未だ未熟ゆえ

Category : つぶやき

ダブル式年遷宮により俄然注目されている伊勢神宮と出雲大社。それに伴い、日本人はイスラエルの末裔というものや失われたアークは剣山にあり!という話が一部ネットを賑わせています。
天照大神はイエスという…実は女神ではなく男神という飛鳥昭雄さん情報も広く浸透しているネット社会。信じる者が救われるかどうかは別にして、日本の古代史にイエスが関わっているのは興味深いですね。壮大なドラマ!

イエスに関しては十字架の磔はなかったというチャネルも飛び出し(創造主が登場し、語る)ています。そうすると飛鳥さんの伊勢神宮にまつわるイスラエルの十氏族が遥かシルクロードを経由して渡来、日本を統一したという説は無効になってしまいます。何故ならイエスの受難、磔の刑…その十字架が伊雑の宮に今秋納められることで真の式年遷宮は完結するというのが飛鳥情報ですから、成立しなくなります。

う~~ん 日本の神話って謎だらけなのは確かなようです。

その他にもスサノオ=イエスと言い出すヘミシング愛好家も出没・・・何ということでしょうね。もう何でもあり(苦笑)あまりにも諸説紛々し過ぎかなぁ。不謹慎かも知れませんが、エンタメとしては興味深いかと。

それにしても

インディー・ジョーンズまがいの人がこんなにもいることにも私は「へぇ」なのですが、文献を紐解き、自分の足を使って実証見聞せんとする飛鳥さんが一歩リードでしょうか?ヘミシングで得た情報に猜疑的な私ですが、実証主義の飛鳥さんの話でさえ、かなりぶっ飛んでます(笑)故に霊感山勘な話は何をかいわんやでしょうねぇ。

そうそう思い出しました。

スサノオにまつわる話には新興宗教の教祖がその生まれ変わりというものがあります。それは自称ではなく、伊勢神宮関係の元宮というところの宮司さんが関わっている話。それには尾ひれがついていて(ここからは元宮は関係ない)ニギハヤヒはスサノオの子供というのがその信仰宗教では信じられています。更にはスサノオは出雲、卑弥呼は九州という…もうこうなれば、人は信じたいものを信じるという域ですね。ため息が出ます。

古代日本と古代イスラエルを結ぶ点と線

この界隈の話には宇宙人も名乗りを上げた(笑、笑い話ではありません)。鹿児島県の…甑島(こしきじま)に失われたアークは存在。実は宇宙船だった!という・・・これには飛鳥さんもぶっ飛ぶ?いやハナから相手にしないでしょうか?この甑島のアーク=宇宙船説ではこれまた飛鳥情報は頓挫してしまう。
麻を啓蒙推奨している人物主催のツアーがあったようで、甑島でアークを発見!ツアー参加者で儀式を行い、アーク<宇宙船>をシリウスへ旅立たせたという…それも意識でという、ちょっと怪し気な体験談ではあるんですけど、今の私たちのレベルではまだ現実的な操縦(?)は無理なのだそう。これも信じる人は信じるだろうし、という域を出ないでしょう。でも、その甑島の住人の多くがUFO目撃しており、しかも乗船経験がある人もいる!となれば、私の好奇心のムシが騒がない訳がない(笑。バカにしている訳ではありません。実際好奇心刺激されます)
私はこの体験談を読んで、やはり『宇宙船天空に満つる日』の少数の選ばれし人間が人類を救う種の匂いを感じたんですけど…、人により感想は異なるでしょうね。

個人的意見ではありますが、少数の人間が人類を救うというのはあり得ないと私は思っています。

何故か?要するに魂個々に転生の目的を持っているのを知るからですが、すごく微妙な話にはあるけれど、集合意識と個々の魂の想念とはリンクしていないんですよ。人類の集合意識は存在しないと言っているのではありませんよ。歴史的流れや国際的観点から見える景色はあります。ですが、それイコール個々の魂の特質とは言えない。一致しないんですよ。
更に言えば、アセンションに関してもそれは言えることで、最初っから人類集合意識レベルでのアセンションなど存在していません。
アセンションは人類のためのイベントでもありません。
それを精神世界のチャネル・アカシックレコード論者が混ぜっ返してしまったと私は振り返ります。あぁプレアデスなどのチャネル情報もそれに加わるでしょうか。

高い視点から見る

それは宇宙から地球を見るのにも似て「地球は青かった」という類いの認識ではないでしょうか。実際は土・岩・木々などなどあらゆる生命反応が織りなす『色』が地球には存在しているのだけれど、宇宙から見れば地球は青い。

