天国を旅するスーザンからのメッセージ(2)

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前に書こうと思っていて忘れてたことをふと思い出しました。今日は以前にもご紹介した『天国を旅するスーザンからのメッセージ』の中で「そう言えば…」と思い出したことを書こうと思います。

それはスーザンが末期がんで苦しんでいた時期とあった記述…アバウトなのですが、
「彼女の肉体が苦痛に喘いでいた時、彼女の魂は幽体離脱して天国を旅していた」という部分。これ、思い当たることがあるんですね。それは義母がもう長くないという時期に病院にお見舞いに行った…ずいぶん前のことなんですが、ふと思い出したんですね。あの時、私には義母が動物のように見えたんです…すごく酷な表現なんですけど。
優しい人でいつも笑顔で次男の嫁である私に接してくれました。その義母が昏睡状態に近い状態で、私は少なからずショックを受けたんですね。覚悟はしていたはずなのに、現実に見るとやるせなかったですねぇ。言葉をかけようにも意識がない。義父と少し話して病院を後にしたんですけど、妙な感覚を持ったんですね。

義母はもう義母じゃなくなっている

単なる肉体になっている

意識はその肉体の中にはいなくなっている 

少なくともその時はそういう印象を持ったんですね。私はその頃、死とともに魂は離れると思っていたので変な考えと打ち消した…でも変な考えじゃなかったのかな?とスーザンの本を読んだ時感じた訳です。そしてリアルにその時のことを思い出し、霊視状態になると、やはり…義母の魂は彼女の肉体の周りを浮遊していたと察知しました。いつ霊界に戻るべきか思案していたような印象でした。感知してあげれば良かったとも思いました。まだ霊眼が目覚めていない時期だったんですね。

それと同時に気持ちがラクになりました。肉体は苦しんでいるが、魂には心の準備をする機会がある…変な言い回しですが、そう感じたんですね。安楽死に関しても記述があったように思いますが、それに関しては言及せずにおきます。先入観を植え付けたくありませんし、色んなケースが考えられるため一概には言えないと思うんですね。

スーザンの体験もすべての人には当てはまらないかも知れません。

しかしながら私はこう思ったんですね。今はアセンション情報がある中で、肉体を離れる…死に対する考えにも、例えばライトボディになって次元上昇するということも取り沙汰されていますよね? 私たちの何処かにそのようであればどんなにか心地良いだろうというのがあると思うんですけど、いかがですか?

私はこれに関しては…極稀と視ています。つまり情報が一方的に精神世界から私たちにまで浸透していった訳ですが、ゲリー・ボーネル氏をはじめとする啓蒙者の話は壮大な宇宙ドラマの一部と私は捉えています。またニュートラルな情報は皆無に等しいでしょうし、ビジョンは受け取る側の意識が反映されるもの。話半分ということだと私は、ですよ、思っています。何故なら肉体的死を迎えても今は霊界自体が解体されているような状況です。高次の神々も既に帰還しています。これってクッションのない状態かと。

更に私がそう思う理由には動物の大量死も一因しています。これは太陽活動の変化に伴う非常事態でもあると思うんですね。色んな情報が飛び交っていますが、その様子を霊視してみると

引き上げられるところが視えるんですよ。これはもうトンデモ話ですね。磁場異常。太陽活動の劇的変化。あるいは人的災害。現象的にはそう。でも私にはそう視える。大量にいちどきにこういうことが行われているという点と、それがネットなどを通じて私たちの知ることとなっている点は決して偶然ではありません。

政情も不安定。何かが「始まろうとしている」とスピリチャルに関心のある人なら感じていると思います。アセンション情報は置いといても、たしかに今は大決算の時ではあるのだと私も思います。ただ自分がどういう状況でこの世を離れるのかは誰にも分からないのだと思うんですよ。啓蒙者には「自分は宇宙船に乗って未曾有の大惨事状態の地球から脱出し、ほとぼりが冷めたら戻される」という人いるようですが、それがいつ起きるのか…あるいは実際に起きることなのかはその人たちにも分からないのではないでしょうか。どんどんアセンションの時期伸ばしに動いている人もいるようですし。

私はそういう期待感や自棄感は放棄した方が良いと思っています。

それは啓蒙者自身が本人が言うようにライトボディ波動上昇するような霊体には視えないからですが、これは引き寄せの法など通用しない宇宙の采配に委ねるしかないことと私は捉えているんですね。すごく辛辣に聞こえるかも知れませんが、人間が自覚できる善根など多寡が知れています。「わたくしは世のため人のために~全身全霊をかけて~!」という声高かなスローガンが大きなお世話ということもある訳で、自分が悦に入っているだけという残念な結果だってある訳です。死んでみなければ結果は出ない。

いずれにしても

私たちはいつかは此処を離れる訳です。どういう形を取るにせよ、私たちは此処を離れます。そこにアセンション情報が行き渡った・・・さて

あなたはこの時期に生まれた意味を完結させなければなりません。

思い残すことのないよう

葛藤のないよう

自分を設定しなければならない

アセンション=葛藤のない状態という情報に振り回されてやいませんか?

