私たちが自ら招いているもの

Category : 魂のご飯

これから書くことは決して目新しい内要ではありません。しかしながら、なぜ未だに「1匹の獅子が率いる大多数の羊」の図がこの世界を席巻しているか、霊感商売(チャネル・ヒーリングを含む)が成り立つのかの鍵。政治にしても経済にしても宗教は言うまでもなく、何故ひと握りのトップが世界を支配する機構が今も機能しているのでしょう。

どうして人はヒーローを期待するのでしょう?

逆に多くを率いよう、導こうという人が存在するのでしょう?

それとは相入れないデモクラシー…支配に抑えこまれてきた民衆が何らのきっかけで立ち上がる場面に私たちは遭遇、目撃することがあります。名もなき人々によるベルリンの壁崩壊や、ルーマニアの独裁政治チャウセスク帝国の末路…私たちはライブで目撃しました。奇しくもノストラダムスの予言がとり沙汰されていた時期。私ごとで言えば、予知夢を視て、それが現実に起きることに衝撃を受けていた時期でした。

あの時期は「めざめ」を促すエネルギーが人心を刺激していたようでなりません。当時聞いたところではたくさんの人が似た予知夢をみていたとか。

ひとつの区切りを迎えると同時に新しいシステムを模索し始めた時代と言えるのでしょう。混乱もありました。でも人々は何とか活路を見い出してきました。むろん権力が移行しただけの感はあるものの、より開かれた方へと人の意識が変化して行ったのは確かではないでしょうか。

私たちの多くが目に視えない世界<スピリチャル>へ導かれて行った時期とも重なります。

さて ここからが本題です。











確かに私たちは魂こそが本体。今は肉体を伴った世界に目的を持って転生してきていることを、多くが知る時代です。宗教とは関係なくスピリチャルは多くの興味を刺激。チャネル・ヒーリング等スクールビジネスも盛んの一途。それはもう雨上がりのキノコの賑わいです。神秘の技は大衆に放たれ、享受する時代となりましたが、人社会が紀元前から営んできた

1.地獄の沙汰も金次第(いわゆる癒し料)

2.選民意識(スピリチャル系日本人に多く見受けられる)

3.1匹の獅子が多数の羊を率いる(現在はその自薦他薦の獅子の数が半端じゃない)


は変わることなく営なまれています。何千年経ても尚、人間の比率は少数の権力と大多数の一般人のまま。神秘の技にはマネーがついて回っている(精神世界ビジネスがそれをよく物語っているのではないでしょうか?)。

何故なのでしょう?

答えは簡単。それは刷り込みが為されているから。

1.の場合はスクール・ワークショっプという習いごとの域のアマチュアが「金とるのかよ(『トリック』観た人ならわかる)」という時勢。

目に視えない領域へのアプローチが簡単に手に入るようになると同時に、地球の波動も大きく変動していったのは何とも言えないタイミングです。

方向はあながち間違ってはいなかった

それは<解放>と<移行>の流れが地球にやって来ていたため

敏感な人々や霊感が強い人々から始まったスピリチャルへのとり組みが波紋のように広がった。多くが磁力のように引き寄せられたということかと思います。
その中には「金銭を受け取ることをためらう人」へ「代価思想」をかざして「癒しもビジネス。食べていかねばならない」と指導する人が登場したことで精神世界は

紀元前と変わることなく「神の領域に人が介入して金銭を得ようとする」レベルに留まっていることが分かると思いますが…、話ついてきてますか~?(笑)居眠りしてます~?良い寝もの語りかしらん、私の今日の話(^^)

霊的にクリアな子どもは正直です。貨幣経済に染まっていませんから、「神の領域に介入して金銭を得ようとする」人々を「泥棒」と言います。ボランティアでは癒し道具も買えないし、生活していけないというのは

人の都合です。

これはこの世のお試しのひとつです。気づかない人が主流ですが。

30分1万円。1時間3万円とかいうチャネルセッションもある。これを「地獄の沙汰も金次第」と言わずして、ではないのでしょうか。それも素人がスクール修了書を掲げて癒し処を構えている場合が主流となれば、です。この様相をあなたはどう見ていますか?

