あの世に持っていけないもの

Category : つぶやき

映画『この世の先に』(原題『Nosso Lar』)全編観たいものですねぇ…日本語字幕付きで。皆さんの中には「観たよ」という方もいるでしょう。羨ましい。原書も何処か出版社が日本語訳出してくれないでしょうかね。『この世の先に』は死後世界の空白部分を埋めて余りある内容で、とても興味深いんです。

私たちの多くはアセンション情報に通じています。肉体を伴ったまま次元上昇するという説もインプットされて久しいでしょう。
マヤ暦やノストラダムス予言など当たったとか外れたとか騒がれるのは誰もが今の時代に唯ならぬものを感じているからかも知れませんね、中には興味本位な人もいるでしょうが。

さて

今日は「あの世に持っていけないもの」という題で書き進めようと思います。自分は「肉体を伴ったまま次元上昇する」と思っている人はスルーで良いかと思います。











『この世の先に』ですが、ダイジェスト版を観ただけで色々気づかされることがあって、今回のお題もその流れなんですけど、ふとかなり前に友人から紹介された…霊界通信…タイトル忘れましたが、それに死んでみたら自分のための家が用意されていて、お茶など振舞われた…茶器などかなり具体的な描写があって「ほ~」っと思ったことを思い出しました。『この世の先に』も霊界通信。死んだ人が死んでみたらという驚きと気づきの連続が描かれています。

思うに、霊媒を通して公開しても良いという上の許可があったためかと。要は下界(私たちの住む娑婆世界)の下々の者(私たちのこと)にインスピレーションや気づきをもたらす意図があったと思うんですね。

求めよ、さらば与えられん

まさにそのようだと思うんですね。えぇ…皆さんの中には『美しき緑の星』(フランス映画)という映画が配信されたのをご存知の方もいるかと思います。なんでも上映すると配信すると即!削除されるとか。一部の誰かさんたちにとって不都合な内容だから? として拡散が推し進められているようです。私ですか? 観ました。観て感じることは多々ありますが、いずれにしてもどの部分がヒットするかだと思うんですね。緑の星の住人である主人公の女性が誰も行きたがらない地球(笑、笑えない)に志願。行く先々で会う人たちが覚醒していくという内容です。きっとまた何処かで配信されると思います。
私は地球で出会う人たちが覚醒していく…人社会の「こうでなければならない」「こうあるべきだ」のタガが外れて

自由になる

様子がかなりのスペース描かれているのですけど、私が心地よいと感じたのは緑の星の様子でした。お金?それ何?という(笑)肉食しない。野原で気ままに就寝(気候風土が一定している「証拠)

緑の星の住人は遊びながら収穫し、皆で協議しながら何事も進めている

豊かな自然に感謝しながら活かされているを知るレベルのヒューマンたちの住処。政治はみんなで行う…皆が集って話し合いで進める…政治の理想が描かれています。ですが、この世界の人間の中にはこれを良しとしない輩がいるのでしょうね。本当に自由意志とはどの世界であっても、そこに住む住人の価値観や力関係が大きく影響するのを思い知るばかり。私たちの地上娑婆世界は

プラミッド階級制

国民という括りが選挙権以上の権利を持たされておらず、未だに税金を納める立場。この『美しき緑の星』は宇宙の何処かに存在するでしょう。監督兼主役の女性に降りたインスピレーション。そして、それは『この世の先に』もそうである訳ですね。

地上世界にも自由意志は貫かれています。権力と富の支配を強行する一部の人たちにも、それを良しとしない人たちにも、そんなこと思いもよらない人にも。
私たちは気づきの段階に応じてそれなりの価値観を持っている訳ですが、この娑婆世界の人間が発する雑音・騒音は「ひとりづつ喋れ!」と言いたくなるくらい統一性に欠けています。

この世界は

私たち自身が何者であるかを知る舞台であり、舞台を提供する地球は気の遠くなる年月それを感知し、宇宙意識もその雑音を感知し、今地球で何起きているかを知る。

あぁ今日は前置きがこんなに長くなってしまいました(苦笑)










今私たちがいる境域は、死後に持っていけないものへの執着心で溢れかえっています。脱衣婆という存在が死んだ人にあれこれ「置いて行け」「脱いで行け」と言うのだそう。彼女を菩薩と表現した人がいるんですけど、その心は(笑)そんなの後生大事にしてるから「堕ちる」身軽になれという仏心という訳ですね。
ところが霊界通信に描かれている「家が用意されていた」茶器など嗜好品もある…『この世の先に』では病院あり、看護師・セラピストあり、医療器具あり…と通信されています。これとても興味深くないですか?まぁそこが最上階ではないようです。上には上がある。娑婆世界の疲れや愚かな考えを

癒す

脱衣婆は決して美しい想像図ではないけれど、そうでもしなきゃ「手放さんだろ」という敢えての形相かも知れませんね。確かに菩薩かも知れません。

愚かな考えを癒す

正すではなく、癒す。それは「促す」ことに通じているんですね。『この世の先に』は本当に私に多くをもたらしました。私はまだまだと悟った次第です。

あの世に持っていけないもの

それはね

必要がない

既にある

この両輪が貫かれているからと思うんですね。それこそ

信頼

ということかと思います。私のラスボス(最後にして最強の敵)はフィルムカメラとカフェ(笑)それでも最近はだいぶ落ち着いては来ています。この世に居る間楽しもうと。なぜならフィルムカメラとカフェに心地よさを感じるから。『美しき緑の星』の住人が遊び好きなように、ね。そういえば、カフェはナチュラルな雰囲気が好み。ガーデンもそう。居心地が良いのは慣れ親しんだテイストだからなんでしょうね。アロマやハーブもそう。リーズ作りを始めたのもきっかけは「花かんむりみたいな」なんですね。私の深い記憶にそれらはあるのだと思います。

あの世に持っていけないもの

それは持っていく必要がないということなのでしょう。

私たちの住む世界は遠くとも近くともリセットされるでしょう。限界点に差し掛かっている…私はウェイクアップコールをかけるべく存在することをもう隠そうとは思いません。それだからこそ、まずは自分が行き当たりばったりの旅をしてきたのだと思う。何ごとも体験です。未熟さを思い知ったのも決して無駄じゃない。自分にできることを精一杯…そうやって生きる大切さも知った訳ですね。天は大それたことを私に望んではいない。

可愛い子には旅

私たちは持ち寄りで生かし合っているし、これからずっと先もそうだと思う。私は一方的に気づきをもたらす訳ではありません。何かしら、こうして気づかされることがある。

道標は私の中に、あなたの中にあり

それが外の事象とタイアップして、あなたを私を導いているんですね。




あの世に持っていけないもの



それは持っていく必要のないもの。あなたが何を欲しているか、何を心地よく思うか、あなた自身の内在神が知らないとでもいうのでしょうか?

信頼

それに尽きると思います。





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(2016年12月27日記)

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