ハルマゲドンだろうがアセンションだろうが

Category : 辛口ごめんなさい


精神世界系ブログをサーフィンしていると色んなことが書いてあって…書かれてある文章を読むとその人の人となりが伝わってきます。

アセンションは今一番の興味の対象。いったいどうなの?というのが大方なんじゃないでしょうか。中には脅しとしか思えないものや、最近コワレたっぽい人までバラエティに富んでいます。

天岩戸開きがあったというものまであると聞き及んでいます。これを祭りと言わずして何なんでしょう。オバマ大統領が正式に宇宙人について声明文を出すというものも…あるんですか?祭りど真ん中!ですね、まさに。チャネル情報なのでしょうか?私にはよく分かりません。


今日は一段と超!長文になると思われます。斜め読みも可!気が向いた時にでも目を通して頂ければと思います。


結論から言うと、私の直感は『アセンション』ありと伝えてきます。神でも宇宙存在でも大天使でもありませんよ、自分の直感がソース。

ハルマゲドン、ですか?

私は怯えて暮らす気にはなれません。ワクワクしてますか?的発想は低級霊宇宙存在の戯言と主張しているブログもあるようですが、それバシャールのこと?なんて(笑)私は何だか他愛もないなあと感じてしまいました。だって、その人がどれだけワクワクを提唱している存在の真意を理解しているというのでしょう。

自分がキャッチしていることこそ真の神託という気骨は、他宗教をクソミソに言う狂信者と何ら変わりない気がします。私のいち意見ですけどね。

どうして自分が一番正しいと篭城したがるんでしょうね。まあそれも自由意志ということではあります、確かに。

いずれにせよ、

魂の『性格』が何をするにも影響します。私たちには選択の自由があり、主張する自由もある。
何故なら創造の根源は無から有限を通して永遠の旅をする主旨のエネルギー。『体験』こそが最大のテーマ。

善悪だけで、正否だけで成り立っている訳では絶対!ありません、宇宙は。

人に自由などない、神に恥じない生き方のみが正統と主張している人がいたら、そっと席を立つことをお勧めします。自分にメッセージを伝えてくるソースこそがホンモノ的主張も、魂の成長のいち段階に過ぎません。その辺のことを理解頂いた上で続きを読んでもらえればと思います。




聖フランチェスコは私の好きな聖人。彼に付き従い良き理解者であったとされる聖キアラも。

彼らが生きた時代は、今のようなアセンション到来の時期ではありませんでした。彼らは「愛されるより愛したい」と清貧に生きた聖者ですが、決して「神の御心に沿った生き方をしなければ『地獄に堕ちる』」と人々に恐れを抱かせたことはなかったはず。

ましてや自分こそが正しいと主張したこともなかったはず。彼らは神の愛の体現者たらんと日夜励んだ求道者だったのですよ。そこのところを勘違いしてはなりません。

自分が正しいという心こそ『喜捨』すべきなのではないでしょうか?

例え最後の審判が既に行われたとして、

上に上がれる者とそうではない者とが選別されたとして、

それを大上段にかざして、そういうのが真の救済になると皆さんは本気で思っていますか?



私たちはもう一段階、目を覚まさねばならないようです。



神のメッセンジャーと名乗る人の話を押し頂く時間があるのなら、その時間を自分の心を研ぎ澄ますことに費やして欲しいと思うのです。そりゃあ、その人たちの話にはもっともな主張が散りばめられているとは思いますよ。真理もついているのでしょう。

でも、もっと大切なことがありはしませんか?

私たちには押し並べて『心』を有しています。中には器だけで中身がガランドーな人もいるにはいますが、基本的には平等に『心』は備わっています。体験を通して何かを感じ、考え、悩む…そうして日々魂を養う。良きことからもそうではないことからも。
心は喜びも苦しみも感じ取る、私たちは常に何かしら感じ取っています。そんなこと当たり前じゃんと、あなたは思うかも知れない。でも、当たり前のことなのに、どうして私たちは人に答えを求めようとするのでしょう。

何だか変だとは思いませんか?

