アセンション組という驕り

Category : アセンション

今日はアセンションに関して思うことがあるので書いてみようと思います。2日続けての更新(^^)kagariさんの影響大…!ですね。
私はアセンションリーダーではありませんし、中核を為す立場でもありませんが、外輪は外輪なりに思うことはあるものです。


私がアセンションを知るきっかけはゲリー・ボーネル氏。初めて聞いた時は何だかワクワク。思い出してみる限りでも詰めかけた人たちのは皆、興味津々。中にはグルービー(追っかけ)的なノリの人たちもいて、なかなかの盛況ぶりでした。ボーネル氏はアカシックレコードを読む人…神秘家に属するのでしょうか。不思議ですが、虐待にあった児童が現実が余りに過酷で受け入れ難いため、体外離脱を経験することがあると聞き及びますが、ボーネル氏がまさにそれに当たるんですね。彼はそれを公にしています。アカシックレコードを読む資質が養われたとも言えるようです。

さて

あれから月日がたち、アセンションの真実なるものを語る人もずいぶん増えました。チャネラーの増殖もその要因のひとつと思いますが、にわか仕立てのブロガーもあちこち幻視モード。kagariさんはアセンションしたと幻視した人も当たるも八卦当たらぬも八卦なサニワと言えるでしょう。こういう類いのノリが巷に溢れており、目に見えないジャンルを扱っている…由々しき事態は精神世界も変わりがありません。

アセンション情報をゲットして

凄いと色めき立ったのは私も同じ。ですが、私の場合は幸か不幸かボーネル氏のワークショップ「アカシックレコードを読む」を受講して先んじて視えるようになったとガセネタ連打する主婦たちがいた…なので茶番の危機は脱した訳で。本当に視えるとはいい加減さと背中合わせ。
私は私で明日は我が身とビビって萎縮してしまう始末。自分は大丈夫かと疑心暗鬼にかかりチャネル行脚を重ね、授業料総額かぞえるとゾッとするくらいあちこちに注ぎ込んで、ジ・エンド。

自分の事実は自分の中にある…寓話「青い鳥」を痛感したんですね。

懲りたし、目も覚めました。

で、皆さんにお聞きしたいんですけど

アセンション本を読んだ人、私のように話を聞きに行って知った人、きっかけは様々でしょうけど、アセンション是非体験したい!と思ったと思うんですよ。出来れば、ドロップアウトじゃない方向で頑張りたいと思ったと思うんですけど、いかがですか?

ボーネル氏は「中には消滅する人もいる」と言ってましたからね。今は世界人口は約60億ですか?アセンションできるのはその10分の1かそれ以下…ということで、そりゃぁ色めき立ちもするでしょう。皆が自分は選ばれる方と見込んだと思うんです。知り合いの例の主婦たちはボーネル氏の個人セッションを受けて、自分たちはいち早くアセンションすると言われたとかで何かと周囲の人を「あの人はアセンション組。あの人は出来ない」とエスカレート。とても感じ悪かったですね。私も何と影で言われているか分からなかったですしね。ほどなく距離を置くようになりました。10数年まえのことです。

アセンションは

こういう驕り高ぶる気分を人に起こさせます。そういう姿を私は目撃して嫌気がさしたけど、彼らはみんな反面教師。私もそういうふうになる可能性があった訳です。

でも私が視る限り、その驕りが出た時点で魂に…どぶ川のような匂いや何週間も風呂に入っていないような匂いがし始めます。これは霊的なもの。清潔にしていても匂ってくる類いのもので実証しようがないけれど、本人は無自覚のままにそれは訪れます。本当に私はそういう意味では反面教師に囲まれ続けていた訳です。と、言うことは

私の中にその要素があったということになります。それを否定できません。

裸の王様という童話があります。世に出回っている「ライトワーカーたちよ」とメッセージを発信している人はほぼそれに当たります。中には自身のメッセージ(予言)が外れて非難集中。それまで閲覧者を「あなたたちは光♪」と称していたが、手のひらを返すように闇~!と…否定されて逆ギレしたチャネラーもいる。そういう幼稚さを自己ピュア人類は持っています。

アセンションはこういう狂想曲を呼び起こし続けています。

でも

どうして それほどまでにアセンション組に執着しているのでしょう。皆さんは考えたことがありますか?

それはアセンション達成しないとたぁ~いへぇ~んな事態に遭遇する

悲惨な世界に取り残される

あるいは移行させられる

抹消される

引いては落伍者の汚名を着る羽目になる

そういう感じに恐怖心を植え付けられているせいじゃないでしょうか。悲喜こもごもの思いを味わっているせいじゃないでしょうか。そこに光サイドと闇サイドという二極が取り沙汰され、もうシッチャカメッチャカ…違います?

私はね

アセンション情報なにひとつ持ち合わせていません。何故かと言うと上記のような戦慄が人の心に植え付けられていることに不快感を持っているからです。

私は自分にしろ人にしろ、白(アセンション組)か黒(非アセンション組)かいう選別意識で生きることを良しとしません!

考えてもみて下さい。

私たちには魂のルーツがあり、故郷があるのですよ。そこに帰還することだけは確かなことではないでしょうか?

地球卒業することだって至難の業。ネット流出しているメッセンジャーの殆どがアセンションに踊らされているように私には見えますが、それって自分はアセンションリーダーという自負に駆り立てられている…つまりそれって踊らされているってことです。選ばれし者という匂いもどぶ川の匂いを発します。言い過ぎですか?本当にそうでしょうか?

アセンション思考で生きるって本当に危うい。何かと聖なる存在のチャネルを流している人、国の内外にいますよね?ほぼねつ造と思った方が妥当と思いますよ。外界にばかりアンテナを張る。内面に向かうことをせず、聖なる外界にアンテナを張る…なんて愚かな人たちでしょう。

私たちは皆一人残らず、自身の想念をベースに世界と関わっているのですよ。自分の心より聖なる者を優先する、その安易さ!いぇもっと安易なのは人を介するということではないでしょうか?

聖なる存在と繋がりたいと心から望むなら人を介さず、自分自身で繋がって頂きたいと思います。

自信がないという理由は言い訳でしかありません。私たちには等しく直感というものが備わっているのです。伝わるってね、精妙で微々なニュアンスのものです。そこに心を開く。そこから対話が始まるのですよ。ハッキリ伝わってくることもありますよ。でも私たちは何かと感じながら気のせいに流してしまいがちではないでしょうか。私がそうだった。自分に自信が持てずに散々遠回りばかりしていた本人です。そうして痛い目にあった…まさに「青い鳥」の類いを体験した張本人。

自信がないって諦めないで(CMのようですね、笑)私たちは日々の暮らしの中で充分にスピリチャルな体験をしているのですよ。

両親

夫婦

親子

上司部下

先生生徒

恋人

人間関係はその最たる事象ではないでしょうか。

私たちそれぞれが作った縁でしょ?そこに人生の学びの大半はあると私は思っています。そこをすっ飛ばして聖なる存在に心を奪われている…そう!心を奪われている、だから地に足がつかず、天使や宇宙存在の介入を期待して空を見上げてばかりいるのでしょう?ハイヤーセルフさんとか大日如来ちゃんとか(笑)いうお茶目なセンスに終止しているのでしょ?精神世界ラインキングにホンモノはいません!閲覧者が多いとかどうとか理由になります?

多くの人が他力本願。ただそれだけのことではないでしょうか。

自分の感覚に立ち返って下さいね。それが一番大切な作業です。家族にご主人に子供に、あなたは何を求めているのか。あるいはどう求められているのか。そういう身近な心の交流なくして何のスピリチャルでしょうか?

