神童

Category : 辛口ごめんなさい

アセンション啓蒙者のひとり浅川嘉富さんが講演会などで話題にしている「和宏君という少年」ですが、かなりの超能力者ということですね。ご存知の方も多いでしょう。

<超能力=素晴らしい人格者>とは露ほども思っていない私ですが、この少年に関しては違う意味で微妙な気がしています。以前、知り合いだった方のお子さんに和宏君と同じかそれ以上の霊能力の持ち主がいました。ですが、残念ながら能力がそのお子さんを純粋なままには置かなかった・・・子供ゆえに心に忍び寄るものに無防備。
いつしか自分の能力が素晴らしいと自覚するようになります。大人でさえ難しい訳です、自らを諌める心を養うのは。私は「和宏君という少年」を周囲の大人たちがどう育てていくかに懸念を持ちます。老婆心でしかありませんが。

神童

子供を賞賛して育てることは決してその子のためにはなりません。特別視は自惚れが入り込むきっかけになる。すると心が育たなくなる・・・それは大人とて同じではないでしょうか。よほどの神格が備わっていなければ、自尊を乗り越えるのが如何に困難か。それは容易に想像できるのではないでしょうか。何かしら秀でる者にとって人生とは己を濁りなく見つめ、心を養う機会でもあるのです。霊的であれば尚のこと。

今日は能力者として子供を育てることの愚かさを説こうと思います。



私が何故そう懸念するかというと「「和宏君という少年は子どもの龍」という部分。子どもの龍・・・つまり未熟な魂であることをそれは物語っているためです。
皆さんも多分ですが、希有な能力に目が行くのではないでしょうか。和宏君の周囲の大人たちも舌を巻き驚愕しているようですね。過去、やはりアセンション啓蒙者が世間の穢れから遠さけて大切に育てた少女がいたそうで

成人後、満を持して霊能者として活躍するようになった。ところが毎回言うことが違うだのクレームが上がるようになったという例があります。

能力者として子供を育てるとは

子供の意識に<色>をつける・・・大人の価値観を植えつけることにもなる。

子供は容易に染まります。

子供に能力者だという自覚が生じる。そして、それを律する(コントロールする)術を本人も他の誰も知らぬまま歳月を刻むことになる。
ましてや目に視えない世界のこと。子供は視るまま聴くままを信じます。子供も周囲の大人も心の有りようで視るもの聴くものの次元が異なる現実を知る由もありません。従ってどんどんまつり上げる道へ進むことになります。



和宏君は「この三次元世界の地球と「神界」を行ったり 来たり自由自在にできるので、天照大神、国立常尊という神々にも会うことができる」そうですね。ですが、

<国常立尊=伊弉諾尊=高木神=神魂尊=天照皇大神>これは名称こそ複数ですが、つき詰めれば同一神という図式。これを念頭に置いて読み進めてみて下さい。

UFO墜落の際、「米国の攻撃を避けるためにあえて火口に墜落した宇宙船を和宏くんは神界に赴き、「国常立尊さんと一緒に彼等を救出してきた」」 と言ったという話や、3.11の際にも「福島第一原発にUFO目撃談があり、和宏君は彼らと一緒に放射能軽減のために奔走し、かなり体力が消耗していた」という逸話も出ています。

国常立尊?はて。

3.11後の放射能汚染は今も深刻ではないでしょうか?軽減とはどういうレベルなのでしょうか? まぁ今も漏れ続けているようですが、汚染度は当初から変わりないのが現実ではないでしょうか?
浅川さんの元には3.11の際、闇の組織が仕掛けた水爆4個のうち1個を止めたという女性の話も本人からもたらされているのですよね。

いずれも本当だとしましょう。「それがなに?」と私は言いたいと思います。まるで劇画かSF映画のような筋書きのようです。いずれも幽体離脱の類いですべて行なわれたという主張のようですが、こぞってエキサイトしているのが手に取るように伝わってきます。それらの話が事実として少し吹聴の匂いがしてなりませんが、いかがですか?
知り合いのお子さんは幸い母親が賢明だったため増長に歯止めが効きました。自惚れが生じるとオートマチックにそれに見合う周波数が生じます。従って本人の自惚れを心地良くし、引き込む質の存在と縁が結ばれるようになる。

