闇と闘う人々

Category : 辛口ごめんなさい

自称他薦を問わず「今、私は光の戦士として闇と闘っている」と言う人、ワラワラいると思います。私はつくづく愚かな人たちだなあとため息を禁じ得ませんが、それが何故かを今日は書いてみようと思います。

森羅万象ことごとく陰陽で成り立っている

これは光の戦士も知るところでしょう。では何ゆえにこの世は宇宙は陰陽で成り立っているのでしょう? 私は分からないから問うている訳ではなりませんよ。相変わらず感じ悪いでしょうけど、余りにも光・光と大騒ぎして有りもしない闘いに興じている人が多いので、そういう人に皆さんがフラフラと引き込まれないようにという老婆心・・・え?増々感じ悪い?

まぁそれはそれとして(笑)

この世にいる人間の中で純度100%光の存在などいません。長所欠点どちらもあるのでしょ?長所だけの人っているのでしょうか。そういうふうに見受けられても本人は反省材料を持っているものです。心澄み渡るほど自分の心の有り様は見えるもの。至らなさも身のうち。

自己正当性を誇示する人は

そうですね

光の戦士も私に言わせれば、自己正当性を誇示する人となってしまいそうですね。事実そうだと思いますよ。もうちょっと踏み込んだ見方をすれば、灯台下暗しな残念な人とも言えそうですし、修行が足りんわい!ということにもなりそう。

その人たちは外に『敵(闇)』がいると日夜奮闘している訳ですよね?世界を救うとか人類を救済するいう名目で。でもそういう人に限って『頭の上のハエ』が全然見えていないんですよ。そういうふうな思考になって行ったプロセスには家庭環境や心癖が大きく横たわっているでしょうし、その他諸々色々あるのだと思います。

しかしながら『敵(闇)』は本人の中にこそある

そのことに思い足らないから、光~光~と熱心なのでしょう。つまり未熟者ということです。手厳しいですか? そうでしょうか。私はこの手合いの人たちはタチが悪いと思っています。だって人を仲間を呼ぼうとするでしょ?

実際の闇は自分自身の想念こそ

なのですが、そこには目もくれず一心不乱に闇(と彼らが決めつける)と闘っているという、このテンションがすべてを物語っていると私は視ています。キリがないんですよ。魑魅魍魎は彼らより百戦錬磨ですし、かえって喜ばせているかも知れませんよ。「わ~い!ノって来た!ノって来た!」ってね。

光の戦士は、戦士と自称するだけあって『闘争』にチャンネルが合っています。

すべては周波数ですからね、彼らはある意味で自己実現している訳です。

自分を『光』とする条件付きで

外に敵を見出しているうちは彼らの闘争は終焉をみないでしょう。いや、それこそ彼らの望みなのかも知れません。闘う相手が、正義を揮う相手がいなくなれば、また新たな敵を見出そうと彷徨うのでしょう。

際限がない・・・これこそ<Never ending Story>彼らの闘争は未来永劫継ぐのだと思います。

想念は生きものの数だけあります。人間だけではありません。そして、想念は幾重にも層があり、それらが関わりながら世界を形作っています。人間間でも様々な価値観があり、犇めき合っている訳ですよね。そこにチャネル文化<誰でもワークショップさえ受ければ、チャネラーと称する時代>が根付いた。これには弊害もあるが、益もある。ただ誰もが見過ごしているのが

今の精神世界ビジネスは通過点なのだけど

依存者が後を絶たない点

目に見えない世界を商売にする人も後を絶たない。人助けで商売をする人も後を絶たない。そうこうするうちに自分を光の戦士と称する人々がワラワラ出没。これを末世と呼ばずしてと私は思います。

えっとですね

自らの中にこそ陰陽があり、均衡を保つ

悟りのひとつにそれがあります。

あらゆる葛藤はそのための試金石になり得るという事実に合点がいかぬうちは覚醒はありません。葛藤を手放さねばアセンションはないとするアカシックリーダーもいますよね。しかしながらその人物が言い放った予言を信じて人間関係に支障を来した人に「葛藤を手放しなさい」と言える神経こそが問題と私は視ています。
確かに信じた人にも自己責任はあります。しかしながら発言したことはすべて本人に還るのも事実。ここにも生きている間が華だったという種の人間がいると言えそうです。

葛藤は手放すというより消化するというのが魂的にしっくり来ると思いますよ。罪の意識を持つことなく発言を繰り返し、影響力が多大な場合は影響した履歴が伴うということです。本人が無葛藤でも、です。

私たちはだからこそ直感が持つ可能性に立ち戻った方が良いのです。チャネルもリモートビューイングも異界に通じる方法ですよね?

