心癖を巡回する人々

Category : 辛口ごめんなさい

私も人の子。長所も短所も兼ね備えています。

性格ってそうそうチェンジするものでもなく、同じところで堂々巡りすることも度々かと思います。どんなに精神世界に通じていようと、信頼出来るグルに師事しようと、相変わらずのところを巡回している人は案外少なくないと思われます。

どうしてなんでしょう。

カルマもひととおり学び、内省も怠ってないかに見える人が禅問答のように出口を見出せずにいる…。ひとつ解決したかに見えてホッとしていると、程なくまたドンヨリとしていたりする…。

人って体験するごとに感情のヒダに色々蓄えるもののようです。何年も何年も…ひょっとすると何世も堂々巡りしているかも知れないのです。

どうして人は悩みを手放せないのでしょう。手放そうとしないのでしょう。

あなたは多分「takakoさん、手放そうとしないのじゃない」と言いたくなると思います。でも、本当にそうですか?私には悩んでいないと落ち着かないかに見えますけど。

中には物事をシンプルに捉えず、複雑な方へ複雑な方へと向かう精神構造の人までいるようです。そういう人にはそういう人の傾向ってあるんですよ。
それはね。
物事も人も斜(はす)に構えて見る癖があり。何かと思い通りにならないことに思考が吸い寄せられてっしまう。物事を論理的に紐解きたい欲求があり、『何故』につかまりやすい傾向がある。この『何故』につかまると、それは蟻地獄のよう深みにハマってしまう。

深い精神性を自分に見出そうとすればするほど、次から次に『何故』は湧いてでてくるものです。

何故という疑問符は人間の専売特許なんですよ。

鳥が空を飛ぶことから宇宙の成り立ちまで。そうやって人は確かに色々発見してきたし、発明も成し遂げてきた訳ですよね。人類は火星にまで探査する技術を開発しました。ところが自分のこととなるとどうでしょう。
究極には科学も哲学もいち個人の成り立ちには言及は出来ないのだと私は思います。

私の所感ですが、

こういうふうに堂々巡りする傾向にある人は過去世、修行僧だったり修道士だった人が多い。それでいて満足のいく結果が得られていないため何度も何度も転生を繰り返している…そういう姿が視えてきます。

彼らは気づきもしないのですよ。自分がどんなに転生の機会を待ったかを。順番待ちをしたかを。

やっと転生の機会を得ながら「私は何故生まれてきたのだろう」とかで引っかかっているんですよ。生きるって何か…とか。死とは何かとか…。彼らは活かされている、というところにまでは辿り着きながら、この謎解きに取り憑かれているかのようにも見えます。

いち個人の存在意味なんて、考えれば考えるだけ迷宮に陥るだけです。

誰が此所に来ることを欲したのかに、あなたのグルはあなたに想いを馳せさせようとしてないのでしょうか?
スピリチャル好きの人の中にはチャネラー巡りをし続けている人が少なくないように思います。何処、自分がここにいるか、ここに存在するかは人に言ってもらうのではなく、自らつかみ取らねばならないのです。

ああ、私がここに来たい!と、もう一度体験したいと願ったから、この機会を与えられたんだなと。何故、ここのところに行き着いても、しないのかが私には理解できません。



プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

リンクの「maria letter 小林です」は非公開ですが、更新はPDF配信に切り替え。ご希望の方は下記メールフォームより氏名(ハンドルネームはNG)・PDF希望をご記入の上お申し込み下さい。
(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