内観と自制心

Category : つぶやき

私は今も韓流ドラマにハマっています(^^)BS放送『馬医』CS『トンイ』&『チャングムの誓い』を韓国語版で楽しんでいますが、筋書き分かっていてもつい観てしまう…我が家のお父さんもついに韓流ドラマ(鑑賞)デビュー(^^)「オレはサクセスストーリーが好きなんだ」とか仰って毎週『馬医』を楽しみにしています。
韓流ドラマを観ていて思うのはターゲットは間違いなく女性層かと。恋愛ものには歯が浮くような台詞(照れが入るような)や描写が目白押しだし、男女のドロドロ劇もハンパじゃありません。次から次に波乱が起こり、視聴者は一喜一憂。ベルバラじゃありませんが、女子のロマンス指数高い(!)…毎週毎日、釘づけになる時間があるのは主婦層かと。
何しろヨン様を涙と歓喜で空港にお出迎えするのは100%(?)女性、それも熟女ときてはもう否定しようがありません。バカにしている訳じゃありません。あそこまで夢中にさせる磁力が韓流スターにはあるという…下降線と囁かれ、昨今の日韓関係(政治)はギクシャクしてますが。

さて

その韓流ドラマの主流は嫉妬と野望。歴史ドラマにしろ恋愛ものにしろ、男女が織りなす入り組んだ心理描写を観るにつけ、感情移入しやすい土壌が韓国にはあるように感じます。架空に現実感を持たせる手法は日本とは違うようですが、如何に人心を掴み、それを視聴率に反映させるかにしのぎを削るのは同じ。

描写は気まぐれな視聴者の心理に響かねば見向きもされない。韓流ドラマが根強く描く嫉妬や野心は人間の心にある…自分の中になければ心に響かない。ドラマ作りは人間描写ですからね、私は「つくづくだよ」と思いながら観ている訳ですね、つい(笑)。

さて

私たちが生きる人社会ですが、日々…親子・兄弟・会社・学校、すべて人間関係で成り立っています。そこから逃れることはできません。

人はひとりでは生きていけない

ですが、煩わしい時があるのも事実で…時に社交辞令を欠いては何かと不都合だったりします。経験ないですか?
私たちは人間関係の中で色んな感情を味わいます。つい自分と比べては色々思う訳ですね。「私ならあんなことしない」とか、私のご意見番もその域(苦笑)基本、どういうふうに生きれば、この娑婆世界の荒波にスムーズに乗れるかだと思うんですけど、いかがですか?

如何に人に振り回されずに自分らしく(違和感なく)生きられるか、そこでかなり停滞し続けた半生だったと振り返ります。そして、甲羅を経て辿り着いたのは

自分の心

一番御し難いのは自分の心

人を変えることはできないと言います。さりとて困ったちゃんは大勢いる。子供の躾もせねばならない。子供は親を見て育つと言います。一番分かりやすい例と思いますが、だからこそ自分を顧みる必要があるんですね。人格形成の基本中の基本は家庭です。人間は知らず知らずに家族(あるいは親代わり)から受ける心象に影響され、処世術を身につけ成長します。



因あれば縁あり



同じ親に育てられても兄弟の性格や好みは一致するとは限りません。それは個々の魂が持ち込んだ(転生)課題が起因しているのですが、自己主張が強い魂だと協調を学ぼうとする意図があり、逆に消極的だと主張がテーマというふうなことなのですが、親はその子その子の対応に追われる…これも心の修行。子供にしたって親にかなり影響される。
ウチのお父さんは二人兄弟の次男坊なんですけど、兄は「親父は**ばかり可愛がった」と酒を飲むと愚痴ってました。義父は「そんなつもりはない」と言い、ウチのお父さんも「兄貴には困ったもんだ」と言う。

家庭は人間社会の基本

長男(長女)を見て育った弟妹の方が処世術に長けると聞いたことがりますが、「**は調子がいい」と確かに言われてました、ウチのお父さん(笑)
いずれにしても家庭は色んな個性がいるという最初のレッスンの場。そこから集団へと私たちは入って行く訳ですが、一人っ子の親御さんとて子供に友だちが出来れば色々(笑、笑えない)。なので人はつい、ままならぬ現実で誰かのせい何かのせいであ~なった、こ~なったとストレスを抱えるようになります。事実、思い通りにならないことを私たちは経験してきた訳ですね。親は子を、子は親を、兄弟同士、友だち同士、あらゆる関係が私たちの日常を左右します。

誰かのせい 何かのせい

そうやって一生を過ごす魂もいます。死んでも直らないタイプでしょうが、人生の目的を知りたいと思うような私たちは何処かの時点で現実を引き寄せたのは自分だと気づいた…だから自己探求の道に進んだ訳ですね。そこからやっと魂はひとつづつステップを踏み、本来の魂の目的を生きることになるんですね。

人間関係や日々の出来事に反応しているだけでは学びとは言えない。なぜ自分はそういうふうなのかに疑問を抱き、内観に向かうようになって初めて魂は学び始める訳ですね。
ところが精神世界は内観…内なる旅を商売にしてしまいました。チャネラー・ヒーラーという素人集団を生む温床となった。これには功罪ともにあると思いますが、内観は魂の本質。転生してあ~もして、こ~もしようとプランしたのは「自分はどういう存在か」を試し、証明したかったからですし、その場を必要とした私たち…ここまで過酷とは「聞いてないわよ!」とブーたれても後の祭りですが、此処(娑婆世界)は雑多な人間たちでごった返しています。故に思うようにいかないことも多く、身体的にも過酷ではある訳ですね。そりゃぁ商売になる訳です、精神世界。

