私たちが自ら招いているもの

Category : 魂のご飯

これから書くことは決して目新しい内要ではありません。しかしながら、なぜ未だに「1匹の獅子が率いる大多数の羊」の図がこの世界を席巻しているか、霊感商売(チャネル・ヒーリングを含む)が成り立つのかの鍵。政治にしても経済にしても宗教は言うまでもなく、何故ひと握りのトップが世界を支配する機構が今も機能しているのでしょう。

どうして人はヒーローを期待するのでしょう?

逆に多くを率いよう、導こうという人が存在するのでしょう?

それとは相入れないデモクラシー…支配に抑えこまれてきた民衆が何らのきっかけで立ち上がる場面に私たちは遭遇、目撃することがあります。名もなき人々によるベルリンの壁崩壊や、ルーマニアの独裁政治チャウセスク帝国の末路…私たちはライブで目撃しました。奇しくもノストラダムスの予言がとり沙汰されていた時期。私ごとで言えば、予知夢を視て、それが現実に起きることに衝撃を受けていた時期でした。

あの時期は「めざめ」を促すエネルギーが人心を刺激していたようでなりません。当時聞いたところではたくさんの人が似た予知夢をみていたとか。

ひとつの区切りを迎えると同時に新しいシステムを模索し始めた時代と言えるのでしょう。混乱もありました。でも人々は何とか活路を見い出してきました。むろん権力が移行しただけの感はあるものの、より開かれた方へと人の意識が変化して行ったのは確かではないでしょうか。

私たちの多くが目に視えない世界<スピリチャル>へ導かれて行った時期とも重なります。

さて ここからが本題です。











確かに私たちは魂こそが本体。今は肉体を伴った世界に目的を持って転生してきていることを、多くが知る時代です。宗教とは関係なくスピリチャルは多くの興味を刺激。チャネル・ヒーリング等スクールビジネスも盛んの一途。それはもう雨上がりのキノコの賑わいです。神秘の技は大衆に放たれ、享受する時代となりましたが、人社会が紀元前から営んできた

1.地獄の沙汰も金次第(いわゆる癒し料)

2.選民意識(スピリチャル系日本人に多く見受けられる)

3.1匹の獅子が多数の羊を率いる(現在はその自薦他薦の獅子の数が半端じゃない)


は変わることなく営なまれています。何千年経ても尚、人間の比率は少数の権力と大多数の一般人のまま。神秘の技にはマネーがついて回っている(精神世界ビジネスがそれをよく物語っているのではないでしょうか?)。

何故なのでしょう?

答えは簡単。それは刷り込みが為されているから。

1.の場合はスクール・ワークショっプという習いごとの域のアマチュアが「金とるのかよ(『トリック』観た人ならわかる)」という時勢。

目に視えない領域へのアプローチが簡単に手に入るようになると同時に、地球の波動も大きく変動していったのは何とも言えないタイミングです。

方向はあながち間違ってはいなかった

それは<解放>と<移行>の流れが地球にやって来ていたため

敏感な人々や霊感が強い人々から始まったスピリチャルへのとり組みが波紋のように広がった。多くが磁力のように引き寄せられたということかと思います。
その中には「金銭を受け取ることをためらう人」へ「代価思想」をかざして「癒しもビジネス。食べていかねばならない」と指導する人が登場したことで精神世界は

紀元前と変わることなく「神の領域に人が介入して金銭を得ようとする」レベルに留まっていることが分かると思いますが…、話ついてきてますか~?(笑)居眠りしてます~?良い寝もの語りかしらん、私の今日の話(^^)

霊的にクリアな子どもは正直です。貨幣経済に染まっていませんから、「神の領域に介入して金銭を得ようとする」人々を「泥棒」と言います。ボランティアでは癒し道具も買えないし、生活していけないというのは

人の都合です。

これはこの世のお試しのひとつです。気づかない人が主流ですが。

30分1万円。1時間3万円とかいうチャネルセッションもある。これを「地獄の沙汰も金次第」と言わずして、ではないのでしょうか。それも素人がスクール修了書を掲げて癒し処を構えている場合が主流となれば、です。この様相をあなたはどう見ていますか?

食べていくため子どもを養うために癒し業という理屈で1時間に万単位の料金を設定とは・・・。時給800円、1000円でバイトしている人が世の中にはたくさんいます。でも彼らだって役に立ってますよ。癒しは高額請求し過ぎです。

役に立つこと

貢献すること

そこで1時間何万円という算盤をはじく

これ当然のことではないのですよ。何か都合の良い解釈の上に胡座かいてませんか?

バブルですね、思考回路が。

価値観の違い

この価値観の違いは小さくありません。知らない人、見ようとしない人が少なくないことに私はとても憂いを感じます。神の領域のことで人は商売をする、紀元前から変わることなく。

この垣根を越えることなしに地球(この次元)卒業はあり得ません。


なぜ、こういう事態が横行するかと言うと


魂そのものが持つ材料と言えば良いのでしょうか。持ち合わせた資質と、この世の仕組みが引き寄せ合って、人の人生、ひいては社会を構成しているから。例外はありません。

実は癒しに対する金銭受理に<ためらい>を感じるくらいでちょうど良いのです。「かたじけない」という思いが人を謙虚にします。この心から湧き上がる「かたじけない」という思いこそが精霊を呼ぶのです。

1時間数万円の何処に謙虚さがあるというのでしょう。自給800円で笑顔の接客している人の方がどれだけ善良か。



私はこのことに多くが気づかないことを長きに渡り、飽きもせず憂いています。もう目新しいことは何ひとつない。人の業にその答えはあったし、答えはとっくに知っていたという何というあっけなさ!