とっくにそんなこと気にしてない?それはラッキーと思いますよ。だって葛藤のない状態って究極「私はアセンション組」という、アセンション情報を基準にすると、そういう思考ではないかと思うんですよ。啓蒙者も一人残らず自分はアセンションすると思っているのでしょ? まぁアセンション達成したという人もいますからね、もう悲喜こもごもではないでしょうか。

私たちに今必要なのは情報を元に生きようとしないことだと私は思います。

私たちは自分の直感をもっと活かして良いのですよ。それだって何処かのスクールか何かでHow toを教わり達成しなきゃと駆け込もうとする訳でしょ?

でもそれ「焦り」から出る行動ですよね。

そういう心の次元から抜けて、だってね…私たちは大なり小なり第六感を経験しているはずなんです。なので精神世界に感心を持ったのでしょうし、肉体だけの存在じゃないと実感したのだと思うんですけど、いかがですか?




肉体だけの存在じゃない




皆が皆、スーザンのような体験をするとは限らないでしょう。しかしながら、私たちは此処を離れるまで精一杯生きて、活かされている今を感じて、酸いも甘いも経験して

私たち自身が人生の意味を作っているのだと

日々作っているのだと

もう気づいても良い頃です。




私はボーネル氏が提唱するようなライトボディ云々を経験する人はごく一部と視ています。ボーネル氏は一人でも多くの人を覚醒させたいという熱意を持っているのかも知れません。ですが、彼の個人セッションを受けて「私は2001年に誰よりも早くアセンションして、2003年に戻って人々を助けるんだって」と上から目線だった女性、ずっと東京に普通にいましたけど…何か。年号に誤差があったという問題じゃないんですよ。要するに選民意識を植え付けられるとそこから出て来れない。そこを基準にしか思考できなきゃ行動もできなくなる。とても危険と思いました。然るにアセンション情報には矛盾も含まれている。

地球が次元上昇するのですよね?

地球に未曾有の大惨事が起きて、宇宙船に救い出され、ほとぼりが冷めて地球に帰還する

さて

その人はどの地球に帰還するのでしょうか。私はとても不思議なことを言うなと。地球には既にパラレルが存在します。移行はそれぞれの、魂が決定した…生まれる前に決めたコースを辿って魂の世界に帰還するのだと私は思います。

これまでは霊界(四次元とされた領域)を経由して

私は霊界って、中継地点だったのではと思っているんですけど、もう此処との境界線が希薄になっているのを察知するにつけ、大本の魂の故郷に帰還するのではないかと視ているんですね。私は、ですよ。つまり霊界と私たちが思っていた場所も何層にもなっていて、その一角が崩れたということではないかと視ています。トンデモ話ですけど。

じゃぁ次元の違うもうひとつの地球は?

ということになりますよね。それに関してはもう少し時間を頂いてから書いてみようと思っています。その話をするには地底世界と言われる世界にも言及せねばなりませんから。慎重に。トンデモ話だって慎重さは必要ですから。





スーザンの話からもうひとつの地球の話まで飛びましたよね(笑)

でも多分ですが、スーザンがいる世界は層の厚い幾つもの領域…天国とも表される世界と此処とのパイプがより接点を持つ…というのでしょうか。私たち自身が自分が多次元の存在であることを頭や知識ではなく悟り始めれば、分かるようになる…そういうことだと思うんですね。

この不自由な状況。だって一人に固定され、何だかいくつも記憶喪失している状況の私たち。なので知りたいことが山積みだった訳ですものね。でも、このままならぬ世界は私たちが研鑽を積むには絶好の場所なのだと思います。

だって何もかもが思うとおりになるのでは有り難みも貴重さも分からない訳で。このままならないことを経験し、夢を努力で掴む喜びもひとしおだった訳で。

本当に此処での営みはひとえに魂の研鑽!

それ以上でも以下でもないのだと思う私。皆さんはいかがですか?