どうしてでしょうね。どうして自分自身の内面としっかり繋がろうとしないのでしょう。光と闇という構図に執着している人も外ばかり見て鉄拳をふるおうとしている。それも確かにひとつの世界観ではある訳です。でも全てではない。

人類の集合意識の中にはこういう片寄った想念の暴走も含まれています。

陰陽はそれぞれに個性があり、闇があるからこそ光が際立つという側面もある訳ですね。相身互いなんです。その相身互いが私たちの中にもあるということです。

互いに育て合っているということ




闘っている間は



魂の成長もありません。厳しいようですが、捕われの極ですからね。バランスを尽く欠いています。



陰陽あってこそ



私たちはそのチャンスの中で活かされています。



「余りにも光・光と大騒ぎして有りもしない闘いに興じている人が多いので」と私は書きました。矛盾してると思います?
光の戦士が闇は自分の心にこそあると気づいた時、彼らは敵が消滅するのを視るでしょう。だって初めから闇と闘うという想念が引き寄せた世界。そこに周波数が合っていただけですし、周波数が合わなければ縁のない世界なんですから。



全ては自己責任 これに尽きます。




即身成仏を果たした不成仏霊

Category : 辛口ごめんなさい

霊供養を人生の目的にしている人は霊がなぜ供養を必要とするかに熟知していると思います。が、果たしてそれは本当に魂の救済になっているのだろうかと私は常々思っています。どうしてそう思うに至ると言うと、どの人間も納得の上で転生してきていることを知るため。本当にこの世は知れば知るほど他力本願と共依存が主流と思わざるを得ません。それが良いとか悪いとか言おうとしているのではありませんよ。人社会の実体を述べているだけ。

幼子から「白いお髭のおじいさんに(何故か、おばあさんという子はいない)パパとママのとこに生まれると良いよと言われたから」という類いの話を聞いた人いると思います。でもその子にしても断片的に覚えていることを喋ったのではないでしょうか。何故なら霊視してみると誰もが

何者かに推薦(親を)されたとしても選択の自由を与えられています。押し並べて!です。並びに、どういう人生を辿るかも予め見て、本人が納得の上で転生が決定している。

強制されて来た人間などいません。

それなのに何故でしょうね?成仏できずにいる霊魂の多いこと!これは何を物語っているのか、その答えはあっけないほどに簡単です。

此処、娑婆世界にはいったん人生の筋書きの記憶を消去されてやって来ますから、経験することの理由が見えない。従って

恨み・後悔・嫉妬・勝ち負け・騙し騙され、などなど心で処理しきれない。その処理しきれない出来事が飽和状態になり、それが原因で

念が魂を支配する

あるいは突然の死に困惑して死を受け入れることが出来ないということもあるようですが、でも不思議と思いませんか?同じ突然の死でもガーディアンに導かれて無事に還っていく魂もいるのですよ。

肉体を離れれば生前の謎が解けるというスピリチャルな人もいます。そういう人もいますが、それでは不成仏霊の存在はどう説明すれば良いのでしょうね。一概には言えないことですが、ひとつには「執着」の強さが原因と言えそう。今日はこの辺のことを書いてみようと思います。


さて


霊能者は浮かばれない霊を供養し、遺族に死者のメッセージを伝える、という仕事を担っています。除霊もそのひとつと思いますが、霊を成仏させるという「成仏」の真の意味を皆さんはご存知でしょうか?

仏になる

仏になるとは「ニルバーナ/涅槃」に入ることを意味しています。それは釈迦が到達した次元領域のこと。つまりこの世の大勢の人間は至ったことのない境地なんです。「彼岸」と言いますよね?彼岸とは単にあの世のことではないんですけど、知っていましたか?

彼岸=あの世 ではありません!残念ながら。

般若心経の「彼岸に至らん」という節は霊界に至らんということではなく、ニルバーナに至らんという意味。「彼(か)の岸」という表現…彼の岸とは<涅槃>そこには理想境という意味が込められています。
仏教で言う解脱とは「カルマからの解放脱却」。つまり誰かに弔ってもらって実現することではないということです。彼岸<涅槃>に至るも同様に。釈迦亡き後、何千年も経るうちに仏教は新たな解釈が継ぎ足されていった歴史があります。

でも、涅槃どころか霊界に至ること自体が困難な霊魂がいるという…、この世に留まって恨みがましい念を保持し続ける霊魂がいる訳ですね。しかるに昨今は霊界自体が消滅したという説があります。私も視て、確かに霊界とされてきた領域は見当たらなくなっています。なるほど今回が人間生活最後のチャンスというのも頷けるかと思いますが、この「念」こそが私たちを此処に留まらせる原因。この念ってお経を唱えてもらえば払拭できる代物ではありません。第一、仏教の開祖釈迦は念仏を唱えれば、即!成仏する<涅槃に至る>とはひと言も言っていないはず。

生きている間にカルマを解脱する法を説いた。苦はどうして生じるかを説いて聞かせた。しかも釈迦は深山に分け入り瞑想三昧の生涯を送った訳ではありません。釈迦は人々の中で法を説いて行脚した覚者。ここのところをきっちり!押さえておいて下さいね。


さて


知り合いに新興宗教の熱心な信者がいました。いつからか視えるようになり、教団の信者からの相談も受けるようになっていました。そんな中、人間関係に行き詰まり、共通の友人の紹介で私のところに愚痴を並べにやって来たんですね(笑)