アセンションは波動変容。上昇変容するDNA。宇宙のダイナミズムですからね。私たちのような数%しか頭脳を使っていない凡夫がいくら目を耳をかっぽじっても理解できる事象ではないと思いますよ。だから聖なるチャネルに流れる、そっちのメッセージを拾おうとする。日本がアセンションの中心と言いたがる。例えそれが事実としても、それは見方のひとつでしかないと私は思っています。

私たちは何処にいようと私たちの分に応じた現実がある。それは私たちが望んだことが最優先された結果ということを忘れてはいませんか?

今一番大切なのは

私たちが養わねばならないのは

自己信頼ではないでしょうか。だって此処に来たがったのは私たち自身でしょ?自己信頼は直感を私たち自身の内面に向けることから始まります。

遠回りしましたね、そこのあなた!

今はね、カード占いやチャネル等々に依存する時ではなくなっています。あなたはそれを感じないのでしょうか?うすうす気づいているのだと思うのだけど、不安からその一歩を踏み出せずにいるだけではないでしょうか。

大丈夫。

あなたの現実はあなたの中にあるものが作り上げている。失敗は成功の元とも言う(笑、笑いごとではありませんけど)つまり…出来事にどういう反応を示すかで、事態は変わりますよね?私たちは常に何かしらに「反応」することで現実を創り上げています。

依存は

これから増々重たくなると思います。チャネラーはこれから増々役立たずになると思います。その方が良いのです。少しでも依存しない方向に生きる決意を固める人が増えるのが望ましいので。

第一

私たちにはそれぞれ目に見えない応援隊がついている。なのにあなたは聖ジャーメイン様とかサナンダ様とかマグダラのマリア様とか思いを浮かせてやしませんか?
応援隊ってね、手取り足取りはしません。でも肝心な時にはきっちりサポートしてくれます。目に見えない存在まで有名人がお好みですか?皮肉に聞こえます?本気ですよ、私。

痛い目にあわなきゃ、懲りない私たち

何かと試してみなければ気が済まない私たち

私のブログを怖いもの見たさとしても(笑)見ているということは多分ですが、何か今の精神世界に腑に落ちきれないところがあって、ひと皮脱皮しようとしているプロセスの人が大半なような気がします。
私はサジェスチョンしかできません。分厚い目のウロコを剥がす手伝いをほんの少しするだけ。それさえどんだけかは不明な訳ですが、私自身が目からウロコの体験を長年してきた…既存のスピリチャルの垣根から出てみると見えてくるものがあった…アセンションはその最たる事象と言えるでしょう。


私はね

地球卒業できれば御の字と思っています。二度と来るもんか!とも(爆笑)それだけこの娑婆世界は奇々怪々。魑魅魍魎も一緒くたに暗躍しているのですから、そりゃぁ大変です。ゴミポイ捨てする人いれば、しない人もいる。

此処は自由意志が満遍なく貫かれています。

学ぼうとしない輩も五万といる。いなくなりはしません。性懲りもない点では悪道も正義も同じです。相容れない存在もいなくなりはしません。





アセンション達成しないとたぁ~いへぇ~んな事態に遭遇する

悲惨な世界に取り残される

あるいは移行させられる

抹消される

引いては落伍者の汚名を着る羽目になる




それが事実としてもそこにフォーカスするより大切なことは日々の暮らしの中にこそ気づきはあると私は思う。つくづく思う。え?それでもアセンションが気になってしまう…?そうですね。情報に振り回されるより、あなた自身の内面にフォーカスしてみてということに尽きるでしょうね。

だって自分が望んでいる答えでしょ?アセンションは確かに宇宙的大イベント。凡夫の知る次元を越えています。でも、宇宙コンタクティやチャネラーのほとんどが目に見えない次元に答えを見出そうとしているのでしょ?あなたと何処が違うというのでしょうね。

あなたが一番気にしている

自分は果たしてアセンションできるのかどうかも

あなた自身の深い部分が知ることではないでしょうか。だって他でもない。あなた自身のことですから。






まだまだ傲慢さが欠落している分、健全と思います。








あの人の言うことだから

Category : つぶやき

シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ再開に関して少し書いてみようと思います。

私がまず思ったのは「え?『旅立った愛しき友へ捧げる』ってブロガー…無関係者だったの」という友人でもなんでもないのに、さも親しいと主張するって人いますけど、その手合いだったの…?ということ。至る処に自分は縁があると思っていたとか、シンクロしていたとか、何かと言いたがる人が群がる…kagariさんはそういう魅力のある人物ということも言えそう。
友人だったらkagariさんの所在…ただ沈黙を守っていただけと知っているはず。加えて知り合いのチャネラーが言うことを鵜呑みにして「kagariさんはアセンションした」と発信したアセンション系ブログの管理者もいます。今、事実確認中なのだそう。事実確認って言い出しっぺのチャネラーに?「あなたはkagariさんアセンションしたと言ったけれど、どうなっているの?」と問い合わせ中ってことでしょうか。そのブロガーは発信源のひとつ。

あの人が言うことだからという

これは、チャネラーや霊能者の言うことを鵜呑みにした顕著な例ですけど、信頼関係あるからこそなんでしょう。でも、目に見えないことって盲信は法度です。本当にチャネルは危ういということを私たちは改めて肝に銘じなければなりません。
私も似た経験を多々しました。あんまり否定するのもという思いがアダになるという。しかも目に見えない存在は姿形を如何ようにも変えられ、しかもエネルギ-丸ごと「着ます」!から本当に見極めるのは難しいです。
世に出回っているチャネラーは限りなく100%に近くコロッと騙される可能性大です。まぁ騙されても懲りずに開業しているチャネラーもいるようですが。これから増々こういう枯れ尾花現象が続くと思います。これも一種の浄化と言えなくもないのでしょう。

でも、アセンション系ブロガーに多く見受けられるフワフワ浮いた感じ…さん付けで呼ぶ…例えばハイヤーセルフさんとか(笑、自分のことだろ!)これは正しいとか間違っているとかではなく、こういうタイプ、「隙」があるのだけは確かです。ちょっと耳元で囁くとコロッと「あ!大天使ミカエル様だ」とか「サナンダ様だ」となってしまう。何故なら彼女たちは選ばれし者という意識を隠し持っている(自分はピュアで謙虚と信じ切っている)ので、そこをつかれる。簡単な方程式です。

使命に弱く

聖なる存在に無防備

光と闇・・・自分は光という刷り込み

直感を目に見えない存在のメッセージをキャッチするとか、予言とか、そういうのに使うから変になっていく。アセンション産業もアカシックレコード産業もリモートビューイング産業も本当に危ない人を増殖させています。ビジネスは自由。でも、そのツケはキツいのではないでしょうか。全ては自己責任ですからね。商売熱心もほどほどにしないと。

直感はまずは自分自身の心に根ざす方向で親しんで頂きたいと思います。そこをすっ飛ばしてチャネルにのめり込んでいった結果が今回のことではないでしょうか。

ただし

kagariさんは多分ですが、自身の多次元性を体感しているのだと思うんですね。そういうニュアンスをキャッチして、地下都市にアセンションしてマスターの称号を受けたとかをチャネリング、断定する物言いをしてしまったのかも知れません。多次元に住む…それは事実と思うんですね。夢の最中、私たちは日常的に体外離脱(笑)しつつ別次元と此処を行き来しているということは多いにあり得ることですから。
私もkagariさんは気配の薄い人物と感じています。浮世離れしてますしね(笑、失礼)復活後はきっと伝えたいことが多いにあるのでしょうか。決意みなぎる文章。今回のように憶測が憶測を呼ぶ…これはスターの証でしょうか。

