異邦人で足踏みするって人生がもったいない

Category : 魂のご飯

地球にあって、人社会にあって、何だか異邦人のように自分を感じている方、多いと思います。その違和感、疎外感をこれまで色んなセラピーやワークショップで「ありのままのあなたで良い」とアファーメーションしてきた方もいると思います。

癒しはこのような、人間の気持ちにも入り込んできます(笑、皮肉たっぷりですね)少し回り道しながら、今日のお題を紐解いてみようと思います。



考えてみれば、此処は『舞台』なんですよね。役者が揃った。

現実、舞台・劇場は演目の発表の場!な訳で。舞台で生まれ育ったって人、いない訳ですよ。
魂の世界の、此処は写しとも言われますが、かなり様相が違っています。第一、自在じゃないですよね。一個の身体に固定される形で人生経験しているのが私たち。

そりゃぁ故郷を遠く離れて、しかも異文化交流のただ中に放り込まれている訳ですから、違和感がない方がおかしいかも知れない。中には「違和感?ぜんぜん」という人もいるでしょうけど。大概は「こんなもんなのかな」という感じで暮らしているのだと思います。

しっくりきていなくても生きていくしかないんですから。気がついたら「ママでちゅよ~」とか「じ~じぃが高い高~い」とかやたら馴れ馴れしい生き物がいて(笑)育てられていき、やがては「産んでって頼んだ覚えはない!」とか何とか、皆さん身に覚えがあるでしょう。かく言う私もそうです。

自分は何処から来たのか? 私は誰なんだろう?

それは長きに渡って、私の疑問でした。そう感じていた方もすっごく多いと思います。何だか分からないんだけど、フツフツと湧いてくる想い。これは此処が魂の居場所ではなく、居場所は他にある…!私たちは何らかの体験学習に来ている存在で、あちこちからやって来ている訳です。こういう不可思議な疑問は自然な流れっちゃぁ流れなんですけどね。
痛かったですねぇ。答えが見つからなくて。もちろん悩んでばかりではなく、楽しいこともたくさんありました。それでも心の底には常にこの疑問があったように思います。

精神世界の世界は、なので問題解決の糸口。それを元に私たちは様々な気づきを得てきた訳です。魂のことを色々模索している人、世界中にいます。これは一大産業。余り良い言い方ではありませんが、金の成る木です。

ずいぶん前になりますが、インナーチャイルド・家族の絆の分野で様々な取り組みをされている斎藤という方の講演会に友人に誘われて行ったことがあります。

すごく印象に残っている会話があって、

それはひとりの中年女性が質問ということで立ち上がった。彼女は斎藤さんに「私は先生の言うとおりに娘にあれこれ言うのを辞めました。もう先生の言うようなパワーコントロールはしていないのに、娘との関係は改善されません。どうしででしょう!」と訴えた。ところが、斎藤さんは「・・・」黙って聞いていた。彼女は苛つきつつ「私は先生の言うとおりにしているんですよ。口出しするなと言われたから」と詰め寄った。不平不満タップリに。すると、

斎藤さんは「あなたは言葉では確かに何も余計なことは言わなくなったでしょう。でも、態度で今も娘さんを威圧しているんですよ。それに気がついていない」と淡々と答えた。

会場には娘さんもいるようでしたが、私は心の底から「あんたが娘さんの生命力を奪っとるんじゃ!」と思ったんですね。

私が何を言いたいかというと、

良かれという思いでその母親は娘に色々口出しし続けていた訳です。ところが拒食症になっちゃった。「自分ならもっと努力するのに、しない」とか色々…良かれという思いで躾けていったのに病気になり、斎藤先生の著書を娘は読み、先生のカウンセリングを受けるようになり、少しづつ改善。しかし、自分との関係性は改善されない。娘は確かに生命力を取り戻している・・・なので、母親も先生のカウンセリングを受け、講演会にも参加するようになった。

私が何を言いたいかというと、

カウンセリングに通い、自分は先生の助言を守って頑張っているのに、という無理からぬ訴えなんですけど、根本的に「分かっていない」ということ。娘を愛する気持ちにウソはないんだけど、全てが独りよがり。決して娘の個性を尊重してのことでは全てがなかった訳です。

