深読み(1)

Category : 深読み

今回から<深読み(テーマ)>を設けることにします。情報、閃きが交叉することってありませんか?そこから導き出されるものを文章に書き起こしてみようという試み…これまでとさほど代わり映えはしませんが、シリーズ化すると面白いかも知れませんね。ひとつ書くと「じゃぁさぁ」と新たなネタが思い浮かぶ。一冊の本・・・いや小冊子が出来上がるように連ねていくのも一興かと思います(笑)。しばらくお付き合い下さいね。

私は飛鳥昭雄さんのエクストリーム・サイエンスを楽しみに視聴しています。飛鳥さんほどアルザルに詳しい人間はいないんじゃないかと思えるほどですが、飛鳥さんによるとアルザルはイスラエル失われた十支族が住む…シャンバラともシャングリラとも言われる桃源郷…そこはプラズマで覆われた亜空間(月くらいの大きさとか?)とのこと。アルザルの住人は地底人とは言え、私らと同じ次元の人間ではないとか。

いつだかの話に
・アルザルが北極から地表に出てくる

・暗黒天体

・ヤハウェ(地球からは太陽の対角線上にあって見えない地球に似た惑星?)ホピの予言にある「青い星」

という興味深い内容があったと思いますが、「アルザルが北極から地表に出てくる」に関して「魂が十分に磨かれた人々は救われるが、磨かれていない人々はプラズマで焼かれる」という話を飛鳥さんはしていたかと。どう救われるかというとプラズマでシールドされ、アルザルに携挙されるという趣旨だったと記憶しています。更には「アルザルは太陽をゲートに異空間へ旅立つ」とも。そこに至る前に第三次世界大戦とハルマゲドンがあるとも。実に壮大なストーリーですよね。私としては荒唐無稽と一笑に伏す気にはなれませんが。

この「魂が磨かれた人々はプラズマでシールドされる」という部分は本当に興味深いと思います。これはいわゆる『聖人』が放つオーラを指すのでは? それがアルザルが桃源郷と称される所以かと思いますが、桃源郷とは<天国に一番近い場所>なのかも知れませんね。

肉体を伴ったままこの天国の境涯に至る

これって<アセンション>にリンクしているのでは?もう下火の話題でしょうか。

9月27日28日はスーパームーン・ブラッドムーン・皆既月食が話題になりました。ブラッドムーンはヨーロッパ圏のみだったんですね。ネットで絵のような画像が配信されていました。ブラッド…ブラッドって血ですよね?なんとも意味深と思いますが、十字軍だのとキリスト教圏は何かと血生臭い闘争の歴史てんこ盛り。今だに物騒なニュースには事欠きません。

この天体ショーの後…29日~30日にかけ…その日を境に何かがクルリとひっくり返りました。私はそれを<分岐点>と直感したんですけど、皆さんはいかがですか? 聖書にある「盗人のように」また<分離>が起きました。知らなかったんですけど、9月28日アセンションとか言われてたんですね。多分ですが、そういうふうにソワソワしていた中にはまた「な~んにも起きなかったじゃんか」とガッカリした人がいたかも知れません。

劇的変化を期待すると裏切られます。2012年12月のマヤ暦が取り沙汰されたあの時期も「盗人のように」変化がありました。世界の終わりでも、光の12日間でもなかった…。多くがアセンション啓蒙者やアカシックリーダー情報に乗せられ…いえ、啓蒙者やリーダー自身が神秘情報に飲まれていたのじゃないでしょうか。情報それが霊的なものであっても、宇宙存在からもたらされたものであっても、劇的変化を待ちわびた人は数知れずいたでしょう。で、「何も起きなかったじゃないか」とテンションがた落ちした人も少なくなかった。ですが、あの日、静かにシフトは起きました。

