闇と闘う人々

Category : 辛口ごめんなさい

自称他薦を問わず「今、私は光の戦士として闇と闘っている」と言う人、ワラワラいると思います。私はつくづく愚かな人たちだなあとため息を禁じ得ませんが、それが何故かを今日は書いてみようと思います。

森羅万象ことごとく陰陽で成り立っている

これは光の戦士も知るところでしょう。では何ゆえにこの世は宇宙は陰陽で成り立っているのでしょう? 私は分からないから問うている訳ではなりませんよ。相変わらず感じ悪いでしょうけど、余りにも光・光と大騒ぎして有りもしない闘いに興じている人が多いので、そういう人に皆さんがフラフラと引き込まれないようにという老婆心・・・え?増々感じ悪い?

まぁそれはそれとして(笑)

この世にいる人間の中で純度100%光の存在などいません。長所欠点どちらもあるのでしょ?長所だけの人っているのでしょうか。そういうふうに見受けられても本人は反省材料を持っているものです。心澄み渡るほど自分の心の有り様は見えるもの。至らなさも身のうち。

自己正当性を誇示する人は

そうですね

光の戦士も私に言わせれば、自己正当性を誇示する人となってしまいそうですね。事実そうだと思いますよ。もうちょっと踏み込んだ見方をすれば、灯台下暗しな残念な人とも言えそうですし、修行が足りんわい!ということにもなりそう。

その人たちは外に『敵(闇)』がいると日夜奮闘している訳ですよね?世界を救うとか人類を救済するいう名目で。でもそういう人に限って『頭の上のハエ』が全然見えていないんですよ。そういうふうな思考になって行ったプロセスには家庭環境や心癖が大きく横たわっているでしょうし、その他諸々色々あるのだと思います。

しかしながら『敵(闇)』は本人の中にこそある

そのことに思い足らないから、光~光~と熱心なのでしょう。つまり未熟者ということです。手厳しいですか? そうでしょうか。私はこの手合いの人たちはタチが悪いと思っています。だって人を仲間を呼ぼうとするでしょ?

実際の闇は自分自身の想念こそ

なのですが、そこには目もくれず一心不乱に闇(と彼らが決めつける)と闘っているという、このテンションがすべてを物語っていると私は視ています。キリがないんですよ。魑魅魍魎は彼らより百戦錬磨ですし、かえって喜ばせているかも知れませんよ。「わ~い!ノって来た!ノって来た!」ってね。

光の戦士は、戦士と自称するだけあって『闘争』にチャンネルが合っています。

すべては周波数ですからね、彼らはある意味で自己実現している訳です。

自分を『光』とする条件付きで

外に敵を見出しているうちは彼らの闘争は終焉をみないでしょう。いや、それこそ彼らの望みなのかも知れません。闘う相手が、正義を揮う相手がいなくなれば、また新たな敵を見出そうと彷徨うのでしょう。

際限がない・・・これこそ<Never ending Story>彼らの闘争は未来永劫継ぐのだと思います。

想念は生きものの数だけあります。人間だけではありません。そして、想念は幾重にも層があり、それらが関わりながら世界を形作っています。人間間でも様々な価値観があり、犇めき合っている訳ですよね。そこにチャネル文化<誰でもワークショップさえ受ければ、チャネラーと称する時代>が根付いた。これには弊害もあるが、益もある。ただ誰もが見過ごしているのが

今の精神世界ビジネスは通過点なのだけど

依存者が後を絶たない点

目に見えない世界を商売にする人も後を絶たない。人助けで商売をする人も後を絶たない。そうこうするうちに自分を光の戦士と称する人々がワラワラ出没。これを末世と呼ばずしてと私は思います。

えっとですね

自らの中にこそ陰陽があり、均衡を保つ

悟りのひとつにそれがあります。

あらゆる葛藤はそのための試金石になり得るという事実に合点がいかぬうちは覚醒はありません。葛藤を手放さねばアセンションはないとするアカシックリーダーもいますよね。しかしながらその人物が言い放った予言を信じて人間関係に支障を来した人に「葛藤を手放しなさい」と言える神経こそが問題と私は視ています。
確かに信じた人にも自己責任はあります。しかしながら発言したことはすべて本人に還るのも事実。ここにも生きている間が華だったという種の人間がいると言えそうです。

葛藤は手放すというより消化するというのが魂的にしっくり来ると思いますよ。罪の意識を持つことなく発言を繰り返し、影響力が多大な場合は影響した履歴が伴うということです。本人が無葛藤でも、です。

私たちはだからこそ直感が持つ可能性に立ち戻った方が良いのです。チャネルもリモートビューイングも異界に通じる方法ですよね?

どうしてでしょうね。どうして自分自身の内面としっかり繋がろうとしないのでしょう。光と闇という構図に執着している人も外ばかり見て鉄拳をふるおうとしている。それも確かにひとつの世界観ではある訳です。でも全てではない。

人類の集合意識の中にはこういう片寄った想念の暴走も含まれています。

陰陽はそれぞれに個性があり、闇があるからこそ光が際立つという側面もある訳ですね。相身互いなんです。その相身互いが私たちの中にもあるということです。

互いに育て合っているということ




闘っている間は



魂の成長もありません。厳しいようですが、捕われの極ですからね。バランスを尽く欠いています。



陰陽あってこそ



私たちはそのチャンスの中で活かされています。



「余りにも光・光と大騒ぎして有りもしない闘いに興じている人が多いので」と私は書きました。矛盾してると思います?
光の戦士が闇は自分の心にこそあると気づいた時、彼らは敵が消滅するのを視るでしょう。だって初めから闇と闘うという想念が引き寄せた世界。そこに周波数が合っていただけですし、周波数が合わなければ縁のない世界なんですから。



全ては自己責任 これに尽きます。




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(2016年12月27日記)

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