家族のアセンション

Category : アセンション

家族と言えども魂の成長の度合いには違いがある…。
ならば、アセンションに関してtakakoさんはこの辺のことをどう思っているのだろうと思っている方もいるかも知れないので、今日は私個人の所感ではありますが、書いてみようと思います。いつものように参考程度にお読み下さいね。


一般論ではなく、私の家族に焦点を当てて今日は話を進めてみようと思います。

まず第一に私に関して言えば、何処そこの星からやって来たということではなく…ある領域からとしか言い表せないのですが、もうその辺のことを話すとなると長~~くなりそうなので今回は手短に、家族構成から話してみようと思います。

・夫であるSは母からバトンタッチするように前もって決められていた魂。それは私がこの世に来るにあたって選ばれた、いわゆる寝食を共にするお世話役。まさに奉仕ということに他ならない…。

Sは父との絆があり信頼も厚い魂。神界の近衛兵のような神・大天使の命令を担う存在のようです。

大天使の配下であっても天使界にいるとは限らないようです…。神界で役目を果たす、そういう存在もいるのでしょう。神界にはお世話係のような従女の姿を私は幻視しています。そう…あくまでも幻視ではあります。

私は幻視で父がSに「自分はこういうふうだから(私の幼少期に他界)愛子(私の母)が育て上げた後を引き継いでくれ」と論するところを視ています。私は私自身の転生のことなのに、蚊帳の外で話が進んでいるのを「変だなあ」と感じたので、良く記憶していたんですね。私が口を挟まない訳がない(笑)

・娘はローズさん家のララちゃんのように天使界から来た奉仕の魂。人間経験もあったとしても、ないに等しいような気がします。何しろ優しい。差別意識が皆無なのです。私自身、見習うところが多い魂と思っています。もちろん完璧じゃありませんよ。

幼少期、紙で作った羽根をテープでお人形の背中に貼付けて一緒に寝ていたという逸話があります。

娘は私が言うのも変なのですが、転生の必要など何処にも見当たりません。強いて言えば、天地を繋ぐ…ララちゃんと同じような存在なのかも知れません。


家族構成はこの3人。そこに猫が加わります。


結論から言うと、

スピリチャルを軽視している、軽視しているどころか、ぜ~んぜん信じてない夫Sですが、私の守護者の語るところによれば、

「お前さんのような難しいののお世話を引き受けてくれた奇特な魂なのだから、いの一番に上げるさ」なのだそうです。
ただ責任感が強いので、娘が「もういいよ」と言うまで本人はいる予定とのことです。娘は私たち二人の宝。Sにとっては神・大天使との関係性では知り得なかった「絆」なのだと思います。

Sにとって「家族」自体がご褒美なのかも知れません。

Sのようにスピリチャルには関心皆無なご主人をお持ちの方もいると思いますが、だからと言ってアセンション「しない組」とは言えないと思います。かえって単純で先入観がないのでスピリチャルどっぷりの奥さんよりグレード高い領域に移行するって人も中にはいるかも、ですよ。

Sは元いた領域にまた配属になるようです。根っからの仕事人間(笑)。暇こそが弁慶の泣きどころというご仁なのですが、上の世界と私が呼んでいる「次元上昇した地球」での暮らしも約束されているようです。

Sを見ていて感じるのは、
神・大天使の配下でいること自体なんの強制でもなく、本人の意思が最大限に尊重されているということかと思います。
やはり喜びを持って奉仕している訳ですよ。大納得!といったところでしょうか。
人間体験をするということは本当に大変です。お役を果たした暁には…「本当にお疲れさま」ということなのでしょうね。私がいうのも何ですが…。

娘はやはり同じ領域から来た…小学校以来の友人と色々こじんまりと学生生活をしながらも創作活動しています。上の世界でも同じように二人で何やら創作を楽しんでいるように感じます。
娘はアセンションの話は知る由もありませんが、天使・妖精・ファンタジーを通して何かしらを感じているようです。奇跡も100%信じています。
夫Sは「コイツの頭の中はファンタジーでいっぱいだ。ヤバいぞ、こんなファンタジーオタク」と言います。私は何も心配していません。