数ヶ月ぶりにブログ再開という記事を書いていながら、忙しくしていて私自身まだ内容を読んでいませんでした。…で、さっき読みました。う~ん独特の世界感ですよね…感じかたはそれぞれでしょう。

私は私でまた違う世界観を持っています。

光と闇というのは

ある意味、私たちにとって大切な学びなのかも知れません。私たちはそこを体験することで自身のアイデンティティを確立するステップを踏みます。

あるいは自分がどういうふうに突き動かされるかを自覚もするでしょう。

でもね

この光と闇という二極も結局は想像創造の産物ですし、私たちの心の陰陽とリンクしています。闇と闘うということは視点を変えて見てみれば、

魂の統合が未だ成熟に至らずということにもなる。

聖なる側と自分を位置づける思考はその人のもので、それ以上でも以下でもあり得ないのですよ。どんな極道な人も国家も「自己正当性」を主張する。それと一緒にしないでくれという思考が働くうちは首をすげかえて闘いは続くでしょう。縁とはそういう性質のものですから。
いずれにしても「敵」を創造しているのは私たち自身。いつまで闘いを続けるかはそれぞれの判断に委ねられる。

一番難しいのは非暴力です。

あなたにそれを全うする自信はあるでしょうか?今日日のライトワーカーは安易と、なので思ってしまいます。私ですか?

ありません。

私はね

この娑婆世界に純度100%の正義はないと思っています。皆それぞれが自分は正しいと言い張る。利害で決裂する。ヒーラー同士が揉める。霊能力を商売にする。悩み相談で御殿が建つ。対極に奉仕・非暴力・悟りがある。

私はね

もうそういう光と闇とかにフォーカスするより大切なことがあるように思っています。

あなたの中に「平和」を植える。

心という作用が私たちの人生を社会を形作っているのですよ。光という自覚や闇の勢力という図式はこの娑婆世界からはなくなりはしません。超古代文明が滅んだのはこういう人の欺瞞が蔓延り、臨界点に達したためと私は感じています。

確かに

この世に悪道が蔓延っています。それを正さねばならないのも確かです。でも、朝鮮半島の危機を見てください。言って分かる相手じゃない相手…ライトワーカーはそういう相手と対峙する可能性があるという危機感を果たして何人の人が持っているのでしょう。危機のただ中に飛び込みもせず、温々とした部屋で聖なるチャネリングですか?甘えた考えですね。

現実は私たちそれぞれが作っているのでしょ?

kagariさんの記事を読むと、彼の魂はあらゆる危機をわざわざ想定しているとしか思えません。きっと固い決意をして娑婆世界に転生したのでしょう。光と闇にフォーカスしている以上はお約束でついてくる試練なのかなとも思いますが。

全ての事象は私たちの想念の産物。引き寄せているのも私たち自身。

kagariさんはkagariさん。彼は必死で光へと人々を導こうと決心している。ただしシリウス文明が全てではないでしょうし…クラリオン星人のコンタクティ、カヴァーロ氏はまた別な見解を持っているでしょう。皆、自分の出身星を中心に発想するんでしょうね。アンドロメダ星の転生者やプレアデス星チャネラーも此処かしこにいます。私は茶化している訳ではありません。



知り合いのチャネラーの言うことを

あの人が言うことだからと

鵜呑みにして安易にブログに書いた結果

kagariさんは何のことはない、沈黙を守っていただけという

旅立った愛しき友へ捧げる歌とか何とか…いうブログURLを貼って「kagariさんはアセンションしたらしいですよ」と書いた人もいる…いい加減なサニワたちがあちこちにいるという今回の顛末。まぁkagariさん、あの風貌ですからね…無理もないかも知れません。皆にも期待があったと思います。私ももし本当だったら凄い!と思いました。




アセンションに関して私は何の情報も持っていません。



でも今回のことで私は皮肉なことに自分の立ち位置が増々明確になりました。光と闇という縮図の「闘い」は私の中には既に存在していません。だって切りがありません。全ては自己責任。それぞれが何らかの欲求があって、正義にしろ、悪道にしろ、体験し続けている。これが娑婆世界が存在する理由ですから。

えぇ確かに二極という創造もリアリティのひとつです。

肝心なのは、それを私たちひとりひとりがどう捉えるか、関わるかに係ってということではないでしょうか。小さな一歩ではあります。誰にも理解してもらえないかも知れない。微妙な立場の日本にいて、確かに危機意識は高まりつつありますよね。瀬戸際外交を勃発させ続ける国も身近にある。いち庶民には伺い知れぬ政治的かけひきや経済対策があり、その影響下に私たちはいて、翻弄されています。

何か視えないソースと繋がりたい!と思うのは無理もありません。

でもね

私は思う。大切なのはチャネルでもサイキックでもない。私たちは自分の心に自己責任を植え付ける努力を惜しむことなく日々暮らす。

あなたが今体験している現実は決してパソコンの中にある訳ではありません。パソコンは私たちを繋ぐ、いち手段と思って、依存しないで頂きたいと思います。

身近な霊能者やチャネラーの言うことを鵜呑みにしないこと。

今回の教訓はこれ。私の話も参考ということで。私たちはそれぞれに自分の心こそが基盤です。





光と闇という縮図のことは機を改めて書こうと思います。





[ 追記 ]
今回のKagariさんアセンション!と発信したブログの管理者を無意味に批判したのではないことをここで改めて記しておきます。私たちは霊能者やチャネラーの言うことを鵜呑みにする傾向があるということ。また、アセンションは誰もその真実…果たしてどのように展開するのか、あるいはその機会を私たちは逸してしまうのか、を知らないということ。2012年に向けてのチャネル情報に依存せずにいることの大切さを私たちそれぞれが深く理解する機会なのかも知れません。
また自分がアセンションするのかどうかなど気に病むより、一日一日を大切に。今やるべき生活を疎かにせずに家族と関わり、地に足付けて暮らしていくことが肝要です。
今回、Kagariさんはツインソウルという事柄とアセンションを絡めて言及しています。そういう流れはあるでしょう。ノアの箱船もそういうことでしたよね?でもそれは大切なエレメントのひとつ。Kagariさんを否定しているのではありませんよ。誤解のないように。Kagariさん自身もそれが全てではないと表現していますけど。

一人一人、魂の質も目的も個性があります。多様性を学ぶ。これも大切な学びと思います。








kagari ∞ Kazuki ブログ復活

Category : つぶやき

シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ、8月から更新が途絶えていましたが、今日ふと気になってクリックしてみました。22日より活動再開だそうです。え?今日じゃないですか…まぁ。
興味のある方は見てみて下さいね。地下都市にアセンションしたというチャネル発信者はどうするのでしょう。

それはそれとして…興味深い人物ですね、kagariさんは。お会いすることはないでしょうが、生活感のなさは独特…いえプロフィールの写真、グラサンの印象ですが。

沈黙のこの数ヶ月。色んな人が色んなことを感じたでしょうね。私もその一人です。

今回のこともやはりチャネルは危ういということになるかも知れませんね。地道な生活が肝心ということに尽きるのでしょう。しかしながら、自分の直感…チャネルじゃありませんよ、がこれから増々大切になってくると思います。テレパシック=チャネルという方程式では既にないのですし、情報収集しても事実に終止する訳でもありません。ましてやそれらが自分に必要か否かを見極める、それも直感で。

