ずいぶんおかしなことを言ってくれる

Category : 辛口ごめんなさい

今日書く内容は憶測でも推測でもありません。私自身が見聞きした上での見解。個人批判という意見は従って受け付けかねます。今に始まったことではない?確かに(笑)

さて

アカシックレコードにアクセスする分野は既に定着。スクールも盛んで卒業生なる人たちも五万といることでしょう。しかしながらアカシックリーディングの大家で前言を尽く撤回し続ける人物がいます。
彼は「アカシックレコードに書いてあることに変更はない」としながら予言が外れると諸事情が発生したと説明を繰り返しています。中でも「函館に巨大地震が来る」「絶対に来る」とある時期を特定して拡散を受講者に促したことがありました。私は人に誘われて受講し、それを聞きました。ところが何も起きませんでした。後日、知り合いが函館にいる人が再来日したアカシックリーダーに責めるでもなく「私は絶対に起きるというあなたの言葉を受けて友人に引っ越しを勧めました。友人は私を信頼してお子さんの転校までしたのですが、何も起きませんでした。私は友人と決別しました。私はあなたを責めているのではありません。いったいどういうことかお聞きしたいのです」そういう内容でした。以前にも書きましたよね。

その答えですが、「確かにアカシックには書いてあった。お気の毒には思うが」でした。

皆さん、どう思いますか?

もう10年以上前のことですが、その人物はアカシックレコードで記されていたアセンションに関するものが最近変更になったという声明を出したようです。私はそれを読みました。アカシックは宇宙図書館のようなものと言われています。

ずいぶんおかしなことを言ってくれる

それが私の見解。私はアカシックとは幾層にもなっており、それは流動的であるという結論に達しています。そして正確な読み手はこの世に存在しない。当たるも八卦当たらぬも八卦の域を出た者はいないということ。アセンションすると言われ、後日改めて個人セッションを受けた時、ここに留まると言われたという人物もいます。言われることを鵜呑みにして自分の直感を後回しにしている鄢著な例と思いますが、その自覚がないことにため息を禁じ得ません。

人は人

ですか?

私は薄暗い教室でひとり目覚めた者

裸の王様は決して事実を知りたくないことを知る者

アカシックリーダー自身がアカシックに依存しているのでしょうか?

それを私は否定できません。

視える 聴こえる 

そこに甘んじる限り『目覚め』はありません。リモートビューイングにしても想像と妄想の危うさを露呈しているケースが少なくないと思います。猫も杓子もスクール受講生。私の知り合いだった多くのチャネラーもその域を出ません。自分の頭の上のハエも追えず、よく人さまからセッション料を頂けるものだとこれまたため息を禁じ得ません。

いつまで盲信をするつもりなのでしょう。視るものも視てもらう者も。

アセンション

前出のリーダーが「光の12日間」に起きることをレクチャーする場に私は居合わせました。彼は「葛藤を手放せなかった人々には死が訪れるが、完璧に目覚めていた葛藤を手放した人はアセンションする」という講義でしたが、こういう主旨の質問が出ました。

「じゃぁ私たちは(受講者)は死者の山を目撃するのですか?」

すると

「いえ。目撃することはありません」

それが答えです。皆さん、私はこの段階で気づくべきだったんです。十数年前の私は今の皆さんのように曖昧な感覚でいましたから、そういうことも起きるのかも知れないと深く考えもしませんでした。愚かでした。

いいですか・・・!

完璧に目覚めた12日間を経て そして アセンションする

葛藤を手放した人々と葛藤を手放せなかった人々は光の12日以前に別な場所にいることになります。

おかしくないですか?

この地球上でアセンションは起きるのですよね?

確かに可能性として映画『ノーイング』のように選ばれし者は宇宙船で危機一髪のところで救済されるのかも知れません。

完璧に目覚めた12日間

それはいったい何処で起きるというのでしょう。今はニュースが世界を巡っていますが、電磁波の影響が懸念されれば、通信網は絶たれる可能性が考えられます。しかしながら

完全に目覚めた12日間 あるいは12ヶ月間

それを成し遂げた者だけがアセンションするのであれば、その12日あるいは12ヶ月を彼らは何処で過ごすのでしょう。

根本的に不可能と私は思います。つまりその人物がアクセスするアカシックレコードは完璧ではないということをこれは示唆していると思います。

袂を分かつ

案外早い時期に私はアカシック情報から離れました。それより自身の直感に委ねようと思ったからです。事実、その後の全てがその選択で良かったことを物語っていました。

そして今またアカシックは書き換えられたと声明文を出している・・・そうしょっちゅう書き換えられるレコ-ド情報って何なのでしょう。書かれたものを拝読しましたが、「そんなことずっと前に分かっていたこと」という内容でした。
まだまだアカシック情報に信頼を寄せている人は多いでしょう。当たった!ケースを基準に判断していますからね。しかしながら函館のことと言い、必ず!2001年に彗星が地球にぶつかって地上から生命が劇的に減少するということと言い、必ず!が尽くダダ滑っている事実が表沙汰にならないのは悲しい事実。しかも12日をアセンション研究グループから否定され一旦は前言撤回し、またもや12日!と言い出す・・・つまりその人物自体が事実に行き着いていないということではないでしょうか?

