神童

Category : 辛口ごめんなさい

アセンション啓蒙者のひとり浅川嘉富さんが講演会などで話題にしている「和宏君という少年」ですが、かなりの超能力者ということですね。ご存知の方も多いでしょう。

<超能力=素晴らしい人格者>とは露ほども思っていない私ですが、この少年に関しては違う意味で微妙な気がしています。以前、知り合いだった方のお子さんに和宏君と同じかそれ以上の霊能力の持ち主がいました。ですが、残念ながら能力がそのお子さんを純粋なままには置かなかった・・・子供ゆえに心に忍び寄るものに無防備。
いつしか自分の能力が素晴らしいと自覚するようになります。大人でさえ難しい訳です、自らを諌める心を養うのは。私は「和宏君という少年」を周囲の大人たちがどう育てていくかに懸念を持ちます。老婆心でしかありませんが。

神童

子供を賞賛して育てることは決してその子のためにはなりません。特別視は自惚れが入り込むきっかけになる。すると心が育たなくなる・・・それは大人とて同じではないでしょうか。よほどの神格が備わっていなければ、自尊を乗り越えるのが如何に困難か。それは容易に想像できるのではないでしょうか。何かしら秀でる者にとって人生とは己を濁りなく見つめ、心を養う機会でもあるのです。霊的であれば尚のこと。

今日は能力者として子供を育てることの愚かさを説こうと思います。



私が何故そう懸念するかというと「「和宏君という少年は子どもの龍」という部分。子どもの龍・・・つまり未熟な魂であることをそれは物語っているためです。
皆さんも多分ですが、希有な能力に目が行くのではないでしょうか。和宏君の周囲の大人たちも舌を巻き驚愕しているようですね。過去、やはりアセンション啓蒙者が世間の穢れから遠さけて大切に育てた少女がいたそうで

成人後、満を持して霊能者として活躍するようになった。ところが毎回言うことが違うだのクレームが上がるようになったという例があります。

能力者として子供を育てるとは

子供の意識に<色>をつける・・・大人の価値観を植えつけることにもなる。

子供は容易に染まります。

子供に能力者だという自覚が生じる。そして、それを律する(コントロールする)術を本人も他の誰も知らぬまま歳月を刻むことになる。
ましてや目に視えない世界のこと。子供は視るまま聴くままを信じます。子供も周囲の大人も心の有りようで視るもの聴くものの次元が異なる現実を知る由もありません。従ってどんどんまつり上げる道へ進むことになります。



和宏君は「この三次元世界の地球と「神界」を行ったり 来たり自由自在にできるので、天照大神、国立常尊という神々にも会うことができる」そうですね。ですが、

<国常立尊=伊弉諾尊=高木神=神魂尊=天照皇大神>これは名称こそ複数ですが、つき詰めれば同一神という図式。これを念頭に置いて読み進めてみて下さい。

UFO墜落の際、「米国の攻撃を避けるためにあえて火口に墜落した宇宙船を和宏くんは神界に赴き、「国常立尊さんと一緒に彼等を救出してきた」」 と言ったという話や、3.11の際にも「福島第一原発にUFO目撃談があり、和宏君は彼らと一緒に放射能軽減のために奔走し、かなり体力が消耗していた」という逸話も出ています。

国常立尊?はて。

3.11後の放射能汚染は今も深刻ではないでしょうか?軽減とはどういうレベルなのでしょうか? まぁ今も漏れ続けているようですが、汚染度は当初から変わりないのが現実ではないでしょうか?
浅川さんの元には3.11の際、闇の組織が仕掛けた水爆4個のうち1個を止めたという女性の話も本人からもたらされているのですよね。

いずれも本当だとしましょう。「それがなに?」と私は言いたいと思います。まるで劇画かSF映画のような筋書きのようです。いずれも幽体離脱の類いですべて行なわれたという主張のようですが、こぞってエキサイトしているのが手に取るように伝わってきます。それらの話が事実として少し吹聴の匂いがしてなりませんが、いかがですか?
知り合いのお子さんは幸い母親が賢明だったため増長に歯止めが効きました。自惚れが生じるとオートマチックにそれに見合う周波数が生じます。従って本人の自惚れを心地良くし、引き込む質の存在と縁が結ばれるようになる。

親や周囲の大人が自分を特別視するのを子供は敏感に察っします。この世の要はどう心を育くむかにかかっているのですよ。幼ない魂が受肉するには何らかの意図が隠されているのだと私は経験上知っています。本人にそこまでの自覚はありません。つまりこの点では私たちは一線上ということかと思います。

能力より尊いことが転生した以上はあります。それは高ぶる心を鎮める気骨を育む師との出逢。そして、試練です。
龍神の魂には国の長に登りつめた歴史上の人物が数多くいます。彼らは皆、幼少期苦労をし、師に出逢うなどしてイバラの道を極めています。





師なくして賢者なし





賢者=能力者とは限りません。子どもの龍が娑婆世界に来る・・・それこそ可愛い子には旅ではないでしょうか。実際に会わねば分からないこともありますが、無邪気ゆえに

その龍の子にはこの試練の大地が必要と神界は意図したのかも知れません。無論、救済の意図もあるのでしょう。しかしながら、果たして

宇宙存在は龍の子の助けをどうしても必要とするでしょうか。

そんな脆弱さでどうやって地球に棲む命をいざとなれば救済すべく集結しているというのでしょう。


この世界は<気づき>のフィールドです。天使でさえ転生してきていますが、心に問題がない訳ではないし、宿題課題がない訳ではありません。私もそうです(ちなみに私は天使でも龍神でもありません)。

どの魂も例外なく自己を鍛えるため、あるいは宿題があって此処にやって来ています。金星から来たというオムネク・オネクですか?彼女もそう自身のことを書いていますよね。ましてや和宏君は子どもの龍。存在自体が<子供>だからこそ無邪気に武勇伝を喋って大人たちを驚かせているのでしょう。
私の老婆心は身近かに能力があるという自覚のあるお子さんがいたためですが、同じ匂いがします。そのお子さんは母親にだけ話すのみでした。知りあってからも私には一切武勇伝はしませんでした。そのお子さんは賢明だったと思います。自惚れが生じて妙なものを引き寄せたことを知り、小さいのに懸命に自分と向きあいましたから。




私たちはそれぞれに不思議な子供の存在から何に気づこうとしているのでしょうね。興味のない人もいるでしょう。いずれにしても、子育ては親や周囲の大人の心を鍛えます。能力もギフトですが、心を

そうです。誰もが心を持っている

それこそがギフトなのではないかと私は思ったんですね。心ほど鍛え甲斐のあるものはありませんから。鍛えられるって痛みを伴います。心地良いことばかりではありませんよね。辛いことからも私たちは多くを得ることができます。

すべて

なにごとも私たち次第なんですね。詰まるところ。

不思議な話をする子供たちの数が尋常ではないようです。と言うことはその周辺の大人たちの資質をも試されていそうです。


この世の神秘は

実は

私たちに心が備わっていることのように私は思う。

目に視えないけれど、確かに「それはある」(笑)

愛を体感する

目に視えないけれど、確かに「それはある」

愛は私たちを介して育まれるものですよね。



得難い機会を私たちは得ているのではないでしょうか?



どうか そのことを心に置いていて下さいね。






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(2016年12月27日記)

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