結婚に向いていないタイプの男 解体新書

Category : つぶやき

写真ブログの方で熱く語っている『私の名前はキムサムスン』韓流ドラマ談議(笑)。ドラマご覧になった方いますか?私は不覚にもハマってしまいました。最後はハッピーエンドなんですけど、人ってどうしてこうも恋愛に不器用なんでだろうとチカラ込めて観てしまいました(笑)。まあ中には恋愛の達人もいるのでしょうが、大多数は色々悩んだり躓いたりしながら出逢いと別れを繰り返すのですよね。

私も決して器用な方ではありませんが、相手がいないと悩むタイプでもなく、「カレ欲しい」などと言う連中(失礼なヤツですよね)を「恋愛って縁なの!欲しがるものじゃないことも分からんのか!」とか何とか(笑)エラそうな娘ではあったんですけど。確かに男子から「お高くとまってる」と評判のtakakoさんではありました。

でも、ピンと来る相手って…いるもの。目と目が合った瞬間のときめき…!やっぱり男女って出逢いなんだと私はその辺は譲れないですねぇ。今日日の合コンだの婚活だのは「私の辞書にはない!」な性格。いなきゃいないで別にどうってことなかったし、妥協するつもりもない。「だって運命の相手ってきっといる」という確信が私にはずっとあった訳です。

今思えばそれも微妙とは思います。何故なら自分が転生するに当たって繰り広げられたドラマ…天界でのやり取りを思い出していますから。

結論から言えば、運命の相手とは時空を超えた『絆』で結ばれているということかと。

中には、今世は互いの魂の成長のために別々の人生を送ろうと約束したカップルもいるようです。あるいは催眠療法の際に、ソリが合わずに別れた異性が魂の伴侶だったと知るに至ったケースもあります。選択肢は幾つか用意されていて、そのひとつを選んだということだったりするのでしょうね。魂の世界に還れば「何だか色々あったねぇ」なんて再会して(笑、笑いごとじゃありませんけど)一緒に振り返るのでしょう。




さて、今日のお題は『結婚に向いていないタイプの男 解体新書』。私が知る限りなので絶対!はいつもと同じでありません。
同時に複数の異性とつき合うタイプや結婚しても浮気してしまうタイプを霊的観点から診てみようという試み。不埒な行為が魂にどういう影響を与えるかにも触れます。
ただし、これは罰が当たるとかいう類いの話ではありません。魂は常に自己責任を負っていますし、常にバランスを取ろうとする性質を備えています。
また地上で肉体を伴って生きるということは常に人間関係のただ中に身を置くということでもあります。つまり相手のあること…相手にどう自分の言動が影響したかを量る実地体験。それを活かすも殺すも自分次第ということなのだと思うんですね。

その例として、今回は私の亡父を取り上げてみようと思います。身内ですからね、ビシビシと書いてみようと思います。それでは「いざ!」





[ 父こそは ]

結婚に向いていない男の代表選手かと。

魂の性質がそれを物語っているんですね。父の魂は芸術家肌のロマンチストで鋭い感性を持ち、懐も広く、なかなかの器ではあるのですが、如何せん!

自由恋愛の達人。

魂の世界では問題ないんです。婚姻という制度がありませんし、所有という意識もありません。ましてやステディーな相手…魂の伴侶を有していた訳でもなく、真から自由を謳歌していた魂でした。

父が人間となり地上で生きようとした動機はエンターテイメント表現。そこに一番の趣を置いていました。肉体を持つことで果敢に自身の才能を投影させようと挑んだ訳ですが、同時に色んな存在を体感できる天界と違い、地上はひとつの肉体に固定されますよね。ましてや婚姻という制度が確立しています。

要するに父はその辺の認識が甘かった。

アダムとイブという創世神話が事実かどうか知る由もありませんが、要は番(つがい)という単位で夫婦となり家庭を営み子を育てるという…まあ国によっては一夫多妻制もありますから、一概には言えませんけど、不本意ながら。
ひとつの命を産むとはどんなに一夫多妻制であっても一組の男女が基本。『対』というのは命をこの世に届ける単位と言えるのだと思います。