書きたいことはあるのですが、今ちょっと忙しく。

それにしても今日ふと気になったkagariさん。どうやら彼はアセンションのキーパーソンではあるようです。いずれにしても鵜呑みは法度。kagariさんもこの沈黙の期間にきっと思うところがあったでしょうね。




霊的障り

Category : 魂のご飯

精神世界に興味のある人の多くが何かの縁でここを観にきてくれていると思うのですが、今日は目に見えない世界の厄介な分野の話をしたいと思います。

私は霊能力は皆無。しかしながら霊的障りもそれぞれの心がけ次第で緩和できるように思うので、何かのヒントになればと書くことにしました。本当はもっと早くに書く意思はあったのですが、これもタイミングってことなんでしょうね。



皆さんの中には霊媒体質という人もいるかも知れません。あるいはサッパリ何も感じないという人もいるでしょう。私は一時期仏教系新興宗教の会員だったことがあり、霊障という言葉はかなり!刷り込みされていました。敏感であろうがなかろうが、供養すべき先祖は供養する。それが子孫としての礼節だろうとも思っていました。

ところがひょんなことから視えるようになった…それはそこを辞めてしばらく後のことですが、それを機に過去世の殆どが日本以外で今世は日本人という人が複数いることを知りました。もうそうなったら過去世の分のご先祖を加えればキリがないってんで、それで先祖供養が全てではないという結論に至ったんですね。
私の場合ですが、両親がそれぞれ複雑な家系で、供養という見地ではキリがなかった。親戚の親戚のそのまた親戚のと出て来る訳ですよ。私は「お前ら!自分のことは自分でオトシマエつけんかい!」と「生きている時が要なの!孫子にぶら下がってるんじゃないよ!」と宣言(宣言って言えるのかどうかは微妙ですが)しました。

やはりその宗教を辞めた知り合いで霊媒体質な女性がいました。彼女は私以上に熱心に供養をしてた人ですが、ある日娘さんが熱でうなされ、病院の薬がなかなか効かなかったそうです。彼女はあったまにきて「あんたたち!娘にこれ以上障りを起こしたら、もう絶対に供養をしてあげない!」と怒ったそうです。日頃穏やかな人なので、きっと先祖たちはビビったのでしょうね。それからすぐに娘さんは病気回復。元気に登校できたのだそう。

彼女はつくづく「やさしいだけじゃダメねぇ」と呟いていましたが、そういう共時性が続いたある日、視界が開ける…というのでしょうか。心から生きている時が大切と思えたんですね。自分に置き換えてみても、娘に死後の供養をあてにするようでは親として情けないじゃありませんか。すっかり目が覚めてとっとと辞めてしまいました、その教団。

霊的障りですか?何もありませんでした。もちろん先祖供養を真心をもって生涯尽くすのもひとつの選択。




さて

話をここ数年のことに切り替えましょう。

数年前あることをきっかけに霊能者の怒りをかったことがありました。知る人ぞ知る話です。ですが、障りはありませんでした。私の霊的ガイドに何度聞いても「何も心配いらない。アタックはあり得ない。私たちが全力で守っているのだし、第一周波数が違うから届かない。然るに…」

そうです。恨みはその人自身にフィードバックされる…それがこの世の仕組みです。因果応報。恐れるとか恐れないとかに関わらず、ただ…その仕組みを知っている…知識としてではありませんよ。直感的に大丈夫と分かる瞬間ってあります。当時を振り返ってもそうです。

そして

肝心なのは「周波数の違い」という部分ではないでしょうか。takakoさん、自惚れてる…ですか?いえいえ、次元が違うのじゃなく、ただ周波数が違う。ラジオと同じでチューニングが合わなければ何の番組もキャッチしない。これが森羅万象、ものの道理ってことではないでしょうか。




スピリチャルな人々には悪しき想念のサイキックアタックにあったと言う人、いますよね?自分は清らかで相手が邪悪という共通項もお約束でついてくる人。

でもね

そうかも知れないけれど、そういう周波数を拾う何かがその人自身にあるということが大きく見落とされていると私は思っています。

それは過去世からのカルマかも知れない。いずれにしても何らかの縁が生じて、周波数が合っている…それがために障りを受けるという単純明快な方程式が成立する。生霊も霊障も同じ仕組みで動きます。




また別な角度から見てみましょう。




あなた自身が生霊を飛ばしているとしたら?

あのですね、本人の自覚ないままに飛ばしていることって多いにあるんですよ。あなたは自分が飛ばしていないと断言できますか?出来るとしたら「そんな覚えないも~ん」程度の理由ではないでしょうか?

誰かを憎みますよね?もうその時点で生霊、飛んでます(笑、笑いごとじゃありませんけど)周波数が合わなければ素通りするだけのこと。
また、サイキックアタックを受けたと思い込んでいるってこともあリ得るんですよ、これが。人間にはヒステリー症候群ってのがあって、何かにつけオートマチックにかつ必要以上に反応している場合も少なくない。TV番組でいちいち反応していた人を霊能者が「あなたには何の霊も憑いていませんよ。ただのヒステリーです」とキッパリ言われていた主婦が映っていたのを観たことがあります。

皆さん、気をつけましょう。

とは言え

もし生霊や霊障のアタックから身を守る方があるとすれば

変なヒステリーおばさん、おねえさん、おにいさん、おじさんと思われないためにも(笑)

オーラのプロテクトはしておいた方が良いかも知れません。方法は簡単です。自分の周囲にタマゴ型のオーラがあるとイメージして下さい。そして、そのオーラの上にゴールドの太陽が輝いているとイメージして下さいね。その太陽から一筋のビームがオーラに注がれてオーラをコーティングしている様をイメージします。それで終了。

サイキックアタックはオーラが弱くなっている時…そうですね、心身が弱っている時や疲労している時にヒットするということも多いにあります。周波数が落ちたのを修復する、これは有効と思います。そして、守護を信頼する

え?それでもヒットしてしまったら?

あらら…あなたサイドにそれを引き寄せる素養がある。心癖がある。これに尽きると思います。相手に悪意があろうとそこにフォーカスしている以上、原因は相手にあるという頑さがある以上、イタチごっこと思いますよ。首をすげ替えて現われ続けます。縁とはそういうものです。

そして更に言うべきことは

自分は霊的に正義で対相手が邪悪という思い込みを手放すこと

二極化にフォーカスしないこと

アタックを受けるということはそういう縁を自身が作っているに他ありません。あなたの中の無邪気な思い上がりが闇を必然的に引き寄せ、増殖させているのですよ。裏返せば闇が存在するから、あなたは自分を光と位置付け、それを心の拠りどころとしているのでしょ?違います?そこに気づかないうちは真の目覚めは訪れないと思います。
確かに陽の当たる場所と影がある。
なのだけど、どうも精神世界となると光だ!光だ!と自分をそこに住まわせたがる傾向が多々見受けられます。陰陽の理解のある人でさえ、自分のこととなるとついおバカさんになる。

すべては絶妙の均衡の中に存在します。ただ…私たち自身がそれをどう受け止めるかにかかっている。すべては私たちの心がどう受け止めるかにかかっています。
バランス感覚を身につける…それは案外難しいレッスンなのかも知れません。自分を光と見なし善一筋…あのですね、それもあなたが勝手に創り上げた概念なんですよ。それも何かの本で読んだりしたことがかなり影響していて、宇宙の何かからメッセージが降りたと思い込み、「あぁ私は光の戦士だったのだわ。なので今までこんなに辛かったのね。疎外感はそのせいだったのだわ。ミカエル様!(あるいはサナンダ様)私は今日から光の戦士として人々に真実をお伝えする努力を惜しまないことを誓います」とか何とか発想していませんでした?