以上のことを通して、私が感じる限りではありますが、

何を知っているかではなく、どういう心根で暮らしているかが大切なんだと思います。

アセンションの何を知っているかとか、霊能力の有無とかも関係ないんだと思います。かえって霊能力で身銭を稼いでいないだけ幸運ではないかと思うんですね。
例え表面意識に今世の目的が浮上していなくとも現実的にお役を果たしている…Sを思うと、大切なのは「知っている」ことではないんじゃないかなあとつくづく感じさせられます。

未来は今の延長線上にある訳で。常に途上にあるという自覚は必要な気がします。例え今の状況が思うようでなくても、それを体験するには理由があって、しかもその原因を作った一因な訳ですから、自分自身が。

人間関係には様々な思惑が絡んでいます。なので誰か一人の責任ではありません。抱え込み過ぎるのも良くないと思います。
夫婦・親子は運命共同体、互いに影響し合って暮らしているんですものね。魂の約束なくして巡り会うものではない。


アセンションは、

確かに魂の成長の度合いが影響してくると思いますから、例え家族であろうとも一斉にという訳にはいかないケースもあると思います。我が家もどうなるかは分かりません。

またアセンション、アセンションと言っても、

魂のありようで行く場所には違いが生じるでしょう。様々な思い込みが障害になるケースも出てきそうです。
『マシュー君のメッセージ』をご紹介しましたが、決して鵜呑みにして欲しくはないんですね。信じ込み過ぎるのも疑い過ぎるのも…微妙、難しいですね。でも、私がご紹介するものも皆さんの『直感』で選別して頂きたいんですね。

こういう時期だからこそ、

私たちは直感を意識に浮上させていく必要があると思うんですね、埋もれさせずに。自分の直感こそが羅針盤。

…というのも、これからもっともっと宇宙存在や神と名乗る存在やら受信している人が試されることになると感じるからです。マシュー君のメッセージは彼のお母さんがチャネルしてるんですよね。これはまだセーフなんです。魂の絆が、ヘソの緒のように繋がっているので。それでも鵜呑みにはしないで頂きたいんですけど。

神界とどれだけの人がこの地上でダイレクトに繋がっているというのでしょう。第一、神界も幾重にも層があるのですよ。本当に今日日の神託者は微妙と思います。

もう私たちはダイレクトに魂の故郷と繋がることにフォーカスした方が賢明ですし、それと同時に地に足つけた暮らしをすることも大切。



心に天国を築く。

それはまずは映像的に描くというより、

あなたの中に清々しい感覚を見出すことから、と私は今日、付け加えようと思います。

何故なら、大本の神は造形を持っていません。白い髭のモーゼのようなイメージとか…偶像を空想するのは自由ですが、余りのめり込まないようにして頂きたいと思います。

別な言い方をすれば、全てが神と言える訳ですよね。全てが神の表現。私たちは愛を幾重にも表現し続けてきたのだと思います。光と闇という二極を舞台にしながら。
そして、その二極から卒業しようとしているということなんでしょうね。

マシュー君も言っているように、確かに「窓」が開かれ始めているのでしょう。そのピークが2012年なのかも知れません。
DNAにもこれまでにはない変化が起こるように様々なソースが伝えてきていますが、これもあながちガセネタではないように思います。と言うのも普通にしていて、耳が一時的に塞がったようになったり、何だか身体がド~っと重たく感じたり、尾てい骨の当たりに異変を感じたり、第三の目辺りに刺激を感じたり、様々な変化を感じる…ことが増えたんですね。

目が覚める時も身体が重く感じます。これは肉体に戻ってくる感覚なのかも知れません。以前はこれほどではなかったですね…。

私の場合はこのような感覚体験ですが、皆さんの中にも様々な異変を感じている方がいるのではないでしょうか。




家族のアセンションというテーマからかなり逸れてしまいましたが、

アセンションを知る私たちは家族を見守るステーションであるとともに、家族から学ぶことも多い成長過程の魂であることを忘れないようにする、

家族はそういった意味でも、運命共同体なのだと思います。

そして、もうひとつ付け加えるならば、

地上の家族だけが家族ではありません。それはソウルメイトが伴侶とは限らないということも含めて。

ここでの暮らしを全うしたら、再会する魂がいることも忘れてはならないと思います。

「早く還って来ないかなあ」なんて

首を長~~くしている家族がいるかも知れませんよ…!





