創造主の教えを守って生きる生き方

Category : アセンション

アセンションを取り上げているブログに宇宙人を含む高次の存在のチャネル・メッセージの添付や管理者自身のチャネルが多く見受けられます。中には「私たちは既に死んでいるが、気づいていないだけ」というヘミシングユーザー情報を垂れ流す人もいます。何でもありのネット社会ですが、中には真面目さゆえに「このままでいたら地球も人類も」と危機感を持ち、ホピ等の予言を取り上げ、人として正しく生きる知恵を説く人もいます。

ホピ族の予言はとても興味深く、見習うべき点も多い。

最近なにやら『ホピの予言の岩』の画像が目立つようになりました。滅ぶ人と助かる人が描写されているそうで、そのラインとして「創造主の教えを守って暮らす道を選ばないと、この世界は終わってしまう」を示唆する内要が多く見受けられます。ノアの方舟・モーゼの十戒には創造主の教えを守って生きのびた人々が描かれています。

えっと…何千年(何万年?)経つものの人間は滅亡の危機を警告される段階?今は4回目の文明との見方もあります。そこまで人間って学習能力ないってことなのでしょうか。否定できませんね、残念ながら。無論これは斜に構えた見解ではあります。

私は『宇宙船天空に満つる時』のあるページを読み、不信感を持つようになりました。それに関しては日を改めて限定記事としてアップします。その不信の背景にはサナンダと名乗る存在の指示に従い、ひと握りの人たちが人類のカルマ浄化を意図して世界各地で儀式を行なったという

皆さんの中には「それのどこが変なの?」という人が少くないと思います。残念なお知らせですが、ひと握りの人間が浄化可能な人類のカルマなど地球上どこにもありません。気づきませんか?危険思想でしょうか?

魂ひとつひとつには自己責任があり、自分の問題は自分で解決するというルールがあります。何でもかんでも最初から最後まで自分ひとりでと私は言おうとしていると、頭の中ごちゃ混ぜになっている人もいるかも知れませんが、私たちは問題の多いレベルの魂なのでサポートはきちんと用意されている

私たちの多くはまだ手取り足取りを必要とする段階であるが故にそういうサポート(手取り足取り)が用意されている

そのサポートの中にさえ何かしら「善根を植える」必要があって、その役を担っている人間も含まれている

この構図がこの娑婆世界の根幹にあります。どんなに啓蒙者の話で学んでも啓蒙者自身が個人的な問題をクリアしていない場合が多く・・・悪循環が今に続いているのが現状です。でも多くはそのことに気づきもしない。

大義と同じくらいに個人的な宿題は重要です。でも、救済・啓蒙という大前提が人の心眼を暗くしているようです。例えば、過去世で霊能力を駆使してカルマを積んだとします。で、今世では霊能力を封印して転生したとします。ところが霊能者の言葉を鵜呑みにして啓蒙活動したとします。これは学びが稚拙ゆえの浅知恵と言わざるを得ません。霊能の所在の首がすげ変わっただけに過ぎない。

依存

これは人間が如何に都合の良いふうにしか事態を解釈しない典型的な例かと思いますが、人は鑑です。影響力が大きい人ほど個人的問題を封印しているかに見えるのはどうしたことでしょうね。

私たちのほとんどは未だ義務教育期間の魂と私は言い続けています。その理由は

対象の如何に関わらず依存体質であるということ

アセンション?どの口が言う。

何千年か人類の文明が築かれてきました。魂が転生の機会を得るには充分過ぎる歳月ではないでしょうか?これまでに細分化された国境や文化を持つ人類の歴史です。100年をひと区切りとしても魂は何処にでもぶっこむことは可能でしょう。魂にとって時間は一直線ではありません。どの時点かが重要です。

さて

「創造主の教えを守って暮らす道を選ばないと、この世界は終わってしまう」ですが、「教えを守る」この意識こそが依存を象徴していると私は思う。啓蒙者も「~だそうです」聴衆も「~だそうです」ホピの予言にさえ「~だそうです」と紹介する。いつまで自分の言葉ではなく、誰かの何かの紹介文で警告を発し続けるつもりなのでしょう。

何処まで他者依存を続けるつもりでしょう。頭がごっちゃになる人いるでしょうから加筆しますが、私たちにあるサポートは私たちが自己責任を全うできるようになるためのサポートであって、いつまでもぶら下がるためにあるのではありません。

創造主?

誰のことでしょう?

この世界を造った存在ですか?

この世界に人類を「植えた」存在は宇宙人という説があります。この地球を太陽系を創造したのが「サムシング・グレート」として、人類に警告しているのは宇宙存在、あるいは天界・神界の存在であろうことは私たちは容易に想像できるはずですが、

色んなブロガーが唱える「創造主」とはいったい何を指すというのでしょうか?

私は創造主の警告を揶揄しているのではありませんよ。ですが、『宇宙船天空に満つる時』にまつわる人たちの儀式で人類のカルマは浄化されたとする人たちの思考には怒りさえ覚えます。浄化終了などしていません!それどころか浄化されきれずに地球は大変な局面を迎えているのではないでしょうか?

ひと握りの人間が担う、負う、べき対象じゃないのですよ、人類のカルマという類は。どうしてそこに思い至らないのでしょう。ここに思考が至らないことこそ警告に値すると私は思う。




私たちには準じるより大切なことがあります。

それは私たちの内側から自発的に奉仕・共に生きる知恵・活かされていることへの感謝が湧き起きること

ホピが言う 創造主が言う 天使が言う ではなく

私たちの中から発芽する気づきと行動です。

創造主の教えを守る

一見正しい生き方に思える考えの中にも「創造主の教えを守らねば」という、まるで幼児を躾するかのような意図が感じられます。実際そうなのですよ。言いつけを守る必要がある、そういうレベルなのでしょ?私たちは。

アセンション?どの口が言う。

確かにこの世界は奉仕・調和からはほど遠い。ライトワーカー、チャネラー、ブロガーが言うところの創造主が「愛」の名の元にあるとするならば、守るべきことは山ほどある。

精神世界に身を置こうがビジネスで成功しようが、予言に精通してようが、最終的に私たちひとりひとりに残されるものは自己責任しかありません。選挙だってひとりひとりの票なのでしょ?どういう意思表示を個々がするかを問われたのでしょう?

人類単位のこととて実際は個々の意思の元に形成されている。

「私が~」「俺が~」というエゴと自己責任の差異も分からない人多すぎです。



聖母マリアがあちこちで警告を発したのも私たちが未熟だからに他ありません。

「悔い改めよ」

そう言っているのでしょ?

ですが、教えを守るという意識だけではこの難局は乗り越えられません。

上から目線で申し訳ありませんが、聖母意識はより自立した魂の目覚めを促しているのではないかと私は思っています。このブログを「maria letter」と思いついた背景には色々ありました。ですが、聖母像が血の涙を流すほどの世界に私たちは生きている

その理由は未だかつて自発的に創造主の意識と共鳴し、目覚めた魂の絶対数が余りにも少ないため。





あなたはいつまで「教えを守る生き方」に捕らわれ続けるつもりですか?



私たちに求められているのは「まだ何も書かれていないページ」にお手本を模写するのではない、まっ白いページに筆を入れる勇気…そういう生き方ではないでしょうか。







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(2016年12月27日記)

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