神の領域は光と闇という二極をも凌駕しているのです。

二極化は事実ですよ。神話伝承も然りでしょう。でもね、その神々って、どういう領域の存在か、誰が正確なところを知っているというのでしょうか。アカシックレコードやチャネルがその起源なのでしょ?

二極化。正確に言えばもう多種多様なパラレルが既に個々に内在している。

二極化にフォーカスしている以上、闘いが止むことはありません。違います?どんな人もね、その人なりの価値観を持ち、主張して一歩も譲らない。あなたは彼らとどう違うというのでしょうか?

あなたには自分が正義であることを証明する必要が、まずはあって、それを証明し続けているだけではないのですか?

あなたの心の拠りどころを誰も奪い去ることは出来ません。

でもね

まずは相手がどうのと言う前に自身の心と向き合うのが先決

その理解が心に植え付けられないうちは真の光とは言えないでしょう。相手は確かに邪悪かも知れない。でも、それを引き寄せたのは

他でもない

自分自身と悟る

霊的品格を養う必要があると私は思う。

隙はなかったか

慢心はなかったか

何処かに二極の差別意識はなかったか

サイキックアタックのせいで何かを阻止されたとか、そういう正義妄想…もうそういうのから卒業しません?キリありませんよ。引き寄せているのも反応しているのも

あ・な・た

なんですから。久々に辛口炸裂ですね(笑)

目を覚まして下さいね。

隠れ慢心

霊的障りも生霊の類いも光とか闇とか関係ありません。人間の想念がある以上、娑婆世界に発生する類いの現象なんです。




光を隠れ蓑




これが一番厄介な、困ったちゃんかも知れません。






すべては周波数




このことを忘れないでいて欲しいと思います。







小さなたかちゃん

Category : 魂のご飯

昨日友人と鎌倉に行った帰り、横浜で飲み会をしました。色々話しているうちにハッと今さらながら気づかされたことがあります。今日はその話をしようと思います。



以前私はヒプノセラピーを受けた際にインナーチャイルドを癒す体験をしています。幼かった私は父が死に母が女手ひとつで私を育ててくれたんですけど「早く親孝行して、お母さんに楽させてあげたい」と思い詰めていたんですね。それくらいはずっと自覚していた…ところが幼い私は

目の前にお父さんが現われたら「お母さんはお父さんが死んじゃってから、ものすごく大変だったんだから!お父さんは死んじゃいけなかったんだよ!」と言いたかった

そのことをヒプノセラピーで思い知ったんですね。

死んだ者は戻らないし、いつしか私もだんだん分別がつき、その思いは深くに沈んでいったんでしょうね。いつの間にか、父が目の前に現われたら…なんて現実離れしたこと以外の何ものでもなくなっていたんですね。そのことをヒプノセラピーで痛感しました。お母さんはお父さんと一緒にずっととも白髪でいて欲しかった…身近な人の死を目の当たりにして、幼い私は色々胸にしまい込んでいたんですね。セッションを受けて自分のことなのに改めて驚いたんです。

それ以降は何とはなしに子供の自分が抱えていた最大級の悲しみや怒りは癒されたと、それで良しと思っていたように思います。でもそうではなかった…それが昨日判明。小さい細々としたことを未だに根に持っていたり、気にしていたりしていて、その言い分を充分に聞いてあげていなかった

妙な表現ですよね(笑)自分のことなのに「聞いてあげていなかった」というのは。でも、その表現がピッタリなほど、小さなたかちゃんは色々気に病んだまま放ったらかしにされていたことを思い知った訳です。成長するにつれて「ささいなこと」だとか「気にすることではない」とか消化していたことばかりだったんです。例えば

火傷の跡を「汚いから俺に触るな!」と言われてしまったこと

自分より可愛いいコに(そう思い込んで)嫉妬していたこと

他にも色々。可愛さって好みもあるのだし、比べるのはナンセンスという理解を大人の私は持っている訳です。火傷の跡だってアクシデントだったのですから、今なら汚いと言われようものなら「汚い?あんた!何という思いやりのないこと言うの!謝まんなさいよ!」とか何とか一歩も退かないでしょうけど(笑)
小さい子って庇護が必要。言い返してやりたいくても心が折れて言葉にならないことってありますよね。大人だってそうなのですから、幼なかったんですから尚さらだったでしょう。

ずっと溜め込んでいたんですね、ショックやコンプレックスを。
大人の私にとっては気持ち次第なことばかり。なので今現在の自分がOKならば問題ないと思っていた訳です。

でも、そうじゃなかったんですね。深いわぁ…心って。



アーユルベーダーの本に(いきなりでご免なさい、笑)素粒子はそれ自体は静止した状態なのだけど、何かが「意識」を向けると動きが生じるとありました。



魂が人間に「入って」経験することはすべて記憶の倉庫にしまわれます。ライブ感は年とともに失われますが、その時点で消化しきれない思いは置き去りにされるようなものなのでしょう。つまり…見捨てられてしまったように静止してしまった状態。

私も子育てで経験があります、「もう幼稚園生じゃないんだから」とか「そんなこと大した問題じゃない」とか大人の価値観で取り合わないこと。
それと同じで、幼い子には幼いなりに一生懸命だし、大人のように理屈に長けてはいません。まぁ何かと人のせいや何かのせいにして白々しいことを言うところは大人とか子供とかありませんけどね(笑)それにしても子供は大人には敵わない。大人の半分も。ボキャブラリーの少なさもあって気持ちを言い表せずに鬱憤が貯まることがしょっちゅう。皆さんも記憶があるのではないでしょうか。

そういう鬱憤は大人になるにつれて良くも悪くも仕様がないと諦めたり、ストレスを貯めても酒や食事や買い物で発散させたり、紛らす術を身につけます。まぁ身に付かない人もいるでしょうし、限度を超える由々しき事態もある。しかしながら子供の頃理解されないままで来てしまったことは忘れ去られただけで、決して解決した訳ではないんですよね。

例えば

そうですねぇ…トトロのメイちゃん(笑)どうしてもお母さんにとうもろこしを食べてもらうんだって、五月ちゃんがたしなめても聞き分けがありませんでしたよね?
五月ちゃんはおねえちゃんだからお母さんの具合が思わしくなく、一時帰宅はできなくなったと理解できるのだけど、メイちゃんはお母さんにたべさせてあげたい!元気になるとおばあちゃんがいったのだから、食べてもらいたい!一心な訳です。理屈が通らない。



私の中にはメイちゃんのように、理屈が通らない小さなたかちゃんが顧みられることもなかったようで…まさに昨日の時点で言いたいことを「上手に言い表せない」…大人の私の前では論破されてチョン!一件落着にされかねない(笑)

大人の理詰めは時に子供の理解を超えます。

幼いとはそういうものです。無理もない。本能と直感で生きていますからね。でも、だからと言って赤ちゃん扱いされるとプライドが傷つく…本当に幼子って手に負えないってところがあります。

メイちゃんは五月ちゃんに抱きしめてもらいました。お母さんにとうもろこしを猫バスで届けることができました。

物語

現実ではないとあなたは思うかも知れませんが、こういう心のことって案外架空も現実もないのじゃないんでしょうかね。だって、想像は創造ですからね。生み出されたもののはすべて何らかの命というのか、存在理由が生じます。

説明はこれくらいにして(笑)