此処をいつ

どういうふうに旅立つかは

それぞれの魂が知ること



死を恐れる必要はないことを動物たちが無言で指し示しているようで仕方がない今日この頃です。







最近ほぉ~と思ったこと

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時々閲覧しているブログにヤスの備忘録があります。バレンタインディの日付で更新されていた記事に以下の文がありました。


2012年が大きな転換に時期になるというのはその通りだと思う。しかし、それはニューエイジ系の思想が語るような奇想天外な話ではないのだ。

以前にネットテレビで、プロジェクト・キャメロットというニューエイジ系で有名な番組を見ていた。その番組では、2012年に何が起こるのか複数のゲストを招いてシンポジュームを行っていた。

そこで、2012年にはアセンションが起こり、条件に適合した人々は別の次もとに移行するのだという。移行すると、テレパシーだとか瞬間移動だとかすばらしいものがすべて手に入るという。

番組では聴衆のある女性が「いまアセンションできるように一生懸命に努力している」と言っていた。

だが、このようなニューエイジ系の思想は本当に馬鹿げている。私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。



この部分を読んで「ほぉ」と興味が湧きました。特に


私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。


この部分。多くの人は答えを求めて、悩みを解決したくて、様々な門を叩くけれど、ちっとも解放されてやしないことを常々感じているせいと思います。何から解放されていないかと言うと

自分の捕われ

例えば、暴力亭主の妻がいるとしますよね。彼女は自分を被害者と思い定めており、ご主人を加害者と、如何に「ダメ人間」であるかを「証明」しようとしている自分に気がついていないケースがあります。一人や二人じゃありません。
これ、心理療法的には「共依存」というそうですが、まさに双方に依存体質があるのは否定できません。
子供が「私はお母さんを救うために生まれてきたんだよ」と言うんです~とかどうとか言い始めたら、自己憐憫に拍車がかかったと思った方が良いと私は思うんですけど、厳し過ぎますか?そうでしょうか?
子供はね、親の顔色を見ています。親が気に入る言葉をかけようとするところがあるんですよ。身に覚えありませんか?私はあります。ましてや親子ともに未熟なれば尚のことではないでしょうか。

縁は魂が決定したこと

それには深~い理由があるとあなたは人ごとなら良き理解を示すかも知れない。でも自分のこととなるとそうもいかなくなる、それが人間というものではないでしょうか。

つまり

自己正当

この思いはなかなか手放せるものではありません。ここから解放されるとどんなにラクか…自由を謳歌できるか分からないのに、人はなかなかそれを手放そうとはしません。

何故か

答えは簡単です

自分がかわいいから

でもそれは魂の意図…自身の成長のために意図したところから逸れる心癖な訳です。自分を大切にするのと自己憐憫は一致しませんよ。そこをクリアしなければ

先に進めないことを魂は知っています。深い部分で知っています。なので、克服すべき環境に転生して何とかしようと試みるのですが、如何せん…自己憐憫は手強い。握りしめて手放さない気、満々な人がおおかたを占めています。

自分がそうとは気づかぬままに

誰かが少しでも自己憐憫を自分から奪おうとすることを諭したとすると「それじゃ意味がない」とか何とか主張し始めます。これ実際にあることなんですよ、架空の話ではありません。

いわんや

魂の意図は霊能者とて見抜けないことがあるんです。霊能者とて人の子だから…それだけじゃありませんよ。目に見えない存在はそういうことに長けています。わざと開示しない場合がある。それは魂の成長にならないという配慮だったりするんです。霊能者とてその枠内。視えることって限界があるということを皆さんはもっと理解した方が良いと思います。

本人が気づく

それ以外に道はない

だって体験して気づくのが人生の本望ですからね。人にお伺いを立てて答えを欲しがるのも「いい加減にしませんか?」ということだと思うんですね。それもお金払わなきゃ視てくれないんでしょ?地獄の沙汰も金次第という段階はまさに

輪廻

堂々巡りの極かと思います。だって魂は「できない」ことを意図しません!そのことをすっかり忘れてやしませんか?常に等身大の目標を掲げて転生の機会を押し頂いているんです。

自分で達成するんだ!

という志あって初めて転生は成立するんですよ。人にお伺いを立ててどうするんですか?よしんば、アドバイスを受けるは仕方なしとしましょう。しかしながら敵(失礼!)も然る者なんですよ、容易には突破させてくれないようにできている…違います?

様々な教訓的書物を読んでも実践が伴わない、そこの、あ・な・た!あなたのことですよ!「ほぉ」とか呑気な顔して読み進めている場合じゃ~ない(笑、笑いごとじゃありません)

家族に「ごめんなさい」も「ありがとう」も言えない人いるんですよ。霊能力がかえって邪魔な人もいます。言ってあげりゃぁ良いのにねぇ…ありがとうって。

他者批判ですか?そうでしょうか?

精神世界系の人に

人を批判すれば、自分も批判される 従って自分は人を批判しないという論法を展開する人多いですよね?

でもそれなら何故、学校教育にホームルームがあるんでしょうね。「僕は**さんの意見には反対です」と手を挙げ、そして持論を展開する。色んな考え方があって、ホームルームって教室にいる皆が考える機会…ではないでしょうか?あるいは「Aさんの意見に賛成ですが、Bさんの意見は違うと私は思います」とか。

日本人は意見を交えることが不得手なのかも知れません。確かに意見を交えるって勇気が入るし、人間関係に亀裂が走るかも知れません。

でもね、一歩足を前に出してみると

本音でぶつかることの大切さってあると思うんですね。批判すれば批判され返されるって、一見平和主義に見えますが、それって「自分、批判されたくないっす」ってことでもあると思うんですけど、いかがですか?