食べていくため子どもを養うために癒し業という理屈で1時間に万単位の料金を設定とは・・・。時給800円、1000円でバイトしている人が世の中にはたくさんいます。でも彼らだって役に立ってますよ。癒しは高額請求し過ぎです。

役に立つこと

貢献すること

そこで1時間何万円という算盤をはじく

これ当然のことではないのですよ。何か都合の良い解釈の上に胡座かいてませんか?

バブルですね、思考回路が。

価値観の違い

この価値観の違いは小さくありません。知らない人、見ようとしない人が少なくないことに私はとても憂いを感じます。神の領域のことで人は商売をする、紀元前から変わることなく。

この垣根を越えることなしに地球(この次元)卒業はあり得ません。


なぜ、こういう事態が横行するかと言うと


魂そのものが持つ材料と言えば良いのでしょうか。持ち合わせた資質と、この世の仕組みが引き寄せ合って、人の人生、ひいては社会を構成しているから。例外はありません。

実は癒しに対する金銭受理に<ためらい>を感じるくらいでちょうど良いのです。「かたじけない」という思いが人を謙虚にします。この心から湧き上がる「かたじけない」という思いこそが精霊を呼ぶのです。

1時間数万円の何処に謙虚さがあるというのでしょう。自給800円で笑顔の接客している人の方がどれだけ善良か。



私はこのことに多くが気づかないことを長きに渡り、飽きもせず憂いています。もう目新しいことは何ひとつない。人の業にその答えはあったし、答えはとっくに知っていたという何というあっけなさ!

何故

「1.地獄の沙汰も金次第(いわゆる癒し料)」

「2.選民意識(スピリチャル系日本人に多く見受けられる)」

「3.1匹の獅子が多数の羊を率いる(現在はその自薦他薦の獅子の数が半端じゃない)」

に多くの人が甘んじているのか。紀元前から人は何故ここで足踏みしたままなのか。古壁にペンキを上塗りしただけの感さえあります。
人はそれぞれ…深い部分の望み…が磁石。磁石がこの世の有形無形なものの中からマッチするものを、自分の人生に

ウエルカムしている、招いている、理由はこの辺にありそうです。

表面意識の手勢でどう美しい言葉を並べようと、それは氷山の一角でしかない。都合の良い解釈をしたに過ぎない。

私を含め、この磁石の「引き寄せ」を越えて

見返りという人社会の習癖を手離なして

それからでなければ卒業はない。教室は何も地球だけではありません。



いやはや



私たちは門前の小僧のようです。取り扱い説明書を与えられノーハウを得ても尚その傾向にあります。霊視、癒しの技は今も商売の道具にされている。売り買いから席を立つことなしに娑婆世界の卒業はありません。

教室は無数にあります。

この不平等、片寄った比率(少数のエリートと大多数の平民)は私たちが脈々と受け継いできた結果。私たちが招いた結果です。私たちは心の何処かで自分ではどうしようもない辛酸(それも思い込みですが)から救ってくれる何かを待ち望んでいます。私たちは今だに心の闇をかかえたままです。

さて

スピリチャルにはお金がかかることを私たちは疑いもせず受け入れています。ただ(無料)で人の世話になるのはズーズーしいという頭があります。その一理が私たちの思考を足踏みさせていることを多くが知らない。その一理は

人が長きに渡って培ってきた刷り込み。ギブはテイクあって初めてバランスが保てるという刷り込みではないでしょうか?

今も神の技は売り買いされます。でも皮肉なことに聖母と遭ったベルナデットやファティマの牧童は貧しいままでした。釈迦とその弟子は托鉢で命を繋いていました。弟子の中には器が空(カラ)のまま…そういうのもあったでしょう(多分分ち合った)し、もてなしを受ける日もあったでしょう。それは

見返りを要求しないことを物語ってやしないでしょうか?

この道理がなぜ精神世界には通用しないのでしょう?その答えもとても簡単です。すべては私たちが招いていること。算盤はじいている間は何を言っても無駄ということなのでしょう。




私たちは常に選択して生きています。




気づいて手離す機会が来た人は幸いです。




「仕方ないじゃないか」「食べていかねばならないのがこの社会」と、1時間数万円を当然の代価とするスピリチャル人より、自給800円で笑顔の接客している方がどれだけ良心的かと思います。でも改めようとは思わないのでしょうね。自由意志の名の元に集う我々ですものね。

