「お・も・て・な・し」の裏で

Category : つぶやき

山本議員の処分問題って天皇皇族を政治利用した!ですよね?理由は。でも、オリンピック招致って安倍総理が乗り込んで、しかも皇族を巻き込んでの招致合戦だったのでしょ?それ政治利用ですよ。
権力者ってご都合主義ですね。自分たちには大義名文ががある。印籠がある、国家をあげて取り込む事業という。国家事業・・・時の首相が率先しての招致合戦に皇族を、は政治利用とは言わないんですね。リベート的かと。

さて

招致のスピーチで流行語にもなった「お・も・て・な・し」ですが、長年住み慣れ家・土地を強制的に立ち退きを命じられた人たちがいる・・・犠牲の上に立つ「お・も・て・な・し」事業ですか?

あのですね

オリンピックとは完全にビジネス。札束が飛び交う国家事業なんですよ。私は憤りを感じます。え?感動を国民に世界に与えるのだから、少々の犠牲は仕方がない?

あなた

もし、立ち退くのが自分だったら、どうですか?あなたの高齢の親御さんだったら?

人ごとなんですよ、そういう感覚って。

この世の人間は感動に弱い。その裏で生活も終の住処も失う人がいる

あなたはそれでもオリンピックは「お・も・て・な・し」事業と思いますか?

政治利用

時の権力者って本当にご都合主義ですね。




[ 転載 ]

<東京五輪>祭典の陰、転居迫られる「霞ケ丘アパート」住人
毎日新聞 11月5日(火)8時30分配信

霞ケ丘アパートは、戦後間もない47年ごろ整備された。板ぶき屋根のバラック建て長屋に約100世帯。柴崎俊子さん(86)は51年、結婚をきっかけに入居した。約30年前に死別した夫は当時、団地の管理人を務めていた。

 アジア初の五輪開催を控えた60年、都は「国立競技場周辺の古い町並みを一掃する」と建て替えを始め、アパートは鉄筋コンクリートの団地に生まれ変わった。5階建ての建物にエレベーターはなく、約50年がたった今は至る所にひびが入るが、柴崎さんは緑豊かな環境が気に入っている。「ここは涼しく、空気も違うね」。遊びに来た友人に言われるとうれしい。

 アパート取り壊しが表面化したのは昨夏。8月の住民説明会では反対が相次いだが、次第にあきらめムードが広がった。「抵抗しても仕方がないし……」と柴崎さん。都から渋谷、新宿区の都営住宅を中心に入居をあっせんすると言われているが、希望はまだ出していない。

 心臓にペースメーカーが入り、脚が悪くて歩くのもおっくうになった。でも顔見知りの住人は余ったおかずを届けてくれるし、病院に付き添ってもくれる。買い物の御用聞きもある。「引っ越しはつらい。一日でも長く、ここで暮らしたい」

 団地内の小さな商店街「外苑マーケット」でたばこ店を営む甚野公平さん(80)は、64年五輪の時も、住む土地を手放した。国立競技場に隣接する、今の都立明治公園がある場所だった。妻保子さん(79)は長男を背負い、長女の手を引き、数十人の近隣住民と徒歩で当時丸の内にあった都庁へ計画撤回を求める陳情に行った。

 立ち退きから2年後に霞ケ丘アパートへ移るまで、一家4人は兄の自宅の3畳間で身を寄せ合って暮らした。今度で2度目の立ち退き。五輪自体に反対ではない。でも、今ある施設をうまく活用できないものか。「五輪で泣く人がいることも考えてほしい」と唇をかむ。

 地元町会長の井上準一さん(68)は住民の胸の内を代弁する。「腹の中では動きたくないんだよ。でも反対したって『国の政策だ』と言われるし、最後は追い出されるだけだから」

 現在、高齢者らの転居条件について都側と協議を続けている。自身は渋谷区の都営住宅に引っ越す予定だが、マーケット内で営む青果店はぎりぎりまで続けたい。夕刻、たくさんのレジ袋を提げて高齢者の世帯に総菜を届けに行く妻の後ろ姿を見ながらつぶやいた。「ここは、どこにも負けない絆があるんだ」



http://jp.reuters.com/article/idJPTYE98I07O20130919

五輪決定の陰で「2度目の立ち退き」、国立競技場の建て替えで
2013年 09月 19日 17:59 JST
[東京 18日 ロイター] - 国立競技場近くの公営団地に住む甚野公平さん(79)が広げた白黒の写真には、都心にあった自宅の前で記念撮影する家族の姿が写っている。しかし当時の自宅はもうない。
1964年に開催された東京五輪の施設建設のため、立ち退きを迫られ、取り壊されてしまったのだ。そして2020年に再び五輪が東京にやってくるのを前に、甚野さんはまたも立ち退きを迫られている。
前回の東京五輪で、開会式と閉会式を行った国立競技場は現在、建て替えが予定されている。それに伴い、甚野さんと妻が暮らす国立競技場近くの公営団地は取り壊しの対象となってしまった。
甚野さんは五輪との「つらい縁」を感じたという。「国にとってはいい縁かもしれないが、わたしにとっては、ここから離れるのはいやな思い出になる」と甚野さんは胸の内を明かした。
甚野さんは現在の国立競技場の近くで生まれた。第2次大戦中に自宅を焼失した甚野さん一家は、元の家があった場所から20メートルほど離れた場所に居を構え、そこでたばこ店を始めた。
しかし64年の東京五輪開催が決まると、他のおよそ100世帯とともに立ち退きを求められた。たばこ店を続けられなくなった甚野さんは、狭い部屋で妻と2人の子供たちと暮らしながら、洗車の仕事でどうにか生計を立てていた。65年に現在の団地に移り、たばこ店も再開することができた。
それからおよそ50年、甚野さんは再び立ち退きを告げられた。
住み慣れた家を離れなくてはならないということは、甚野さんにとって「宝物がなくなる」のと同じことだという。「五輪のために地域とのつながりがなくなってしまう不安、寂しさ、つらさ」を感じると甚野さんは話す。
来月80歳になる甚野さんは次に住む場所の当てもなく、途方に暮れている。甚野さんの団地にはおよそ200世帯が居住しているが、多くは高齢者で同じような悩みを抱えているという。
「100年に1回なら我慢もする。100年に2回なんて言うのはとんでもないこと。こんなことはなくていい」と甚野さんは憤りを隠さない。


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(2016年12月27日記)

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