日々色々思うのに自分で答えを見出せないって、どういうこと?と思いませんか?

答えを見出したとしてもその答えが正しいかどうか…どうして不安になるんだろうと思いませんか?


そういう心が「僕の(私の)メッセージこそがホンモノ」という人間を創り出しているとは思いませんか?私たちの誰かが必要としているから彼らは存在しているのですよ。だから「ならば答えを授けて進ぜよう」ということになる訳でしょ?お呼びでなければ廃れるものでしょ?それがいつまでたってもいなくなりはしません。

それは何故だとあなたは思いますか?







答えは簡単です。

私たちは仲介がなきゃ神とも守護者の導きとも繋がれないと無意識に思い込んでいる。

違いますか?

今でこそスピリチャルも浸透しています、神との対話本も出るほどです。霊界通信やチャネラーも雨上がりのキノコのように乱立しています。それだって誰かに伺いを立てなきゃ二進も三進もいかないのが現状じゃないんですか?

お守りの話をローズさんが書いていましたが、本当に人間って何かに守ってもらわなきゃと本気で思っているのですよ。

でも、果たして実体はどうなんでしょう。

本当に私たちは直に神と繋がることが出来ないのでしょうか?

視えない。聞こえない。キャッチできない。自信がない。

枚挙に暇がないほど私たちはずいぶんと自分を無力と思い込んでいます。

でも、本当にそうなんでしょうか?



私も数年前まではそうでした。予知夢を視ていた時期だって自分に自信がありませんでした。
カルマだの何だのでパッツンパッツン、自由意志など思いつきもしませんでした。ひたすら自己反省と善行を積むことでしか救いの道はないという考えが刷り込まれていたんですね。

でも何から救われようとしてたんでしょうねえ。カルマ解脱ということで苦しみの連鎖から解放されようとしてたんでしょうね。


目が覚めた…!のは一冊の本がきっかけでした。『聖なる預言』あれはかなりの一撃でした。もう目からゴソッと大きいウロコが落ちました(笑)。
それから自分探しに奔走。ヒプノセラピーやチャネラー巡りと本当に必死でした。脱皮に継ぐ脱皮の日々でしたが、気がつけば何だか自分も視える人になっていた…皮肉なものです。

視えるようになってからも妙な霊能者たちに遭遇したりして「私は大丈夫かしら」なんて。人の振り見てという頭が働いて迷うことも多かったんです。それだけ視えない世界のことは微妙と思いますよ。どんな能力者の言うことも鵜呑みにしないことです。

しかしながら、

私たち自身が自分の内なる声を聞きとれない。それだけ私たちは自分に自信がない。自信があればチャネラーに大枚はたくこともしなければ、アセンション情報ブログを巡る必要もない訳ですよ。

でも、もうそういうのにはサヨナラしませんか?

ブログを巡るにしたって「こういう意見もあるのか」くらいの余裕を持っても良いと思うんですよ。私のブログを読もうなんて思う皆さんは大丈夫と思いますが。もちろん私のブログもその括りです。参考になることがひとつでもあれば幸いなのです。



ハルマゲドンがあろうが、アセンションだろうが、



どんな時代に生きていようが、

私たちはダイレクトに神と繋がる…自分を此処に向かわせた『志』、体験することで自分が何者であらんとするかを見極めようとする『発案の源泉』と繋がる、

その道を絶っていたのは私たち自身と気づくことは可能だったはずなのです。

肉体を伴って次元上昇しようがしまいが、此処を卒業する気運が高まったかどうかを自分に問うことはいつの時代であっても可能だったはずなのです。

なのに長きに渡る宗教の介在が私たちに「一人立ち」することを阻んできました。あらゆる宗教の開祖はダイレクトに神と繋がったはずなのに、弟子のそのまた弟子・・・・・・となっていくうちに形式化され教本が整い、人の上に君臨し搾取するようになっていきました。