自由意志は持って生まれた性質により様々なドラマを生む。それぞれの気質が磁石となって引き寄せる、招く、現実となる。それと同じ仕組みで

世界が変わる瞬間がある

それは痛みを伴う場合が殆ど。それでも人は自分の代で陽の目は見ないかも知れなくても子々孫々に明るい未来に繋がるようにと、より解放へ向うようにと、努力するのだと思う。奇跡のリンゴの木村さんが話題になるのもそのひとつだと思う。

私たちは生まれ変われる

ベルリンの壁を越えた人たちは無名の徒でした。東西の壁を壊した人たちはその後、三々五々それぞれの暮らしへ戻っていきました。




気運が高まる時ってあるんですね。




私は少し皆さんがついてゆけないと言うか…「やってられねぇ」という方へ足を進めているようです。実際「あんた!先行ってて良いから背中が見えるところにいなさいね!」と言われたことがありました。マイノリティ道中あっちこっちとんがっての膝栗毛ってとこでしょうか(笑)でもね、もっと先を行っている人いるんですよ。

私たちは皆、私たちが自ら招いているものを体験しています。使命感でさえもそう。根本にその因子を持っています。
日本人こそが選ばれし民族と言っている人は根本「選民意識」を持っています。それが彼・彼女の生きる道。で、同時にそれは課題でもあるのだけれど容易に気づきません。





私は心から気づいた人は幸いと思う。





何かスッキリしない、何か今ひとつ自分、垢抜けない、イケテないなんて気分の人いますか?
霊的に何かビビっと来るものがないのでモヤモヤしてたりとかします?
それって案外必要じゃないから「来ない」「イケテない」のではないでしょうか?

霊的事実なんて死んでから、いくらでも視ることができます!

え?「私はライトボディでアセンションするから、今!霊的事実が知りたい」? でもね、あなたの目の前のご主人が、奥さんが、あなたの鑑に充分なってくれていると思いますよ、私。それぞ!霊的事実かも知れませんよ。それ以上知る必要が何処にあるのでしょう。皆さんスピリチャルに食指伸ばし過ぎです。『青い鳥』の寓話を思い出して下さい。

青い鳥は我が家にいたのでしょう?

あなたが今ひとつクリアでない気がするのは必要ではない何かに気が向いているからじゃないでしょうか?




灯台元暗し





気づいた人は幸いです。





ベルリンの壁を越えたのはヒーローではなく、普通の人々でしたよ。





あれは一匹の獅子が率いる大多数の羊から解き放たれた瞬間でした。私たちは歴史的瞬間を目撃したのです。私たちは自分次第で、あの時、解き放たれたエネルギーと共鳴することができます。






断捨離

Category : 魂のご飯

台風は日本をスルー。水田は雨の恵みを必要としていますが、東欧は洪水被害。

皆さんは気づいているかどうか。もう数年前に日本の日没は1時間ほど繰り上がってます。私は仕事であるバレエ教室に行った時のことです。レッスンの撮影後に玄関撮影を編集者に言われ外に出て「おや?」
4時ちょっと過ぎ(12月)でしたが、既にうす暗い状態。5時頃には暗いというのが東京の冬。「地軸傾いたか」と思ったことがありました。海外の知り合いも「一時帰国した友人に「日本は日没この時期だと5時くらい。4時だとまだ明かるかったでしょ」」と言ったら「ううん、4時には暗かった」との返事で「え?」となった」とメールを頂いたことがありました。「やっぱり」何か変と感じたのは私だけではなかったんですね。



さて、今日のお題は「断捨離」



突然ですが、映画『コンスタンティン』を観た人いますか?キアヌ・リーブス(霊能力者の役)主演の映画で天使ガブリエルだったか?がエゴに掴まって堕天使となるのが描かれていました。
以前、なぜ天使は堕天使となるのかを書いたことがありましたが、『コンスタンティン』これは架空の話ですけど、やたらリアルでした。

なぜ天使が堕天使となるのか?