私の中には

大人の私にとっては別にどうってことないことだとしても関係ない

幼い

汚いと言われたことを母に心配かけまいと言えずにいた子供がいて
本当はこんなこと言われて悲しかったと母に慰めてもらいたかった子供がいて
小学低学年の頃、白血病で亡くなった友だちがいて
踊りの先生が「才能のある子が死んで、そうでもない子らが残った」と言ったとか
その他諸々

誰からも顧みられることのなかった幼い私の思いが一気に浮上してきたのだから、もうビックリ…!流石に出先なので号泣こそ免れましたが、危なかった(苦笑)

そして不思議と思い出すごとに軽くなるのを感じました。

思い出すことがアーユルベーダで言うところの意識を向けると動きが生じるに繋がるのでしょう。「そうだったんだ…悲しすぎるよね、あんまりだよね」と聞き役の私と、堰を切ったように吐露する子供の私がいて、奇妙な感覚でした。




顧みられることのない思いはある意味、見捨てられたのと同じ。




人って気にかけてもらう必要があるのだと思います。あるいは反対に必要とされることを望む場合もあるでしょう。
人は一人で生きているのではありませんよね。それはもう耳にタコな話でしょう。それでも見捨てられるのは耐えきれないはず。気持ちを理解されないってキツいことではないでしょうか。

その延長線上に

顧みられないままに置き去りにされた小さな痛みが私の中にあって

ふとした瞬間に浮上した

幸いだったと思います。

友は辛抱強く話に耳を傾けてくれました。私は彼女に自分の感覚を伝えながら、同時に小さな自分と対話をしていました。

大人の私の人生体験から導き出せる気づきは気づきとして

そのまんま

言いたいことの半分も上手に表現できない幼い自分にしろ、その泣き言にしろ、そのまんま受け止める…「でもね」なんて決して言わずに(笑)ただ聞いてあげる

自分のことだもの。

心の深い領域に沈む幼い「私」と、今ここにある「私」が交流する

以前は人を介していました。ヒプノセラピーもそのひとつ。

でも、それももうイイかなと。

自分のことだもの。またいつ何が胸に浮上しても良いくらいの素養は持っていたいものだとつくづく思ったのでした。





機が熟すにつれ、確かに内省に向かうもののようです。





it

Category : つぶやき

それは堕天使だった

天使界から追放され、それからは各地を転々としていた

何故それが天使界から追放されたか

自分が一番有能だという驕りとその裏腹にあるガラスのような心が原因だった

確かにそれは有能だった

だが、その自覚は奉仕が旨の天使界にあって邪魔でこそあれ

何の役にも立たなかった

それは誇り高いがゆえに否定されるのを忌み嫌った

育成が施されるにつれて顕著に顕われるようになった

教師らはそれが自分で気づくのを待っていた

まだまだ未熟であるがゆえのことと静観していた

それは純粋で繊細な資質を備えていた

伸ばしたい思いが教師らにあった

それはすべての教え子に等しく注がれる慈愛だった

ところが

それは己の未熟さが見えず、高慢さが眼に余るようになった

教師に対してさえ

見る目がないと憚らぬようになり…幾たびかの協議の末に

追放が決定された

それは初め哀願し、やがて込み上げる怒りが原動力になるかのように

迷宮に瞬く間に消え去った

それは彷徨い、孤独に身を置くうちに

その孤独を紛らわせる術を身につけた

内省は相変わらず為されなかった

ただ…絶えきれぬ孤立感を

何とかしようという思いだけがそれを突き動かしていた

そして、それは時のない狭間で地球を見つけた

その混沌たる様相に久しく眠っていた情熱が沸き上がるのを感じた

この孤独を癒せるなら何でも良い その思いがそれを突き動かしていた

万人を探索し、時代を超え、これというターゲットを絞った

その幾人かに接触するうちにふたつの家と時代に的を絞った

それは巧みに人間の心理を読み、何を望んでいるか、性格的傾向を読み

慎重になりすましを実行していった

巧みに現象を見せ、信じ込ませるため手練手管を使った

ふたつの時代 ふたつの家のターゲットが落ちた時

それの歓喜は最高潮に達した 

それは孤独から解放されるためならば手段を選ばない

そこまで追いつめられていた

自分の過ちに気づくことなく、一心に孤独から解放されるのを願っていた

永遠の孤独

誰からも顧みられることのない 

それこそがそれにとって最大の屈辱だった

天使だった頃の面影は既に失われていた




何もかもが思い通りに行くかに見えた刹那・・・邪魔が入った

なりすましをとうとう見抜かれ、それはあっけなく元の迷宮へと消え去った




堕ちた天使

人はそう呼ぶ

悪の限りを尽くす輩と蔑む

だが、それは巧妙さを何故に身につけたのかを人は知ろうとはしない

未来永劫 知られることはないのだろう

聖水を浴びせられ、呪文で焼かれ、それは邪悪なものとして追放される運命

何故にそれは天使の道を踏み外したのか







あなたが心から望むことを

Category : 魂のご飯

書こうと思っていたことは他にあるのですが、TVドラマ『ジャパニーズアメリカン』を観てふと感じたことを先に書くことにします。



観ていない人のためにあらすじをと思いましたが、長文一筋のtakakoさん(笑)増々長くなるのは必至。なのでストーリーは端折ります。このドラマはどんな苦難の中にあっても希望を失わなかった日系アメリカ人の三世代に渡る物語。絆も描いてあって見応えありますとだけ(^^)




このドラマを観て私は自分にとって「どんなことがあっても諦めない」ことって何だろうとふと思ったんですね。これは引いては私たちが何故ここに転生してきたかに繋がっていく話なんです。

今日は皆さんに今一度、自分の心に問いかけてみて頂きたいという気持ちを込めて書き進めていきます。




今また尖閣諸島問題が日中間の火種となりそうな気配がしています。先頃はロシア大統領が北方領土を訪問。俄に国境を睨む駆け引きがクローズアップされる昨今。
いつの世も競り合い、利益の火花を散らし、人種差別・宗教論争などなど問題を抱えていない時代がない…人類とはかくも反目し合い、時に調印を結び合い、これまで地上に君臨してきた種族。多分ですが、これからも人類は滅亡するまでこれまでのやり方を辞めることはないと思います。祈りで世界平和を祈願する宗教団体もありますが、宗教自体が「自分こそがほんもの」という姿勢を崩すことはこれからもないでしょうし…。信仰は人々の心の拠りどころ。本当に皮肉なことと思います。

このドラマは今の世相にあって「私にとってどんな苦難の中にあってもなくさないでいられる希望って何だろう」と私に思い起こさせました。

ここは自由意志の大地。ここは私たちひとりひとりが自由意志の元に募られてやって来た場所です。でもここは決して希望に満ちているとは言えないし、苦しみ悲しみと常に背中合わせだし、世界平和を祈念する一方で戦火は止まない。だから私たちはつい希望を失いそうになります。

ひょっとしたら実現しないかも知れない。

誰かを守るために何か犠牲を払わなきゃならないことだってある。

誰かの希望を叶えるために夢を諦めることだってある。

だから夢と現実とのギャップに心が折れることだってある。

これだけの不協和音の中にあって100%思い通りの人生を歩んでいる人はいるのだろうかと思う。いたとしてもほんの一握りの人だろうとぼんやり考えたりもする。

私はふと

現実に押しつぶされそうになりながらも、胸の中で消えない炎はあるだろうかと、それはいったいどんな炎だろうと思ったんですね。…で、私は自分の心に問いかけてみました。

すると



 実現するとかしないとかで人はくよくよしたり喜んだりするけど

 胸の中にある炎は消えることはないよ

 それは曇り空や雨の日に太陽が見えないのと同じでね

 決して失われた訳じゃない

 心のことも同じ

 ここはね

 大変だって神様から聞いてた

 それでも志願したのはね

 良いことばかりじゃない世界で色々経験してると

 思い描いたことの半分も成し遂げていないように感じるよね?