世のセラピストは医学の知識もなく、人間脳科学の素養もない。確かに人は魂が根本ですが、精神世界系ワークショップでデプロマ所得したくらいで『人の問題解決に貢献できる』と思うのは早計な上、セラピスト自身が問題を抱えて見切り発車な状態も多い。
すぐに職業にする…それを目的とする人が多いだけに根が深いと私は思います。
本当は自分自身が一番癒しを必要としているのに…という状態は実は危険なことなんですよ。精神世界系ヒーラーは頭打ちです。自分が助かりたいのなら利他心をというのも一理あります。ですが、人さまのセラピーを一生懸命にやりながら、娘は母親のやっていることを「ママは好きでやっている」としか思っていないこともあります。要するに見抜かれているということです。

何が大切かは行いだけでは計れません。利他心という理念に胡座をかいている人だっているのですよ。あるいは子供のために一生懸命働いている、しかし子供は親の愛情を一番必要としているということも少なくありません。シングルマザーで仕方がないこともあるでしょう。しかしながら、少ない時間でも子供は親の眼差しが注がれて、「あなたのために頑張っている」というような態度でなければ、心の栄養をもらって成長するものです。



親子と言えども魂の世界では立場逆転というケースもあります。魂の世界で何らかの便宜が図られて親子として成立している家族もある。



親兄弟だって、舞台上の役者が、揃っているだけかも知れないのです。つまり…何らかの目的があって、この父母がよかろうという計らいがあって、本人が同意すれば、この世での人間関係は成立します。
「空の上で白いお髭のおじいさんがパパとママを見せてくれた。良さそうな人だなと思って、パパとママのところに来たんだよ」と幼稚園児に言われた母親もいる。

中には魂の世界で互いに約束してやってきている家族も、夫婦も、恋人もいる。いずれにしても此処はトライアルのための舞台。ですから、遠く離れた領域から遥々来た私たちが…何らかの馴染めなさを感じるのはイザ仕方ないことではないでしょうか。

癒すとか、違和感があってその答えを導き出すとか、それは必要なプロセスではありますが、通過儀礼のようなものと思った方が良いと私は思います。

異邦人・・・という感覚を持ち、そこで足踏みしているのはもったいない気がします。私たちは舞台に上がっているようなもの。いつかはそこから旅立たねばなりません。ソリが合わないという感覚は「そうか!遠い異文化から来てるんだから仕方ないか」ということで、そこでドヨ~ンと沈んでいてはもったいないと私は思う。

いつか私たちは此処を後にします。

此処は異文化交流の場。違いを認識し、そこから個性をいうものを学ぶ。心地良い距離感をそれぞれが測り、尊重を覚える。

私たちは仲間・・・感覚には容易く馴染むけれど、少しでも違和感があると拒否反応を示しがちです。仲間外れだってする!イジメは最たる人間の、慎まねばならない性根です。
此処には様々なジャンルから体験をしにやって来ている存在でごった返しています。違和感はなくなりはしません。それをどう心の糧にするかが大切ではないでしょうか。無理に理解しようとせず、「私には受け入れ難いけど、あの人はそういう信念を持っているんだな」とかいうふうに、一歩エクスキューズの感覚を養い、

自分自身の中心で生きる、ことが大切かと。

疎外感は確かに孤独と思います。私とて周囲は異星人と思ってますし(笑、笑いごとじゃない)でも、お揃いじゃなくて良いんですよ。感覚の違いも、なので、あって自然なんです。親しみを感じる人と出会うと、なので、心が喜ぶんですよね。出逢えないと寂しさに打たれるんですよね。
無理して合わせようとして心が躓くのはよろしくありません。頑に頑固でも人相が悪くなりそう。それが職業に生かされれば、別ですけどね。



どうぞ、自分自身の中心にいて…世界の中心で愛を叫ぶという小説がありましたけど、私たちは常に自分の立ち位置で、心の窓で、世界を知るし、行動を起こしているのだし、主張している。どんなに寡黙な人も無想という人はいません。常に私たちは想念エネルギ-を宇宙に発信し続けています。


魂の伴侶にこの世で出逢えた人はラッキーと思います。


逆に此処では別々と決めて、互いにバラバラで生きる決意をした者同士もいます。それもある意味、全うした暁には再会を果たす!その楽しみを魂は知っている。ご褒美!ってことでしょうね、頑張った!




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(2016年12月27日記)

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