その一番大きい原因は「うぬぼれが生じた」ため。驕り高ぶる感情に支配され、奉仕本来の精神を忘れ、他者を支配下に置こうとし始める。

皮肉ですね。

自己評価は低いのも高すぎるのも問題。ちょ~ど良い案配にはいかないものでしょうか。

人にしても自己評価が高まるきっかけってあると思うんですね、良くも悪くも。そのひとつに

・上司の評価が自分が思うようでない場合が上げられると思います。「こんなに頑張っているのに」という頭がもたげて不平不満が募る。「もっと評価されても良いはずなのに」となる。

・あるいは自分は周囲より優れていると思い始め、上から目線な人になる。日々自尊心が膨らむ。

まだ前者の場合は「分かる。その気持ち」となるけれど、後者はいけません。そんなもん魂の成長の邪魔でこそあれ。さっさと断捨離した方がどれだけ良いか。ところがそうは問屋が降ろさない。自尊心って一旦暴走すると歯止めが効きません。
天使の場合、人より純度の高い波動のためでしょうか。天使界の周波数のせいでしょうか。一度エゴが生じると即!周波数に異和が生じて、その世界には居られなくなる。ラジオのチューニングのような感じで合わなくなる。弾き出されてしまうのだと思います。周波数的に周囲との軋轢が高まるのは必至。

天使の旨は『奉仕』です。その心に『支配欲』が生じるとオートマチックに周波数の変化へ繋がる。えぇこの世界と違って偽善は通用しません。徐々に『魔』との点と線が出来上り、

堕ちる

『魔』は魔法の魔ともいう。と妖かしの技と甘い言葉でターゲットが喜こぶ術に長ける。相手は二枚も三枚も上手(うわて)。天使系の人が堕天使に翻弄されたケースを私は知っています。その人は気づいて幸いでした。私はお調子者なので「明日は我が身」と何度思ったか知れません。人は鑑です。

自惚れには「隠れ自惚れ」というジャンル(笑)があって、世のため人のためを意識して行動いている人の中に見受けられるのが特長。彼らの中には大航海時代の宣教師もいました。なぜ隠れ自惚れかと言えるかと「自分たちの教えこそが正しい」という確信を持っていたから。
良くも悪くも貢献した彼らですが、一途に自分たちの信じるところをグイグイではなかったでしょうか?良かれとの思いは時に支配的な一面を見せるもののようです。

やれやれ

自惚れは<ひとりよがり>と大の仲良しでもあります。

神界から来た、天使界から仏界から来たという人々がいます。彼らは押しなべて霊視を依りどころとします。視えるものを信じて疑うことを知りません。全部が全部じゃないでしょうが、この娑婆世界の過酷さって何も辛酸苦労ばかりじゃない。隙間産業じゃないけれど、ほんのちょっとした心の隙

自分の説が正しい。

自分のチャネルこそがほんもの。

えぇそうやって<ひとりよがり>な発想が心の隙に入り込むのですが、残酷なのは本人の自覚がまったくないこと。だんだん周波数は合うチャンネルが変わり、知らないうちに

魂が下がる

神界という天使界という高潔さ故に下がる。これがこの娑婆世界の厳しさです。視せられるものが操作されているとは知らぬは本人だけというケースは少なくありませんが、そうなるきっかけが

自惚れ

ここはお試しの場ですから。高潔な魂が此処にやって来る、その理由に世直しや、救済が謳われます。謳われますが、その前に克服すべきものがあることを多くが見落としているようです。あるいは「選ばれし者」と公言している人も複数いますが、世界を救済する「選ばれし12名」とか「選ばれし16名」とか…もうそれどころの騒ぎじゃない繁盛ぶりだなあと私思っちゃいますけど(ふ~)。言わせてもらえば、ヒーローものの刷り込みありきかと。もう「私救う人。あなたたち救われる人」的な視点はダサいかと。

私たちは相身互いなのではないでしょうか?

どうしてそれに気がつかないんだろ。霊視・幻視ダイヤルにロックオン!されたままだからかな?

霊視能力などなくて私たちは幸いかと。




さて




天使さえも堕天使となる

こうした歪んだ自尊心は(自尊心のすべてがそうではありません)魂を下げる訳ですが、天使とて例外ではないという…、歪みの最たるものは

ひとりよがり

かと思います。これは手強いですよ。なかなか気づきません、本人。

あなたの周囲にやたら見下だす人いませんか?その人、自覚なくないですか? えぇ人は鑑です。「あぁ良かった」と「私は見せられているんだな」と思う。そして、自分を省みる。

でも「過ぎたるは及ばざるが如し」難しいですね。反省だけでも片寄る。疲れを感じますよね(苦笑)。とかく中庸とは為し難し、ですね。生きること暮らすこと事態が修行みたいなものです。魂は毎日の体験を記憶深くに記録し続けています。