親や周囲の大人が自分を特別視するのを子供は敏感に察っします。この世の要はどう心を育くむかにかかっているのですよ。幼ない魂が受肉するには何らかの意図が隠されているのだと私は経験上知っています。本人にそこまでの自覚はありません。つまりこの点では私たちは一線上ということかと思います。

能力より尊いことが転生した以上はあります。それは高ぶる心を鎮める気骨を育む師との出逢。そして、試練です。
龍神の魂には国の長に登りつめた歴史上の人物が数多くいます。彼らは皆、幼少期苦労をし、師に出逢うなどしてイバラの道を極めています。





師なくして賢者なし





賢者=能力者とは限りません。子どもの龍が娑婆世界に来る・・・それこそ可愛い子には旅ではないでしょうか。実際に会わねば分からないこともありますが、無邪気ゆえに

その龍の子にはこの試練の大地が必要と神界は意図したのかも知れません。無論、救済の意図もあるのでしょう。しかしながら、果たして

宇宙存在は龍の子の助けをどうしても必要とするでしょうか。

そんな脆弱さでどうやって地球に棲む命をいざとなれば救済すべく集結しているというのでしょう。


この世界は<気づき>のフィールドです。天使でさえ転生してきていますが、心に問題がない訳ではないし、宿題課題がない訳ではありません。私もそうです(ちなみに私は天使でも龍神でもありません)。

どの魂も例外なく自己を鍛えるため、あるいは宿題があって此処にやって来ています。金星から来たというオムネク・オネクですか?彼女もそう自身のことを書いていますよね。ましてや和宏君は子どもの龍。存在自体が<子供>だからこそ無邪気に武勇伝を喋って大人たちを驚かせているのでしょう。
私の老婆心は身近かに能力があるという自覚のあるお子さんがいたためですが、同じ匂いがします。そのお子さんは母親にだけ話すのみでした。知りあってからも私には一切武勇伝はしませんでした。そのお子さんは賢明だったと思います。自惚れが生じて妙なものを引き寄せたことを知り、小さいのに懸命に自分と向きあいましたから。




私たちはそれぞれに不思議な子供の存在から何に気づこうとしているのでしょうね。興味のない人もいるでしょう。いずれにしても、子育ては親や周囲の大人の心を鍛えます。能力もギフトですが、心を

そうです。誰もが心を持っている

それこそがギフトなのではないかと私は思ったんですね。心ほど鍛え甲斐のあるものはありませんから。鍛えられるって痛みを伴います。心地良いことばかりではありませんよね。辛いことからも私たちは多くを得ることができます。

すべて

なにごとも私たち次第なんですね。詰まるところ。

不思議な話をする子供たちの数が尋常ではないようです。と言うことはその周辺の大人たちの資質をも試されていそうです。


この世の神秘は

実は

私たちに心が備わっていることのように私は思う。

目に視えないけれど、確かに「それはある」(笑)

愛を体感する

目に視えないけれど、確かに「それはある」

愛は私たちを介して育まれるものですよね。



得難い機会を私たちは得ているのではないでしょうか?



どうか そのことを心に置いていて下さいね。






「・・・だそうです」シンドローム

Category : 辛口ごめんなさい


「3.11人工地震説を斬る!」を書いて以降、私はますますアセンション啓蒙者と彼らを信奉する人々の他人任せな情報の羅列ぶりを無邪気すぎると思うようになりました。

3.11で愛する肉親を亡くした人、今も苦難の日々を送る人がいるというのに「人工地震説」を世に出すことに何の意味があるというのでしょうか。それもペンタゴンのある筋から聞いた極秘情報とか霊視の類いが元になっているのでしょ?

事実を明らかにする?

それで尊い命が戻って来ますか?

二度とこのような悲劇を繰り返さないため声を上なければならない?

