ネガティブとポジティブという認識

Category : 所感

スピリチャル業界では定説になって久しい『ポジティブ思考』。

ネガティブからポジティブへ!と奨励する人が絶えないということはそれだけ私たちが色んな悩みを抱えているってことですし…。何とかそれらを解決して「幸せになりた~い」という切実さが私たちにあるからですよね。そして、色々と渡り歩いてみたけれど、最終的には何ごとも「自分次第」と悟る…。そこで自分の心癖に着目するようになる訳で。そこでポジティブ思考が浮上するという流れ。

でも、ここで躓く人だっている訳ですよ。その人たちの言い分を聞いてみると「頭では分かっているんですけど、そうしようとすればするほどフラストレーションが溜まってしまって…。余計に自分を責めてしまうんです」と異口同音なんですね。

私はつくづく、鋳型は鋳型として奨励されるに越したことはないとは思うけれど、一人一人育った環境も性格も違うので、何ごとも一概に良いからと奨励するのは…と思いました。

皆さんがネガティブをどう受け止めているかは分かりませんが、今日ここで私はそれさえも『捕われ』ということをお話しようと思います。いつものようにすべては私個人の考え方なので、参考にして頂ければと思います。


ネガティブは否定的なエネルギー。確かにそうです。対するポジティブは何ごとも肯定的思考に裏打ちされています。確かに自己否定は人生そのものを色褪せたものにしてしまう。ありのままの自分を受け入れるために、ひとつのツールとしてポジティブ思考が奨励されるのも頷けます。
でもそれって世の中にワークショップ出のヒーラーが続出しているのと同じ匂いがします。何だかハンコを押したような思考パターンだなあと一種洗脳のような気がする私です。

掘り下げが浅い気がしてならない。

癒しってデプロマ持っていようがいまいが、サイキックであろうがあるまいが、あまり関係ないように思います。そんなことより資質の問題、人柄が最終的な問題と私は思っています。チャネルに頼るのも過ぎれば及ばざるが如し。

チャネル情報に100%の正確性は期待出来ません!

チャネルをする私自身がそう感じるのですよ。ソース(情報源)に依存し、情報を鵜呑みにしているのはチャネラー自身。私が知る限りでもガセ情報に翻弄されていたチャネラー、複数います。ギリシャ神話のアポロをチャネルという場面にも遭遇したことがありますが、何処かで読んだ範疇を越えるものは一切ありませんでした。つまりそれだけニュートラルでいることは難しいということです。加えてデプロマも当てにはならないということかと思います。


ネガティブに関しても、それは光と影が織りなすこの世と同じかと。光ばっかりだとそれはそれでシンドイと思いますよ、影ばかりでも困りますけど。

陰陽のバランスが肝心ではないでしょうか?

私たちが住む世界は光と影の両方が混在する世界。一方を否定してもなくなる訳ではありません。そのどちらも私たちの中にあることを『受け入れる』ことで、光が見えてくるに越したことはないのです。

何かと心配性な人がいるとしましょう。もっと陽気暮らししなさいと霊能者が言ったとしましょう。でも、上手くいかなかったら?
増々「私ってダメな人間」と自己否定に陥る危険性もはらんでいる。つまり、性格って魂自体に刷り込まれたもの。ここで暮らす限り、様々一喜一憂がある訳です。過去世からのものも合わせると膨大な量の情報が魂に蓄えられていることになります。その情報が私たちの行動パターンや人間関係に多大な影響を及ぼしている訳です。

心配性な性格には理由がある。無理からぬ諸事情を魂は抱えている訳ですよ。そこのところをマイナー思考な性格を『変えよう』『変わろうよ』というのがポジテブ・シンキングでしょ、違います?

それって一人の人間を一般論的な鋳型に押し込めるようなやり方ではないでしょうか?

十人十色なんですよ。啓蒙は啓蒙として、人ひとりひとりの個性や履歴を把握していない輩が選挙演説よろしく…はいかがなものかと。いえ、触れ回るのは自由。言論の自由な訳ですよね。
だからこそ、私たちサイドにそこんところを吟味する…情報は情報として自分なりに咀嚼するとか、パスするとか、もうそろそろ自分の感覚や直感で物ごとを選択する方向に向かった方が良いかと。

加えて言えることってあって、

心配性なのは過去にそうならざるを得ない何かを経験しているから、と考えられますよね。きっかけってあったはずなんですよ、必ず。大切なのはそこから先、

そこのところが思い当たって思い出したとしますよね。その時こそ自分を否定しないことが大切かと。その体験で痛みを知った。心に傷が生じてしまった。あるいは親から先生から友だちから自分の性格を否定されてしまった。でも、ここで気づいてもらいたいのは、

心配性でない人には心配性の人の心の叫びは伝わらないし響かない。分からないということなんです。そんなことtakakoさんに今更言われなくても知ってるわよ!とあなたは思うかも知れない。でも、その「相手の立場になって考えられない」ところに私たち人間関係の不調和があるのだし、無理解があるのじゃないでしょうか?

