Category : つぶやき

テンプレートを時々着せ変えてます。ご飯のは気に入っているのですが、気分転換を気が変わらぬうちに (笑)。自分でCSSですか?操作できればイイんですけど…これ!というテンプレートにお目にかかれずにいます。これからも時々着せ変えると思いますが、大目に見てやって下さい。



ところで…最近ふと感じたことがあったので書いてみようと思います。自分自身を含め、これまで出逢った人たち…人となるに至る過程に想いを馳せました。そして、私なりに行き着いた結論。私個人のものなのでいつもどおり鵜呑みにせず読み進めて頂きたいと思います。加えて「私のことを言っているんだわ」とか勘ぐったりしないようにお願いしたいと思います。



私は常々、自身の心の声を聞く大切さを説いています。
持論ですが、これは色んな人を観察していて痛感すること。それまでのプロセスにワークショップやセッションは必要に応じてあるものだと思うんですね。つまり精神世界のノウハウは通過儀礼というのが私の体験上言えること。むろん色んな段階の人がこの世界にはいます。自分のペースで進んでいけば良いのだと思います。

ところが新興宗教となると入口はあるけれど出口がない(苦笑)。辞めるとなるとひと騒動もふた騒動もあるケースや地獄に堕ちるとか何とか一瞥を加えるケース…「我々こそが正しい教え」思考は実に閉鎖的です。
信仰は自由。でも、何処かの新興宗教に所属するとガラリと様相が一変します。彼らには自分が信じるものが全て。それを取り上げる権利はこちらにはありません。

要するに「放っといてやれや」

一歩も退かない相手と議論してもエネルギーを浪費するだけです。これはひとつには『縁』の問題であり、教祖との間に魂の契約があるケースも。実際コードをくっつけられている人がたくさんいます。

依存傾向の人や過去世の因縁、霊視すると色んな人間模様が視えてきます。その両方の性質を持っている人はその縁を断ち切ったとしてもソワソワと次の対象を探し当てます…!私はその様子複雑な思いで見送ったことがあります。本人以外コードは断ち切れないということですし、端がオロオロしても本人はそうやって対象を見出した時がシアワセだったりするもの。要するに余計なお世話ってことかと思います。



さて…私たち魂が人となる過程ですが、



一部例外を除いて、皆、何らかの問題点を抱えていることに私は気づきました。え?takakoさん、何を今更ですか? それがそうでもないんです。私が辿り着いた結論は 何らかの使命を帯びた存在でもまったく問題がない訳ではない…それが彼・彼女をして人間転生に導いたということ。

あれ?私のこと? あの人のこと?と思いを巡らせてます? そういう考えは脇に置いて読み進めて下さいね。

実際この私もその中に含まれるんですよ。使命があって? いえいえ問題点あり、という部分。何も問題がなければ来る必要はなかったんです。私自身に越えなくてはならない何かがあった…だからこうしてまま成らぬ肉体に入って、まま成らぬ感情を体験しているんです。私が視る限りこれまで出逢った人に例外はいません。カルマがない=問題点がないとはならないのですよ。

でも、それってダメなことでしょうか?

完璧な魂なんていないんですよ。それを裏返せば伸びしろがあるとも言う個性があるとも言う。神様だって個性バリバリじゃないですか?もうついていけないくらい(笑)。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』なんて赤フンの大根のオバケみたいなのが描かれてましたよね。八百万の神々は実に多彩のようです。

地球、三次元娑婆世界が何故 魂の学校に指定されたかまでは私にも分かりかねます。宇宙人のDNA実験場だったとか諸説飛び出しているようですが、ここまで雑多な存在がうごめく世界って…!修羅と癒しが交叉してるんですよ。まったく支離滅裂です。

それこそが自由意志の着地点を探る…、結果は本人に受け止めさせようではないか、という格好のフィールド。自己責任を負えない者もそれなりの『次』へ移行する…まさに此処は魂の試験会場でもあるのですね。再試験に継ぐ再試験という魂もいるでしょう。

ここは過酷さと慈悲が混在する世界でもあります。この過酷さにも慈悲にも神の介入がある。

かわいい子には旅をさせろということなんでしょうね。なので色々としでかす私たちのために様々な教師やメッソドが降ろされたんでしょう。教育し甲斐があるとかないとか、鍛え甲斐があるとかないとか(笑)。

ところが人間はひと所に依存する傾向がある。ずっとずっと居心地の良いとつい留まる傾向があります。

そして、魂自身に実現したい何かがあることも指摘せねばなりませんね。問題点はある…でも、きっかけも最終決定も本人次第ということなんですね。



実に興味深いです。平たく言うと天の意思と個人の意志が行動実行されているという…人ごとのようですが、本当に興味深いと思います。



何らかの悟りを得た人も、霊験新たかな巫女体質も、転生以前の記憶を有していようといまいと隠された部分ってあるんですよ。その部分は前もって知っていると魂の成長の妨げになるから。これに尽きると思います。これは天の慈悲…スゴいことと思います。

私は抗(あらが)うのをとっくに辞めました。至らないことばかりで今さらカッコつけても仕方がない。第一すぐ見破られてしまいますって(笑)。正直に全て持って還る覚悟でいます。それでも自覚にないことを突きつけられるかも知れません。それが怖くて天に還れるか!なんてね(笑)。