知り合いにアカシックレコードを読むという主婦いましたけど、ガセばっかりでした。もうこれは祭り。誰もが神秘に傾倒して正気を失っているかのようです。

3.11を当てた?

えっとですね。そういうことを吹聴すること自体が品性を欠いているんですよ。

私たちは既に自分の人生のコースは決めて転生してきています。どういう時代かも承知の上のトライアルなんです。どうしてそう情報を欲しがってばかりいるのですか?情報提供者とて情報を知りたいから目に視えない領域から引っ張り出してくるのでしょ?

外にばっかり注意を向けて

内在する心眼に目もくれず、いつまで彷徨う気ですか?

えぇ外の情報に救いを見出そうとするうちは少しばかりチャネルができようと、アカシックが読めようと

覚醒はあり得ない

しかもお金が動いてますよね?

真実ってね

個々の内側にあるものです。だって、あなたの人生でしょ?

記憶にございません!をいつまで言い訳にするつもりですか?

記憶がないのはそれじゃトライアルにならないからでしょ?

受験会場に予め全ての問題と答えを前もって持ち込む人います?それズルでしょ(笑)私たちは挑戦者なんです。この時期を

地球卒業の時期を選んだということは

それだけ容易くはない。そうですよ。外に答えを見出そうとする間は容易くはないという発想に終止するでしょう。

皮肉にも

同じ環境にいてもそれぞれの現実がある。私は世田谷に住んでいます。避難はしませんよ。放射能汚染は東海・関西にも及んでいると言います。なにごとにも対策はある。アイデアを尽くして生きる。

知恵を尽くす

絆を育む

精神世界から足を洗う(笑)

修行僧と同じで深山分け入り、魂を磨いたのであれば、娑婆世界でこそ力量を発揮せねばなりません。





それ私たちのことではないでしょうか?









平たく言うと

Category : 辛口ごめんなさい

いよいよ2012年ですね。今年も気が向いたら辛口におつきあい下さい(^^)

さて

皆さんは自分の中によろしからぬ想念が自覚できた時、どう感じますか?いきなりこういう質問を放り投げるのはいかがなものかとは思うんですけど、この期に及んでジタバタしてもしょうがない…なのか、どぎゃんかせんといかん…(古い?)なのか、人それぞれに思うところはあるでしょう。

えっとですね

念仏ってありますよね?衆生には阿弥陀如来の慈悲にすがって救われる道があるという。南無ってあのインドの「ナマステ」のナムですからね、まずはそこを押さええてもらって。阿弥陀仏を唱え讃えることで救われるという阿弥陀信仰ですが、その念仏信仰とお釈迦様が実際に説いたことは無関係。そこも押さえてもらって。第一、阿弥陀如来は後世の誰かが創作した虚像。法華経もお釈迦様亡き後遥かな年月がたって編成され体系化された教典です。法華経も釈迦の功績を讃え、法華経や般若経にしてもそれを唱えることで彼岸を目指すという主旨。

皆さん

唱えるだけで涅槃・・・お釈迦様が到達した境地に達すると思いますか?

日本で仏教が庶民に広まっていく過程で生活苦に喘ぐ下々の人たちは文盲でした。従って難しい教典を学び修行する余裕がなかった訳ですね。しかも貧しいので多額の寄付もままならなかった…そこで阿弥陀仏という虚像を打ち出して慈悲にすがりなさいということで広まったのが真相です。この世は乱世と疫病が蔓延すること久しかった時代背景もそこには横たわっています。
どうしてこうも不成仏霊が何千年も経ていなくならないのかの理由のひとつと言えそうです。元気な間に散々悪さをして、嫁いびり部下ハラスメントをして、病に伏して『死』が目の前に迫ってきて念仏唱えて助かろうなんてムシの良い話な訳ですね。

しかしながら全ては架空。気休めにしかならない。まぁ気休めでも構わないという場合もあるでしょう。ウソも方便と言いますからね。加えて読経はある一定の音階があります。それが精神に訴えるということはある…賛美歌も同様ですね。



そう言えば



確か有名なお坊さんに出家前(それが出家の動機)ふたりの女性の狭間で苦悩して(仲良く一つ屋根に暮らすかに見えて障子の向こうの影は邪だったそうな)自分の業の深さに気づき出家した男性がいるようですが、そのご仁、成仏していませんから。だってそれ「逃げ」ですからね。根本解決にはな~んにもなってない訳です。独りよがり。このお坊さんも生きていた間が華だったでしょう。しかしながら精神鍛錬はできていますから、より厳しい人生を受け入れて娑婆世界で転生し続けたでしょう。