多数の日本人がブログやHPで声を上げて口々に指摘する「闇の勢力の仕業」ですが、どれも何処か誰かが主張している内要を持ってきているのでしょ?正義風吹かせるのは自由だが、そういう他人のフンドシで相撲をとるが如くの振る舞いで何を言うかと私は思う。
マスコミは真実を報道しないと言う。はて・・・それではその人たちがブログで書いている情報が100%真実なのでしょうか?事実も事実にあらず、もありと私は感じるのですが。

例え彼らの情報が事実としても闇の勢力を撲滅するためにどう直接関わっているというのでしょうか?それらに実際に命がけで関与し従事している人に失礼かと私は思う。9.11と3.11は違います。しかしながら、尊い命が失われたことには変わりがありません。残された遺族は今も生きているのですよ。3.11を人工地震とデータを駆使して、ビジョン話を真に受けて人心を煽ることに何の意味があるのでしょう。

今[同じ日本人として]自分にできる支援を日常している人の方がどれだけ奉仕していると言えるでしょう。

真の奉仕は[相見互い]なのですけど、一方通行思考の人がかなり世間にいます。互いに育て合う。それが私たちの本分です。

日本人として特別な使命に燃える

それがオプションとしてついている人、多いですよね。それは自由。しかしながら、それらの人はそれに囚われ、そちらの方向へ走っているが、そんなこと気にもせず

今、自分にできることで同胞を支援している人の方がどれだけ誠実か。国籍の違いはそこにはありません。ボーダレス。

え?「私だってしてます」?「考えています」?

いい年をした大人が、さも「自分は真実を知っている」「自分が知らせねば誰がする!」とばかりの勢いで吹聴するかのようなネット社会。彼らがどんなに情報をネット配信しても彼らには(彼らが主張する)『闇の勢力』を撲滅する力はありません。かなり遠~い対岸から叫んでいるに過ぎないのではないでしょうか?仮に核心に迫っているとして無事でいるのは影響ないからでは?あるいは泳がされているだけかも。

最近、ローマ法王が引退表明しましたね。

あのですね…「・・・だそうです」話で終止する人たちとは無関係に世界は動いているのですよ。命がけで従事している人は他にいるということです。

情報通とは

人から聞いた話をする人のことのようです。精神的に命がけで世界を股にかけてはいても自分の好奇心の趣くままでしょ?関心なければ見向きもしないでしょう。

ネットの普及はこうした「・・・だそうです」シンドローム人口を増殖させています。その顕著な例が「3.11人工地震説」ではないでしょうか。
ビジョンで4個の水爆のうち1個の爆発を自分が止めたと主張する女性がいるようです。彼女が爆発を止めた1個は(闇の配下が三陸沖海底に埋めたという主張。しかもその意図は日本沈没にあったという。寝言は寝て言いましょう)今も不発弾として<そこに>あるということでしょうか?それとも誰かが持ち去ったのでしょうか?今も福島では地震観測されています。北朝鮮が地下核実験を敢行し、地揺れが観測されました。その波形と3.11は酷似していると表記する人もいます。

世界はね、それらのネットユーザーや啓蒙者が何らかしら影響する世界ではないのですよ。

世界が平和であるように願うのは尊いことです。真実を炙り出そうと情熱を注ぐのもけっこう。

しかしながら利害の一致を見ない人間の有りようをあなたはどう見ますか?

世界平和を祈りながら

日本人には特別な使命があると主張する

そう「主張」し、それを「証明」しようとする

その試みに何の意味があるのでしょうか?

国籍など関係ない。何処に住んでいようと、私たちはそれに捕われることなく、自分が今できる[相互協力]に精進する時ではないのでしょうか?それぞれにできる支援を地道にする時ではないでしょうか?
講演会やネットで人さまのビジョン話を「3.11は人工地震に間違いない」などなどと披露することに何の意味があるのでしょう。それは聴衆に「やっぱり」という思考をもたらすだけでしょ?聴衆は信者の思考ですから、聴いた話を鵜呑みにします。それ「・・・だそうです」シンドロームと呼ばずしてではないでしょうか。

私たちは真実を知りたいという欲求を持っています。

それが科学の進歩文化の進歩(それを進歩と言えるのであれば)をもたらしましたが、弊害も同時に産みました。医学の進歩も多大な犠牲を伴っています。人間とは自分優先に考える思考パターンがあり、それがアセンション啓蒙者にも行き渡っていると私は思う。

