映画『アバター』

Category : つぶやき
しばらく出掛けてました。帰りの飛行機で映画『アバター』を観賞。スゴく心に響いたので、今日はその感想文を書いてみようと思います♪ またまたテンプレートのお着替えを(笑、分かる人には分かる)大目に見てやって下さい。(多分またすぐお着替えするでしょう^^)



さて…映画『アバター』ですが、
オスカー受賞も『タイタニック』に比べると寂しいものがあったようですが、興行収入ではかなりのハイペースで『タイタニック』を凌いだとyahooニュースで見ました。その程度の興味だったのですが、映像的にはかなり好奇心をそそられていて…なので「ラッキー♪DVD借りるお金が浮くワ」とか何とか(笑)結果は
「絶対!DVD買うぞ!」となった訳でミイラ取りがミイラに^^

まあそんなしょうもない話は置いといて、

この『アバター』は魂の絆と命の連鎖…コミュニケーションの物語だったんですね。映像3Dがクローズアップされていましたが、キャメロン監督ってメッセージ性の高い作品を世に送り出している…彼はメッセンジャーのひとりなんでしょか? 昨年だったか、CSテレビでキリストの墓を発見したとかでキャメロン監督がドキュメントを製作する意思があるとかどうとか…観た記憶がありますが、頓挫しちゃったんですかね。

まあそんな脱線話は置いといて、

アバターwikipedia では

時は西暦2154年。人類はアルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラで希少鉱物の採掘基地を開いていた。パンドラは地球の熱帯雨林を思わせる、密林に深く覆われた美しい未開の星であり、ジャングルには獰猛な野生動物たちと、ナヴィという人間型の種族が暮らしていた。ナヴィは3メートルの身長、尻尾ときらめく青い皮膚を持ち、肉体的には人間よりも身体能力が高く、研ぎ澄まされた感覚を持っていた。彼らは原始的ながらも自然と調和した暮らしを送っていたが、テリトリーとする森の奥には地球のエネルギー問題の解決の鍵となる希少鉱物アンオブタニウムの鉱床があり、人間との間で小競り合いが発生していた。
人間はパンドラの大気を呼吸できないため、屋外での活動にはアバターと呼ばれる肉体が用いられた。アバターとは人間とナヴィの遺伝子を組み合わせ作りあげた、ナヴィの容姿をした遠隔操作用の肉体であり、オリジナルのDNAを提供した操縦者が意識レベルでリンクし、まさに自分の肉体であるかのように操縦する。
主人公ジェイク・サリーは、急死した双子の兄の代役として急遽パンドラに派遣されアバターの操縦者を務めることになった。元海兵隊員の彼は地球での戦闘で下半身不随になっており、パンドラでの任務の報酬で麻痺の治療を受けるつもりだった。しかしパンドラでは、アバターのボディを借りている間だけ、再び歩ける体を取り戻すことができた。ジェイクは採掘基地の傭兵隊長(大佐)と出会い、同じ軍関係者の誼もあり、ナヴィを偵察する密命を引き受けた。
ある日、アバターとしてフィールドワークに参加していたジェイクは仲間とはぐれ遭難し、ナヴィの女性ネイティリに助けられた。彼女は若くて美しく、そして勇敢な戦士であった。部族の長老はジェイクの元戦士という経歴に興味を示し、ジェイクの教育と訓練をネイティリに命じた。それは当初、ジェイクにとっても偵察に好都合だった。しかし、ナヴィと共に暮らし、パンドラの自然の神秘を知り、ナヴィに受け入れられてゆくにつれ、ジェイクはパンドラにおける人間の振る舞いの正当性について疑問を持つようになっていった。
一方、人間側は採掘の障害となるナヴィの存在に苛立ちを強めていた。平和的な解決を模索するジェイクだったが、人間とナヴィの対立はやがて避けがたい武力衝突へ発展していった。