断っておきますが、私は霊を目の前にいるように視ることはありません。気配を察知するのみ。そこが既存の霊能者との大きな違いかも知れません。
彼女…Aさんとしましょう。Aさんの周囲にワンサカ!修験道やミイラみたいな僧侶、天狗みたいなのがいるのを察知したんですね。で、聞いてみました。やはりそういう種の霊がついてまわっていると言うんです。彼女、カルマを絶たんと密教系信仰をしていましたし、教祖は霊を解脱成仏させる霊力があるとされていました。ところが成仏するどころか、彼女にくっついていれば修行環境にいられるって居座るようになったそうで。

やれやれですが、どれも六根清浄と真剣に厳しい修行生活を送った強者揃い!

でも霊視して納得しました。成仏などするはずがありません。彼らは根っからの『修行オタク』なんです。つまり彼女も修行オタクなら彼らも修行オタク。類は友を呼んだ訳です。霊は察知し想念で移動しますからね。即身成仏した有名なお坊さんらしいんですが、彼も全然成仏していません。何故か

仏教は形骸化して久しいですからね、即身成仏の作法など絵に描いた餅同然。作法に真面目に則って気がつけば「あれ?」だった(笑、笑いごとじゃありませんね)でも誰かを恨むでもなく、さりとて尊敬されていた生活が忘れられず、この世でウロウロ彷徨っていたそうです。いわゆるベジタリアン状態だったので精神安定していたのでしょうか。穏やかなのに成仏できてないんですよ。涅槃に至ること叶わず。この原因は

・仏教が形骸化している点

・寺院のような静寂で人里離れた修行に最適な環境

・尊敬される地位

これこそが盲点。修験道行者は六根清浄への厳しい修行道に執着し、事足りることができない。つまりミイラ取りがミイラにの図なんですよ。彼らも

・人里離れた修行に最適な環境

・女人禁制

・修行三昧

これが仇になって成仏できない。執着が断ち切れない。六根清浄とは皮肉なことに娑婆世界の中でこそ!なんです。そこに気づかない。修行環境から離れられない。その執着こそが彼らを此処に留まらせているという悪循環。しかも心の隅に罪悪感を抱えているんですよ、それぞれに。

すると

彼らが号泣しながら私に手を合わせているのを感じたんですね。私はその時、彼らこそ救いの手を欲していると気づきました。でもプライドが許さない。もうややこしい人…、いや霊たちではあった訳です。しかも私にはそんな力量はない。そこで彼らに縁(ゆかり)の使者を呼んで(呼べば来ます。能力など必要ありません)ミイラ僧や修験道行者に宣言しました。


  私はあなたたちを供養しようとは思わない
  何故なら、すべての原因はあなたたちが作ったこと
  自分のオトシマエは自分でつけるしかない
  それは一般庶民もあなたたちも同列
  例外はないということ
  修行に相応しい環境でいくら励んでも
  下界での暮らしを捨てたってことは
  真の修行を捨てたということ
  そのことに気づかないから成仏できない
  しかも釈迦の教えは形骸化している

  出直すこと

  恥を忍んで故郷に戻って、出直すこと
  私んとこに来たということはその時期なんでしょ?
  (強く頷いている)
  あいにく私にはそういう力はない!
  実際、あなたたちは開き目くらだね
  上を見てみれば?たくさん使者が来てるでしょ?
  (感極まって増々号泣。でも行けないとスネる)
  ったく、そういうふうだから成仏できないのよ
  素直に手を伸ばすとか、足あるかどうかしらないけど
  一歩歩み出すとか
  素直に救いを求めれば?
  そういうふうだから、念で雁字搦めなんでしょ?
  私は霊能者じゃないから
  あなたたちを供養して不徳を積もうとは思わない
  もともと
  すべての魂は自分で決めて此処に来ているのだけど
  失敗はこの世の常
  なので恥なことは何もない
  
  きっぱり出直すこと

  還って、先達から指導してもらって
  しっかり目を覚まして反省点を反芻して出直すこと

  行きたくなきゃそれも選択
  私には関係ないこと



そうこう言いたい放題の訓示を垂れて(笑)いる間に大半上がっていったとAさんは呟いていました。それでも彼女はお導き業が主体の修行生活に戻って行きました。

皆さんは「takakoさん軽く自慢?」と思うかも知れませんが、霊能者自体が成仏<ニルバーナ/涅槃>に到達した試しがないんです。涅槃とは霊的領域の遥か高次なんです。釈迦が至った領域は周波数ハンパじゃありません。マシュー君ですか?ニルバーナとか語っているようですが、彼とてニルバーナには存在していません。周波数が違います。
Aさんが参加している新興宗教は釈迦直伝と謳っていますが、お導きと解脱供養と護摩木祈願が柱。お導きすれば褒美が授けられるシステム。修行は自身のためのもの。褒美など釈迦の教えからは遠いと言わざるを得ません。