 ままならない所にどうして来ようとしたんだろと

 後悔だってするよね?

 でもね

 ままならないからこそ見えてくるものってある

 本当に自分が何を望んでいるかが見えてくる

 そうだったでしょ?思い出した?

 世界平和なんて絵空ごとと思える世界だよね

 ここは

 だからこそ人は

 平和な世界を築こうと真剣に思うんだよ

 実現しないかも知れない

 でも

 真剣に取り組もうとする

 自分はそれを謳歌できないかも知れない

 それでも次の世代へ引き継げる何かを

 負の遺産ではない

 建設的な何かを創造ずる

 自分もその一部であろうとする

 愛

 希望

 それ以上の至福はある?

 今は訳あって離ればなれの魂の家族や伴侶とも

 再び逢える喜びを胸に

 ここでもう少し頑張って生きていこうと思う

 相手もこの空の下で幸せにしていて欲しいと願う

 もちろん

 この世の春を謳歌している人だっている

 でもね

 辛かった分 神様に言えることはたくさんあるはず

 ハッキリと私の希望は!と言えるはず

 この世界の試練はすべて理由があって成立している

 そのことは既に知っているよね?

 克服すべき何かをみんなが持っている

 ここには色んな所から色んなのがやって来ては

 篠木を削るタフな世界

 もう二度と来るもんかと思っているよね

 でも

 それだからこそ

 心から望むことはハッキリしたでしょ?

 どんな時も

 例え現象的には遠のいていると見えても

 胸の中にある炎は消えることはない

 それは曇り空や雨の日に太陽が見えないのと同じでね

 決して失われた訳じゃない

 胸の中の炎

 愛

 希望

 この両輪が

 魂を前に向かわせる

 ここは

 太陽は常にそこにあると

 見えなくても失われた訳ではないことを知るための世界

 そのことに気づいただけで
 
 充分ここにやって来た意味は報われているよ



こんな会話が



心は本当に雄弁です。私は自分の希望をハッキリと並べることができます。あまり数は多くありませんが(笑)それと同時にこの人間社会の過酷さや愛すべき点、そして限界も自分の言葉で発することも厭わないつもりです。いち宗教が世界平和を祈願しても、足並みを全世界が揃えることはないでしょう。何月何日世界平和の祈りを捧げましょうと呼びかけても、戦火も虐待も止むことはありません。それでも

人類という意識は

ジョン・レノンの『イマジン』に心を打たれる資質を備えています。実現しないかも知れない。でも、平和って何月何日に祈りを集結させるとか宗教指導者とか…そういう特別なことではなく

私は日々のことと思うのです。

あなたの中にある

私の中にある

色んなことがある人生にあって

心から望むことを

諦めないで欲しいと思うのです。





ふむ

Category : アセンション

アセンション kagari で久々にネットサーフィンした際のことでふと思ったことがあるので書いてみようと思います。


巷にはアセンション達成者と言い張っている人たちがいますよね? 達成者が何故にブログ更新できちゃったりするのかな…厚顔無恥もいい加減に「しろや」と言いたくもなりますが、どう自称しようと勝手な世の中…我こそはマリー・アントワネットの生まれ変わりと一歩も譲らないご仁と並びは一緒(ふ~っ)こちらか賢く冷静であることが一番です。

アセンションは波動変容ですからね。ブログを熱心に更新して吠えてる人物にアセンション達成者はいません。私も然り…!まだですよ(笑)中にはkagariさんに追いつけ追い越せじゃないでしょうが…何月何日に瞑想して「アセンションします!」宣言をして「さっき帰ってきました」という…危な~いお兄さんもいて(笑)皆さんお茶目ですねぇ。こういう一連の現象を見て、ランキングに啓蒙のため参加しているというのも含めて、私は全員一人残らず「なりきり」と視ています。

そんな中

何やらブログの持ち主の近しい人物が永眠したのを「静かに眠るようにアセンションしました」と表現しているのを目撃…私は「ふむ」と腕組みしてしまいました。

そういうのは永眠という…アセンションとは言わないんですよ。何故ならアセンションは波動変容。肉体的死を経るのとはまったく別次元のことです。kagariさんが本当に波動変容したかどうかは私には分かりませんよ。分かりませんが、単に永眠したことを何故アセンションと表現したのか…事実のすげ替えが頭の中で行われたのでしょうか。理解に苦しみます。まぁ事実のすげ替えはスピリチャルな人々は得意ですからね。サングラスひとつ無くしてハイヤーセルフを登場させます。

ボーネル氏や数多のアセンション啓蒙者はアセンションとは「死を迎えずして」変容することと明記しています。そのブロガーは精神世界に長けているようなのですが、そういうことも分からない…?と私はため息を禁じ得ませんでした。でも、どうして「静かに息を引き取りました」とせず、アセンションと表現したのか…そこに私は願いのようなものを感じたんですね。誰からも尊敬される献身的な人物だったようで、

それが故に「死」=「アセンション」と強引に結びつけられたような印象を受けたんですね。

私は不思議で仕方ないんです。

そしてふと昨日、眠れる予言者エドガー・ケイシーの地球卒業する魂のリーディング本を思い出したのです。エドガー・ケイシーが地球卒業組と鑑定した人たちは皆、普通に死を迎えたでしょう。波動変容という記述はなかったように記憶します。

多分ですが、そのブロガーは永眠した縁(ゆかり)の人物は地球卒業組と感じていたのかも知れません。

静かに息をひきとりましたと何故書かなかったのか…アセンションに無知だったのか、肉体的死は迎えたもののアセンションと言って差し支えない臨終と判断したのか…私は何だか複雑な気持ちになったんですね。

私はね、こう感じました。

何だか巷の精神世界ネットワークは大なり小なり、このブロガーと同じ匂いがします。けなしている訳ではないですよ。半ば強引にアセンションと結びつけて考えたがる…人びとを導く使命があると思いたがる…自分こそが真の神託者と宣言したがる…誰もがアセンションに取り憑かれているかのようだと。

誰もが自分はアセンションすると、したと、疑いもしない。

ただいまアセンションして帰ってきました~!・・・カミングアウトですか?もうこうなったら狂気の沙汰ではないでしょうか。今は巷に普通の生活は営めるのだけど、おかしな人が増えています。ネットも然りかと思います。こういう状況って情報が錯綜していると呼ぶのでしょう?どさくさに紛れて頭カオスな人もこぞって発言の自由を謳歌していると言えそうです。ちょっとまともだと「我こそは真の神託者」と、他は偽者と一歩も退かない…カオスですねぇ、精神世界も世の中も現象は一緒。

母親の愛を必要としている我が子を他のチャネラーが「このままそばに置くと良くない。この子はヤクザのようになる」と言ったとか何とかこじつけて、遠い施設に追いやった能力者がいます。その子が生まれた頃は子供の写真に天使の羽根が写っていると見せてくれていたんですけどね…人は本当に愚かと思います。



見えなくなる

自分のことも大切な人のことも

見えなくなる



心は能力で視るものではないことをこれはよく物語っていると思います。



アセンションの神秘に魅了され、死をアセンション化…美化してしまう。少し何かが分かってきたと達成者と名乗りたがる。自分がホンモノの神託者と主張したがる…みんな勝手にして下さい、です。誰も止められませんから。