そういう世界に転生した父ですが、持ち前のロマンチストが幸か不幸か…しかもモテる要素満載な男気ぶりな実体をチョイスしています。要はその器に足るということなでしょうね。そうして幾つかの転生を送るうちに…、不誠実のレコード(魂の記録)を天界に持ち帰るようになりました。

この世で体験したことはすべて魂に記録されます。自分の行為が人間関係に落とした『影』を父は顧みる機会を与えられて、自分がどのように行動すべきか内省の機会を与えられました。
いわゆる『人たらし』な性格。悪気はないけど酷なことするよね、という…見境ない輩ではないけれど、モテる質のオトコっていますよね。父はまさにそういうタイプだった訳です。

加えて美しい女性に惹かれるのは無理からぬことではあります。父は美人の奥さんをもらって子どもも授かり、それなりに一家を養っていたようです。いくらモテようがケジメをつければ良いものを自由恋愛の達人よろしく…だった。
婚姻とは互いに誠実であることを誓い、その上に成立するものですが、世の多くの男性も女性もアバンチュールに色めき立つ気持ちにブレーキが利かない。中には浮気が本気になるケースもあります。

父の場合、過去世の宿題が大きく今世の父の婚姻に影を落としました。いくら悪気がなかろうと父の行為で傷ついた妻がいたのは事実。妻子持ちの父は母と駆け落ちしてそのまま母と連れ添いました。過去世では正妻さんの元に帰り彼女に看取られたようですが、今世は出張先で独り末期を迎えました。

父が言うには(霊的会話)

「おまえを残して逝かねばならない刹那…それまでの転生が甦った 
 そして、どの転生よりおまえたちを…
 幼いおまえを残して逝かねばならないことに胸が張り裂けそうだったよ
 いずれかの転生で私は幼子を残して逝った
 しかしながら後の心配はないことの方が大きく、精一杯生きた充足感の方が大きく

 おまえは私にとって宝だのに 天はこの苦痛を経ることでしか
 私が真に、自分の行いがどれほど人に苦痛を強いたかを自覚できない質であることを
 天は知るからこそ この試練を与えた だのに
 私はおまえを残して逝く刹那…失う苦痛に恐怖さえ覚えた

 人世とは魂の決めごとに加えて誘惑も多いなあ

 よほどの精神力がなければ立ち行かないことも多いなあ

 おまえは私の宝だのに 守ってやれない苦しさは思う以上だったなあ

 人世に三たび四たび降りても おまえと相見えること叶わないなあ

 後悔はしていないよ うそはないよ
 おまえは私の懐からはみ出すようにして 心決めをして次をもう決めているんだな
 それを私は祝福しよう 何処にいても愛するよ 
 学んだよ だから心配しないで」 



父は死後、生前の自分の行動を一部始終見せられたそうです。そして、自分が次に何を成すべきかを悟ったと言います。最後のチャレンジの覚悟を持って。

三次元人社会は『対』を通して誠実であることを学ぶ場でもあるのでしょう。もし愛を結ぶことが転生の目的であれば尚のことなのかも知れません。罰が当たるとかいう問題ではないのだと思いますが、この誠実というテーマで躓いている魂って結構な数いるようです。私が視る限りではありますが…。

しかしながら、父の場合は自身の創造や力量、可能性を投影するのが転生の主目的だった訳です。あるいは一国一城の主であることを自分に課した転生もあったようですから。恋愛や結婚はその中の重要な要素ではあっても…優先順位では二位三位だったのかも知れません。

難しいですね。

バラエティ番組で浮気ネタで笑いをとる風潮がありますが、オトコとはそういう生きものという論理はこの世でしか通じないようではあります。私が視る限りでもバッテンな人かなりいますから。奥さんに贅沢させていようが、ダンナはブーメランよろしく「最後は私の所に帰ってくる」であろうが、

婚姻というシステムはある意味、愛という側面の、相手に対して変わらず誠実であることの試金石なのかも知れません。

人間のご都合主義のへ理屈は神様には通じないってことです。何故なら赤い糸は神様に結んでもらうと聞き及びます。



この世には誘惑が多い。綺麗な女性も素敵な男性も数多。美食もほどほどにしないと健康を害するのだし、あらゆる事を通して、私たちは魂磨きをしにやって来ているのだとしたら…、