オレガノカプセル

Category : Recommend

寒さが厳しくなってきました。皆さんは元気でお過ごしでしょうか。

新型インフルエンザが世間を騒がせるようになって久しいですが、皆さんはどのような対策を練っていますか?
知り合いの新体操指導者の女性と三重の大会でお会いした際に新型に感染したけれど、「タミフルで即!熱が下がって助かったわ」と元気に役員の仕事をこなしていました。タミフルは危険だと一部ネットで騒がれています。ぜんそくなどの持病があるとタミフルも効かないということのようですし、タミフルが効かない進化したウィルスも登場。人から家畜に感染したというケースも報告されていると聞き及びます。

さて、

一例として我が家はどういう予防法を取り入れているかを今日はご紹介しようと思います。これがベストかどうか分かりませんし、皆さんそれぞれに工夫していると思いますので、コメント欄に書き込みなどしてシェアして頂ければと思います。

・帰宅したら手洗いうがいを欠かしません。これは基本なので言うまでもないと思いますが、私はうっかりマスクをし忘れて出掛けることがあるので帰宅後のうがい習慣はつけています。

・手ピカジェルというのを常備。調理の前など気になる時に活用しています。


そして、アロマの先生にお聞きしたことを以下はご紹介します。

・ティートリーというアロマを希釈、エアスプレー・ミストに良いそうです。

ただし家の者は匂いがイヤらしく(水槽の水換えが滞ったような匂いと、笑)いったん却下状態。先生によるとペパーミントなどを調合希釈してミストとして使用すると良いのではということでした。アロマを焚く習慣が我が家ではないので、今作戦を練っているところです(笑)。ティトリーは殺菌作用があるようですね、ペットのシャンプーとか。

そして、私的にお勧めなのが、

・オレガノカプセルという健康食品です。

ウチの娘は風邪を引くと熱が出やすいタイプなのですが、風邪の引きはじめというんですか?そういう時にこれを飲ませるようにしています。医薬品ではないので日常の健康管理のひとつとしてお勧めします。娘は今のところ熱を出すこともなく元気に登校しています。

オレガノカプセルは私のアロマの先生のところでも購入できます。以下がURL。価格は2940円でしたか…。その他にもアロマに関する問い合わせをするのも良いと思います。ご自分で入手可能な方はご自分のルートで。

http://gatto-aroma.com/form.html

興味のある方は問い合わせてみてはいかがでしょうか。あまり神経質になるのもどうかとは思いますが、日頃気をつけるに越したことはないように思います。



ハルマゲドンだろうがアセンションだろうが

Category : 辛口ごめんなさい


精神世界系ブログをサーフィンしていると色んなことが書いてあって…書かれてある文章を読むとその人の人となりが伝わってきます。

アセンションは今一番の興味の対象。いったいどうなの?というのが大方なんじゃないでしょうか。中には脅しとしか思えないものや、最近コワレたっぽい人までバラエティに富んでいます。

天岩戸開きがあったというものまであると聞き及んでいます。これを祭りと言わずして何なんでしょう。オバマ大統領が正式に宇宙人について声明文を出すというものも…あるんですか?祭りど真ん中!ですね、まさに。チャネル情報なのでしょうか?私にはよく分かりません。


今日は一段と超!長文になると思われます。斜め読みも可!気が向いた時にでも目を通して頂ければと思います。


結論から言うと、私の直感は『アセンション』ありと伝えてきます。神でも宇宙存在でも大天使でもありませんよ、自分の直感がソース。

ハルマゲドン、ですか?

