最近ほぉ~と思ったこと

Category : つぶやき

時々閲覧しているブログにヤスの備忘録があります。バレンタインディの日付で更新されていた記事に以下の文がありました。


2012年が大きな転換に時期になるというのはその通りだと思う。しかし、それはニューエイジ系の思想が語るような奇想天外な話ではないのだ。

以前にネットテレビで、プロジェクト・キャメロットというニューエイジ系で有名な番組を見ていた。その番組では、2012年に何が起こるのか複数のゲストを招いてシンポジュームを行っていた。

そこで、2012年にはアセンションが起こり、条件に適合した人々は別の次もとに移行するのだという。移行すると、テレパシーだとか瞬間移動だとかすばらしいものがすべて手に入るという。

番組では聴衆のある女性が「いまアセンションできるように一生懸命に努力している」と言っていた。

だが、このようなニューエイジ系の思想は本当に馬鹿げている。私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。



この部分を読んで「ほぉ」と興味が湧きました。特に


私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。


この部分。多くの人は答えを求めて、悩みを解決したくて、様々な門を叩くけれど、ちっとも解放されてやしないことを常々感じているせいと思います。何から解放されていないかと言うと

自分の捕われ

例えば、暴力亭主の妻がいるとしますよね。彼女は自分を被害者と思い定めており、ご主人を加害者と、如何に「ダメ人間」であるかを「証明」しようとしている自分に気がついていないケースがあります。一人や二人じゃありません。
これ、心理療法的には「共依存」というそうですが、まさに双方に依存体質があるのは否定できません。
子供が「私はお母さんを救うために生まれてきたんだよ」と言うんです~とかどうとか言い始めたら、自己憐憫に拍車がかかったと思った方が良いと私は思うんですけど、厳し過ぎますか?そうでしょうか?
子供はね、親の顔色を見ています。親が気に入る言葉をかけようとするところがあるんですよ。身に覚えありませんか?私はあります。ましてや親子ともに未熟なれば尚のことではないでしょうか。

縁は魂が決定したこと

それには深~い理由があるとあなたは人ごとなら良き理解を示すかも知れない。でも自分のこととなるとそうもいかなくなる、それが人間というものではないでしょうか。

つまり

自己正当

この思いはなかなか手放せるものではありません。ここから解放されるとどんなにラクか…自由を謳歌できるか分からないのに、人はなかなかそれを手放そうとはしません。

何故か

答えは簡単です

自分がかわいいから

でもそれは魂の意図…自身の成長のために意図したところから逸れる心癖な訳です。自分を大切にするのと自己憐憫は一致しませんよ。そこをクリアしなければ

先に進めないことを魂は知っています。深い部分で知っています。なので、克服すべき環境に転生して何とかしようと試みるのですが、如何せん…自己憐憫は手強い。握りしめて手放さない気、満々な人がおおかたを占めています。

自分がそうとは気づかぬままに

誰かが少しでも自己憐憫を自分から奪おうとすることを諭したとすると「それじゃ意味がない」とか何とか主張し始めます。これ実際にあることなんですよ、架空の話ではありません。

いわんや

魂の意図は霊能者とて見抜けないことがあるんです。霊能者とて人の子だから…それだけじゃありませんよ。目に見えない存在はそういうことに長けています。わざと開示しない場合がある。それは魂の成長にならないという配慮だったりするんです。霊能者とてその枠内。視えることって限界があるということを皆さんはもっと理解した方が良いと思います。

本人が気づく

それ以外に道はない

だって体験して気づくのが人生の本望ですからね。人にお伺いを立てて答えを欲しがるのも「いい加減にしませんか?」ということだと思うんですね。それもお金払わなきゃ視てくれないんでしょ?地獄の沙汰も金次第という段階はまさに

輪廻

堂々巡りの極かと思います。だって魂は「できない」ことを意図しません!そのことをすっかり忘れてやしませんか?常に等身大の目標を掲げて転生の機会を押し頂いているんです。

自分で達成するんだ!

という志あって初めて転生は成立するんですよ。人にお伺いを立ててどうするんですか?よしんば、アドバイスを受けるは仕方なしとしましょう。しかしながら敵(失礼!)も然る者なんですよ、容易には突破させてくれないようにできている…違います?

様々な教訓的書物を読んでも実践が伴わない、そこの、あ・な・た!あなたのことですよ!「ほぉ」とか呑気な顔して読み進めている場合じゃ~ない(笑、笑いごとじゃありません)

家族に「ごめんなさい」も「ありがとう」も言えない人いるんですよ。霊能力がかえって邪魔な人もいます。言ってあげりゃぁ良いのにねぇ…ありがとうって。

他者批判ですか?そうでしょうか?

精神世界系の人に

人を批判すれば、自分も批判される 従って自分は人を批判しないという論法を展開する人多いですよね?