良いじゃないですか。本気で意見しあって、相手と本音の話をする・・・そういう心の環境ってなかなか整うものではありません。絶好の機会と私は思う質。だって見て見ぬふりが得意な日本人。意見をぶつけ合う現場を目撃すると存在を消したり、巻き込まれないようにする様子を見ます。

人間は完璧じゃありません。だから意見を聞くということも時に必要ではないでしょうか。例えそれが批判100%だとしても、それが的を得ているとなれば、批判も「有り難い」ことだと私は思うんですよ。

謙虚さはそういうところでも養えます。相手はね、あなたがそれを受け止めたら、矛を収めます。なかなか認めないから「諍い」になるのでしょ? いつまでも意見され、言い争いが絶えないんでしょ? 

批判はしない。その理由が自分に批判の矛先が向かうから、という

それを「平和主義」と捉えるのもひとつでしょう。スピリチャルな悟りとするのもひとつでしょう。しかしながら意見を戦わすことを避け、相手の目を見ずにいるってどうなんでしょうね。そういうことを言う人の人脈には9.11事件の真相を炙り出そうと熱心に運動起こしている人がいたりします。

まこと人の心とは灯台下暗し

takakoさんは重箱の隅を熱心にホジホジ…笑。

批判はしない=自分も批判されることになるから

その心理にも進化が求められているように思う私。

結局は自分に返ってくる

良いじゃありませんか。だって自己責任ですからね、すべては。相手あって発した言動に責任を持つ…それができないのに勝手に言いたい放題、その後は言い逃れに走る、そういう人が多いから知ったかぶりなスピリチャルが横行するのかも知れませんよ。キツッ!ですか?
まぁ言いがかりということもありますが、それを見抜く心眼も必要ということかと思います。すべてはTPOかと。

人を批判すれば自分も批判される

そういう図式から一歩抜けてみると見えることってあります。裸の王様ということもある訳ですよ、世の中には。こういう達観があっても良いと思う人間がこの世にはいる

そう発言する人間が、ね

えぇ私のことですよ。大袈裟に言えば、これは宇宙に向けての発信ということでもある…この世のことはすべて此処に生きる生命体の想念ありきで、現実化しているのですよね?
アーユルベーダで、素粒子は静止している状態だが、何かがそれに「意識」を向けると「動き」が生じるというのを読んだことがあります。私は「まさに!」と合点がいったんですね。
すべてこの世の事象は此処に生きるものすべてを反映しており、今アフリカで起きている革命の飛び火も、充分な数の…意識とタイミングが合致したということだと思うんですね。コップの水が溢れ出すように。




批判されたくない心 
エジプトの退陣させられた形の大統領もそういうふうでしたよね。最後まで…いや今もブツブツ自己保身していると思いますよ。



この心から自由になれれば、鬼に金棒でしょう。目指す価値充分にあると思います。もしあなたが批判されたくないという気持ちを持っているのなら正直に「批判されたくない」と意思表示した方が良いと思います。でも認めたくないけど。「この人はそういうふうに私を思っていたのか」と理解する心が芽生えたら、もっと視野が広がるのは確か。もしその意見に言いたいことがあるのなら「意見ありがとう」と。「でも私はそうは思わない」とか「検討してみるね」とか対処は色々できると思います。

私は娘にそれを教わりました。彼女は私が聞いててもイラッとするような父親の辛辣な意見を決して否定しません。言い返せばイイじゃんと思う時もあるんですけどね、言い返すのはよっぽどの時ですねぇ。そういう時は「お父さん、ありがとう!でも、私はそうは思わないから」とけっこう勇気振り絞って言います。相手は二枚も三枚も上手、上から畳み掛けてくる。それでも彼女はキッパリそう言います。でも必ず「ありがとう」という枕詞(笑)を忘れませんねぇ。これは見習おうと思ったんですね。ごめんなさいも同様に。

家族に「ごめんなさい」が言えない人、案外多いと思います。これを素直に言えたらどんなにか自由でしょうね。



言い分はお互いさま。でも相手に敬意を表するって大切。私は奇しくもそれを娘に教わったんですね。彼女はその辺から解放されている希有な魂。実際、視てみると自己保身に捕まっていません。もちろん長所もあれば欠点もあります、しっかり!
私は我が子自慢しようとしているのではありませんよ。身近にこういう人間がいてくれることが


私の魂の成長の糧になっている


多くの人が自分で自分の首を絞めているということがすっごく見えるんですよ。身近にこういうのがいると


それは私だけではないのでは?ということかと思うんですね。


徐々に思い込みから解放されていく 自由になっていく 


教師はセッション料とは無縁な場合が多々あるということかと


目上とも限らない


その証と思います。


私は「アセンション」ということがあるとすれば、なにものにも影響されない魂の自由を獲得することだと思う。それは、欲望にもイデオロギーにもドグマにも影響されない魂の真の自由のことである。