魂の成長は千差万別。どういう領域から来たかでも違いが生じます。しかしながら押し並べて本人の了解なしの転生はない。試練ありきの娑婆世界。苦楽は承知の上。ただ記憶にない。それが念を増幅させてしまうのでしょう。

肉体がある間は癒しと啓発

肉体を離れれば供養


これがスピリチャルを扱う業界の定番になって久しいですが、それこそ思い込みと私は気づきました。この『即身成仏を果たした不成仏霊』は究極の思い込みに縛られていた魂の実話。仏教にしろ、キリスト教にしろ形骸化されています。

念とは

究極の執着、思い込み。どんな事象とて自分にも原因があると知り、どう捉えるかが鍵なんですね。
  


今も真剣に「成仏できない霊を救うのが私の使命」と言い切る人がいます。私はその人の純粋な眼差しを複雑な思いで見つめました。

すべては自己責任なのですが…、霊能者との関わりもあるようで視える視えないと気にしているし、どこまで話せば良いものか迷うところです。

霊能力など邪魔なだけ

霊と霊能者の共依存はこれまでの常識でした。今は波動が上昇し、広がりを見せている時



視えるとか聴こえるとか執着しているのはもったいない!



そこからもう一歩踏み出して



そういう囚われからも解放される人が一人でも多い方が良いと思う今日この頃の私。



人生こそが修行の場



霊能力はひとつの段階に過ぎません。まずはそこから解放されてもらいたいと思っています。



釈迦は人々と共に最後までいましたよ。



これはとても大切なことです。導きをしろとは言わなかったでしょうし、何処にも所属していなかったでしょうし、ご褒美を授けようともしなかったでしょう。




2011年12月10日皆既月食

Category : アセンション

今月10日の皆既月食は満月だったんですね。家の者から「午後9時から零時にかけて真っ暗になるんだと」と聞いていました。「へぇ」ということで昼ご飯時、話題に登った皆既月食。でも東京は真っ暗はあり得ない訳で、月が暗くなるため「星が良く見えるだろうな」という話だったんですね。後日、確かに月の周りには「あんなに星があったんだね」という話を耳にしました。

さて

「takakoさんはどんなふうだったんだろ」とか思った人もいるかも知れませんね、ちょっとした好奇心で。中には心身に多大な影響が生じた人もいるのかも知れませんが、私は身体的変調は特に何もありませんでした。実際には皆既月食観てもいません。ガッカリしました?(ウフフ…!)

12月10日

私は一日中「お陰」を頂いていました。え?「お陰を頂く」ってどゆこと、ですか? えっとですね…、人の恩に感謝しきりの一日だったという…、人が気持ち良く動いてくれた日。穏やかな一日を過ごしました。

そして

私の内面がフワリと軽くなり広がる感覚を覚えたんですね。月のチューニングということで変化著しい昨今、世界は激しく変化していますね。生きとし生けるもの全てが大きなうねりの中。月もなのでしょうか。でも私はいたって静か。錆びた赤色の満月の映像がネットに上がっていました。自然の神秘。何とも言えない気持ちにさせられた人もいるでしょう。

私は私の周波数の限りで 此処に います

その周波数は私個人のものなので説明のしようがありません。何処の誰かをサンプルに「あぁいう感じ」とか言うことでもないような気がします。だからと言って自分を特別とも思いませんし、時流に乗り遅れているとも思いません(笑)

私は今年の9月をひとつの山場と思っていました。いつお迎えが来ても良いと覚悟を決めていた時期でした。関東東海大地震が取り沙汰されていましたし、私自身、夏場は気を引き締めて!と思いつつ過ごしていました。9月を無事…家族も友人も無事に過ごせたことがとても嬉しくもあったんですね。

そして

10月28日のコールマンインデックス[マヤ歴/時間の終了]にも大きな関心を寄せていた、私も一人。あの日がマヤ歴の時間の終了日かは流石に知る由もありませんが、もうガラリと変化してしまいました。

何がって

私自身の意識が

これも説明のしようがないんです。此処にいるのに此処にいない感覚が妙にリアルさを増しました。人類意識とか、アセンション情報とか、何もかもが、まるでTVのニュースのようです。これまでのアセンション情報はすべて輪郭を捉えてはいたが、真髄にはどれも達していないのを実感しました。つまり

一般的に通用するものなどないということです。

あなたにはあなたの現実がある

それをどれかの情報に照らし合わせようとすること自体、無理なのだろうと思います。

確かに

アセンションの波は地球に押し並べて来ています。ですが、それが一人一人にどう影響するかは微妙な問題のような気がします。例えば、天気予報では晴れ時々曇りの日に雨が降り出したとしますよね?例えが微妙ですけど(笑)雨が降っている間は屋内にいて、雨上がりに屋外に出て「あれ?雨降ったの?」というケースもあれば、雨に降られて濡れちゃう人、傘持って出て「良かった」と思う人などなどケースは様々。同じ事象でも人によって体験は異なるということだと私は思っています。