聖フランチェスコは気づきましたよね。

小鳥はささやかな食で空高く飛び、百合は美しく咲くと。

人間だけが自分たちを束縛し、常に何かが足りないと思い込んでいる。

聖フランチェスコは求道し続けた人です。

道に終わりはないってことなんでしょうね。

私たちは不完全です。しかし完璧であること誰が望んでいるというのでしょう。私たちの精一杯生きる姿を大いなる存在は見守っているのではないでしょうか。限られた素養の中でそれを愛おしみ生きる。だって、私たちはシュミレーションして此処にやって来ているのですよ。どういう親の元に生まれ、どういう容姿で、どういう出逢いの可能性があるか予め知らされて、自分の意志で生まれてきているのです。



神に恥ずかしくない生き方、ですか?

何をして恥ずかしくない生き方と言うのでしょうか?
多分ですが、そういうブログに熱心に足を運ぶ人たちは真面目なのだと思います。正しい行いをしなければと日々肝に銘じるような。でもその裏には「でなければ地獄に落ちる」「魂が救われない」というものがあるように感じました。

恐怖を下敷きにしている…違いますか?
良い子にしていなければ、ご褒美は上げませんよ、という成長段階の魂と言えなくもないのです。それが必要な段階は確かにあります。

いずれにせよ、

全てを見通している人間は私を含めてこの世界にはいません!



私たちは常に選択を迫られながら生きています。自由意志とは厳しい道なのかも知れません。何故なら全ての責任を負わねばならないからです。でも思えば、子供って「一人で出来るもん!」をアピールしたがるし、何かと「ママ!見て!見て!」言いますよね(苦笑)。

そういう伸びシロがあるのに…いつからなのでしょうね、私たちが自分に制限をかけてしまったのは。

私たちはチャレンジャーなので、ハードルの高い領域にわざわざ飛び込んできたのでしょうか。それにしても捕まってしまってますけど(笑)。

私たちが自分たちに課した課題のひとつは、

大本の魂の意思との遮断でしょか。

それは青い鳥よろしく、外なんかにはないのに…随分と遠回りしてきたものです。

神と繋がろうと言うと対象にする存在が大き過ぎて、なので介在なしではと取り次ぎがなくてはと思い込んでいたのかも知れませんね。人社会はそれだけ厳しいですからね。

でも、ハイヤーセルフという表現になってはいますが、

此処に来ようとした自分自身の『意図』を思い出すことなら出来る。その意図を遡って…遡って…いくと創造の源泉の『愛』に繋がっていることに気づく。

もう介在は必要ない。

そのことに気づいたのなら、即!実行あるのみです。

私たちはそれぞれ姿形が違います(まあ双子ということはあるにしても)。違いの分だけ多様な意思が働いていると思った方が良いです。誰かがいうことを鵜呑みにするのではなく、私たちは自分の直感と繋がる努力をした方が良いと私は思っています。

介在がすべていけないと言うことも実は言えないのかも知れません。何故なら聖フラチェスコがキリストとのコネクションを持ったように、祈りと瞑想と奉仕を糧に日々求道した聖者もいたのですから。


いずれにしても、

聖なる存在とは誰かを通さず、あなた自身の心とダイレクトに繋がりを築いて頂きたいと私は思います。

私も旅先で教会に足を運ぶことがあります。皆さんも私も教会で祈る時、ダイレクトに語りかけているのですよね。そして何かしらを感じる。

それで良いのではないでしょうか。



ハルマゲドンがどうの、アセンションがどうのと言う以前に、

いつの時代に生を受けようと、

私たちは私たち自身が天地を繋ぐパイプということに気づいた時点で人生は180度違ってきます。

私が心にこそ天国を築くと力説し続けているのは、

百の雷戒より、それが強力だからですし、想念が現実を形作ると知るに至っては何をか言わんやとつくづく感じるからです。




我こそは真のメッセンジャーと信じている人の主張は主張として、ただ…「自分の話に耳を傾けなければ、永遠に輪廻の輪を回ることになる」とか何とかいう人の話は鵜呑みにしないように。

まったく後を絶ちません、こういうパーフォーマーたち。




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(2016年12月27日記)

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