魂の自由


良いお題を頂きました。




一寸先を照らす心

Category : 魂のご飯

今日書く内容は特定の個人に向けてではないことを最初にお断りしておきます。しかしながら架空の話でもありません。この微妙なライン…この問題を抱えた人が如何に多いかを私は日頃からヒシヒシと感じていて…参考になるかどうか分かりませんが、精一杯書いてみることにします。


それは家族に関すること


親を好きになれない。夫を愛せない。尊敬できない。子供とどう接して良いか分からない。「ごめんなさい」「ありがとう」が言えない。様々な問題を心に抱えている人は少なくないように思うんですね。

親は子を選べず、子は親を選べずとはもうこのブログを見ている人はほとんど思っていないでしょう。セッセと精神世界本を読むか、チャネラーやヒーラーのセッションを受けるかなどして今に至っている人が殆どと思います。

人はまず、この、親子関係から人生を始めます。それは魂の目的に相応しい人選ではあるのですが、それを私たちの多くは自覚がありません。そこに「選べない」という感覚が生じる訳ですが、そうではないと知っても、やはり「何故この親なの?」という疑問は残るのだと思います。

ましてや好きになれない

どうしても互いに反目し合うような事態になる

双方に受け入れ難い性格がある

批判的 威圧的 愛情表現の不足

キリなく不仲の要素はある。真面目な人ほど自分を責めるようになる。勇気を出して親に本当の気持ちをぶつけたら難聴になって、かえって謝らねばならなくなった娘さんもいます。

親業とは魂の成長に著しく影響を及ぼします。克服すべき心の問題がそこには見え隠れしています。それは夢を叶えるというロマンチックさとは遠いことのよう。夫婦だとまた別の話が浮上することになりますからね。本当の親子は親も子も人間修行の相手と言わざるを得ないのだと思います。

私は時おり親子の相談を受けることがあります。あるいはどうしても親を好きになれず、自分を責め、何とか変わろうと努力している人もいます。ヒーリングメソッドを学び、エッセンスを味わうなとして何とかしようと努力を重ねている人も一人や二人じゃありません。霊能者にお伺いを立てる人もいるでしょう。それくらい人の縁って神秘ですよね。「何故?」と思うのは自然なことです。

しかしながら長いことヒーラー通いしている人を視てみると

つまり感覚は研ぎすまされてはいくのだけど、肝心の問題の家族との仲が改善されないという例を私はいくつも見てきました。アダルトチルドレン療法が慢性化していう人もいる。

不思議なのですが、母親の愛情を充分に受け取っていないと感じている女性のご主人は依存心が強く、内弁慶だったりする傾向が見られることがあるんですね。皆が皆ではないのですが、同じエネルギ-同士結びつく…これは多いにあり得ることのようです。

さて

私は今日、親を好きになれないという心を抱えている人に向けて話をしていますが、これは人ごとではありませんでした。私自身もこの葛藤を抱えていた時期があるんですね。とは言え、一人一人顔が違うように私の体験が参考になるとは思えないので、私の話を長々と書くつもりはありません。私がこの場を借りて伝えることができるのは

原因は相手にもあるが、あなたにもあるということ
原因は相手にもあったが、私にもあったということ

そして

癒しを受けるのは無理からぬことなのだけど、慢性化している場合は辛すぎる現実からの「逃避ではないか」ということ

そう言われると「反省がまだまだ足りない」と思うんですよね。でも私は反省する…自分の「落ち度」を顧みることを示唆している訳ではないのですよ。

もう一度、親の言動で自分がどう反応するか…正直な心を見逃さないで!ということなんですね。カウンセリングってクライアントから本音を引き出す作業です。

本音って、でも
それを相手にぶつけるとエラいメにあうことありますよね? かえって大泣きされたりとか、難聴になられたりとか、返り討ちに(失礼!)あうこともあります。無意識にですが、拒否感が言動や症状に顕われる訳です。
長年蓄積した恨みつらみを母親に思いっきりぶつけたら難聴になっちゃった・・・というケース、現にありますしね。要は人は非難されることが苦手。単純な法則です。

それが自分の顧みるべき点としても自尊心って容易く傷つくものですからね。

親とて自分が大事。究極そういう親は五万といますよ。中には献身の魂がいて、そういうのはとっくに卒業している場合もありますが、子供がSOS出しているのに、それを察することも受け入れることもできないなんて…「修行が足りん!」ケースでしょうねぇ…限りなく。

そこで踏みとどまって

子供を受け止める器を養う環境に転生しているということなんでしょう。

互いに人間修行。

子供は弱い立場です。一般的にですが、中には生まれながらに暴君のような赤ちゃんもいます。私はその赤ちゃんを見てビックリしました。人間の性格って環境が作ると言われていますが、生まれながらの気質ってあるんですね。まぁそれはそれとして

子供は

理解されずに蓄積された苦しみを何処にもぶつけようがなければ

そりゃぁグレもするでしょう。家庭に会話がない。夫婦に会話がない。母親業って魂に転生の機会を与え育む・・・まさに慈愛の修行と私は思っています。時には厳しさも必要ですが、そのサジ加減って難しい。

それでも子供にとって

親が自分を受け止めてくれないとなると

何処にその救いの手を求めれば良いのでしょうね?