その延長線上に人類集合意識という概念が存在していると言えなくもない。人類とひとまとめにしようとしても、これだけの不協和音なのでしょ?宗教・文化・肌の色などなど。全人類ヒップホップ化計画などと言い出す人もいます。
私も人類の端くれですが、そんなの「私はパス」ですよ。参加する人もいるだろうし、私のような非参加希望者もいるでしょう。こういう人類**化計画という思考からまずは脱しないと、いつまでたっても堂々巡り、なんて思ってしまう私です。文脈の問題ではなく、そういう思考自体「パス!」
悪気もなく自分の生き甲斐や嗜好に巻き込もうとするのってね、エゴですよ。英語では「everybody」あるいは「all folks」と表現される、「皆さん」という括りはそれに参加した人やグループ内の話。
決し全人類ではありません。「みんな」「全員」という括りは境界線がある言葉なんですね。全人類を括る定義は実践的にはあり得ないでしょう。ここまで雑多な価値観が世界中を席巻している現状では。

色々いて、それで良いと多くの人間がそこまで到達していない。

そういう意味では人類という括りではあるでしょうが、そこに当てはまらない人間がいるのも実際でしょう。


想像してみて下さい。

何かのイベントあるいはセッションにあなたが参加しているとします。

最初は和気あいあい・・・しばらくして「何か違うな」とあなたが感じたとします。

途中でひとり「私はそうは思わない」と言い出したあなたに周囲が向ける視線を想像してみて下さい。

壇上の主催者は善かれと思い、「みんなでハッピーになろうぜ」とノリノリです。

あなたは誰に同意を求めるでもなく、そこから退出するとします。

その場の空気を想像してみて下さい。

あなたは「異種」と「和を尊ばない人」と思われるかも知れない。いずれにしても場の空気は良くないでしょう。

あるいは主催者の心が広く、自由参加だからと「皆さん、温かく送り出してあげましょう」と言ったとします。あなたの気持ちは少しはラクかも知れません。

でもね

私は人間のレベルはまだここ止まりと思ってしまうんですよ。何故か?

自由参加ということは「ここ違うな」と感じた時点で、いつ席を立とうが、誰が去ろうが誰も気に留めない

そういう空気あります?人社会に。

一人の人間、あるいは一部の人間が人類を幸せにするなどあり得ないんですよ。呼びかけに賛同したとしても途中から違和感覚えるということもあるでしょう。新興宗教脱退がよい例かも知れません。あなたが何をどう選び取ろうとあなたの自由。そして、あなたをハッピーにするのはあなたの感性次第。Aさんにとっては至福でもBさんにとっては響かないかも知れません。

個々が自分を幸せにする権利を有しているのだけれど、一部の人間の思惑がそれを阻んでいるのでしょ?この人社会。

例え「さあ!みんな楽しもう!」というスローガンを掲げたとしても、呼びかけた人の趣味嗜好を全ての人間が同じように楽しめるとは限らない。楽しめる場合もあり、そうとは限らない場合もある訳ですね。

全人類ヒップホップ化・・・そう言えるのは本人がヒップホップを愛しているから。でも誰もがヒップホップを愛しているとは限らない訳ですね。全人類とかいう発想自体がおこがましいと私は思ってしまう。悪気なく人って巻き込もうとするんですよ、自分の趣味に。一番自分が楽しいから。

これを批判と捉えるのも自由。しかしながら私は自分の意見を率直に述べているだけ。批判と捉えるのは自分が否定された時の心的苦痛も相まっている気がしますが、何処か修正すべき心癖がある場合や、自己を省みる縁(よすが)…それを受け止める心を養うことも大切な心のレッスンと私は思っています。故にスピリチャルに「人を批判するのは良くない」という発想に私は賛同しません。

今の日本は原発の是非で揺れています。政府や東電のやり方に反対意見を持つのは「良くないこと」ですか?

ただし…政府も東電もそういう意見も批判も無視してますけどね(苦笑)利権こそ彼らの命綱かと。

話が逸れました(苦笑)

私の言わんとすることって、へそ曲がりなのかも知れません。

でもね。人間って特に日本人は人と違う行動を取る人を孤立させる傾向があります。そりゃぁ日本人に限った話ではありませんけど。人と違う意見を言うのに勇気が伴う。経験ありませんか?
私は高校生当時、それで「生意気」とクラスで村八分にされた経験があります。まぁ当時から容赦ないところがありました。理論立てて意見するタイプだったので丸さが欠けていたんですね。今も変わりないですけど(苦笑)ホームルーム終わってから「私もそう思った」と言ってくるクラスメイトに流石に面と向かっては言えなかったけれど、ずるいなあと思ってました。

