逆戻りに負けない心

Category : 所感

昨日『覚悟を決めることです』をアップしました。ここを閲覧している方は多くて200名くらい。皆さんに直接お会いしてお話したいのはやまやまなのですが、なかなかそうはいきません。せめてここからエールを発信していきたいと思っています。そう思うだけの理由が私にはあって…つまりこれはちゃっかり自分へのエールでもあるんですね。

意地ではなく秋晴れのような清々しさを心に持って、この時期を過ごして頂きたい。私自身もそうありたいと思いを込めて。



私は昨日、いない人の陰口井戸端会議からはそっと抜けて下さいと書きました。そして、決めつけでものを言わない方が賢明という主旨のことも書きました。しかしながら、それは多くの人には理解されにくいもののようです。私はそこでハタと考えました。

相手を批判するのは容易い。

相手の言い分も理解できる。

つまり決めつけでものを言うのは仕方がないことではないかという意見。確かにそれにも一理あるでしょう。しかしそこに同調する気にはなれないとなると…もう飛ぶ鳥跡を濁すとなってもその場を去るしかありません。TV討論よろしくケンケンガクガクしてまでもと思えるからです。

相手がどのような感性・価値観を持っているかは立ち入ってみないことには分かりません。まだまだ未知数である以上は空白を残しておく…先入観を差し挟まないようにしたいというのが私の考えなのですが、これがこれほど難しいことだとは思いもよりませんでした。
先入観で人をジャッジしても仕方がないじゃないか…だって相手はあなたのことをよく知らないのだからと言う。つまり逆の立場だったら、きっとあなたも同じように先入観でものを言うのではないですか?という…確かに無理からぬ言い分なんですよね。

彼女たちにとって私はまさに異星人なのでしょう。「普通は」ということで括れない考えを私は持ってしまったようです。

私たち人間は自分の経験値に基づいて人を見極めます。

経験値によって価値観を培ってゆく。しかしながら人は十人十色、人のことは『未知数』の括りと心得た方が良いように感じます。決めつけは失礼な話です。なので常に「心外!」だの「決めつけないで!」だのの騒ぎが絶えないのですけど、それでも人は…決めつけをやめようとはしません。やめようとしないどころか、それを「仕方ないだろう」と正当化するのですから話になりません。自分たちが自分たちの首を絞めているのに気づかないのですから。

人は自分とは異質な習慣を持つ人たちを「信じられない」とか何とか。日本国内でも異文化は存在する訳ですよね、TV番組『ヒミツの県民ショウ』はそれをよく表していると思います。

習慣・宗教・言語・肌の色…上げればキリなく異文化は存在します。その溝は埋められないと人は思い込んでいます。でも私はそれは埋められない『溝』ではなく、相手を尊重する距離感と思う訳です。違和感は埋めるものではなくて、相手のテリトリーを冒さないでいられる距離感と私は思う…。まったく異質な価値観と言えるのでしょう。

イイじゃないかと思う訳ですよ。異文化交流。皆が同じじゃつまらないですからね。

決めつけ体質もそうで。相手がどういう価値観を持った人なのかを知らずに決めつけて…もめてるでしょ?と思うんですけどね、実際問題。お呼びでない…これは私の力量不足も原因でしょうね。

人は真新しい考えを持つ人間を自分たちに引き戻そうとします。それには色んな理由があるでしょうけれど、ひとつには安心したいってこともあると思うんですね。足並み乱すなよとかなんとか。

でも私は生来の、はみ出しもの。それを何とか周囲に馴染もうとして無理を重ねた結果はどうだったのでしょう。もちろん公衆道徳は守って然るべきとは思います。思いますが、心のこと、価値観のことって人に押しつけるものでも押しつけられるものでもないはず。

もっと私たちは解放されても良いと思います。ただし人間関係、一時的にもギクシャクするのが覚悟ということのようですが…。

決めつけでものを言わない方が良いと発言しただけで蜂の巣をつついた騒ぎになる、それは習慣だからに他なりません。私の良しとするところは多くの人が習慣とするところではない。それに尽きるのだと思います。だからと言って私だけが正しい訳でも相手が間違っている訳でもないのです。

ただ…心の道、その方向が違っただけ。道は幾通りにもあるということだと思います。

ことは些細なところから始まるようです。それが次第に大きな流れになっていくのでしょう。気がつけば対岸は遠いということかも知れません。


多次元って、魂の有り様だけ存在するのだと思います。何故なら想念が現実を創り出すからです。

私は意に反して謝罪して後になって大後悔したことが幾度もあります。自分に非があるのに意地でも謝らないぞ!というのも違うとは思いますが(笑)、立場上とか状況で「あなたが頭を下げて事を収めた方が良い」とかはもう終了かなあと思います。

そういう人間関係に翻弄される生き方で私は何を成し遂げたというのでしょう。ふむ…心の痛みを知っただけでも意味はあるのかも知れません。

人を変えることは出来ません。

しかしながら、自分らしくあるための工夫なら出来ると思いますよ。例え一時期はギクシャクするとしても。人は親しみ馴染んだ習慣に人を収めようとするもののようですから。



私は羊の群れを率いる獅子ではありません。

私を含めて皆さんひとりひとりが人生の主人公なのです。私は少しだけ前を歩くと書きました。しかしながら私について来い!と言っている訳ではありませんし、言うべきでもありません。


今は魂の自立が求められ、本当に限りない喜びへと私たちは船出しようとしています。


私は私自身の心が指し示す方へと向かっている…その姿勢をこうして伝えているに過ぎません。

心のありようは人の数だけ。

皆さんに冒険心を強要するものでもありません。少し向こう見ずな私を見て頂いて「あれだけ無茶しても結構元気にしてるじゃん」でも良いのだと思うんですね。そりゃあ落ち込むこともありますよ。それでも逆戻りをする気持ちにはなれそうにありません。

変わり者…? 上等じゃないといったところでしょうか(笑)。





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(2016年12月27日記)

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