大人になっても解消されずに何とか光を見出そうとする…それは無理からぬことです。

私は色んな親子を見ました。中には「オヤジは弟ばかり可愛がってた」と振り返る中年男性もいます。父親は「同じように面倒みてきたつもりなんだけどね」と吐露していました。

親に対する満たされない思いは大なり小なり人は持っているものかも知れません。

でもね

ヒーリングが慢性化、カウンセリングが慢性化しているとなると話は別。

癒しは「準備」チャネルも「準備」

それはあなたの現実をより生きやすくするためのツールでしかありません。それが全てになっている人いますが、あなたは「現場」に戻ってやるべきことがある

違いますか?

上手く機能しない 

やっぱり親を好きになれない 子供を理解できない

それはあなたが聖なる者に救いを託しているからではないでしょうか?

私が何故こういう物言いをするかと言うと

あなたの中に

あなたが一番欲している答えがあるから 私はそれを知っているからなんです。

回り道して「還るべき場所がある」

それはあなた自身の思い

正直な思い

それをあなたが好きになれない相手にどう理解してもらおうかと思うより

・・・だって、お互い相容れないんでしょ?

不仲の原因のひとつは意見の不一致・・・ですよね?

相手に自分の気持ちを分かってもらおう…「いや分かってもらえないよね」と思うから苦しいんでしょ?相手もあなたを何らかの形で「思うようにならない」と思っているかも知れません。

それは

双方に相手を自分の思うようにしたいけど、できないというジレンマがあるためと思うんですけど、いかがですか?

ヒーラーで家族に問題抱えている人、五万といますよ。私は批判しているのではありませんよ。現実を言っているだけです。

要するに癒しもチャネルもあなたが「準備」をする

あなたが問題解決をするための内的環境にアプローチするのだけれど、あなたはそこが心地良いあまりに

家に戻って愕然としているのではないでしょうか。

それって悪循環って言うのでは・・・

あなたはそわそわと「あぁtakakoさんにまた叱咤された。まだまだ私は反省が足りないのだわ」と自分に厳しくしようとしてやしませんか?

私はね

自分の本音を

それがどんなに口汚いことだとしても否定せず

報われない気持ちを

自分が相手をどう思っているかを

正直に誰よりもあなた自身が「受け入れる」

人生はそのためのものと理解して欲しいんですね。

あなたが好きになれない相手も決してラクではないのではないでしょうか?

シアワセそうですか?

どうでしょうか?

あなたは自分をまだまだ被害者と思ってる部分があり、それをまだ現実に引き寄せているだけと私は思いますよ。これ耳が痛いですか?

あなたはひょっとしたらいつかの人生で逆だったかも知れないのです。

あぁこういうことされるとこんなに辛いのかと充分な勉強をしているのかも知れないのですよ。何故なら魂はバランスを保とうとする性質がありますから。加えて、あなたにはまだ自分に厳しくする下地が整っていません。整っていないから苦しむ…これも自然の理ではないでしょうか。

私は自分の正直な気持ちから眼を背けないでと言っているんですけど…それさえも「自分に落ち度がある」と見落とすんですよ。まるで子供です。

どうしてそんなことになったの?

何故だろう・・・何故そういう気持ちになったんだろう?

他者からそれを引き出してもらう必要がある間は自分に厳しくする器はまだ整っていないと思った方が賢明です。そうではなく

自分を知る

自分の感受性を受け止める

「自分を許す」そのプロセスを辿るには、この忌憚ない部分にあなた自身が アプローチして

自分にウソをつかないのが第一歩と私は思います。
そこをすっ飛ばして(そのつもりがなくても)スピリチャル世界に駆け込んで「あなたはそのままで良い」という思考を植え付けられて

確かにそれは事実。あなたはそのままで良い・・・と言うか、あなたはあなた、他の誰かではあり得ません。しかしながら長きに渡り否定され続けた経緯が、あなたにいつも他者の意向を最優先せざるを得ない状況に駆り立てていたんですよね。

