摘されたようですが、魔界からの転生者に癒しに関わる人が多いのも興味深いと思う。




「あの時は仕方なかった」




私たちは押し並べて、このまな板の上にいます。私とて例外ではありません。私はね、今世をとても貴重な時と思っています。こうして気づく。気づきを…それが手厳しいとしてもシェアする。他人事ではないとシェアする。それ以外に私のブログの存在意味はありません。

今日のテーマは「あの時は仕方なかった」は言い訳にしかならないというもの。人生は選択の連続です。始まりから最後まで。転生する前から絶えることのない選択を私らはしています。それを自由意志ともいう訳ですね。
故にお試しは本当に突き付けられると本当にキツい!否定したい衝動にかられます。そこを乗り越えるのは至難の技なんです。でもね、決して不可能ではありません。

簡単なハードルはウォーミングアップ。越えられそうにないものこそが本番。それを決して忘れないで下さい。

「だって仕方ないじゃない。あの時は事情があったんだから」と言いたくなった時、今日の話が脳裏を過ればと願わずにはいられません。




前世。有名人を名乗る人にホンモノはいません。ホンモノとはいったい何でしょうね?

ここで言うホンモノとは真に自分の心癖を自覚し、改めるべきを改め、心眼に曇りなく、自己陶酔に陥らず、自分が何者であるか…そこに肩書きを必要としない者…、「読者の判断に委ねる」などと事実確認を怠らない者(苦笑)まだまだあるけれど。

私は「あの時は仕方なかった」と言わない自分でいようと。えぇキツいと思いますよ。だって、自分は「あぁ人の役に立つ人生だった。多くの人に感謝された」と上機嫌で昇天したとします。で、次から次にイケテナイ場面を見せられたら、居たたまれないかと。






突然ですが(笑)、念仏ばあさんの話をご存知ですか?

「昔々、あるところに(笑)「南無阿弥陀仏」と朝な夕なに唱え、村人が口を揃えて「良い人」と言うおばあさんがいて、大往生を遂げた。お坊さんも「成仏まちがいなし」と太鼓判を押したそう。ところが、おばあさん死んで目を開けてみたら、目の前に閻魔大王が!脇には青鬼赤鬼!
閻魔大王は「この者は地獄へ」と。おばあさん「それは何かの間違いです。私は毎日欠かすことなく念仏を唱え、真面目に生きてきました」と訴えた。すると鬼が「どれどれ」と壺を持ち…その壺の中にはおばあさんが一生かけて唱えた念仏が札になって収められており…鬼はそれをぶちまけた。すると札はあれよあれよという間に飛んで行ってしまったそう。

「このばあさんの念仏はどれも口先だけ。性根が入っておりません」と鬼。

おばあさんは泣き崩れた。と、鬼が壺の底に一枚だけ残った札を発見。それはおばあさんが雷が怖くて一心不乱に唱えた時の念仏。そのたった一枚の一心不乱の念仏のお陰でおばあさんは極楽行きに」という喩え話。






喩え話ですが、真髄をついてます。良い行いをしているという自覚が仇になったという。

いずれにしても、人は自分に暗い。だからこそ人生はトライアルということかと思います。言い訳は通用しない。その矛先は何か分かりますか?





自分自身です。何故って…自分にすべては跳ね返ってくる…ですよね。