根本原因から逃げる場所が仏教ではありません。

根本原因を見据えて生きるのが仏教の原点。煩悩を絶つのに一時は娑婆世界から離れて自分を見つめ直すのも良いでしょう。しかしながら深山で培った叡智は娑婆世界で発揮せねば。お釈迦様は悟りを開いて後はずっと衆生とともにいましたよ。そこんとこきちんと押さえておいて下さいね。

さて

自分の中に邪心を見出したとします。すると良き人ほど自分を駆り立てて戒めの道を目指します。あるいはどうしようもなくなると霊能者や新興宗教の門を叩きます。私もかつてはそうでした。新興宗教は数あれど何処も『お導き』が主体。教団維持するための資金を必要とします。つまり信者はその手足。それは否定できないでしょう。多額の見立て料を要求する霊能者や占い師もそれに準じます。まぁ喜んでそこに身もお金も投じるのは個人の自由。そこに生き甲斐を見出している段階があるのを私は否定しません。チャネラー依存も同類。

でもそこは到達点ではない

通過点にしか過ぎない

そこを卒業せずして『解脱』も『霊的進歩』もありません。人生を人頼みで費やす、あるいは予言情報に一喜一憂するうちは

足踏み状態

と心得ましょう。あるいは二歩出て三歩下がりの人生かも知れませんよ。笑いごとではありません。全ては参考にしか過ぎません。このブログにしても何かしらを自分と照らし合わせて顧みる縁(よすが)自分の中にあるアイデアや気づきを引き出すためのヒントにしか過ぎません。

このブログは依存の呪縛から解き放たれていない段階では主旨に触れることはないと思います。それは「視える」とか「聴こえる」とかに甘んじている人も同様です。手厳しいですか?今に始まったことではないでしょう。

ずいぶん前に、薄暗い教室の中で目覚め、そこを出て明るい廊下に出たのは私ひとりだけだったという夢を見たことがありました。前にも話したことがあると思います。その教室で眠り続けていた人の中に後日実際に会うことになる人もいました。私は自分が色々と心が定まらない時期でしたから、その夢の真意を得られずにずっと過ごしました。

今は視野が広がりましたから(それでも発展途上ですよ)目覚める『霊的開眼』とは霊視・予知・予言のように外界と繋がることではないと分かります。ところが今も多くの人が霊能に憧れ能力伝授を目指しています。それをビジネスにしている人もいる。

その枠から柵から一歩出たからこそ眺めが良いということがあるんです。霊能?そんなのそんなに重要ですか?念仏?唱えることで救われるなどムシの良い話と明言できる。

人生は一歩一歩自身の足で歩み始めてからが

目覚め


それ以前はまさに夢で見た「薄暗い教室で眠る人」霊能力者もです。そこに皆さんには気づいてもらいたいと思います。ヒーラーやチャネラーに痛い目にあっている人なら分かるはずです。彼らはカルマの上塗りをしていることを。

そこで、です。あなたの中に邪心を見出した時は自分がどの段階にいるかを測ることができます。参考にしてみて下さいね。

・懺悔の段階

・戒めの段階

・情報模索(自分探し)の段階

・情報を取捨選択する段階

・自分の中に答えを見出す段階

・人間関係の縮図を見出す段階

・人生が何のために実現したかを知る段階

・役割分担があることを知る段階

・尊い存在からの使命を担っているという錯覚から目覚める段階

・すべては自己申請と知る段階

・すべては自分が仕組んだ人生と気づく段階

・身の丈を知り、可能性を企画する段階

まだまだありそうですが、主立ったプロセスを列記してみました。重複する部分もあるでしょう。いずれにしても

死が訪れるまで

移行の瞬間まで(アセンションでいわれる肉体を伴った次元上昇)

私たちは一日一日を驕り高ぶることなく「なんぼのもんじゃい!」くらいの楽観で気負わずに。夫の家系は罪深いだの自分のは大丈夫だの、アイツのせいで人生滅茶苦茶だの、寝言はそれくらいにして(笑、笑いごとじゃない)自分が今どの段階・階梯にいるかを今年はじっくり見つめてみてはいかがでしょうか?

そして

あなたの中にある邪心は平たく言えば

性格悪い

そういう類いです。すべては陰陽。私たちの中には善も悪もあるということ。悪しき心とどうつきあうかということですよ。闘っているうちは熟睡中ってことです。それは

光と闇の闘いに従事しているというご仁にも言えます。夢中だから自身が寝ぼけているなど知る由もない。つまりそういう段階に彼らはいるということです。同時に彼ら自身の中には『闘いの息吹』が存在するということ。自分は正義の味方という思い込みを手放せないということ。世界を救うより自分の頭の上のハエと思い当たらない未熟者。言い過ぎですか?そうでしょうか。




光の使者として闇と闘っているという人も、創造主をチャネルしている(本の影響という自覚が足りず)人も、愛の腕の中の幼子(おさなご)です。






プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

リンクの「maria letter 小林です」は非公開ですが、更新はPDF配信に切り替え。ご希望の方は下記メールフォームより氏名(ハンドルネームはNG)・PDF希望をご記入の上お申し込み下さい。
(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