と物語のあらすじが載っています。

主人公ジェイクがナヴィの長の娘ネイティリに出会い頭、
「あなた(たち)はベイビー。何~んにも分かっていない!」とキツく言われる場面があります。要するに文明人 気取りでナヴィの人々を野蛮人と見下している人間の愚かさを指摘するんですね。でも、ジェイクはその意味を知る由もありません。機械を創造し操作して、戦闘にも長け、科学にも通じている。

まさに不遜きわまりない征服者なんですね、人類って。自分たちの欲するところに正義をふりかざす。

これはアメリカ開拓者がネイティブの人々の土地を不当に占拠したのを思い起こさせますし、ネイティブの人々を自分たちより下等で迷信深いと見下したことも思い起こさせます。文明の力を武器にする辺りも。

これ以上話すとまだ観ていない人の楽しみを奪うことになるので控えますが、キャメロン監督は映画という手法を用いて、如何にして多くの人に自分の思い描くビジョンを広く観てもらうかに心血を注ぎ、
映像で訴えながら観る人の心に何かしら「地球に生きる意味」や「共存し尊重して生きる難しさ」「生命の営みの神秘」などを灯そうとしているかを私は感じました。

それぞれが考える機械を提供している一人なのでしょうね。



この映画は私たちに自分たちも自然の一部であることを「宣言しよう」と言っているかのようです。

一番進んでいるように思っていたけれど、一番独りよがりだったと正直に認めようと促しているかのようです。

私たちは命の樹の一部と。



すべてに個性があり、すべてに様々な違いがある。それは違和ではなく尊重すべき愛すべき創造の産物なのだと。精神世界を闊歩し「全てはひとつ」「根っこはひとつ」とまるで真理を悟ったようなことをブログでつぶやき悦に入っている人をずっと以前見かけたことがあります。私は彼らに、

「ならば、ブログのような顔の見えないぬるま湯でなく、戦地でメッセンジャーをやれば?」と

「ならば、親を殺され復讐心に燃える子供に言ってごらん!」と

言ってやりたい!と思いました。まさに絵に描いた餅ではないか!自分が一番気持ちが良いだけだろ!と怒りさえ覚えました。



根っこがひとつ…と言えるのは痛みを知るものだけです。相容れないまでの環境に身を晒した者だけです。釈迦がそうでした。イエスがそうでした。

人って平常時は美しいことを言えるものです。まさかの時に真価が問われることをどれだけの人が知っているのでしょうか?キャメロン監督だって、自分の身が危うくなったら自己保身に陥るかも知れません。そんなこと誰にも本人にも分からないのですよ。

自分の身を投げ打つって、なかなか出来ることではありません。この世界には危険を顧みず突き動かされて支援活動をしている人がたくさんいます。

私は「みんな一緒」「すべてはひとつ」と言う前に大切なことがあると言い続けてきました。そんな私なので余計に『アバター』は響いたのかも知れません。



ナヴィの世界はお金が存在していません。すべては自然の一部。すべては循環する。



すべてはそれぞれに個性は異なろうとも「繋がっている」…繋がっていれども生命の種は無限大…このことを真に理解していれば、何故ナヴィの世界にお金が存在しないかが理解できるはず。

出どころはひとつなんて本気で思っています?

宇宙の星の数、魂の領域の数を知った上でのご乱心ですか?

無限大なんですよ!たかが数回転生したくらいで世界を知ったような、宇宙を悟ったような、魂の本質を理解したような、したり顔をするんじゃありません!やっと小学校を卒業するかしないかのレベルなんですよ。まだまだ義務教育は続くんですって、そこのあなた!



久々に吠えてますね(笑)



映画『アバター』の主人公の勇気、マイナスからだって出直すぞ!という決意のスゴさに、私は「まさかの時」に自分は勇気を奮い立たせて行動することが出来るだろうかと…気が引き締まる思いがしました。



平常時の悟りモードは緊急時、当てになりません。これ本当…!



アバターはフィクションですが、真の勇気が試される…人生ってそのように出来ています。







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(2016年12月27日記)

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