なので「あなたはそのままで良い」という思考を植え付けられて
いざ!家に帰ると鎮座ましますお母様がいる・・・だから収集がつかないのではないでしょうか? シチュエーションは違えど、誰も五十歩百歩と思います。
難聴になったという母親と娘さんは熱心に同じ信仰をしていました。下座の業とかいうことでガンバっていました。人類救済ということで勧誘を課せられて真剣に取り組んでいました。でもその母親にとって救済するべきは自分の娘だったはず…受け止めるべきは娘の心だったはず…でも崖っぷちの訴えを受け止めることが出来ませんでした。
何のための修行なんでしょうね。何を信仰しよう最終的に物をいうのはその人の性格と私は感じます。

いずれにしても

知らなければならない何かがあなたにはあった
体験してみないと分からない何かがあなたにはあった

だから此処に来る以前に、人的環境を了承した 

相手も了承した

意味のないことなどないとあなたは頭では理解しているでしょう。でもまだ真には分かっていないのだと思います。

人には分かって欲しいという「欲求」があります。それは無理からぬことなのですが、相手だって頑なにそう思っているのではなでしょうか。

精神世界にどっぷり両足踏み入れたが故に家に帰って辛くなる、厳しい現実からどう救われるか・・・救われない気持ち、満たされない心を何とかしようと走る。現実を心が消化しきれないと色々あちこち滞るものです。

消化は昇華とも書く

こじつけと思います?

人は、分かってもらいたいという「欲求」からはなかなか抜け出せません。ちょっと言われると傷つくのがその証拠。意見を通そうとするのも、相手が頑固で辟易するのも。それは無理からぬことだけど、相手だって負けずと頑なにそう思っているのではないかと思うんですよ。

この堂々巡りから脱出したいじゃありませんか!




聖フランチェスコは「愛されるより愛したい。理解されるより理解したい」と謳ったんでしたよね?



もしあなたの目の上のたんこぶ(失礼!)を御すことも理解することもできないし、自分の怒りや憤りも改善されないし、もの別れに終っているとしたら

「私、理解できないし、愛することできない」と正直に認めることです。良い人であろうとする前に正直であれ、だと私は思う。それが充分に心に行き渡った時点で

「何とか上手くいくように頑張ったつもりだけど、もう無理。ごめんなさい」と、そう「ごめんなさい」と心から言えるまで、あなたは自分の中の傷ついた「記憶」を通して、養おうと魂が意図して、その人生を組んだと思った方が良いと私は思う。

親子関係で滞っている人に見受けられる傾向は

この「ごめんなさい」を言えないことのようです。何らかの正当性があって、なかなか「ごめんなさい」を言うことができずにいる。

えぇ皆が皆ではありませんよ。

でも胸に手を当てて思い返してみて頂きたいんですね。





一寸先を照らす心は




そういう正当性からあなた自身がまず解放されるところからも見い出せます。




相手もまた別な、一歩も譲れぬものを持っているのだと思うんですよ。



分かってもらおうという気持ちを喜捨して(これすっごく大変と思います)
「ごめんなさい」と言えない(これもすっごく大変と思うけれど)理由を正当化することから解放された時


あなたに真の癒しが訪れる



人生の現場でそれが「起きる」のを



私は心からあなたにそれが起きるのを祈っています。




一寸先を照らす心はお金では買えません。



もうそういう時代は終わっています。神社に神様がいない(高次の神々は既に帰還しています)のと同じに今は過渡期と言えるのかも知れません。




辛辣

Category : つぶやき

我が家のお父さんは辛辣と書きました。
あぁそれでtakakoさんって辛口なんだわ、とか思いました?・・・類友、笑。我が家で一番空気を読めるのは娘かも知れません。沸点の低~い母親と、言う時にゃキツい父親に囲まれた苦労人。でもその娘も言う時は言います。けっこうそれが的を得ていたりして「おぬし…!」と思うこともしばしばです。
我が家のお父さんも私のような鉄砲玉(笑)を嫁にした苦労人ですが、物は取りようというお手本みたいな人です。仕事でもないのに「プラハ行ってくるね」だの年中旅するただ飯喰らい(私のこと)の言いなりになっている訳ではなさそうなんですね。彼なりの思いがある。まぁ旅費くらいは稼いでたりしますから、私。それもあって気持ち良く見送ってくれているのでしょうが、それだけではありません。

ちなみにお父さんは釣りの趣味を持っています。なかなか思うように出掛けることができない…お陰さまで仕事が忙しく。
なのですが、いきなり「今からAさんと釣り行ってくる」と言われて私は苦情を言ったこと一度もありません。「そっか♪気をつけて楽しんでらっさ~い」という具合いで。自分で言うのもどうかと思う話ですよね。でも本当なんです。日頃ガンバっている姿を見ていますからね、息抜きは必要って思います。