夜明け

カウントダウンの賑わいからも、期待からも無縁の静かな夜明けでした。感知した人は幸いです。あの年は10月から変化の波がありました。本当に稀有な時代を私たちは生きていると思います。何ごとも一足飛びにはいきません。準備というものがありますものね。ヒタヒタと粛々と準備は整えられています。今もです。
世の中には<善根を植える><利他心>と啓蒙する人がいます。中には自分の講演会に知り合いを誘って来なさい。未曾有の危機に「あなたが助かりたいなら」と「宇宙船天空に満つる時に携挙されたいなら」とアセンション情報を開示し続けた人がいます。それが善根を植えることにも利他心にも繋がるという論法は残念なお知らせながら、信者を増殖させるに留まります。一人でも多くを救いたいという熱い思いに嘘はないでしょう。しかしながら利他心を「助かりたい」という気持ちのツールにする手法は稚拙の域を出ません。言い過ぎですか?果たしてそうでしょうか。

人間は自分を介入させたがるところがあります。自分の講演会に誘いなさい。ホームページを広めなさい。何故ならそれが「あなたもあなたの大切な人たちを救う道」と布教します。えぇそれは布教ですよ。だって自分が信じるところを広く知らしめるのでしょう?宗教法人じゃなかろうとそれは布教と同種かと。そうやっていつまでも自分に人心を引き寄せる。全ては「良かれ」との思いからなのは疑いようもありません。何故でしょう?なぜ一人ひとり実は宇宙と、聖なるエネルギーと直接繋がることが出来るのに。何故でしょうね。自分の講演会をホームページを布教せよと言い続けるのは。

答えは簡単です。

啓蒙者も被啓蒙者も<共依存>から抜けていないからです。「俺の話を聞きなさい」「俺の話を広めなさい」「俺のところに誘いなさい」「助かりたいなら利他の善根を植えなさい」それらは過去世とった杵柄。双方揃うことで関係性が成り立っている。
更には啓蒙者も被啓蒙者も<義務教育の魂>だからです。情報は導入に過ぎません。高が情報されど情報。そこから自分の心に持ち帰って各々が吟味して四捨五入し、暮らしに役立てる。時々、図書館に寄って資料集めをして、不足箇所を埋めるに過ぎません。

あなたの中に答えがある

情報はそれを引き出すためのツールでしかありません。大上段に掲げる質ではないというのが私の結論です。
これまでの人間の歴史から多くを学べる。それは共依存とピラミッド構造ではないかと思いますが、私たちが生きる時代はこれまでの価値観がグデンとひっくり返る転換期だと思うんですね。ジワッジワッと詰め寄って来た<一部の人間のみが享受する富>から<分布し、共有する豊かさ>へ移行する流れ…これまでになかった世界へ移行する時代を私たちは生きている。
それは同時に「誰かについて行けば大丈夫」とか「信じれば救われる」という宗教信仰に飽き足らない精神の登場を物語っていると思いますが、そこにアセンション情報が雪崩れ込んだ訳ですね。私の場合は『聖なる予言』という本がきっかけでしたが、それぞれにきっかけがあったのじゃないでしょうか?いずれにしても私らはそうやって精神世界に傾倒し、アセンションに思いを馳せた。

このアセンションと飛鳥さんの「アルザルが北極から地表に出てくる」「魂が十分に磨かれた人々は救われるが、磨かれていない人々はプラズマで焼かれる」という話や『天空に宇宙船満つる日』がリンクしはしないでしょうか?

何をして「魂が磨かれた」と言えるのか?

私は既存の信仰にしても利他心・善根を植えるという行為にしても、良い行いをしているという自覚が仇になっていると視ています。隠れ慢心と私は呼んでいますが、本当に根が深いと思います。その根拠はある講演会終了後に「今日は友達を連れて来ました。先生が徳積みと仰っていたので。宇宙船に私も乗れますよね」と話しかける女性を間近に見た…それが決定打になりました。その女性は準備が整った人は宇宙船に携挙されるという講演者の話を信じている訳ですね。「先生の言うとおりにやっていれば救われる」という心が彼女を動かしている訳です。罪作りと思いますよ。善意は善意として、実際にその女性が救われるか…、宇宙船が大挙して空を埋め尽くして啓蒙者の話を信じる人々を携挙するか…誰がそれを保証するというのでしょう。

「信じる者が救われる」聖書はそう説きます。飛鳥さんも熱心な信者で終末論に傾倒しています。聖書をベースにアルザル情報も展開している飛鳥さんですが、「魂磨かれた人はプラズマでシールドされ、救いとられる」という「魂が磨かれる」っていったいどういうことか? それは決して情報通とか誰かのいうとおりにするとかではないと思うのですが、いかがですか?