選民意識

まだそこに留まってアセンション洗脳しようとしている人がいる…、えぇそれって「洗脳」では?
その人自身は信念に基づいているので絶対そこを譲ることはないでしょう。複数の新興宗教の教祖が自身を「メシア」と名乗って久しいですが、私に言わせればアセンション啓蒙は新・新・新興宗教ですよ。

今来ているエネルギーを私は否定しません。しかしながら誰かの説を信奉して、それを広めようと、善行として集会に人を誘おうと…、現に「私、宇宙船に乗りたい(救われたい)ので。そのためには善行を積むのが大切と**さんがいうように友だちを(講演会に)お誘いしました」というのを聞いています。

救われたいから

そういう思考を誘発している

自分の話を聞く者は救われるという思考パターン

それって洗脳ではないのでしょうか?

誰もが答えを欲しています。啓蒙者とて同じ。
何が真実か教えて欲しいと誰もが思っています。何が実際起きているのか知りたいと切実に思っています。その流れの中でチャネルが定着しました。宇宙人との公式遭遇もネットで流布されました。霊界通信も乗るか逸るかの域ではないでしょうか?

多分ですが、このブログに辿り着いた あなた はそれらに何らかの違和感を感じてネットサーフィンしていたのではないでしょうか?

何か大切なものを見落としてやしないか

そんなモヤモヤを抱えているのではないでしょうか。

私は あなた に心の底から言いたいと思います。

「あなたはもっとあなた自身の感覚を信頼した方が良い」と。あなたにはあなたの人生の目的があり、それは誰かの説を信奉するために費やすためにあるのではないと知っており、だからモヤモヤし続けていたし、誰かに背中をひと押ししてもらう必要を感じていたのではありませんか?

自信がない

そんなの言い訳でしかありません。あなたの人生を決定づける羅針盤は外にはありません。

あなたの内にこそある

確かに今は只ならぬ時節です。私たちはそれをチョイスして転生してきているのですが、選ばれたからではありませんよ。

あれ? それちょっと残念な気がする?

そこ!そこが落としどことなんですよ。アセンション啓蒙者にしろ、チャネラー・サイキックにしろ、そこが磁力となって、それに見合う事象を引き寄せている例が多い。望むものを引き寄せる。それ宇宙の法則なのでしょ?

啓蒙者の多くは魂的に義務教育期間に属します。それを無邪気に信奉して「・・・だそうです」と広める人もとりこぼすことなく。でもそれは彼らの成長のプロセスなのであって、それが「いけない」と言おうと私はしているのではありませんよ。

馬の耳に念仏と言っているだけです。え?「takakoさん、何様?」

私はアウトローなんですよ。娑婆世界のどの「・・・だそうです」シンドロームの何処にも属さない魂なんです。紆余曲折あって、何処にも外には[答え]がないことに気づいただけです。

答えは私の中にある

答えは あなた の中にある

然るに今知る必要のないことはいくら瞑想しようがウンともスンとも来ません。もっと先で良いことは来ません。今は試行錯誤するしかないってことも人生にはあるのですよ。
釈迦とて荒行中の荒行の断食をして、それとて悟りを得ることができずにいた時、「琵琶の線はひっぱり過ぎても良い音は出ない。逆にゆるすぎても良い音はでない」と弟子に教授している声を耳にして、行き過ぎた修行から離れ、スジャータという乙女からミルク粥をもらって英気を養った後、菩提樹の下で瞑想し悟りを得たと言います。

私たち凡夫はその逸話から多くを学ぶことができます。いつか自分の中に答えを見出す。人の説ではなく、自分が今ここにいるのを意図したのは他の誰でもない自分なのだし、どうすれば良いかを知っているのも自分なのだと悟る時がある。

世界を変えるような偉業でなくとも、私たちは自分の中に生きる意味を見出すことはできる。できるし、その姿を通して影響し合うことができる。

集合意識とは精神世界の価値観。宇宙から見れば地球は青いといのに似ていませんか?地球には土・緑・灰色・・・色々な要素がある訳ですよね?季節もある。人も同様で肌の色や、人の数だけの思考パターンと異文化、そして多種多様な動植物が生息している訳です。従って私は集合意識と言われても「困るなあ」というのが正直なところ。

誰もが自己責任を有しているのだし、肩代わりなど私はできないし、しようとも思わない。だってそれは魂の成長を邪魔してしまうことですから。そりゃぁ盛り下がります。本人が気持ち良いだけで。
確かに手を差しのべるタイミングはありますよ。ありますが、野生動物保護と同様にいつかは野生に還す時ってあるのですよ。え?「私は野生動物じゃない?」野生動物の方がマシかと。私たち人間が一番地球のお荷物なのですよ!その自覚あります?偉そうに「人工地震説」唱えて、それ何の貢献でしょうか?