私は私で自分で言うのも何ですが、家にいる時は家事を疎かにはしませんし、子供に関することはずっと任されっぱなしでした。役割分担あって、それぞれが補いあうしかなかったんですね。もちろんたまには家族で旅行に出掛けたいと思うこともありましたが、日曜日は家族サービスという生活パターンとは無縁。とにかく忙しい人なんですね、お父さんは。
そのうち私がプロカメラマンにひょんなことからなったものだから年に数度海外に行くようになった…それを機に父・娘・母それぞれに役割を担うような感じが定着していったんですけど、これは一重にお父さんの「器」あってのことだと思うんですね。加えて

我が家はよく話をします。これも功を奏していると思います。会話がない家族がいるって信じられないほどです。

この「よく話をする」という空気があって

お父さんはしょっちゅうじゃありませんが、時に図星なことを私に直球で投げてきます。そりゃぁムカッと来ることもある訳です。でも認めざるを得ないと

例え「お父さんだって」とか「私によくそういうふうに言えるよね」と思える部分があっても

認めざるを得ないことは堪え難きを堪えて(苦笑)改善する方向に。えぇちっぽけなプライドなんかに負けたくない、とか何とか(笑)
ただし意見の相違がある場合はまぁ物別れになりますよね…、お互いに自分の意見は下げません!下げませんが、相手には引かないというラインを何処かの時点で、どう言えば良いのでしょうね。そうですね…一線が相手にも自分にもあるというところに落としどころを得たというのでしょうか。

回りくどい言い方ですよね(笑)

いずれにしても

お互い余裕なく、一方は仕事で、もう一方は目の回るような子育てとスポーツカメラマンという慣れない世界の二足のわらじで、本当に余裕なかったですねぇ。その余裕のなさが年月を経て

加えて私が視えるようにもなって、家族の魂の成り立ちやクセの原因に理解が深まったことも小さくなかったように思います。今思えば、収まるところに収まるまでの試練の道のりだったように思うんですね。

夫婦は他人と言います。ですが、私は決してそうとは思いません。確かに生まれ育った環境には違いがあり、その溝は埋められない部分はあります。しかしながら幸か不幸かどういう経緯で人間関係が生じたかを知ってからは少々の不平不満には負けない心が養われていったような気がしますし、娘も合わせて、それぞれが自己実現…あるいは約束を果たすためにこうして家族でいることに感謝せねばと思えるようになったんですね。

欠点はお互いさま。至らないのもお互いさま。そこを補い合うのは

縁あって絆が生じたという霊的事実

夫婦も親子も同じ点数ですからね。でなきゃ縁は生じません。例外があるとすれば、かぐや姫を育てた翁夫婦のようなケースでしょうか…極稀と思いますけど。

辛辣な我が家のお父さん

でも傷つけようと言っている訳ではないですからね、まぁ二黒土星ですから「少しく意地悪き心地ありて」という部分はあるんですね。相手のタイプも知っていると参考になりますねぇ(笑、納得!)

そうそう

私は娘に小さい頃から「誰のお陰で雨露凌げていると思ってる!」と普通にガナッっていた母ちゃんです(笑)娘の前でお父さんをバカにするような言動はしたことありません。子供は母親の影響を色濃く受けます。母親が日常的に父親をコケ降ろしていると、それが刷り込みになって、感謝しらずの人間が一人出来上がってしまいます。

母親も歴とした職業だと私は思っています。子供の人格形成の責任の一翼を担っているんです。まぁ例外的に霊的に目覚めたお子さんだとそういう心配もないでしょうけど、稀でしょうし…私たち凡夫はしっかり心眼を養っていきましょう。

心に問題のない人などいないと思います。大切なのはお互いさまを知る心ではないでしょうか。

この娑婆世界は補い合うことで人間関係が整うように成り立っていると思うんですけど、いかがですか?

相身互い

男と女って不思議ですね。それぞれに違いがある・・・夫婦は補い合って初めて健全に成立するもののようです。欠点がある者同士、互いをどう見るかで日々の暮らしも雲泥の差でしょうねぇ。それは親子とて同じ。

家族の中に好きになれない人間がいるケースも後を絶ちません。

私たちは何かと「何故」と思い、理由を知りたがります。でもそれが余りにも続き過ぎると堂々巡りを引き起こしてしまうこともあるように感じます。

何も霊能力が突出していなくても五日市さんの講演収録にあるようにできることはいくらでもあるのですよね。どう気持ちを持っていくか・・・私たちの可能性を引き出す

能力ではない

日々の心がけでできることはたくさんあるということを

特殊な能力開発に走って、霊能者に走って、何かと忙しかったと思いますが、そろそろ

青い鳥は家にいたように

そうですよ!

ご意見番、私の場合は家に鎮座ましましていましたからね(笑)ここに+私自身の心が羅針盤と来れば

鬼に金棒

一寸先を照らす心の光は

あなたの傍らにある

時に辛辣な言葉を投げられて、目が覚めることもある

人選に間違いはないということかと思います。




つくづく。






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(2016年12月27日記)

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