思うに

一度「神界から来た」とか「サイキックに人を助ける使命があると言われた」とか言われたら、それがその後の人生を決定づけるでしょうね。え?「確かtakakoさんも「世界に1%にも満たない真実を語る人」と言われたことあるんでしょ?」ですか?」確かにねぇ。でもね、私、それを使命とか思っていないんですよ。って言うより書きたいことあったら書くし、「けしからん!」となれば臆することなく辛口に走る、私の性格の一部かと。
使命という自覚のうち、ひと握り、あるいは一人の人間が世界・人類を救う導くという類はヒーローものの刷り込みが色濃く影響して・・・ないとは言わせません。って言うか、人間の意識って

数千年経た今も「一匹の狼が率いる羊の群れ」に留まっているのでしょうか?

そんなことでアセンションに色めき立つって知識先行型と言えなくないし、取り扱い説明書を読んで何だか出来る!気になっているの図かと。

まずは啓蒙者・神秘追求者の信奉から抜けて、情報はすべて自分に必要か否かのヒントに過ぎないと気づくのが先決なのではないでしょうかね。講演する方も聴衆も「・・・だそうです」洗脳オタクかと。言い過ぎでしょうか?

私が今の時点で言える真実は

「あなたの(私の)真実を知るのはあなた(私)。あなたが(私が)生まれる時に決めたことは『知る』必要などない。あなたの(私の)直感があなた自身を(私自身を)導く」ということ。

「私たちは相見互い」ということ。

「日々、あなたは(私は)使命があろうがなかろうが、大志があろうがなかろうが、誰か(何か)を活かし、誰か(何か)に活かされている」ということ。

シンプルでしょ?

これ以上の「我が意を得る」ことなどありません。次元上昇の時勢であっても変わることない心のこと。細々としたものはあるけれど、略します(笑)


そして、心がけておきたいこと。それが断捨離!物品だけじゃありませんよ~。心の方が断捨離甲斐ありそうです。




私たちは既に死んでいる?(2)

Category : 辛口ごめんなさい


まだこんなヨマイごとを広めている人いるんですね。ネタ元はヘミシング…はぁ、何を信じようと勝手です。しかしながら明らかに変なことは変と言う自由を私は持っています。
「そういうこともあるのかも知れない」とフラフラよろめく人が少しでも減ることが私の希望です。老婆心に過ぎませんが、今はとても危うい時期なのかも知れませんね。ヘミシング、アカシックリーディング、リモートビューイング、チャネリングなど受講料さえ払えば何とでもなるご時勢。捕らわれのなさと妄想が入り乱れているネット社会。

ずっと前に私もチャネルをかじったことがあります。で、危ういなと思ったのは「当たる当たらないは気にしなくても良い」という講師の弁。事実、ガセと発覚しても「だって当たらなくても気にしなくて良いんでしょ?」と澄ましたご婦人方がいました。彼女たちは決して特殊な例ではありません。「アセンションから今帰って来ました~!あまり覚えてないんですけど」という明らかなプッツンもいるのがネット世界です。ところが「お疲れさまです~」という共感者がいるんですよ。もう手の打ちようもない有様。

カオス

この様相はこれからも変わりなく続くのでしょう。ヘミシング愛好者の「我々は既に死んでいる」提唱を信じる人は以下の記述はスルーして下さい。虚しいだけです。

「既に袂を分かっている」のですし、それこそ個人の自由。「信じない人は放っておきましょう。何とでも言わせておけば良い」の世界でしょ?

私はどっぷり迷・迷宮に入り込んでいる人たちに物申すつもりなどないのです。まだ染まりきっていない人を迷宮の渕、その手前で留まるよう

引き返すなら今!と

そのヒントを投げかける…えぇその程度のことしかできないのが実情です。すべてこの世界は自由意志の元に成立していますから。
しかしながら、このブログに辿り着いたタイミングが「あなたのタイミングです」と私は言いたいと思います。そして、あなた自身の内にこそ在る叡智へ、あなた自身で辿り着いて欲しいと思います。

さて 始めますか。











「私たちは既に死んでいる」

ヘミシングにはエリア区分けが為されますよね…、名称と数字がつけられています。それはリサーチ&認識によるもので、それによりエリアごとに存在する霊体を計り、どういう世界かを探求するのがヘミシング…概略としての私の理解はこうです。

さて

宇宙には周波数が横たわっています。私たちが居る世界だけではなく、周波数ごとに『世界』が存在することは容易に想像がつきますよね?