ただし

似たような感覚を持つ人たち同士が集うことはあると思います。それでもまったく一緒は希有かと。

そして、言えることは

人間がどうの、ではなく、容赦なく変化は起き続けているということ。皆さんが関心あるであろうアセンション、人間は参加者に過ぎません。真のメッセンジャーはひょんなところにいたりしますね。例えば、奇跡のリンゴの木村さんとか(^^)

例え映画のような終焉が近く起きるとしても

最後の最後まで此処で出来ることに精魂込める

健全に生きるための努力をする 

人だけが生きているのではないと知る

妄想を垂れ流すより大事なことがある

聞くところによると

木村さんのリンゴ園は放射能値基準を大きく下回っているとか。その情報が正しければ、

手塩にかける=対話

この=が成立するって、愛の言葉や感謝の言葉がどれだけ生命の可能性を引き出すかを物語っているんですけど、小手先じゃダメ!なんですよ。そこに精神世界系スクール出身者は似非と私が言う所以があります。

自然から学ぶ

木村さんの生き方は私たちに示してくれているのだと思います。




えっとですね




これからも地球は大きく私たちを揺さぶると思います。それをどう受け止めるかで日常は変わってくると私は思う。対話と言うと「原発さんが泣いている」だの「宇宙人が原発を浄化するのを見た」だのというおバカさんが出没しますが、それは妄想の類い、対話とは別もの!ですから、お願いしますね。幻視や幻聴に依存している場合ではありません。

世界平和を祈るなら あなたの心にこそ それを植えて下さい




皆既月食




その日を穏やかに過ごせたこと、お陰を頂いて過ごせたことを嬉しく思います。





と言うことで、即身成仏を果たした不成仏霊は次回(笑)




= ではないことを理解する

Category : 辛口ごめんなさい

皆さんの多くは「神と会話をする」あるいは高次の存在(宇宙人や天使等も含む)をチャネルする人で

真面目な人に、純粋な人に

変なものが憑くはずがない

と思っている人って多いと思いますが、いかがですか?「類は友を呼ぶ」と私は言っていますよね。あるいは「割れ鍋に綴じ蓋」とも。

確かに

でも、人の良い人って騙されやすくないですか? 少なくともその傾向はあるようですよね。 それってこの世の人間同士に限り、なのでしょうか?

今日はその辺のカラクリを紐解いてみようと思います。これは霊視しての見解。従ってこういう考えもあるという類いではありません。あなたに「何か読みたくない」という感覚が走る場合はスルーして下さい。



さて



ネットには会話形式の神託(らしき)ものを降ろしてブログ記事にしている人たちがいます。残念なお知らせながら、ほぼ全滅です。何がって繋がっている相手はネットの主が公言する「神」とは別もの

1.神と名乗る異界(低次元)の存在

2.本人の深層意識

この2種類にほぼ分類されます。創造主を名乗る類いのチャネルは1.のケースが占めています。見逃せないのが、そこに2.が入り乱れて「じゃのぉ」とか「くだされよ」とかいう言い回しを質疑応答形式で記事にしているブログ管理者。彼らは日月神事に精通しているという点は見逃せませんよ!読んでないとは言わせません!研究だってしている!つまり日月神事が思考にインプットされている訳です、予め!

そして

共通する意識は「人の役に立ちたい」「高次の存在のメッセージを伝えたい」というものですが、この人の役に立ちたいという、一見しごくまともで真面目な意識が宿主を求めている異界の存在を引きつけます。

何故そういうねじれ現象が生じるのか

1.既に皆が高次と称する尊い方々は帰還してしまっている

2.ビジネスライクな精神世界の普及(何事もマネー)

3.人が良い人は騙されやすい

という要素が考えられます。そこに本人は気づいていないのだけれど、隠れ慢心(選ばれし)という意識がベースがあって、高次の存在が上がり始めたのを良いことに肉体を持つことができない輩が活発に動き始めたということ。精神世界ビジネス業者や霊感ある人はそれを知らないか、とぼけているか

いずれにしても

一見ねじれ現象に見えるけれど、よくよく視てみると共存共栄。選ばれしという蜜は双方に有効ということかと。神社に呼ばれた、導かれて行った先で幻聴幻視があったなどなど、ずいぶんネットで公言されているフレーズではないでしょうか。

今現時点で「神」と名乗る存在は怪しい

何故なら神々の帰還が既に行われた

「神」と名乗られ現象を見せられて鵜呑みにしてはいないか

それらを見極める心眼が養えていない人がにわかチャネラーをやっているご時世。それら巫女もどきがネット社会に雪崩れ込んでいる世の中。ネットの普及は、誰もがチャネラーとなるチャンスを与え、ワークショップが繁栄し、雨上がりのキノコのようにチャネラーが増え続けている、頭のおかしいな人もそこに紛れ込んでいる、それらの社会現象が低次元の存在の格好の温床となっている訳です。

皆さん

類は類を呼ぶという事象はとても奥が深くなっているんです。何故か!