思うように機能しない現実の元、そこを何とか工夫して活路を見出していく…醍醐味はそこにあるのだと思います。力量の限界もあるでしょう。それだって自覚できたのなら良しとしましょう。身の丈を知るのも学びのひとつではあります。

引き寄せの法・魂を浄化する4つの言葉・聖なる預言・チャネル情報・ヒーリングメソッド…、さまざまな教科書が私たち人間にもたらされました。
私たちはそれぞれに見合った指導者を必要とします。道を照らす灯火は心の支えとなります。そして、師はそれぞれの段階に応じて存在します。
それぞれの段階…そう、一つの段階で良しとする魂もいるでしょうし、更なる高みを目指す魂もいるでしょう。それでも私たちはそれぞれの指南やメソッドを授けてくれる人を一度は師と仰ぎ、そしていつかは卒業の時を迎える。まあ…卒業なんかしないぞ!という人は…置いといて。



私たちは自身の「来た理由」に辿り着く道を歩み、



辿り着いた人はその先を歩んでいくんでしょうし、まだ探している人だっていると思います。より進んでいるとか遅れているとかいう問題じゃないんですよ。来た領域が雑多に異なるんです。自分のペースを他と比べるても意味がない。

ここに来た理由を思い出した時、辺りを見回してみて下さい。

親子・兄弟・夫婦・仕事関係・友人などなど、自分も!配置されている人材であることが見えてくるはずです。意味ないと思える人間関係でさえ意味がある…つまり「ノーサンキュー」と意思表示の機会を私たちは得るのです。軋轢だってそこから学ぶべき点はある。

すべては『選択』の結果とプロセスの間を流通する事象。つまりA地点からB地点に行く間に色んなことがあってぇ、その経験値を活かしてぇ C地点を目指す・・・という感じ。

理由を見出した時点で目的の70%は果たしたと言えるかも知れません。後は抗わず「絶対妙なことにはならない」と肩の力を抜くことかと思います。渡り鳥のように飛ぶ時を知る、そんな感じかと思います。抗わず気流に乗り帰巣本能に委ねベストを尽くす。ベストを尽くすのと、リキむのとは違いますよぉ(笑)早まらないで下さいねぇ。

情報やチャネルで先を見よう見ようとしたり、自分探しに余念がない間は予備校に通っているようなもの。実践では決してありません!ましてやそれで食べて行こうとする人、結構いて…予備校の先生で世間はいっぱいいっぱいなんですけど、どうするつもりなんでしょうね。いえ精神世界界隈のことですよ。

神秘体験に魅了されるのもほどほどに。神秘体験は魔を呼び込む危険があります。魅了される心って隙だらけですから。



私は思うんですよ。本当の師ってどういうんだろうと。

俺についてくれば間違いないは論外…神の代弁者も「あなた何様!」と思ってしまう私ですが、それを必要としている人がいるのも事実。要するにそれぞれの主観に委ねられるってことですよね。難しいですね。

それぞれに何が必要で、今どういう状況にあるかをいち早く察知しても、肝心な時に突き放す人かも知れません。トライしてみろと。これまで培ってきたものを活かせと。

いずれにしても私たちは自分が「来た理由」を直感をアンテナに探す旅人です。

人生はとても価値ある旅。時には道に迷うことだってあります。そういう時、的確なアドバイスが出来て、手取り足取りせず、後は成り行きを見守る懐を持つ人が好ましいのだと私は思います。
私たちはそれぞれに問題点を抱えている。でも、それは決して恥ずかしいことなんかじゃない。成長するべく自身に課した宿題です。

キリストや仏陀は心の闇を照らす光明です。素晴らしい道標を私たちに残してくれました。でも、彼らふたりとも書物にはしていないですよ。説法はすべて口伝で行われたと言います。文盲の人にも分け隔てなく伝わるように。教典もバイブルも弟子が功績を後の世に伝えようと制作したものと聞き及びます。

善き人は自分を何かの役に立てたいと思うものです。それさえも利用する輩がいるのですから、私たちはその辺のことも含めて賢くならねばならないと思います。

私たちの多くは師を必要としています。でも、いつかは巣立たねばならない。人間だけですよ、後継者とか相続とか親孝行とか言って子供を信者を留めようとするのは。そりゃあ親孝行するに越したことはありません。高齢の親を介護する必要だってあるでしょうけれど。私も人の子の親ですからね、娘の厄介にだけはなりたくないと思っています。




ひょっとしたら、良き師とは「自分を越えて行きなさい」と見送ってくれる人なのかも知れません

完璧じゃない自分をさらけ出し「大丈夫」と胸襟を開いてくれる人かも知れません

厳しい目を向けてくれ、ここぞ!という時は褒めて勇気づけてくれる人かも知れません

良き師とは我を退いて、すべての中に創造の息吹を感じ取れる人かも知れません




厳しいことを言ってくれる人がいる間は大丈夫と私は思っています。いなくなった時は私自身が聞く耳を持たなくなった時なんですよ。

皆が発展途上。

今日の内容で何か引っかかる点があったという方…どうぞ、それを内省に向けて頂きたいと心から願います。誰か特定の人を名指した訳ではないものの、これまで出逢った人たち、私自身のことを含めて感じたことを書いたのは事実。逃げも隠れもしません。





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(2016年12月27日記)

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