いずれにしても

ずっと何処か異端な存在だった私なので言えることってある気がします。どうして自分の意見を言ったらNGなの?意見を出し合う場でもそういう空気があるのを長いこと苦痛に感じていました。まぁ何でもかんでも異端ってことでもなかったんですけど、よくよく話を聞いてみると、ただ口に出して言わないだけって人もけっこういて。
まぁ私も何でもかんでも口にするって訳でもなかったんですけど、ホームルームとか積極的に手をあげちゃうタイプではあったんですね。

そうそう ヒプノセラピストから聞いたユニークな話があります。
例えば…バレーボール、参加人数揃い、プレー!ところが途中で一人、突然…抜けた。理由を聞くと「遠くに行きたくなった」(笑)
セラピスト曰く「彼は自由意志に準じた」
流石に私は「それはないでしょ」と思った(笑)だってプレーの途中でしょ?一人抜けたら、彼を補うべく他者に負担がかかるし、第一プレーにならないでしょう。
セラピスト曰く「彼も最初はノリノリだった。でも急に旅に出たくなった」
まぁ不自然な例題かと思いますが(笑)、人は何処でどう気持ちが変わるか分からないところ…ありますよね。流石の私も「抜けるなら理由をまず言ってからにしようよ」とか「自分の穴埋めろよ」とか思う訳ですね。もし自分なら…どうするでしょうね?

もし

途中で抜ける人物が大親友だったら、気持ちとか性格を察して他のメンバーにエクスキューズするかも知れません。普通の知り合いだったら?プンプンでしょうね(笑)「身勝手」とイラッとするかも。

多分ですが、進化した宇宙人は自由意志とはそういう部分もあることを理解しているのでは?そういうふうにこの話を思い出しました。

自由参加

その前提であるならば、どのようなシチュエーションにも義務は存在しません。そこにあるのは個々の自由意志のみ。

だからこそ

私は矛盾するかも知れませんが、他の参加者に迷惑にならない行動を心がけるようにと思うんですよ。更には何かしら呼びかける時は自由意志という前提を見失うことのないようにとも思う。

全人類とか上ずらなきゃ良いんです、最初っから。

この指とまれ♪には参加しない自由もある訳ですね。その自由を尊重したフレーズを描いて参加は呼びかけるに越したことはないし、途中どう誰が抜けるとしても、その気持ちを尊重するくらいの心のゆとりは持ちたいし、取ってつけたような見送りもしない。勝ち負けというフィールドではない限り、そこに義務は存在しません。勝ち負けがあるってことが人社会を混乱させていやしないでしょうか。勝ち組とか負け組とかいう発想も如何がなものかと思ってしまいます。




未だ人は未熟ゆえ




自由意志と自己責任が実は表裏一体であることに気づくこともなく

それを実生活に結びつけること適わず

私たちはまだそのレベルにいます。アセンション啓蒙者とて例外ではありません。批判しているのではありませんよ。事実を言っているだけです。

集合意識という発想から抜けることなしに魂のことは語れません。宇宙存在をチャネルしている人は押し並べて「あなた方、人間は(人類は)」と喋ります。それはソースが部外者だからで、人類といっても個性雑多です。目覚めた魂もいれば、そうではない魂もいる・・・それが人間。
集合意識というより、国際社会がミラニッドを構築し、一部VS大衆の構造、その社会形態がどうのとは言えるとは思います。その様子を云々という方が実際だろうと思う。

集合意識なるものが何処にあるのか指し示して欲しいとさえ私は思う。あなたの心の中にありますか?

あなたの心の中にないものが何処にあるというのでしょうか?

確かに私たちは集団の一員。宇宙船地球号の乗組員です。ですが、それが集合意識を形成する一員とはならない。私たちそれぞれの魂のレッスンとは別もの。個々のレッスンの中に「共有」「調和」というお題はあります。ですが、これだけ社会が混沌としているのは

個々の魂のレッスンが機能していないからではないのでしょうか?

それは自己責任に繋がりますからね。自己責任とは重た~~いことではないのですよ。私たちは志願者です。自分のことは自分でできることを証明したいがために転生してきているのでしょ?幼児が「自分で出来るもん」とアピールする時ってありますよね?まさにそのレベルが私たちです。

自己証明への渇き

人生とはそれで占められていると言っても過言ではありません。そこから一歩出る、証明の必要はない…、いったい誰に自分の存在証明をしようとしているのでしょうね?そこに気づくと視えてくるものがあります。

集合意識という概念の垣根を越えたところに魂個々の想念は存在している

個人的問題を抱えているのがその証拠ではないでしょうか?人類がどうのと語っている人たちでさえ個人的な問題を抱えているのですよ。自分に問題があると気づいていないという問題点を抱えている、ややこしい人も中にはいる。

もうキリがありません。

光 射すところに濃い影あり

ワクワクだけでも人は成長しません。苦も楽もあって心は育つ。葛藤を手放す?バカ言ってるんじゃないよ(笑)葛藤することで何かを得ませんでしたか?そこのあなた!悩んでたことが解決した喜びをまさか知らないとは言わせませんよ。
葛藤だって魂は栄養にするんです。そうして、どうすべきかを学習しているんですよ。魂はしたたかでどん欲です。だから、こんなとこにわざわざ転生して来たのでしょ?