精神世界ビジネスの普及はある意味成功している訳です。カリキュラムを経れば誰でも免許がもらえるというシステムが確立されています。それはひとりひとりの資質を見極めることなく、希望者全員にもれなく資格が与えられるという、危険ゾーンが世間に広がっているということ。

精神世界がビジネスとして賑わい続けている図を皆さんは想像できますか?

さながら出店で賑わう『祭り』そりゃぁお祭りには色んな人が集う。その様相が見えないチャネラーってっどぉなんでしょう。渦中にいるため見通しが利かないのでしょうか。厳しい言い方になりますが、猫も杓子も受講料さえ支払えば

・How toなるものを伝授してもらい

・免許(取得証明書なるデプロマ)がもらえる

システムが整っていることと

真のチャネラーの存在は = ではありません。

ホンモノは希有。アメリカ発祥のチャネラー養成所出身者に複数遭遇しましたが、もう目も当てられない状態。チャネル以前の心の問題を抱えた人ばかりでした。リモートビューイングの普及も妄想症候群を生み増やしています。

ホンモノは希有。ブログで神の言葉として「じゃのぉ」だの「くだされよ」だの口調模倣すると本気で信じてます? その口調、先入観以外の何ものでもないのでは? 「そこそこ霊感があるようじゃないか。この人のチャネルは本当かも知れない」という気持ちに動かされる人が大半かも知れないんですけど、そういう思考回路が地下鉄路線図のようにネット社会であちこち繋がっているのが現状かと。霊能者とて今何が起きているか理解している人は希有かも知れないのです。

混雑し、混乱している

目に見えない世界とこの世界は混沌とし続けているのが現状なんです。普通に善良で真面目、人の役に立ちたいという使命感は高次の存在が上がってしまって以降、神々に変わって

肉体を与えてもらえない輩が宿主(あなたのことですよ)を求め

自分を神と接してくれる宿主(そこのあなた!)を察知し

コンタクトを取っている

あなたは宿主じゃないと言い切れますか? いえ!そんなはずがない!と言い切れる人ほど騙されているようです。そういう例を私は複数視てきています。正体がバレたケースも、です。大天使ミカエルを名乗るケースって本当に多い。でも、大天使ミカエルだったケースはとても少ない。

残念なお知らせですが、人の役に立ちたい=精神世界とセッセとメソッドに励んでいる人たちを好物にしている輩があちこちに徘徊しているということを皆さんの多くは知らない。

高次の存在は還ってしまった後・・・何という無防備さでしょう。

ここ5年前後くらいですか? 特にとても増えていますよね? 会話形式のチャネルブログ。

ちょっと霊感がある、精神世界に興味がある、予言者やバシャールへの憧憬などなど様々な要因を持つ人が多く、それが精神世界ビジネスをビッグにさせている・・・まさに祭りではないのでしょうか?

あのですね

人の良い人って騙されやすくないですか? 少なくともその傾向はありますよね? それってこの世の人間同士だけと思っていますか?

肉体をもらえない存在は必死なんですよ。加えて

どういうふうに語りかければ(正確にはコンタクトそれば)喜ぶかに熟知しています。日月神事やバシャールなどなどを読破し、研究している人はよくよく気をつけねばんりません。



「東京が危ないとのことですが、どうすれば良いのでしょうか?」

と神と名乗る存在に伺いをたて

「東京から離れることじゃ」

と神事を垂れてる人いますが、変と気づきもせずに「神事ありがとうございます」などとコメント書き込む人も後を絶たないようで、・・・本当に鰯の頭も信心からとは昔の人はよく喩えたものだと感心させられます。

盲目

目に見えない存在はコンタクトの主がどういうふうに「伝えれば」喜ぶか、信じるかを熟知しています。要するに土台が「会話」モードですからね、ちょちょいっと魔法のお粉を

え?不謹慎?そうでしょうか?

神と思い込んでチャネルをブログで垂れ流している方がよっぽど不謹慎と思いますけど、私。

無知の知

ここで言う無知とは自分の心癖に暗いということを指します。どうしてそんなに神や高次の存在の伝達者でありたいのでしょうね。灯台下暗し。自分の言葉で語らず、高次の存在のメッセージ(どっかで見たような聞いたような)を伝えたがるのでしょうね。高次の存在の、でなければ、誰もアクセスしてくれないでしょうか?

それって他人のフンドシで相撲の体ではないでしょうか?

まだ気がつきませんか? あなたは重度の高次依存者ですよ。自分がそうとは露ほども思わない人たちがネットに溢れているという事態は深刻です。

これを祭りの出店と呼ばずして・・・あなたは大丈夫ですか?

今は

自分自身のソースと繋がる

内面に向かう時


目に見えない外の存在と繋がりたい!願望者がどれだけ社会にいることでしょうね。

娑婆世界は無法地帯と化しています。神(と名乗る存在、あるいは天使)とか宇宙人(サナンダとか何たら司令官と名乗る存在)とかに繋がったとされ、もたらされる情報はどれも似通っているのも特徴かと思います。出尽くす感じでマイケル・ジャクソンの「みんなを愛しているよ」チャネルも出没。

でも、あなたは「ひょっっとして、それが本当なら」という気持ちであちこち彷徨ってやしませんか?