何故

「1.地獄の沙汰も金次第(いわゆる癒し料)」

「2.選民意識(スピリチャル系日本人に多く見受けられる)」

「3.1匹の獅子が多数の羊を率いる(現在はその自薦他薦の獅子の数が半端じゃない)」

に多くの人が甘んじているのか。紀元前から人は何故ここで足踏みしたままなのか。古壁にペンキを上塗りしただけの感さえあります。
人はそれぞれ…深い部分の望み…が磁石。磁石がこの世の有形無形なものの中からマッチするものを、自分の人生に

ウエルカムしている、招いている、理由はこの辺にありそうです。

表面意識の手勢でどう美しい言葉を並べようと、それは氷山の一角でしかない。都合の良い解釈をしたに過ぎない。

私を含め、この磁石の「引き寄せ」を越えて

見返りという人社会の習癖を手離なして

それからでなければ卒業はない。教室は何も地球だけではありません。



いやはや



私たちは門前の小僧のようです。取り扱い説明書を与えられノーハウを得ても尚その傾向にあります。霊視、癒しの技は今も商売の道具にされている。売り買いから席を立つことなしに娑婆世界の卒業はありません。

教室は無数にあります。

この不平等、片寄った比率(少数のエリートと大多数の平民)は私たちが脈々と受け継いできた結果。私たちが招いた結果です。私たちは心の何処かで自分ではどうしようもない辛酸(それも思い込みですが)から救ってくれる何かを待ち望んでいます。私たちは今だに心の闇をかかえたままです。

さて

スピリチャルにはお金がかかることを私たちは疑いもせず受け入れています。ただ(無料)で人の世話になるのはズーズーしいという頭があります。その一理が私たちの思考を足踏みさせていることを多くが知らない。その一理は

人が長きに渡って培ってきた刷り込み。ギブはテイクあって初めてバランスが保てるという刷り込みではないでしょうか?

今も神の技は売り買いされます。でも皮肉なことに聖母と遭ったベルナデットやファティマの牧童は貧しいままでした。釈迦とその弟子は托鉢で命を繋いていました。弟子の中には器が空(カラ)のまま…そういうのもあったでしょう(多分分ち合った)し、もてなしを受ける日もあったでしょう。それは

見返りを要求しないことを物語ってやしないでしょうか?

この道理がなぜ精神世界には通用しないのでしょう?その答えもとても簡単です。すべては私たちが招いていること。算盤はじいている間は何を言っても無駄ということなのでしょう。




私たちは常に選択して生きています。




気づいて手離す機会が来た人は幸いです。




「仕方ないじゃないか」「食べていかねばならないのがこの社会」と、1時間数万円を当然の代価とするスピリチャル人より、自給800円で笑顔の接客している方がどれだけ良心的かと思います。でも改めようとは思わないのでしょうね。自由意志の名の元に集う我々ですものね。

自由意志は持って生まれた性質により様々なドラマを生む。それぞれの気質が磁石となって引き寄せる、招く、現実となる。それと同じ仕組みで

世界が変わる瞬間がある

それは痛みを伴う場合が殆ど。それでも人は自分の代で陽の目は見ないかも知れなくても子々孫々に明るい未来に繋がるようにと、より解放へ向うようにと、努力するのだと思う。奇跡のリンゴの木村さんが話題になるのもそのひとつだと思う。

私たちは生まれ変われる

ベルリンの壁を越えた人たちは無名の徒でした。東西の壁を壊した人たちはその後、三々五々それぞれの暮らしへ戻っていきました。




気運が高まる時ってあるんですね。




私は少し皆さんがついてゆけないと言うか…「やってられねぇ」という方へ足を進めているようです。実際「あんた!先行ってて良いから背中が見えるところにいなさいね!」と言われたことがありました。マイノリティ道中あっちこっちとんがっての膝栗毛ってとこでしょうか(笑)でもね、もっと先を行っている人いるんですよ。

私たちは皆、私たちが自ら招いているものを体験しています。使命感でさえもそう。根本にその因子を持っています。
日本人こそが選ばれし民族と言っている人は根本「選民意識」を持っています。それが彼・彼女の生きる道。で、同時にそれは課題でもあるのだけれど容易に気づきません。





私は心から気づいた人は幸いと思う。





何かスッキリしない、何か今ひとつ自分、垢抜けない、イケテないなんて気分の人いますか?
霊的に何かビビっと来るものがないのでモヤモヤしてたりとかします?
それって案外必要じゃないから「来ない」「イケテない」のではないでしょうか?

霊的事実なんて死んでから、いくらでも視ることができます!

え?「私はライトボディでアセンションするから、今!霊的事実が知りたい」? でもね、あなたの目の前のご主人が、奥さんが、あなたの鑑に充分なってくれていると思いますよ、私。それぞ!霊的事実かも知れませんよ。それ以上知る必要が何処にあるのでしょう。皆さんスピリチャルに食指伸ばし過ぎです。『青い鳥』の寓話を思い出して下さい。

青い鳥は我が家にいたのでしょう?

あなたが今ひとつクリアでない気がするのは必要ではない何かに気が向いているからじゃないでしょうか?




灯台元暗し





気づいた人は幸いです。





ベルリンの壁を越えたのはヒーローではなく、普通の人々でしたよ。





あれは一匹の獅子が率いる大多数の羊から解き放たれた瞬間でした。私たちは歴史的瞬間を目撃したのです。私たちは自分次第で、あの時、解き放たれたエネルギーと共鳴することができます。






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(2016年12月27日記)

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