私はkagariさんを取っ掛かりにあることを悟りました。



地球卒業の可能性がある人



アセンション・・・波動変容する人


これはイコールではないのでしょう。微妙にかぶっている状態の人もいるでしょう。でもそんなこと私はどうでもイイ。


精神世界ランキングですか?虚しいです。一人でも多くの人に真実を伝えるべく参加しているという神託者もいるようですが、それはその人にとって事実でしょうが、万人賛同者はあり得ない。然るに自分とこに降りてくる神こそ高貴でほんものと主張されれば「そうですか」「ガンバって下さいね」と言うしかないでしょ?そこに群がる大衆心理と依存と好奇心が渦巻いてとりとめもない。確かになんちゃって神様…神と名乗る存在はいます。コロッと騙されるケースも数多(あまた)ある。

カオスですねぇ。

誰もが本当のことを知りたがっています。


でもね


アセンションの最後の真実なんて誰も知らないのだと思いますよ。


最後の最後の日まで





私は情報に押し流されず私個人のことを丁寧にやっていくだけです。此処に来ようと決めた…最終判断をした…それは私たち自身ですから。





自分に立ち返る


私は神に選ばれし神託者である前に


いち市民でありたい。







内なる会話

Category : 魂のご飯

今日は『内なる会話』という題で書いてみようと思います。

皆さんはあらゆる精神世界の本やワークショップに精通していると思います。私もその一人な訳ですが、経験値から多くを私は学びました。100%そのまんま取り入れるに足るものはありません。チャネルも然りです。変な情報を掴まされても尚、チャネル商売を辞めない人の多さ…これぞ!末世の極み。「騙された!」と言いつつチャネル商売している場合もあるし、騙されていることも知らない場合もあるでしょう。

何度でも言います(笑、笑いごとじゃありません)チャネルに頼るのは依存以外の何ものではないことを皆さんには知ってもらいたい。

大切なのは自分の心。向き合うのもそれに尽きるのではないでしょうか。

自信がない

分からない

と死ぬまでやっていくつもりですか?

手っ取り早くお金という代価を支払って自分のことを聞く…需要と供給が成り立っている訳ですが、それ地獄の沙汰も金次第と何処が違うのでしょうか?

目を覚まして下さいね。もうそういうのから卒業しても良い頃です。精神世界は列記としたビジネス産業なんです。取り入れて活かすのは良しとして、視える人を過大評価する傾向が私たちにはありますからね。

自分に立ち返りましょう。

一から出直す良い機会です。

創造主と会話する『神との対話』が出版されて以来、ネットはチャネルものが雨上がりのキノコ状態。大天使ミカエルもあちこちで引っ張りだこ。でも、その殆どが『なりきり』に過ぎません。言ってませんでした?神との対話の神さまは「これはオマエの心なのだよ」と。

全ては導管を通すもの。宇宙存在にもチャネルの食指は伸びて久しい。UFO公式遭遇でお祭り騒ぎをしている暇があったら、自分の内面と繋がった方が賢明です。宇宙存在崇拝は列記とした新種の宗教です。私は言い切りますよ!

急がば回れ

全ては私たち自身を通して起きていることばかり…目を覚まして下さいね。

内なる会話に高額の授業料は必要ありません。いくらをもって高額というのかはそれぞれでしょうけれど、お金で、それは計れるものではありません。

そういう貨幣経済の

外にあるものなのですよ

目を覚まして下さいね。メソッドがあるとすれば、

深呼吸して じっくり 待つ ことくらいです。深遠さこそが目くらましと私は思いますよ。そういうのに限って高額なお布施を必要とする。お布施自体はそもそも「かたじけない」という精神から発するもの。いつのまにか権威になって久しいですが、全て…精神世界も含めて金次第・・・それが人社会ではないでしょうか?ボランティアにも貨幣は不可欠なんですよ。キレイごとでは済まされない。マザー・テレサもその辺の兼ね合いをしながら奉仕をした人です。シンドラーもそうですよね?

私たちの日常は忙しい。子育てや会社勤め、はたまた躁鬱と忙しい。茶化している訳ではありませんよ。心のことをこねくり回すのに忙し、それが人間です。シンプルに生きるのでは飽き足らない生きものではないでしょうか。人間がいる場所は何処も騒音のように人々の心の声が鳴り止まず、陽炎のようです。

人は活かされていることを知っても尚、あ~じゃこ~じゃ悩む、違います?

心のことくらいは貨幣経済から離れて

憩わせてあげて下さい。あなたは余りにも答えを欲しがっているのではありませんか?聞いたら、直ぐ!答えが返ってくるのを期待していませんか?

答えは「いくかは来る」だから「リクエストはしたよ」くらいの「待つ」気持ちを養ってもらいたいと私は思う。

直ぐに来ないから、自信がないから、外に答えを見出しに行くのでしょ?

以前はそれで良かったかも知れない。ところが大勢の人がチャネラーやヒーラーに志願し始めた…ネットはそういう人でごった返し…もう飽和状態。まるで祭りの屋台と同じ匂いがします。言い過ぎですか?

その輪から出る・・・潮時と思いますよ、私。

内なる会話は

忙しい日常の中で ふと立ち止まって 胸に手を当てる そういうことの積み重ねで成り立つものです。

待ってあげる

答えを待ってあげる

あなたが今いる環境で精一杯暮らす中で 

リクエストは出す 後は日常を営みながら 

待つ

そして

直感を信頼する

時にガセだったりすることもある、それにはそれ相当の理由があります。胸に手を当てて思い出してみて下さいね。先入観だったり、本で読んだことが頭にあったり、期待だったり、自己憐憫だったり、そういう雑音がガセを生むことだって確かにあります。私の知り合いで、お気に入りのサングラスをなくして「ハイヤーセルフが私に物欲を指し示すために起こした現象」と言い放った女性がいます。

うっかり物をなくしただけで、ハイヤーセルフ登場(笑)深遠さは時に滑稽でさえあります。

物欲がどうのハイヤーセルフがどうの、こういうのを精神世界オタクと私は呼ぶ。深遠さはかえって邪魔な時ってあるようです。

夢も日頃思っていることの顕われだったりしますよね。ヒントは本当にたくさん!日常に溢れています。諦めないで!

チャネラーやメッセンジャーに駆け込む心理は…まるで蜘蛛の糸にかかった蝶のようだと思う。

直感を辿って、それでも失敗を重ねて、自分が克服する何かが見えれば、もう峠はすぐです。そうすると視界が開けてきます。直感は私たちに自分の心のありようを見せてくれる鏡のようなものと私は思う。

何ひとつ無駄はありません。

何に捕われているのか

それは自分にとって必要か

それらの答えは感覚としてYesNoは感じられるものではないでしょうか?

今日は何だか出掛けたくないと思っていたらとか、虫の知らせとか、色々皆さん経験していると思うんですよ。

私は痛い目に相当あって(笑)こういう小さな悟りを得ました。深遠さとは無縁ですが、とても居心地が良いです。

私たちは自己信頼を取り戻す旅をする魂。

そうですよ…!なので、心に答えは眠っているんです。外にはヒントはある…そう確かにヒントは、ある!それを取っ掛かりにして、見えてくるものって

心のことでしょ?

人生は心を映す鏡です。

もっと あなたは 自分の感覚を信じても良いのです。




時 満ちるほど 内省に向かうもののようです。






プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

リンクの「maria letter 小林です」は非公開ですが、更新はPDF配信に切り替え。ご希望の方は下記メールフォームより氏名(ハンドルネームはNG)・PDF希望をご記入の上お申し込み下さい。
(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

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