家畜として転生する魂を

Category : 魂のご飯

皆さんは『死後の世界が教える人生は何のためにあるのか』という本をご存知ですか?
これは退行催眠下で被験者が語った事例に基づいた担当医の著書。続編も出版されており、私は2冊とも読みました。

続編の方でしたか…、農耕馬としての転生を催眠下で思い出した女性の体験談があります。農耕馬として生きていた当時、可愛がってくれた少年がいたそうで、来るのを楽しみにしていたんだとか。ところが、少年の姿を見なくなった。月日が過ぎ、農耕馬は年老い、労働力として役に立たなくなると屠殺された。
彼女は年老いて殺傷されたことより少年と会えなくなったことの方が悲しかったと語ったと記されていました。


私はね、霊視とかチャネルとかヘミシングとかを駆使して、極悪非道な人間が家畜に転生すると言う、彼らの気持ちは分からなくはないのですよ。でも賛同はしません。

浅はかな人たちだと思う。

私はずっと精神世界の弊害を憂慮してきました。何故かというとね、彼らの多くが自分の潜在意識、深層意識から浮かび上がる想念を、バシャール、アシュタール、宇宙存在、高次の存在からのメッセージと思い込んでいるのを知るからです。
彼らの表現は限りなく彼らが日頃どんな想念で暮らしているか、如何に精神世界通であるか、ネットサーフィンしているか…そういう下地がある上でチャネルやヘミシングを導入しているかをよく物語っていると思う。

情報過多

霊的にもニュース的にも

私はずっと言っています。何故自分の言葉で語らないのかと。言葉は言魂です。借り衣で想念世界を彷徨う限り、心眼目覚めることはありません。

さて

はたして、家畜は殺戮の限り、支配の限り、悪事の限りをし尽くした輩が転生した姿なのでしょうか?

答えは書き出しで紹介した退行催眠被験者の例がよく物語っていると思います。私たちはね、想念下の旅をニュートラルに実践するまで霊的に成熟していないのです。
アカシックリーディングやヘミシング方を教わった…、チャネルの先生に師事した…、そういう人たちでネットは溢れかえっています。まさに無法地帯。そういう中で

肉食のカルマとして

支配者が、殺戮者が自ら選んだカルマとして

家畜に転生するという想念の旅話が流された。詳細は触れません。必要ないので。それより、私の所感を書こうと思います。

あなたは牛の目を羊の目を間近で見たことがありますか?

あのね、目は魂の窓…邪気がないのをあなたは見ると思う。私は感傷でそう言うのではありませんよ。
魂はバランスを取ろうとする性質があります。それ故、カルマのプロセスとして、そういう事例もあるでしょう。ですが、感情の矛先を霊視に託すこと、家畜や草食動物がまるで悪者の転生の姿と決めつけること自体、稚拙な気がします。感情移入が先行してニュートラルさに欠けてはチャネルもヘミシングも純度が問われますよ。そんなことも分からずツールを使っているとは。ヘミシングの先駆者的存在の坂本さんはかなりニュートラルなスタンスのようですね。著書を読んでそれが分かります。その坂本さんでさえエゴに掴まる。前言を撤回する事態を経ている。

今は転生の仕組みを健全に探求するには余りにも情報が溢れ過ぎています。

それらがチャネルなどの想念の旅にちゃっかりくっ付いてつきまとう。先入観が介入しないチャネルなど皆無に等しい。バシャールを降ろすダリル・アンカは例外ですよ。だってダリル・アンカはバシャール自身ですから。

いずれにせよ、リトル坂本たちは自分らのヘミシングに先入観が介入しているなど知る由もないのでしょう。
性格がピュアだとか真摯だとかはいっさい関係ない。彼らは想念の旅を気に入っているのですよ。だから多様する。精神世界本やワークショップが下地にあり、ネットで簡単に情報を仕入れることができる。

でも、あなたとどう違うと言うのでしょう?

情報通だったりハウツーを知っいたりすることと霊的事実に精通するとはイコールではありません。

さて

肉食の是非に関して言えば、先祖代々ベジタリアンの家系でない人間の身体は動物性タンパクを長期(人により期間はまちまちでしょうが)摂取せずにいると自分の体内で賄おうとする…で、ある日突然倒れる。体験者から直に聞いた話です。彼女は整体師。要するに私たちの身体はバランスの取れた食生活が必要という実例です。

で、ここで殺生の是非が問われるんだと思いますが、日月神示が肉食を戒めているとか書く人もたくさんいますよね? でも私は戒められてって、そういうの相に合いません。身体は魂の器。大切な借りものですから、それなりに養うべくバランスを考えます。従って、私は動物性タンパクを摂ります。ただし欲するのは魚類が多い…確かに四つ足ものにあまり食指伸びません。でも出されたものはありがたくいただきますよ。「肉食はカルマ」とかいう理屈こねるほどウブじゃないし、食べてカルマ積んだと自分を責めるタチでもありませんから。食べたいのに我慢しているのでも戒めに準じている訳でもありません。

一番大切なのは感謝していただくことではないでしょうか?

殺生というのなら野菜果物だって生命でしょう? 後は不食道しかない。実際いるようですけど。

食事の時間って私にとって大切な団欒です。感謝して調理して、食卓を囲む。会話も弾みますしね。

食事とは身も心も養われる機会…私はそう思っています。

厳密に言えば、家畜に限らず、私たちは草木に至るまであらゆる命の犠牲の上に生命を維持しています。違いますか?植物とて痛みを感じる…殺生がどうのとチャネル?ヘミシング? を盾に中途半端な良心の痛みを利用する人たちですね。

この世界にはこういう人たちの想念があちこちに浮遊しています。ヘミシングなどの普及がそれに拍車をかけているのですが、本人たちは知る由もありません。




貪り、飽食、食の崩壊、放射能による海洋汚染、土壌汚染が深刻な今、私たちが心を向けるべきは何処なのでしょう。

人間は食物連鎖の頂点に居座っています。

悪いヤツらが猛禽類の餌食、草食動物に転生するという発想は、その人の心理をよく顕していると私は思う。もう多くを語る必要はないでしょう。




今は極悪人たちが家畜に転生してカルマを解消するというような時ではありません。




そんなことも分からないんですね。




今は総決算の時




真に悪い奴らとはいっこうに学習能力のない魂のことを指します。やり直す、出直すチャンスはこれまでに充分ありました。

ものごとにはスタートがあれば終わりがある。区切りというものがあります。今がまさにその時なんです。でも最後の瞬間までチャンスはある。例え手遅れとしても。
takakoさんおかしなことを言うと思いますか?「手遅れなのにチャンスはある?」と思う人もいると思います。ハタ!と気がついた、悟った!でも末期だったとしましょう。でも、自分の非を悟ることができないままの人とは雲泥の差です。確かに次の機会を得るのは困難かも知れない。知れないけれど、ひとすじの光明が差すんですよ。

光明とは自分の課題に気づき、自分が為すべきことに気づいた魂の内側から放たれた光に感応した、霊的フィールド(あるいは存在)がそれに手を差しのべた際に発する慈愛のエネルギーのことです。




私たちは今とても大事な局面に立っています。立たされているのじゃありませんよ。自己責任。それが私たちが今ここにいる意義ではないでしょうか?



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(2016年12月27日記)

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