パラレル世界

は精神世界分野ではもう常識と言えるでしょう。

この世界だけが世界ではない。

同じようでありながら、何処か異様な地球(この世界も異様?)に遭遇したという話もあります。ちびまる子ちゃんの作者も子どもの頃に不思議なお屋敷体験があるそうですが、奇跡のりんごの木村さんも不思議体験の持ち主。

それとは別に作為的に異世界にアクセスするのがチャネルやヘミシングです。
How to本・CDなどを用いて、その作為的行為(異世界探求)はあらゆる可能性を求める手段に利用されています。日本での第一人者が坂本さんですが、今は雨上りのキノコのようにヘミシングは流行。リトル坂本が複数現われ、それに並行するかのようにネットも普及。今は誰もがその気になれば、自身の異世界旅行を披露できる世の中になりました。

どのヘミシングが正確でどれがそうではないのか。それは一概に言うことはできません。何故かと言うと、人それぞれが持つ価値観や縁が影響するためです。従って自分が出会い、良し!と感じたチャネラーやヘミシング愛好者の弁こそは「信じられる」となる訳です。
また人は『当たる』とかにめっぽう弱い。少しでも当たると「この人はホンモノ」と色めき立ちます。人間には完璧はありませんが、信奉者が出没し始めると都合の良い部分が一人歩きし始めるのが精神世界の傾向かと思います。

ただし今回取り上げるテーマは当たる当たらないというジャンルではなく、実際はどうなのか?というものです。

結論から言うと

あり得ません。そこには「『死』とは何か?」という問題が横たわっている訳ですが、それはここでは略します、長くなるので。

さて

死者の中には自分が死んだのを自覚できすにいるという幽霊話を皆さんは耳にしことがあると思います。知り合いに電車で幽霊がスーツ来て普通に通勤しているのを見た人がいて「自分が死んだのが分からないんだね」と言っていましたが、つまり今ここに居る私たちがそれに当たるという主張が

「私たちたちは皆、既に死んでいる」なのですよね?

この間の隕石落下は隕石落下で事なきを得たが、別バージョンの地球はそれが原因で人類は滅亡したという人も出現しています。この説によると私たちは死んだのではなく、生きる選択をした(大難が小難になる方を)となる訳ですが、こういう説も事ある毎に出てきます。

3.11以降は増々、死が身近に感じられるようになりました。地震に伴う津波と原発事故は私たちの生活に今も大きく影響しています。

では

私たちは実際問題、生きているのでしょうか? 死んでいるのでしょうか?

お聞きしますが、

1)あなたは目の前で人が死ぬ瞬間を見ましたか?

2)あなたは目の前で命が産まれる瞬間に立ち合いましたか?

1)の場合ですが、もし既に私たちが死んでいるとしたら、いずれにしても(病気・事故、老衰など)死ぬ瞬間を体験するはずなんです。死が自覚できないとは

死んだはずなのに生きているという感覚のことです。幽体が存在しますからね。死は無に帰すことではありません。

この通過儀礼

ありました?ありませんでしたよ。

就寝、翌朝目覚めて何の自覚もなしに死後世界に移行するなどあり得ません、何らかの疾病や心臓発作などの原因がない限り。
ここでいうところの「死」とは肉体から魂が離脱することを指します。

今回とり上げた説から言えば、私たちは全員「幽霊」ということになります。ヘミシングで視るって何だか滑稽です。技に溺れるとはこういうことなのでしょう。何でもありな印象さえ受けます。多分ですが、疑うこともなくこれ(既に死んでいる)を主張している人は波動上昇に伴なう地球の変化は、察知しているのかも知れません。これまでにはなかったような周波数ですから、百歩譲って、それにヘミシング的解釈を加えているに過ぎないのでは…?との解釈も成立しますが。

私たちは死んでいながら身近な人を送っている(死別)というのでしょうか?新しい命が産まれているというのでしょうか?

良いですか!