私はあらゆるアセンション関連の本も話もエンタメと捉えています。それ以上でも以下でもありません。たとえ発信者が命がけ!本気!としても。その人が命がけで真実と主張しているとしても、それを信じるも信じないも自由なのではないでしょうか。

何が真実か

誰も実は知らないというのが私の結論です。

あらゆる情報を取捨選択する自由を私たちは有しています。そして、それらは全てヒント。釈迦が極度の断食中に耳にした話と同じで大事だけど、全てではないということを心の何処かに置いといて下さいね。

ちなみに

私は日本の国籍を今は有していますが、だからと言って日本人として特別な使命があると囚われたことはありません。もっと広い視野に立って、「自分が日本人に生まれたのは使命があるから」という寝言


えぇそれは[まだ目覚めぬ魂]が落ち入りがちな思考回路かと思います。じゃぁ未開の地に暮らす人たちはどうなると?

全ての命に存在意味があるのです。アセンション啓蒙者は『使命』という垣根から出るつもりはないでしょう。信念に従うというのは心地良いですから。でも精神世界ってトリッキー。そうそうは簡単に真実には辿り着かないかと。
何故か?自分たちが一番心地良いと感じるものを人は引き寄せてる質だから。例えば…申し訳ないものの日本人龍蛇族という説ですが、私は龍蛇族ではありません。そういう人もいるでしょう。でも私のようにそうじゃない人もいる。
魂はそれに呼応する情報人脈を引き寄せる。ある種の魂にとって重要でも他の魂にとってはそうではないかも知れない。

多種多様…それが現実と私は常に言っています。その私とて全てを見通している訳ではありません。ただ、きっぱり言えることは

私には私の所縁所以があり、あなたにはあなたのものがある。どれかに照らし合わせても何となくシックリ来ないってありませんでしたか?

その場合

あなたは誰かの説ではなく、あなた自身の感覚に沿い、この時期を迎え、乗り切る意志を持って転生したことを深い部分で

知ってるからでは?

参考にこそなれ、鵜呑みはしない。精神世界はパラドックスかと。かえって内省に向かうため敢えての遠回りだったのでは

何故かって?

私たちは体験しないと分からないおバカさんだから。





違います?





ということで(笑)




せめて「・・・だそうです」シンドロームから脱却して、ダイレクトに繋がるフィールドが私たちに内在しているのによそ見ばかりな習癖から卒業しませんか?







3.11人工地震説を斬る

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温室では成長しない魂たち

Category : 魂のご飯


温室では成長しない魂たち

それは他でもない私たちのことです。

今日はこれに関して書いてみようと思います。








皆さんは精神世界の書物やセッションで喜怒哀楽に対する対処法を学んだとか、影響を受けた経験を持っていると思います。

誰かに対する悪感情…怒りや拒否反応、ジャッジメントをどうしようもなかったという経験もあるのではないかと思います。怒りは100の功徳を焼く<台無しにするーそれは相手も自分も傷つける行いだからですが>と、かつての私も自分の心の問題とその方向ひと筋に打ち込んだことがあります。

あるいは傷つく度に癒しや労(いたわ)りを必要としたことがあると思います。

起きることすべては私たちの心の鑑。確かにそうです。人のせい何かのせいにしてばかりいては成長しないのは確か。

生まれてから死ぬまで私たちは人間関係の影響の元で過ごします。親・兄弟・友・仕事関係など魂は自分の課題に適した人間関係をわざわざチョイスして此処にやって来ます。つまり<喜怒哀楽>のオプションは想定内な訳です。揉めるのも悩むのも。