でもそれなら何故、学校教育にホームルームがあるんでしょうね。「僕は**さんの意見には反対です」と手を挙げ、そして持論を展開する。色んな考え方があって、ホームルームって教室にいる皆が考える機会…ではないでしょうか?あるいは「Aさんの意見に賛成ですが、Bさんの意見は違うと私は思います」とか。

日本人は意見を交えることが不得手なのかも知れません。確かに意見を交えるって勇気が入るし、人間関係に亀裂が走るかも知れません。

でもね、一歩足を前に出してみると

本音でぶつかることの大切さってあると思うんですね。批判すれば批判され返されるって、一見平和主義に見えますが、それって「自分、批判されたくないっす」ってことでもあると思うんですけど、いかがですか?

良いじゃないですか。本気で意見しあって、相手と本音の話をする・・・そういう心の環境ってなかなか整うものではありません。絶好の機会と私は思う質。だって見て見ぬふりが得意な日本人。意見をぶつけ合う現場を目撃すると存在を消したり、巻き込まれないようにする様子を見ます。

人間は完璧じゃありません。だから意見を聞くということも時に必要ではないでしょうか。例えそれが批判100%だとしても、それが的を得ているとなれば、批判も「有り難い」ことだと私は思うんですよ。

謙虚さはそういうところでも養えます。相手はね、あなたがそれを受け止めたら、矛を収めます。なかなか認めないから「諍い」になるのでしょ? いつまでも意見され、言い争いが絶えないんでしょ? 

批判はしない。その理由が自分に批判の矛先が向かうから、という

それを「平和主義」と捉えるのもひとつでしょう。スピリチャルな悟りとするのもひとつでしょう。しかしながら意見を戦わすことを避け、相手の目を見ずにいるってどうなんでしょうね。そういうことを言う人の人脈には9.11事件の真相を炙り出そうと熱心に運動起こしている人がいたりします。

まこと人の心とは灯台下暗し

takakoさんは重箱の隅を熱心にホジホジ…笑。

批判はしない=自分も批判されることになるから

その心理にも進化が求められているように思う私。

結局は自分に返ってくる

良いじゃありませんか。だって自己責任ですからね、すべては。相手あって発した言動に責任を持つ…それができないのに勝手に言いたい放題、その後は言い逃れに走る、そういう人が多いから知ったかぶりなスピリチャルが横行するのかも知れませんよ。キツッ!ですか?
まぁ言いがかりということもありますが、それを見抜く心眼も必要ということかと思います。すべてはTPOかと。

人を批判すれば自分も批判される

そういう図式から一歩抜けてみると見えることってあります。裸の王様ということもある訳ですよ、世の中には。こういう達観があっても良いと思う人間がこの世にはいる

そう発言する人間が、ね

えぇ私のことですよ。大袈裟に言えば、これは宇宙に向けての発信ということでもある…この世のことはすべて此処に生きる生命体の想念ありきで、現実化しているのですよね?
アーユルベーダで、素粒子は静止している状態だが、何かがそれに「意識」を向けると「動き」が生じるというのを読んだことがあります。私は「まさに!」と合点がいったんですね。
すべてこの世の事象は此処に生きるものすべてを反映しており、今アフリカで起きている革命の飛び火も、充分な数の…意識とタイミングが合致したということだと思うんですね。コップの水が溢れ出すように。




批判されたくない心 
エジプトの退陣させられた形の大統領もそういうふうでしたよね。最後まで…いや今もブツブツ自己保身していると思いますよ。



この心から自由になれれば、鬼に金棒でしょう。目指す価値充分にあると思います。もしあなたが批判されたくないという気持ちを持っているのなら正直に「批判されたくない」と意思表示した方が良いと思います。でも認めたくないけど。「この人はそういうふうに私を思っていたのか」と理解する心が芽生えたら、もっと視野が広がるのは確か。もしその意見に言いたいことがあるのなら「意見ありがとう」と。「でも私はそうは思わない」とか「検討してみるね」とか対処は色々できると思います。

私は娘にそれを教わりました。彼女は私が聞いててもイラッとするような父親の辛辣な意見を決して否定しません。言い返せばイイじゃんと思う時もあるんですけどね、言い返すのはよっぽどの時ですねぇ。そういう時は「お父さん、ありがとう!でも、私はそうは思わないから」とけっこう勇気振り絞って言います。相手は二枚も三枚も上手、上から畳み掛けてくる。それでも彼女はキッパリそう言います。でも必ず「ありがとう」という枕詞(笑)を忘れませんねぇ。これは見習おうと思ったんですね。ごめんなさいも同様に。

家族に「ごめんなさい」が言えない人、案外多いと思います。これを素直に言えたらどんなにか自由でしょうね。



言い分はお互いさま。でも相手に敬意を表するって大切。私は奇しくもそれを娘に教わったんですね。彼女はその辺から解放されている希有な魂。実際、視てみると自己保身に捕まっていません。もちろん長所もあれば欠点もあります、しっかり!
私は我が子自慢しようとしているのではありませんよ。身近にこういう人間がいてくれることが


私の魂の成長の糧になっている


多くの人が自分で自分の首を絞めているということがすっごく見えるんですよ。身近にこういうのがいると


それは私だけではないのでは?ということかと思うんですね。


徐々に思い込みから解放されていく 自由になっていく 


教師はセッション料とは無縁な場合が多々あるということかと


目上とも限らない


その証と思います。


私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。


魂の自由


良いお題を頂きました。




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(2016年12月27日記)

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