私たちが肉体を離れる際には事故にしろ病気にし老衰にしろ、何かしらを通過します。死とは宿主たる肉体から離脱するということ。

死後に死を自覚できずにいる例として、戦争で撃ち合っては死に撃ち合っては直ぐに生き返るのを霊視した人がいます。死に直ぐ!に生き返りの繰り返しをする。死を自覚できない、納得できない霊は本人にとって一番強烈な体験が引き金となり、同じことを繰り返す。
死んだのに死なないんですよ。直ぐにまた何処かの時点から同じことを繰り返すとされています。

え?昨日と同じ部屋で目覚めたし、ダンナも同じ?だから「私は既に死んでいるのかも」ですか?それって強烈な体験? まさか そんな屁理屈こねる人ここにはいないですよね?(笑)

いずれにしても

地球は只ならぬ周波数へと変化し続けています。でもそれが盗人のよう(聖書にもこの表現がありますよね)なので多くは無自覚なのだと思います。なぜ盗人のようかというと原因は私たちサイドにあって、直感から遠い生活に慣れ、多忙を極めているうちに鈍感になっているためかと。

従ってツールに頼る

未成熟なままツールを手にして、異世界旅行をする

深層意識は闇のままで

人には期待というものがあります。従って、その影響を受けない人などいません。えぇ断言できます。

個人の自由意思こそが最優先される。しかしながら<精神世界ビジネスが提供するツール>を使っての想念検証は実に危険かと。それが今回の事態ではないでしょうか?

お金を出せば手に入る

実に危険な現象かと思います。そして、自由意志には背中合わせに自己責任が伴いますが、他人に影響を及ぼす、事の重大さ、その意識が欠落している無邪気な人が精神世界ビジネスの普及に貢献しているのが実情と私は思っています。タロットにしても人間の潜在意識や信じたいモードを反映する傾向があります。

異界探求に100%の真実などない

ヘミシングとは人を妄想にかり立てるリスキーなツールのようですね。誰もがその気にさえなれば、異界ツーリストになれる。リトル坂本は世界中にいる訳です。
その坂本さんもダークサイドに操られてたと著書に記したとか。坂本さんをしてもそうなのでしょ?
言わんや、How to習得して、CD聴くなどして異界旅行をや?


既に坂本さんの著書の刷り込みが脳みそに為されてないとは言わせませんよ…!


確かに世界は不思議に満ちています。地球はグングンと波動変化しています。

人の想念もその乱気流に飲み込まれています。脆弱な人のアンテナは振り回されているのが実情ではないのでしょうか?
3.11を人工地震として闇の勢力が仕掛けられた水爆の一個を自分が止めたと言う女性もいるのでしょ? 実に何でもありの危ない人たちですね。

視えない世界は視る人の周波数次第でどのようにも視えるものです。それが事実かどうかは本人にも分からないのが実情ではないでしょうか?
チャネルにしてもヘミシングにしても受講料が発生した時点でビジネス。えぇビジネスで悪いと言っているのではありませんよ。でもそれ事実でしょ?後はお客さんの自己責任で使って下さいという但し書きありきの。精神世界企業は商売人、受講者は客。



かつて霊的修練はお金出しても

真の師に

出逢えるとは限らなかった



これが何を物語るかは容易に理解できると思います。私たちはスピリチャルに魅了されています。自分も視えるようになりたい、癒したい、事実を知りたいとスクールやチャネラーに行き当たります。
その流れの中で「私たちは既に死んでいる」というトンデモ話に信憑性を持たせる人たちは、地球の波動変化には敏感なのだと思う。生きていのかが曖昧な感覚を持つ人も少なくないのだとも思う。

でもね

魂には一定のルールがあって、死を体験する際<肉体を離脱する際>には何かしらの事態に直接遭遇します。そして

死などない

というスピリチャルな真理に真に到達した人は残念ながら希有。にわか仕立てのチャネルやヘミシングに頼るのは個人の自由ですが、自分が視たものを真実のようにネット公開する人がいるということ、それが

危うい行為であることを自覚できない人がいるという、これは証明でもあると思う。




誰がどう妄想を事実のように喋ろうと個人の自由。しかしながら「そういうこともあるのかも知れない」と色気出すのは私たちに隙があるせいではないでしょうか?

確かに世界には不思議が存在します。しますが、決して「私たちは既に死んでいるんですよ」などという事態ではないということ。

今は波動変化が著しい時期

異界に食指を伸ばして生活するのは危険かと思う。日々、私たちは自身に則した日常を体験し続けています。「私たちは既に死んでいるんですよ」と信じている人もいつか

死を体験する

肉体を離脱する感覚は魂にあらかじめ刻印されています。それは行き来でもある訳ですから。それが慈悲ってものでしょう。




プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

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(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

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