残念なお知らせですが、温室育ちでは私たちの段階<娑婆世界に転生する必要のある>魂は100%成長しません。従って雑多な人種、雑多な価値感、雑多な風習、貧富の差、あらゆる問題は私たちの必要に応じて

来る

絶妙なタイミングでやって来る訳ですね。人生にはきっかけ→過程→結果、きっかけ→過程→結果という連続性があります。1回の人生が単発ドラマとすると<死>によって一区間の連続性に区切りをつけ、肉体を離れて振り返る機会を魂は持つ訳です。魂は単発ドラマの連続性の中で成長もし、行ないによっては後退もし、永遠の旅を続ける。

人は行ないによって色んな感情を体験します。確かに癒すべき感情ってある訳ですね。でも考えてみて下さい。

転ぶ度に起こしてもらうことを学んだ幼児は自分で起きようとはしません。泣けば誰かが助けてくれることを<学習している>ためです。幼児は誰も起こしてくれない(甘えられない)と仕方なく自分で起きます(笑い)。

あるいは厳しい戒律を一生涯守ることしか<与えられない>人生。

2つは極端な例ですが、人は<学習>したことしか身につきません。

与えられる

これは精神世界の癒しにも通じるように思いますが、いかがですか?つまりいずれにしても私たちは<与えられる>情況に慣れ親しんでいます。思春期の反抗は人間が自分で決めて生きたい!と欲する過渡期プロセスですよね。マグマのようにつき動かされるので本人もコントロールする術を知りません。従って

揉めます。

家族は、親は、た~いへんな訳ですが、揉めるとは親も子供も双方にとって接し方を変える時期が「来た~!」時な訳ですね。それは魂に第一段階の<自立>のスイッチ。生殖機能の準備(子孫を残す)が出来たというサインでもあります。まぁ派手な反抗期もなく大人になる場合もあるでしょう。すべてはケースバイケース

そうケースバイケース。人間ひとりひとり成長段階が違います。価値観もそう。従ってある人には響くが、別な人には暖簾に手押しでまったく響かないとかある訳ですね。このブログもそう。

癒しもそうで

癒しとて一プロセス。まったく必要がないと言っているのではありませんよ。風邪引けば薬を飲むし、風呂にだって入る訳ですね。生きる限り私たちは何らかの身体メンテナンスは必要です。でも心のことは微妙に違ってくるように思います。

心ほど鍛え甲斐のあるものはありません。

皆さんは気づいているかどうか知りませんが、感情はこの世で私たちが生きる上で欠かすことができないものです。痛みでさえも。厄介ですが、決してそれは不必要な産物という訳ではありません。そういうふうな身体と心が創造されているのには理由がある・・・これくらいは精神世界本を読み漁り、セッションを受けまくった人なら想像はつくと思いますけど、いかがですか?
私たちは常に感動し、喜んでいたいと願います。でも皮肉なことに苦しみがあるから喜びもひとしおだったりしませんか?陣痛がそう。わざわざ私たちは痛みを伴い、苦労を伴う世界へやって来るんですよ。

痛みを伴い、生命を迎え入れる<親>

痛みを伴い、この世に来る<子>

それは体験したい何かが此処にあるからだし、此処でしか得られない学びがあるからです。

私たちは全員ひとり残らず

未熟

です。多かれ少なかれ未熟な点を持っています。たとえチャネラーでもヒーラーでもです。無論アセンションリーダーも。あれ…かえって彼らの多くは私たちより未熟かも?辛口です(笑、笑えない)。此処でしか得られない学びには心のことは身体のこととは違い、私たちそれぞれの成長に応じて

卒業

の時節があります。そのひとつに

喜怒哀楽はこの世でしか、ここまで!味わえないということ。それを知ることが含まれていますが、多くはその<怒>と<哀>を何かのツールを使って癒すことしか知りません。実は青い鳥の寓話と一緒で、遠くに、自分以外の何かに、心の痛みを癒してくれる方法があると思っているうちは娑婆世界の

卒業

はないと思った方が賢明です。身体にも自己治癒力というものがありますが、きっかけを外から与える必要がある訳ですね。なので心のことも同じと思っていると思います。でも心のことは独特なんです。