ですが、いくら精神世界で禄を食んでも堂々巡りな人は少なくありません。それに気づいていない人も輪をかけているのが現状ですが、要は内観ほど手強いものはないということなのかなあと私は思います。
どっかで思考停止する。理由は様々ですが、人間が作るあらゆる現実には打算や計算が働く…それが悲喜こもごもを生むと私は視ています。

その垣根を越えるのは並大抵ではない。人間には欲があります。それは本能ですから、譲りようがありません。問題はそれをどうコントロールするかだと私は結論づけます。

欲を滅するくらいの悟りを得られれば何よりなのですが、なかなか難しくないですか?っていうか、欲って生きるエネルギーでもある訳ですね。もっと健康に、もっと





人間は地球に君臨していますよね?他の生命に多大に影響を与えています。絶滅危惧種は年々増加しているそうですが、それが何を物語っているかというと、人類という括りは何千年歴史を刻もうとな~んにも学んでいないということ。ひと握りの人間が牛耳る社会構造…ピラミッド構造がその何よりの証拠と思います。

欲から逃れられない

人間はその手腕ゆえに地上に君臨しました。欲を満たす、その目的のために突っ走って来たと言っても過言ではないでしょう。それは人間の『本能を満たす頭脳』が他の動物より勝っていたためですが、それ故に持てる者と持たざる者との格差を生んだ。便利になればなるほど人間は怠惰になった。ラクになると動物は安住します。ところが地球は有限なので、それは永続しません。人間は牧畜・農産を生み出しましたが、自然に反するものも多量に生み出した・・・そのしっぺ返しを今受けているようではないでしょうか?

地球は今、新たな秩序を構築する手前の洗い出しを始めたところ。一説には今はウォータークロックですか?水難による浄化が始まったとする向きもあるようです。私たちは全体責任を負う試練の時を迎えたのかも知れません。

ですが、覚悟は必要です。ですが、それより大切なのは内観です。一見関連がないように思うかも知れませんが、もし私たち人間が自然に沿う知恵を働かせ、自分らを最優先に行け!行け!とばかりに文化を押し進めていなければ、もっと世界は違っていたはず。

そこには調和があり、共存の和があったはず

ピンと来ないかも知れませんが、もし必要絶対数の人間が内観を常にしていたら、自分が何をすべきかを知るはずなんです。

生きることは活かすこと

活かすことは活かされること

この単純な図式を具現化できないレベルが人間の営みです。私たちは直に自分が関わってないからといって責任がない訳じゃないのですよ。ですが、どうしようもないシステムが人間社会を牛耳っています。そのジレンマのただ中に私たちはいる訳ですね。

ホノオノボですか?すべては自分の中にあるもの。その事実を受容する。内観から始まる世界があるんです。私たちにはまだまだ出来ることがある。それは多種多様な感情をコントロールする心を養うこと・・・この一見関連がないように思える試みに世界が、あなたが抱える問題の糸口があるんです。

私たちは自分の心を通して社会と関わっています。あなたの心にないものはこの世界には存在していません。

ワクワクをスローガンにする人たちが居ますよね?その数はとても多い。それは何よりと思いますが、この世だけではなく、宇宙は陰陽で成立しています。

光あるとこころに影あり

そのバランスの上に世界(宇宙)は成り立っている。ワクワクだけでも魂は成長しません。気持ちよくはなるでしょうが、悩むことで魂は多くを学び、身につけるのも事実。ただし、余りにも私たちは深刻な悩みを抱え続けてきたため、「大丈夫。あなたはそのままで」というプロセスは必要でした。今もそれを必要としている人がいるのも確かでしょう。

ですが、先があるんですよ。

物ごとには先があるんです。ひとつ完結したら次のステップが待っている。ただし進むには私たち自身がそれに見合うだけ成長しているかどうかが鍵。準備ができてなければ始める訳にはいかない。何ごとも準備なしには事項できない。それは舞台を踏むには稽古が必要なのと似ていますね。ぶっつけ本番とはいかない。

ここ娑婆世界は実に巧妙です。稽古と本番が同時進行しているようなものだと私は感じてしまいます。赤ちゃんの段階は人間生活の準備期間ですよね?あらゆることがそのように機能しています。

事象に反応している段階がこの世界の多くの人間です。上から目線で申し訳ないが、内観の途上にある身として見える景色ってあるんですよ。でもね、それより私は内観して見える景色の方が大切と感じている。何故か?

この世界は自分の鏡

私の中にイエスとノー、その答えがある。どれが好ましい現実化を悟るアンテナがある。そのアンテナは

あなたにすることは私自身にすること

それに準じます。私はね、欲とか嫉妬とか、誰かを恨む気持ちとかない!と言いません。ある!あるからこそ、それが自分にも相手にも影響するかをつくづく思い知った訳ですね。摩擦があったとして、私は言い訳しません。ぶつかるにも理由があるし、受け入れられないことも実際ある訳ですね。
そんなのをひっくるめて受容すると見えてくることってあるんですよ。如何に相手をコントロールしようと躍起になってかをね。
韓流ドラマの悪役・悪女を観察しているとよくその辺が分かると思いますよ(笑)自分の立場を優位にするため、自己保身のためとあれば手段を選ばず悪事に手を染める。この構図。政治もそうでしょ?東電の上層部もそれに躍起ではないでしょうか?
どんなに身分が高くても、それらの利権族は『反応族』と言えそう。人社会はこの段階にこれからも留まり続けるのでしょうか。私はそうは思いません。

地球には浄化の嵐が吹き荒れています。






















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(2016年12月27日記)

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