本能の赴くまま 気分次第に は ご法度かと。



いずれにしても、父は本当に結婚には不向きな魂。



何処かに転生しているようですから、今度は芸術活動に邁進して、直感力を磨いて、自分は結婚には不向きな男だと早い段階で悟って欲しいなと(無理か)。



でも…ですね。一度結婚したものの性格の不一致で離婚。その後に魂の伴侶と出会うという予定を立てて転生するカップルもいるでしょう。不倫という事態を経て、というカップルもいるでしょう。父と母も駆け落ちではありますが、微妙にそういうカップルとは違う気がしますが、私。

愛し合う相手と出会う。それが人生の目的で苦楽を共にしようという計画であるのなら…、そういう魂の伴侶ってどんなに歳月がたとうと爺婆になろうとラブラブなのではなかろうか。




そういう老夫婦…時々見かけます。



きっと「来世もおじいさんと添い遂げたい」なんて言えるんでしょうね。お父さんに爪の垢でも煎じて飲ませたい。






すべてのスピリチャルワークは見返りがある限り、それは奉仕とは言えません。

Category : 辛口ごめんなさい

今日は久しぶりに飛ばしてみようと思います。

もうタイトルを見れば、何を言いたいかは歴然ですよね(笑)。ここのところと、金銭授受を絡めて2,3の例を取り上げてみようと思います。いつもどおり私の独断と偏見。こういう考え方もあるという理解で読み進めて頂きたいと思います。ただし…かなり辛口、今日は飛ばす気合い充分なので、その点はご了承下さい。




[ すべてのスピリチャルワークは見返りがある限り、それは奉仕とは言えない ]


私は天然石を取り扱う、そこに利益を生む・運営資金を見込む思考に真っ向から異論を唱え始めています。反発は必至ですが、明らかにおかしいんですよ。まず言えるのは、

天然石はもともと無償の愛の領域のものだから。

全ての私の論理はここに起因しています。
これを否定する人がいるとすれば、天然石・天然石アクセサリーを商売の種としている人でしょうか。それはそれで成立してるっちゃ成立している。それが人の世の常ってことでしょう。
いずれにしても、
値段をつけているのは他ならぬ人間。石に目も心も奪われるのも人の性。そこに商売という道筋をつけたのも人の皮算用。違います?

人手に渡った時点で、私たちは試されていると思った方が良いです。

もし あなたが天然石関連の商品販売をしているとして、

その動機を思い出して頂きたいんですけど、そこに「家にいながら何か(内職的に)出来ることはないか?」という思考は働かなかったですか? 私は特定の人を名指している訳ではありませんよ。それとも思い当たるフシあります?
私的には天然石という『無償の愛の領域のもの』を取り扱う行為が人の魂レベルにどのように影響するかを知らない人が多いように思えてなりません。

中間業者が入る度にお金が動く…そこにまた利益を乗せる訳ですよ、販売するためには利益を生まねばならず。 運営資金を弾き出さねばなりません。
もうこの時点で既に「皮算用」。違います?
私が知る限りですが、天然石アクセサリーネット販売者は仕入れ値から5倍…8倍?それ以上の利益計算をしています。ロザリオに10万単位の価格を掲げている人までいるのです。付加価値をつけるなんて言語道断!これは罰当たりとかいう問題ではない。魂の資質の問題ではないかと私は視ています。




[ 甘えと見せかけ ]

スピリチャルなアプローチを兼ねながら、決してそのアプローチが、生活にも、性格にも、活かされていない人が巷に溢れています。デプロマヒーラーも雨上がりのキノコ状態。スピリチャルは正真正銘紛れもないビジネス。
「それの何処が悪い」と、お金はエネルギーなのだと胸を張っている人もいますが、その人たちは気づいてないのでしょう。

