愛の対極にあるもの?

Category : 魂のご飯


かなり前に当時知り合いだったヒプノセラピストが参加するイベントに出かけたことがあります。啓発的でスピリチャルな集会、ナチュラル志向な人々がたくさん集っていました。で、宴もたけなわ、主催者が「愛の対極にあるのは?」と会場に問いかけたんですね。すると主催側の女性が先導するように

「むか〜んし〜ん!(無関心)」

と大きな声を張りました。もうやんややんや、拍手喝采の盛り上がり!ですが、蚊帳の外な私が…いた訳です。まぁ異論を挟む義理もなく、その場はおとなしく(笑)早々に会場を後にしました。

さて

皆さんは愛の対極にあるのは何だと思いますか?

無関心もそのひとつ…そうなんでしょうね。ひとつに答えを限定するのは無理な気がするんですね、今も当時も。だいたい、愛そのものも色んな解釈が成り立つし、色んなレベルがあると語られる。本当に人類の英知を全集結させても唯一無二な答えって出ないのかも知れません。

憎しみ・憎悪・嫌悪などという悪感情を伴うものも対極と言えそうですし、優しさの欠片のない接し方とかもそうでしょう。自分の子と里子とでは扱いが違うという話もキリなくあります。そこには癒されることのない痛みや苦しみがある。愛とはそういう意味ではそれらを包み込み、労うものと言えそうです。

ですが、愛は時に人をどうしようもなく苛みます。目に入れても痛くないほどに可愛い我が子を溺愛…結果とんでもない人間を育成してしまったり、可愛いあまりに常に手を出し口を出して引き篭もりを生み出したり。それは男女もそうで、好き過ぎて突っ走ってしまい、相手を傷つけてしまうこともある。

愛は私たち人間に「相手あってのこと」とか、「相手の気持ちと自分の気持ちを常に慮ること」を問いかけてきます。この世のレベルで私たち人間が高まるべきラスボスなのかも知れません。

「こんなに愛しているのに」という台詞

もうドラマや映画で飽きるほど耳にする台詞ですが、女はこれに陥りやすい。情にどっぷり浸かって、「カレにも食べさしてあげたい♡」とか、手編みのマフラー♡とか、手作りチョコ♡とか。セッセと甲斐甲斐しさを振りまきます。身に覚えがないとは言わせません(笑)。でもそういう時期はあっという間に過ぎる(笑)きみまろさんの講談のような中高年の笑える笑えない話のように。熱はいつかは冷める。あるいは釣った魚には餌やらない男のサガってのもある。男女の仲は本当に魂のレッスンの最たるものかも知れません。

世の中には老いても仲睦まじい夫婦もいますよね?本当に千差万別かと思いますが、共白髪まで気持ちが変わらないカップルを私が知っています、稀有ですが。

お互いが生き甲斐

それは魂の出逢いとも、運命とも呼べるでしょう。『ファニーガール』というミュージカル映画で、主役のバーバラ・ストライサンドが歌った歌の中に「恋人たち。世界で一番ラッキーな人たち」という歌詞が…。ロマンスは女を酔わせる。韓流ドラマはそこを上手に商売にしていると思う。シルバーエイジの奥様たちが熱く追っかける韓流スターはまさにロマンスの夢を彼女たちに妄想させる格好の相手かと。でもまだ相手が雲の上の人なら夢を見ることで満足を得ることが出来るでしょう。ですが、等身大の相手なら? で、もし相手が自分の想いどおりにならないとしたら?

執着で七転八倒するでしょうね。

もうそれは理屈じゃありません。情念の為せる技でスイッチが入ってしまえば、もうどうしようもない。もう愛の対極がどうのと言ってる場合じゃないでしょう。一青窈の歌に『ハナミズキ』があります。中に「キミの好きな人と百年続きますように」という歌詞がありますよね? 私「なんて執念深いんだろ」と思っちゃいました。娘に苦笑されましたけど(笑)要するに

百年間はカレと幸せに。でも、その後は僕の元に戻ってきてね。

ってことでしょう? 私に言わせれば「お前は選ばれなかったんだよ」です。ふられても尚、諦めてない。でも、まだ幸せを願うだけマシか? いや、やっぱ「ちょっと怖いんですけど」です。一青窈、TV番組で一般人の結婚式に呼ばれ、これ熱唱してました。う…う〜ん微妙。

思うに

愛の対極あるのは?

に、唯一無二の答えを導き出すレベルに私らは達していないのかも知れない。それどころか、愛さえも真の理解に至ってないのでは?

愛も、その対極にある何かも、ひとりひとりの体験に沿って<体感>するものは違うだろうと思う。でもね、この娑婆世界で一番昇華した愛は

やはり、相手を慮る配慮かも知れません。

自分の気持ちを押し付けるのではなく。そういう心が通い合う関係? それを超えるものはないのかも知れない。でも、それも言い足りないですよね。関係の根っこにあるのは磁石と思うから。

愛はあらゆる事象に関わる

心を通して波動を通して、私たちを揺さぶります。愛なくば実際問題、私は此処に存在していません。

光 その対極にあるのは闇

光強い処は影も濃いと言う。確かに愛は…聖母たちの慈愛は私たちの心に光を射します。だとすると、究極…愛は光なのでしょう。でも苦しみあればこそ、愛の、癒しの有り難みが身に浸みる訳で。

やはり私たちは愛にしても、その対極にあるものにしても、唯一無二を論じるのはまだ早いのかも知れない。それぞれの体験を通して、その中に愛を…他の人がどうであれ、愛と実感できたものを語ることなら出来る。

それで充分なのかも知れません。



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(2016年12月27日記)

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