懲りない人たちは

Category : 辛口ごめんなさい
更新まめな最近の私です(笑)。10月に入ったら例の『ご飯』に戻そうと思っています。また夏になったら入道雲もくもくの夏空テンプレートもイイかなと思っています。



ところで、
もう目の前から消えてもらいたいと思える人、いませんか?いきなりで恐縮なのですけど、まあ私自身がお呼びでないこともあると思うんですね。一応の礼儀はわきまえているつもりではありますが、合う合わないということもある。
それはそれとして、今日はいわゆるアセンション的に「ごめんなさい」な人とどう向き合うかという辺りを話題にしてみようと思います。

いつものようにこれは私のいち意見。参考程度に目を通して頂ければ幸いです。




懲りない人たちには色んな種類がある。例えば、

・お金に物言わせる
・虚偽癖
・人を陥れるためには手段を選ばない

私たちが住む人社会はごった煮社会。
同じ電車に乗り合わせても良い人ばかりとは限りません。
スピリチャルをかじると「私は波動が清まっているから、同じように清まった人しか縁がなくなってきている」とか何とか言いたがる人っています。いますが、その人はそういうプロセスにいるだけのこと。途中経過にはそういう時期もあるけれど、より不動の精神を培うためのお試しは常にあると心得た方が賢明です。

私たちは常に発展途上と知る謙虚な心を養う必要もあると思うんですね。見かけ謙虚では話になりません。そこは越えてしかるべきハードルと気づくことが肝要。山を下りて下界こそが修行の場と気づくのに似ていると思います。

ここ人社会はそんな生易しくはない。色んな人がごった返している、色んな価値観・欲が交錯する社会。
そこから私たちは改めて価値観を同じくする人が集う領域に移行していくのだと思うんですね。3次元は混沌としているからこその魂の学校。気分が悪くなる人とも短くも長くもつき合っていかねばならないこともある、そこから私たちは何を学ぶかが大切。かなり鍛えられますよね(笑)もうイイよと言いたくなるのだけれど、お試しは次から次にやってくる。手強いですね。最後まで気が抜けません。



私たちは今ラストスパートの時期に差し掛かっているようです。それは今期が人類最後のアセンションのチャンス。魂はそれを知るからこそ、こんなに詰めかけているのだとも言われています。

また地球にはそれに呼応するかのようなエネルギーも着々と届けられています。空気感が違うと感じるのはそのせいなのではないでしょうか。サポートは常にある。有り難いことです。

さて、
懲りない人は別名「学ばない人」とも言います。欲や何かに目が眩んで、せっかくの学びのチャンスを棒に振っている状態。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がそれをよく表していると思います。私は彼を菩薩と視ています。苦悩しながらも小説という形で私たちが何らかを感じる気づくきっかけを提供してくれたのですものね。

さて、
懲りない人とどうしても関わらねばならない環境にいるとして、

私たちはどう対処したら良いのでしょうね。

今日はその一例をと思いながらキー打ちしてるんですけど、私の拙い経験値からどれほどの答えを弾き出せるかは分かりませんが、

懲りない人は地上からはいなくなりません。そんなことはtakakoさんに言われなくても分かってます?ですよね(笑)
加えて、人というものは例えば・・・家族を大事にしても会社では冷血だったりします。なので一概には言えないのだけれど、自分にとって「痛い」人というのが対象にはなると思います。それでも大多数にとっても「痛っ!」という人もいますよね(笑、笑いごとじゃありませんけど)。

いずれにしても、
私に言えることは、人を変えることは出来ない。ならばと言うことで私たちは自分の心がけに着目するのだと思いますが、

要はワナワナと心を乱されないまでになれれば「しめた!」もの。そういう心を培えればと思う訳です、少なくとも私は。

そう事件は現場で(笑)。

本を読んでその気になるのは簡単です。あるいはワークショップでスピリチャルにドップリ浸かるのも。

そこで培った処を現場で発揮する・・・現場こそが魂の本丸。本もワークショップも予備校、予行演習に過ぎません。



相手が理解の範疇を越える場合は特に(笑)『自分の中心にいる』良い訓練になると感じました。実地訓練としてはまたとない好機。

関わり合う全ての人は私にとっては映し鏡。自分の心の有りようを映す鏡と思っていました。まだまだ発展途上ですから自己嫌悪に陥ることもありました。それも含めて人付き合いと思うんですね。仏の如くの慈悲心はまだまだありませんから、そうやって反応しながら未熟さを誤摩化さない姿勢が求められたように思います。