もうそういう時ではないことを。

私はそういう人たちにかなり不信感を持っています。

理想は理想と…、ヒーラーの中には「そういう人間になれたら良いと思っている」と言う人がいます。

え?takakoさん、それの何処に問題があるの、ですか? えっとですね。自分が悪癖改善できてないのに人に勧め、しかも金銭授受するってどういう神経かってことですよ。
表向きを整え、実体が伴わないのに、さも効果があるように決して安価じゃないセッション料を設定する…そういうのは全て『甘え』とも『見せかけ』とも言うんですよ。
個人的人好みがあからさまなチャネラーもいます。チャネラーも人の子、ですか?人の子だからこそ、人格を磨き分け隔てない心を養わねばならないのじゃないでしょうか?そういうのを透視・癒しに胡座をかいている人というんです。

すべては自分自身の魂鍛錬のため。お試しは本人の自覚が至らないところで蠢いて、魂の履歴に刻まれています。癒しを生業にするとはデプロマがあろうがなかろうが関係ない。人の役に立ちたいという動機は純粋でも、容赦なくお試しのまな板の上にいると思った方が良いです。私は脅しているのではありませんよ。チャネル・ヒーリングを生業にしている人に見受けられる現実をお話している。



清貧が何故尊ばれたかというと、奉仕とは『見返りを求めない』心を養うため。


違いますか?そこのところを過去の遺物にしているフシがありませんか?今日日の精神世界業界は。どんなに時代が変わろうと「私はあなたに・・をして差し上げます。それに対してあなたは私が指定する金額を私に支払って下さい」と言った時点でそれは『奉仕』ではなく『ビジネス』なんですよ。
この世の中にはビジネスに長けている人がいて、精神世界に目を付けたに過ぎません。神の領域をビジネスとしている…かえってタチが悪いと私は思っています。
お助け料と言って見返りを求める目に視えない存在は、います。そういうのを低級霊というんですよ。天使は見返りを求めますか?求めるとすれば、私たち自身の自浄行動じゃないんですかね。

人間性において発展地上であるのはお互いさま。

儲けを得れば得るほど魂レベルの歪みが生じているんです。多くの人にはその様子が視えない。その影響は出るのですが、一番恐ろしいのは本人の無自覚のうちにってことなんです。私はそういう人をずいぶん見てきました。敢えて辛口を貫くのも明日は我が身だからなんです。
それほどに慢心は本人の自覚が至らないところで働くということです。



透視に依存させてしまう人たちもそう。
それは一見、人の役に立っているかに見えます。見えますが、それは私たちが私たち自身の直感とダイレクトに繋がることを阻んでいることに他なりません!
10年前20年前はまだまだ私たちの多くが人の手を必要としていた時期でした。気づきは得たんだけど、どうして良いのか分からずにいた時期でした。そういう時節には必要とされた役割でしたが、今はもうワンステップもツーステップも波動が上がってきています。視えないとか、聴こえないとかで、躓いている場合じゃありません。知ろうとせずに感じようとする時なんです。いつかは分かるだろうくらいのおおらかな気持ちでいて欲しいと思います。

10年前20年前は私もそういう大勢のひとりでした。だからこそ、

…なんです。
私たちにもともと備わっている資質を引き出すお手伝いをすべき時が来ていることを痛感しているんです。でも!お代を頂いてはなりませんよ。そんなことすれば本末転倒です。
無論、代わりに視てしんぜようは論外。もうそういうの終わりにした方が良い頃です。分からない。分からないから答えを知ろうとする…そこに「視てしんぜよう」と鑑定料を是非する人がいる。そういう需要と供給の輪から抜けるチャンス。直感で感じることに移行する時期ですよ。肉体を伴っている間に。

感じる…直感って明確に心に顕われるというより、「何だかこういう気がした」とかいう具合に微かなサインとして顕われることが多い。なので、自信が持てない。

違います?