丈夫な性格の人には何かしら不安な性格の人の心は理解し難いものなのですよ。人は自分を基準に物ごとを認識しますからね。

私たちは違いを尊重することを学ばねばならないと私は思っています。自分が大丈夫だからと言って、伴侶も子供の友だちも恋人も大丈夫だとは限らないのです。

ネガティブとかポジティブとか言う前に、そういう微妙なサジ加減を心に留め置くことって大切と私は考えています。チャネル以前の問題なんですよ。頑固さもそうで、それは時に頑張りが利くという具合にヒットすることだってあるのです。一見短所と思える性格だって使いようですし、私たちは長所短所を合わせ持っている訳です。


多くのスピリチャルな人々はまだまだ掘り下げが浅い。波動を上げるとか色々熱心なようですが、そういうことが『目的』になっている風潮に私は疑問を感じています。だから、スピリチャルにお金がかかり過ぎる傾向があるのでしょし、ついソロバンをはじいてしまう人が後を絶たないのではないでしょうか。
デプロマや本、ワークショップや預言に依存している人、多過ぎです。すべてのそういった手法や能力はアシストにしか過ぎません。それはそれとして意義のあることではあるでしょうが、何故商業路線に乗っかっているか、誰も疑問に思わないって不思議じゃないですか?

盲信からも鵜呑みからも目を覚まして、少し距離を置くことも肝要かと思います。



いずれにしても、

この世は陰陽で成り立っています。

不思議なことですが、
光・光と自分は光サイドと主張している人ほど魔が入り込んでいます。それはネガティブは克服すべきものと囚われているからではないでしょうか。そういう「私は光のメッセンジャー」とかいうこと自体、もの凄い偏りですよ。だから肝心な心の仕組みが視えないのかも知れません。

ネガティブの対角線状にポジティブがある…、それは人の幻想です。

自分の中に光と影があって、その両方から魂は学ぶべきことがたくさんある。陰陽はヤジロベエみたいなものですからね、大切なのはバランスです。ネガティブもポジティブも同様かと。



自分の中に否定的なものを感じて、何とかしたいと真剣に悩んでいる方も少なくないでしょう。

老婆心ながら、私はあなたにこう言いたいと思います。

悩み…その辛さを通して、あなたは何を感じましたか?
何かしら感じ取ったと思うんですよ。その感じ取ったということ自体が大切なのではないでしょうか?

私は色々と失ってきたように思います。そして、一端に挫折も経験しました。でもね、痛みを知ることで思いやりをより深く心に植えるようになれたと感じているのですよ。して良いことと、そうではないことを知った訳です。魂が汚れるようなことはすまいと思えた訳です。
そして、喪失感から私は愛を育みました。失うことで命の尊さを知りました。

それらは否定すべき事柄などではない…そこに気づくことで視える領域があるのです。

それらは愛の入口へと繋がっています。

あなたは今はそれどころではないかも知れません。私の話は絵空ごとに聞こえるかも知れません。それでも私はあなたは幸いなのだと言いたいと思います。

あなたが今抱えている問題はジグソーパズルのピース。ひと欠片とて欠けてはならないピースなのだと思います。全体像は今は見えないでしょう。私にだって見えません。

何ひとつ無駄はないと言われて久しいですが、魂は体験から『貪欲に』何かを学ぶもののようです。魂は喜怒哀楽を通し、陰陽を通して、何かしらを体験しようとしているのですよ。

ネガティブVSポジティブ。善と悪。聖と邪。

人はそのどちらかであろうと思いたがるもの。自分は光サイドと思いたいものですが、全てはコインの裏表。私たちはこういったパラドックスに翻弄されてきた訳です。なので、謎を解こうとするエネルギーが満ち満ちて色々発信される、どの情報が正しいかに私たちは戦々恐々としたり、暗中模索してきたのですし…思い込みも仕方のないことかも知れないのです。

でももうそろそろ、そういうガイダンスからは抜けて、私たちひとりひとり、心と対話する必要があるのだと思います。ネガティブだって、体験しよう!という試みのひとつだったかも知れないのです。

魂は「ああ、こういう辛い体験をすると感情がこういうふうに乱れるのか…」と経験値を積んでいるようです。体験しないと何も語れないことを知っているんですね、魂は。

表面意識が「?」ということも、深い部分では既知なんですよ。
私たちは表面意識が「?」なのを良いことに(苦笑…笑えないんですけど)色々奔走してきた訳です。私も1時間8万円だかを外国のチャネラーに貢いだことも、痛い出費でした!
チャネラー情報は全てが正しい訳でも、全てがガセでもありません。鵜呑みは×、経験者は語る、です。


ポジティブ思考はそれはそれとして有効だとは思います。しかし、そこについてゆけない人がいるのも事実。全ては魂の資質に沿って考慮する必要があるということです。要は踊らされないこと。いちいち一喜一憂、反応しないということです。



突然ですが、
何故、聖母は悲しみの傍らにいると思いますか?

悲しみに出逢うことで心が深まり、心が養われることだってあるのです。

すべては一概には言えないのだと思います。なのでポジティブ思考についていけないからといって落ち込むことはありません。



そうそう昔、大黒天信仰している人がいて…毎日、下がり受けた神倶(?)を振って一心にご真言を唱えていたそうです。やはり陽気暮らしが提唱されていて。
ところが彼女「なんか虚しくなってきたのよね」とポツリ。大黒天信仰をとやかく言うつもりはありません。誤解のないように。

自分を浄化する4つの言葉もそうかも知れません。気乗りしないのに一心不乱になることはありません。フィット感も大切な要素なのだと思います。ご飯を食べるようにお風呂に入ると同じように暮らしの一部になれば大したものです。

何ごともTPOってことなんでしょう。


私たちは何かしら『体験』しようと意図した奴ら…なのですから。






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(2016年12月27日記)

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