敬虔なクリスチャン(あるいはカトリック信者)で魂が磨かれ昇天した人たちがいます。テレーズやルルドのベルナデッド、アッシジのフランチェスコなどがそうだと思うのですが、彼らと共依存者の違いが分かるでしょうか? それは

直接対話

神あるいはキリストその人、聖母その人と心の絆を持っていた。揺るがぬ真心があった。そして、第一自分が助かる助からないなどどうでもよかった。「神の御技が行われる」ことに不信が入り込む隙さえなかった。それは声が聴こえるとか、姿が視えるとかいう以上に大切な心なのだと思うのですが、いかがですか?

私はよく自分は視えないからとか聴こえないからという話を耳にします。ですが、私とて声を聴いた訳でも姿を視た訳でもないことの方が多いんです。私が感じるのは彼らの揺るぎない<慈愛>です。時に情けない自分にうんざりすることだってあります。私とて人の子です。失敗談も数知れません。ですが、心の繋がりを疑うことはなくなりました。内省の果てに得た気づきです。

そして、キリストと聖母は私たちに何を伝えようとしていたか、今もなお伝え続けているかを私なりに感じるからです。それはあなたも同様かと思います。私なりに。それで充分ではないでしょうか。

イエスも聖母も愛を必要とする生きとしいけるものの傍にいます。相手は人間とは限りません。ただ私らが悲しみやら思い込みやら何やらで心が覆われ尽くしているだけなんです。

慈愛は私たちの求めに応じます。

それは無意識の意識ででも。もちろん心の叫びにも。手取り足とりしてくれなくても。試練とは私たちが乗り越えるべくセットしたハードルです。聖母が代わりに飛び越えてくれるはずがありません。それじゃ成長になりません。試練とは達成感を味わいたいがためのシナリオ。私たちは案外タフなんですね。

今わたしたちが迎えている試練は一人一人がダイレクトに<磨かれた魂と繋がること>。同調感応し合うこと。それは可能なんですよ。だって心があるのでしょう?心はゲートなんです。それぞれの意志・意図に沿って、それに見合った存在を引き寄せます。

善根とか利他心とかお題目を後生大事に奉じるより、あなたが生きることに真心を込める、接するものや人に真心を添えることだと思うのですが、いかがですか?

成果の結果が先行しがち

これは人間の悪習慣です。結果は後々ついてきても遅くはないのです。1分1秒も怠ることなく真心を込めよとは言いません(笑、実際無理と思う)。時にリラックスし、英気を養うなどして、備えることも必要かと思います。

魂が磨かれた存在を思い描いてみて下さい。慈しみの心で満ち溢れてやしませんか?

救われたいなど思ってないかと思いますが、いかがですか?彼らはこの世に生きていた時から、目覚めた時から助かりたいとは思ってなかったと思いますよ。

愛するより愛したい

聖フランチェスコの有名な座右の銘ですが、愛したいとは充分に愛されていることを悟る人が「あなたも愛されているのですよ」と伝える行為なのだと思う

まずは一歩踏み出すことで精霊に導かれた人たち

皮肉なことですが、人を介入しなくなり、独り立ちし始めると、かえって慈悲を感じます。生かされているとこを痛感させられます。自立とは「俺が俺が」じゃないのですよ。あなたが赤ちゃんだった時、親の手や補助なしに一人立った時、どんな気持ちだったでしょうね?

多分ですが、世界を感じたと思うのですよ。





魂が磨かれたとは実際はダイレクトに魂が磨かれた存在を感知し、姿が見えようと見えまいとその存在を疑いようがなく<同調>した状態を指すのがワンステップ。ツーステップは依存からの卒業。そして、誰もがこの光栄に浴す機会を持っていると知る。相身互い。

誰かに寄りかかるのではなく<手をつなぎ>輪を広げること。

その一翼であること。

精一杯生きること。どんなに自分の講演会が真実に富むからと言って(実際は不明ですよ、そんなこと)「講演会に人を誘いなさい。利他心・善根を植えるため。宇宙船に救いとられるため」と餌で釣らないこと。そういう姿勢は共依存の温床です。





続きは日を改めて。<愛魂(あいき)>へ話を進めようと思います。






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(2016年12月27日記)

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