そこから一歩踏み出しましょう。



お釈迦さまの逸話の中にも悟りの最終段階が一番難しいというものがあるそうです。世の中に出回っている癒し系な人々は最終段階どころか…!な人ばかりなんです。ちょっと霊視できるようになったとか、デプロマゲットしたとか、そんなことを掲げてライトワーカーを気取っている場合じゃありません。ライトワーカーかどうかなんて、そんなに重要ですか?正義の味方ですか、あなた?
それどころかアセンションのアの字も、ライトワーカーのラの字も知らない人の方が魂レベルが高かったりします。要するにとっくにそういうのは卒業していて、実社会で普通に生活してたりするようです。あるいは国境なき医師団といった奉仕に生涯を捧げるとか。

でも、どうしてなんでしょうね。人の役に立ちたいと言いながら、利益を生むことをまず考えてしまうのは。




[ 働かざる者喰うべからず ]

社会の常識の内には「働かざる者喰うべからず」というものがあります。要するに職業とは貨幣経済の歯車と噛み合うことですし、ただ飯喰らいは恥ずかしいという風潮さえあります。確かに否定できない側面がありますよね。加えて、何かしらで家計を支える必要性がある家庭もあるでしょう。なので一概に決めつけられる問題ではない!そこにも一理ある訳です。でも、待ったなしの経済状態にネットショップって考えるでしょうか?時給保証されている訳でも売れるかどうかも分からないのに。

あるいは医療が整っていない地域で医療を施す場合はどうでしょう。
この場合、国境なき医師団には支援団体があり国際的な募金運動もある。治療に必要な医薬品はすべて人為的に生産されたもの、つまり人の知恵が生み出したという範疇にあるのです。また発展途上の人々には学び・働くという権利が保証されていないこともあり、まずは経済的自立に向けた気の長い取り組みがなされているのです。つまりその地域の人の意識に治療費を支払うという意識(『自立』)を植えることの難しさと彼らは闘っているんですよ。

地上にあって、ここまでの格差がある。あるいは豊かさって何なのかをふと思う。
温かい部屋でぬくぬくと「人の役に立つ人間になりたい」なんて寝言と変わりありませんよ。しかも上手いこと言うんですよ、「あなたを救うのはあなた自身」と。

「なるほど~」と感心している場合じゃありませんよ(笑)。

天然石を扱う=人の役に立つとか、
天使ヒーリングでクライアントを癒すとか、
天然石が元々好きだからとか、

そういう人は自分の好きなことをしてお金というエネルギーを得ているのでしょ?無料奉仕は出来ません、ですか?
天使がお金出さなきゃ癒さないって言うでしょうか?そこのところを良~く考えて見直す必要があるように思いますけど、私。
天然石を…それをファッションの一環として取り扱うのと、スピリチャル的癒しを旨とするのとでも事態は違ってくるでしょう…やれやれですが、いずれにしても儲けは二の次三の次、自転車操業くらいがちょうど良いと私が力説するのは何故かと言うと、

お金というエネルギーは水と同じで、貯めると(流れをせき止めると)腐る質を持っているからです。蓄える傍から送り出す…くらいの覚悟がある人と、そうでない人との差は歴然としています。人の目は誤摩化せても、takakoさんの目は欺けないぞ!という鼻息ではあります。




事実はとてもシンプル。

すべてのスピリチャルワークは見返りがある限り、それは奉仕とは言えない。

それに尽きるのだと思います。



人の役に立てれば嬉しい、ですか?

ならば、奉仕と言える段階にご自分のワークを昇華させる努力をすべきと私は思いますよ。要するに全ては自己責任。天然石も天使も、私たち人間の価値観に左右されることはありません。

人の都合は人にしか通用しないんです!

見返りを求めない。

もうそろそろ実行に移しても良い時ではないでしょうか。



私ですか?ですから、嫌みなほど自転車操業を実行中です…。天然石に関しては業者価格を公表して、後は発送等にかかる費用を請求するシステムを導入中。
いくら次元上昇した世界には貨幣経済は存在しないからと言って、ここはまだまだ流通していますからね。必要最低限ってところを押さえておく…私はそういう段階ということなのだと思います。

天然石が無償の愛の領域のものと知る者として末席に座し、ということです。



「働かざる者喰うべからず」じゃなく、無償の愛を飯の種にするべからずということかと。



石頭?上等じゃないですか!




プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

リンクの「maria letter 小林です」は非公開ですが、更新はPDF配信に切り替え。ご希望の方は下記メールフォームより氏名(ハンドルネームはNG)・PDF希望をご記入の上お申し込み下さい。
(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