そりゃあ心の中で右の声と左の声が闘いましたさ(笑)。守護者に向かって「あんたたちには私の気持ちはわからない!」とかなんとか。でもそうこうするうちに見えてきたものってあるんですね。

何故そんなに心が乱れるかと言えば、

・底意地の悪い相手に腹がたっているから
・何故そういう魂の汚れることを平気でするのかと思うから
・どうして私はこういう人と縁があるのかと自分が情けなくなるから

と、まあ色々とりとめもなくある訳です、理由って。ところがある時、

こういう時こそ自己責任を果たす好機と気づいたんですね。これは大きかった。それは相手に対してではなく私自身に、なんですけど。

それはどういうことかと言うと、
いずれにしても私は相手から悪意のある行為をされたと憤り、相手に立ち向かっていったところで相手は非を認めるどころか・・・ということで傷ついた。こういうふうにパターンってあるんですよ。
このパターンは相手の首がすげ変わろうと続きます。実際そうなので否定のしようがない。悪循環だった訳です。

ところがある日、私は自分を大切にしていないことに気づいたんですね。私はもっともっと豊かな感性を持っていて、もっともっと大きいのに相手がどうのと引っかかっている。小さくまとまるな!いちいち七転八倒するでない!という心の声を聞いた気がしたのです。

私はもう一人の自分が小高い丘の上に私を立たせ「あなたの心は今、こうなっている」と見せてくれるのを感じてハッと我に返り・・・、これはアストロジーの方から聞いた話で深層意識に刻まれていたんでしょうね。

相手がどうのではなく、問題はすぐ反応する私自身にある。頭で分かっていてもなかなか切り替えって難しい。でも私は幸運にも自分の直感と繋がっていました。三寒四温ではあったけれど、現場で常に気持ちを立て直し続けました

そうして見えてきたものは自分も相手とは違う形ではあるけれど、エネルギーコントロールをしようとしていたのではないかと思ったんですね。半ば忠臣蔵よろしくの心意気になっていた。天罰下れ!くらいに思っていた訳です。

今現在、
相手は相変わらず偽善を繰り返しています。それも何だか遠いことのように感じました。私を含めて全ての人たちが学びの途中にあります。その学びを疎かにしているだけなんです、彼らは欲に目が眩んで。彼らなりの価値観に基づいて。

しかしながら隔たった距離は埋めようもありません。

この時期、学べなかった魂にはいわゆる存続の危機ではあるようです。それは罰とかいうことより、その生き方に相応しい結果がもたらされるというシンプルな宇宙の法則なのだと思います。

宇宙は呼吸を繰り返しています。大きく一気に吐き出す時が来た、今は大掃除の時期かも知れません。魂は成長の階梯にありますが、中には欲や権力の虜になってそこから出てこれないまでになっている者もいる、それも否定しようのない事実。

私にもきっとあのように学べなかった時期があったのだと思うと。あそこまでヒドいとは思いませんけど、感慨無量です。

もうそれだけ後戻りできないまでにエネルギーが高まりを見せています。



懲りない人に同調することのない心を培う。

培えた実感が感じられた時、私は彼らにではなく宇宙の計らいに感謝しました。私はキリストのように彼らの罪まで被ろうとは思いません。私はまだまだ未熟なのだと思います。

それでも、

全ての命には自己責任があることは分かります。請け負っても彼らには宿題が残る。私にも宿題は残ると知るに到った。

きっとそのずっと先に、

キリストの無償の愛があるのかも知れません。

ひとつの愛の形。



自己責任を果たすことは魂の成長の糧になります。何故なら、私たちは達成感こそが味わいたい奴ら。その醍醐味はかけがえがありません。

その最たるものが『愛』なのだと思うんですね。



懲りない人たちは、ここんとこが著しく不足してるんでしょうね。



本当に親心って「歩ませる」ことかも知れないと感じる今日この頃。

人のことより自分の頭の上の・・・かも知れませんよ。



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(2016年12月27日記)

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