あのですね

聖母もイエスも言語ではコンタクトしてきません。何故か!

そういう次元を越えていることを私は理解しているからです。だって私、当時のイエスが喋っていた言語分かりませんもん。え?イエスは日本に渡っていた?なので日本語でコンタクトしてきてもおかしくはない、ですか?じゃぁ青森弁ですか?青森に墓があるとされているのでしょ?

笑いごとじゃありませんよ。そういうふうに揚げ足取りの応酬で収集がつかないでしょう。つまり言語という先入観から解放されない限り。私はその土壌には上がりませんよ。

感じ悪いですか?

私はそれを否定しませんよ。だって希望的観測でチャネルしている人が多過ぎますからね。そこに同調することはありません。そこより見晴らしが良い場所に立てたのは

様々な霊能者やチャネラー、ヒーラーに出逢ったお陰。見せてもらったお陰なのだと思います、私がそこに落ち着くことがなかったのは。高次の存在をチャネルするより大切なことが見えた!

此処はね

あなたも私も課題があって来たんです。一に「自分の頭の上のハエ」二にも「自分の頭の上のハエ」。他者は自分の鏡ですが、自分は大丈夫と、自分はきちんと神と繋がっているという人に限って、なんちゃって神様を降ろしているんですよ。人の邪気にヘトヘトになるようでは神は勤まるはずもありません。そんな初歩的なことも分からない段階の人間が神事に手を出すのは危険なんです。

良いですか

尊い方々は「供養を受ける」と降りる場合が確かにあります。しかしながら、その場の波動が乱れれば還ってしまう。つまり汚いお座布の上には鎮座しないということです。サッサと上がってしまう。

慈悲に甘えるのは人の業です。人間の理解では尊い方々は計れません。然るに自分の言語で喋ってくれるとか思い込んでいるようでは話になりません。あのですね、私は海外に出かける機会が多いですけど、最後にモノを言うのは目だったりします。人類はまずは言語をもたなかったのでしょ? あるいは言葉が通じなくて困ってもジェスチャーで伝わったりします。
テレパシーははっきりした言語だ、という主張もそれはそれで成立します。しますが、それはテレパシーの一部に過ぎない。すべてではないということ。何度も言うようですが、あたなには第六感が備わっていますよね? あるいは言葉では表現しきれない思いをしたこと、ないですか?

万事は初に帰す

精妙な波動を受け止めるのはそういうふうだと思います。



神の言葉を伝えるよりあなたは生まれてから経験したことを語る人であって欲しい。



あなたの魂の故郷であなたを見守っている存在はそれをどれだけ喜ぶか・・・あなたは想像できないでしょ? だって、あなたは、外ばかり、上ばかりに気を取られていますものね。そういうふうだから、



「東京が危ないとのことですが、どうすれば良いのでしょうか?」

と神と名乗る存在に伺いをたて

「東京から離れることじゃ」


などという漫談まがいを神事と疑いもせずに垂れ流すおバカさんが後を絶たないんですよ。真に高次と繋がっている人は静かに準備をしていると思いますよ。神託を垂れるなどしないでしょう。もうそういう啓蒙や警告は散々されてきたのでしょ?それでも人類という集合意識は改心しなかったのでしょ?個人個人が自己責任を果たす時節なのは確かではないのでしょうか?

私はね

余計なお世話をしているに過ぎません。宛らドンキホーテ。一度はもう言うのを辞めようと思った。でも、直感で理解する人がいてくれる、それが私を勇気づけてくれているんです。お互いさまなんですね。

私はあなた自身の中にこそ「気づき」を見出してもらいたい

私のメッセージはその「きっかけ」のひとつにしか過ぎません。背中のひと押しにしかならないでしょう。いや、それ以上してはならないのだと思います。だって答えは外にはない。中にある。外にあるのはヒントのみと知っていますからね。このブログも「きっかけ」「ヒント」になれば恩の字。それ以上の価値はありません。あなたにはもともとギフトが、直感というギフトが備わっているのですよ。神事もどきのガセネタを有り難がっている場合ではありません。

他者依存は<人vs人>だけではなく、<人vs異次元の存在>という様相を呈しています。これは古今東西変わることはありません。変わった試しがないんです!
チャネラーこそ他者依存と気づいてもらいたいし、目を覚ましてもらいたい。何故ならいい迷惑だからですよ。自覚もなしにタチが悪いのは異界と二人羽織の「あんたたちだ!」ということです。

最後のチャンスなんですよ!目を覚ます




私は「神」という衣を借りて語ろうとは思いません。




はてさて




次回は即身成仏を果たした不成仏霊のことを書いてみようと思います。


この世にいる間が花だったという





あなたは大丈夫ですか?