釈迦が因縁解脱したという

それこそが私たちの中に癒しや気づきへの道があることを示しています。釈迦はその道理を会得して人々に自分の足を使って説法行脚した方です。原因も自分なら結果も自分。その結果を受けて私たちはそれを材料にまた新たな取り組みに向かう訳です。ひとつクリアしたら次!それが心の羅針盤です。

良い感情のみが魂を育てるのではありません。私たちは苦しみの中から、そこに置かれた環境から自分がどうすべきかを選択しようとします。意識的にも無意識にも。
脱原発の多くの声を無視するかのように安倍総理は「原発ゼロを見直す」と明言したとか…。正直に書きますね。私はその発言に怒りと失望を覚えます。私はその怒りも失望も否定しません。何故なら直感が「NO!」と訴えるからです。世論に乗っかっている訳ではないのですよ。

喜怒哀楽は私たちが体験する正直な反応です。それじゃいけない!そういうことじゃいけない!と自分を苦しめる段階から私たちは一歩歩みを進めて、痛みを伴う感覚から多くを学んでいることに気づく時です。



   あぁ私はこういうことでこんなに感情的になるんだな
   悲しくなるんだな
   平気ではいられないんだな
   痛いよ
   でも、神様の国にいる時は知らなかったな
   そうか 痛いってこういうふうなんだね
   泣きたくなるって こういうふうなんだね
   人間のことよく知りもしないで
   何故泣くの? 何故傷つくの? 何故傷つけるの?
   そうやって不思議がってばかりいたけれど
   どうしようもない悩みを知らない(経験しない)うちは
   人間を理解することはできない
   
   理解

   それが私を成長させる

   神様ってスゴい!



私はそれに気づいて改めてこの娑婆世界が自分には必要だったことを思い知りました。私たちは皆

温室では成長しない魂たち

なんです。アシュタールにしろ大天使ミカエルにしろ宇宙存在にしろアセンションのアドバイスを求めているうちはこの次元の卒業はありません。娑婆世界は他にも用意されていますからね、行き先生き先は事欠かない。
私は、感情に揺さぶられながら貴重な体験をしていることに感謝したいし、未熟さを否定しようとも思わない。精神世界の産物たるチャネルやヒーリングやセミナーはプロセス。その分野で代価を支払う、受け取る段階から卒業する時をいつかは迎える。それらは義務教育のプロセスであることをいったい何人の人が気づいているでしょうね。
代価に関する考え方は人それぞれです。無償を美しい行為と私は言うつもりもありません。しかしながらセッション料を支払わなければ受けることができないヒーリングやチャネルの仕組みを作ったのは誰ですか?人の打算でしょ?無料で癒してもらって「しめしめ」とか「儲かった」と思うのもどうかと思いますが、どちらの立場も品性の問題かと私は思っています。

釈迦にしてもイエスにしても彼らが生きた時代も貨幣経済下にありました。でも彼らは金銭を要求しましたか?代価を設定していましたか?
神秘の技に価格を発生させるのは人の打算です。そこの道理がまだ分からないようではアセンションも娑婆世界卒業もありません。代価という頭から離れて始めて人はこの娑婆世界から卒業できるのですよ。これから先、貨幣経済は混乱し続けるでしょう。それが何を物語っているか皆さんは想像できるのでしょう?なのに、どうして自分から新しい世界観を身をもって表現しようとしないのでしょうね。

食べていかねばならない?

それが代価を必要とする理由ですか?ただで癒してもらおうというのはずーずーしい?まだ意識がそこに留まっているんですね。癒しやチャネルを商売にすることを正当化するのは個人の自由です。確かにそう。此処は自由意志のフィールドですからね。しかしながら地球に今到来している波動は人が何千年かけて築いてきた貨幣経済の次元を既に凌駕しています。

代価は当然?目からウロコの落ない人たちですね。

心のことは身体と違い、外的メンテナンスを必要としない段階がやって来る…いや既にやって来ています。そこに気づくか気づかないかで、あなたの日常はガラリ!様相を転ずると思います。あなたの日常を支えているのはあなたの心。

ただし!身体のメンテナンスと治療が必要な人は信頼できる治療士に相談しながら充分に身体を労ってあげて欲しいと思います。





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(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

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