ただ記憶にないだけで(苦笑)

あぁまた長文に・・・!改めて書きます。





皮肉なことに


ひとつの教室に異質な人間がいると違和感を覚える


みんなが同じような、似たもの同士なら問題ないが、少しでも異種がいると同類同士でタマる


ところが



教室が「色々いて楽しい。それは個性」という思考だと


かえって和が生まれる。調和する。


誰もが踊りたいと思っているとは限らない。観るのが楽しいって人もいるだろうし、踊りもそれを鑑賞するのにも興味がない人だっている。


ひとつの教室に色んな趣味嗜好がある


似てなくてイイのだし、違う意見があってもイイ。


自由参加


きちんと自分の意見を言うのと、人の意見を受けるというのは同時進行にある


批判(ジャッジ)を批判(ジャッジ)しなくなる


だって、あなたを好きになれない人だっているかも知れないのでしょ?もうそれは仕方のないことです。あなたはあなた自身に違和感のないように生きていれば、それでOK。第一それ以上のことできないでしょうし(笑、笑えない)
私は高校生の時、虎の穴で鍛えられました(笑)確かに悪口言われると傷つきます。いったん傷ついてもそこからリカバリー…自分でするしかない。でも、痛みを分かち合う人にもおかげで出会えたりもして。



人社会で揉まれながら、どう自分の心を切り盛りしていくか?人と関わっていくか?


やり甲斐がある


人生ってそういうふう。





私たち全員押し並べて





未だ未熟者につき 試行錯誤は自然の理ではないでしょうか。












おまけ








集団的自衛権ですか?(いきなりで申し訳ない)

安倍さんは「日本人を守るため」と連呼していますよね。でも誰が日本人を守るの?と私はツッコミ入れちゃいます。集団的自衛権…自衛権?

日本国民が、でしょ?

他にいます?これは徴兵制に結びつくと感じている日本人どれくらいいるのでしょうね。自衛隊武力行使容認という流れにしたい安倍さん一派のようですが、誰が血を流すことになるんでしょうね。それだけに留まりませんよ。自衛隊員が武力行使するということは紛争地区に派遣された場合、殺戮に加担する…加害者になるケースも想定されます。

「日本人を守る」というフレーズが如何に虚しいか気づいてない日本人は少なくないかも知れません。戦場の悲惨さを私も映像でしか知りません。私も戦争を知らない子供の世代です。ですが、映画『プライベート・ライアン』で描かれていたノルマンデー上陸作戦、砂浜で内蔵破裂(露出)したアメリカ軍兵士が「お母さん」と助けを求めるシーン(もう惨状でした)を観て、命を懸けるって、命を奪うことでもあるし、奪われることでもあると再確認したのを思い出しました。

命令を出す(政府関係者)は決して前線には出ません。もし国民に集団的自衛権行使を求めるなら、ご自分たちこそが戦闘に立って最前線で闘えば?と思ってしまう。

国民を守るどころか、国民に負担を強いる政策なのですが、「じゃぁ有事の際、どうやって国を守るのか」とそう国民に突きつける訳ですよね?

国?

安倍さんたちがいう国って、日本人総人口6億ですか?7億ですか?が住む土地のことですか?

安倍さんはあいこちに出向いて挑発発言をしています。挑発は中国・韓国首脳に限ったことではありませんね。あれだけあちこちで挑発発言する、その背景に有事の際には軍事力行使するという構想がある。

自国は自国民で守る

それは国民にも相手国にも流させること意味しています。その覚悟が日本のお母さんお父さんにあるのか。自分の息子が戦地に赴き、命を奪い合う方向へ突き進む覚悟…果たしてあるのでしょうか?何処か人ごと

誰かが何とかしてくれる

という頭があるよでうで私はなりません。騒ぎ出す時は既に遅しかもしれないですね。低い投票率で選ばれた政府です。国民の総意など屁でもないでしょう。選挙に勝った!政党に返り咲いた!さぁ!自衛力のある国作りを!な政権でしょ?

どんなに私たちが声を上げても「テロリスト」呼ばわりする政党です。自分らは血一滴も流すつもりなどないでしょう。誰が国を守るのでしょうか?



そこに気づく人がひとりでも増えるとイイと思っています。



決意



そういう心が養われるに超したことはありませんものね。





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(2016年12月27日記)

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