心眼を養う




テキストもデプロマも役に立ちません。



あなたの日々の暮らしこそ、あなたを成長させるヒントが満ちています。人間関係にこそ、あなたが此処にやってきた理由が潜んでいます。そして、此処で生き甲斐を創造するという

2本の柱で人生は成り立っています。喜びを分かち合って生きるための知恵のヒントがあります。




こういう危機の時代だからこそ




チャネル依存は卒業してもらえたらと願わずにいられません。なんちゃって神事チャネルブロガー本人も有り難がっている閲覧者も。






チューニング

Category : つぶやき

同じ神社を参拝しても、神の気配を感じない人と感じる人がいるようです。これは何を物語っているかというとチューニングの違い。同じ場所でもそれぞれで体感する感覚に誤差が生じるのはその場所自体のせいというより、捉える周波数の違いということだと思います。これは視える視えないにも言えることで、今日はこの辺のことを書いてみようと思います。

えっとですね…私はいわゆる霊を見たことはありません。私は供養して欲しい種の霊とはチューニングが合わないのだと思います。それをずっと霊感がないと思い込んでいた訳ですが、どうもそうではないようです。私が発しているエネルギ-が多分ですが、「取りつく島がない」という(笑、笑いごとではありませんけど)、この人に供養をお願いしても「あんた!あんたの後始末をどして?どして私がせにゃならない訳?」とか何とか(笑)

情けは人の、じゃない、此処に留まる霊のためならず

すべては自己責任が基本です。知り合いに霊が視えるという主婦がいまたが、彼女は供養して欲しい霊を集団連れ歩いている状態でした。それも、修験道や即身成仏した男どもなんですよ!信じられますか?彼らが成仏できないのは「執着」があるためです。執着を絶つつもりがかえってダダ滑っているって、どういう仕組みでしょう。

喜捨という語彙があります。この喜捨というところでまずは躓いている。それはどういうことかというと

・妻子、夫、愛人恋人、親との縁を一方的に絶つ

止むに止まれぬ事情あって出家したとしても、それは自分の都合最優先ではないでしょうか。志は志として。人生の選択の時に何を最優先させるかが鍵。え?理不尽じゃないか、ですか?
えっとですね。彼彼女たちはその後、修行三昧な生活を修行に適した立地条件で成就した訳ですよね?

例えば…名前は忘れましたが、二人の女を愛した男で、障子越しの二人の影が鬼気殺気に満ちていたのを目撃して、自分の業の深さに出家したという逸話を持つ有名な僧がいます。彼、成仏していませんよ。だって何も解決してませんもん。業の深さ業の深さ返し。これは「逃げ」以外の何ものでもありません。

情は仏には通じませんよ。その僧は生きてる間が天下だったのじゃないでしょうか?

私の知り合いが連れ歩いていたのは即身成仏を儀式に則って成就した僧でした。我が家に彼女が遊びに来て、私は視えないのだけど、気配を感じる

周波数が違いますから、今目の前にいるように見えることはありません。気配を感じるだけ。知り合いは熱心に新興宗教を修行していました。類は類を呼ぶの喩えで修行の日々を送る彼女の元に…しかも視える訳ですから、居心地が良かったのでしょう。で、我が家に来た際について来た訳ですね。彼女は供養したいという気持ちを持っているので、そういうふうに周波数が合致するんですね。誰もが、ということではありませんよ。

彼女には修行僧だった、修験道だった過去世があり、普通の暮らしこそが修行と気づき、上がった経緯があるんです。小さな悟りが彼女に大きなチャンスをもたらしたのだと思います、転生のね。その気づきがなければ、幽界に居続けたかも知れません。

あのですね

迷える魂に好かれるタイプの人がこのブログを見ているかも知れないので老婆心ながらアドバイスします。実は迷える魂の上空で(正確には上ではないんですけど…、周波数の違いをどう説明すれば良いのか分かりませんが)常に天使が待機しています。ただし悪事が過ぎた霊には容易にはやって来ません。お迎えは天使ではないでしょうね。

あぁ勘違い、なこういう類いの未熟霊(失礼!)には機会が与えられます。その機会が、私たち現世で暮らす者という場合があるんです。

周波数が違うので彼らには天使がいる場所が見えません。肉体を離れれば見えるのでは?と思う人は多いでしょうけれど、チューニングが合わなければ見ることはできません。あるいは「自分は行くべきではない」とか思い込んで此処に(厳密には次元が違う)居座っていることもあるようです。

私やあなたがするべきことは

促してあげること

「周波数が違うので彼らには天使がいる場所が見えません」を理解できない人がいるかも知れません。

例えば、そうですね・・・霧が晴れて景色が見えるようになる・・・なら何となくでも察してもらえるでしょうか。その霧が晴れる、きっかけになるのが

促してあげること

そこに繋がるんです。「あそこに天使が見える?」と促す。信じられないと思いますが、彼らはアッサリ昇ります。周波数を整えてあげる・・・そこに難しい作法はないということを私は知った訳です。やはり「上を見て」と促すと勝手に上がっていくと言う人がいて、やっぱりそうかと合点したことがありました。

彼らは迷子なんです。ですが、彼らとて既成の概念に縛られています。従ってその概念(成仏法とか供養とかの)から解放された人間が


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(2016年12月27日記)

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