私は怯えて暮らす気にはなれません。ワクワクしてますか?的発想は低級霊宇宙存在の戯言と主張しているブログもあるようですが、それバシャールのこと?なんて(笑)私は何だか他愛もないなあと感じてしまいました。だって、その人がどれだけワクワクを提唱している存在の真意を理解しているというのでしょう。

自分がキャッチしていることこそ真の神託という気骨は、他宗教をクソミソに言う狂信者と何ら変わりない気がします。私のいち意見ですけどね。

どうして自分が一番正しいと篭城したがるんでしょうね。まあそれも自由意志ということではあります、確かに。

いずれにせよ、

魂の『性格』が何をするにも影響します。私たちには選択の自由があり、主張する自由もある。
何故なら創造の根源は無から有限を通して永遠の旅をする主旨のエネルギー。『体験』こそが最大のテーマ。

善悪だけで、正否だけで成り立っている訳では絶対!ありません、宇宙は。

人に自由などない、神に恥じない生き方のみが正統と主張している人がいたら、そっと席を立つことをお勧めします。自分にメッセージを伝えてくるソースこそがホンモノ的主張も、魂の成長のいち段階に過ぎません。その辺のことを理解頂いた上で続きを読んでもらえればと思います。




聖フランチェスコは私の好きな聖人。彼に付き従い良き理解者であったとされる聖キアラも。

彼らが生きた時代は、今のようなアセンション到来の時期ではありませんでした。彼らは「愛されるより愛したい」と清貧に生きた聖者ですが、決して「神の御心に沿った生き方をしなければ『地獄に堕ちる』」と人々に恐れを抱かせたことはなかったはず。

ましてや自分こそが正しいと主張したこともなかったはず。彼らは神の愛の体現者たらんと日夜励んだ求道者だったのですよ。そこのところを勘違いしてはなりません。

自分が正しいという心こそ『喜捨』すべきなのではないでしょうか?

例え最後の審判が既に行われたとして、

上に上がれる者とそうではない者とが選別されたとして、

それを大上段にかざして、そういうのが真の救済になると皆さんは本気で思っていますか?



私たちはもう一段階、目を覚まさねばならないようです。



神のメッセンジャーと名乗る人の話を押し頂く時間があるのなら、その時間を自分の心を研ぎ澄ますことに費やして欲しいと思うのです。そりゃあ、その人たちの話にはもっともな主張が散りばめられているとは思いますよ。真理もついているのでしょう。

でも、もっと大切なことがありはしませんか?

私たちには押し並べて『心』を有しています。中には器だけで中身がガランドーな人もいるにはいますが、基本的には平等に『心』は備わっています。体験を通して何かを感じ、考え、悩む…そうして日々魂を養う。良きことからもそうではないことからも。
心は喜びも苦しみも感じ取る、私たちは常に何かしら感じ取っています。そんなこと当たり前じゃんと、あなたは思うかも知れない。でも、当たり前のことなのに、どうして私たちは人に答えを求めようとするのでしょう。

何だか変だとは思いませんか?

日々色々思うのに自分で答えを見出せないって、どういうこと?と思いませんか?

答えを見出したとしてもその答えが正しいかどうか…どうして不安になるんだろうと思いませんか?


そういう心が「僕の(私の)メッセージこそがホンモノ」という人間を創り出しているとは思いませんか?私たちの誰かが必要としているから彼らは存在しているのですよ。だから「ならば答えを授けて進ぜよう」ということになる訳でしょ?お呼びでなければ廃れるものでしょ?それがいつまでたってもいなくなりはしません。

それは何故だとあなたは思いますか?







答えは簡単です。

私たちは仲介がなきゃ神とも守護者の導きとも繋がれないと無意識に思い込んでいる。

違いますか?

今でこそスピリチャルも浸透しています、神との対話本も出るほどです。霊界通信やチャネラーも雨上がりのキノコのように乱立しています。それだって誰かに伺いを立てなきゃ二進も三進もいかないのが現状じゃないんですか?

お守りの話をローズさんが書いていましたが、本当に人間って何かに守ってもらわなきゃと本気で思っているのですよ。

でも、果たして実体はどうなんでしょう。

本当に私たちは直に神と繋がることが出来ないのでしょうか?

視えない。聞こえない。キャッチできない。自信がない。

枚挙に暇がないほど私たちはずいぶんと自分を無力と思い込んでいます。

でも、本当にそうなんでしょうか?



私も数年前まではそうでした。予知夢を視ていた時期だって自分に自信がありませんでした。
カルマだの何だのでパッツンパッツン、自由意志など思いつきもしませんでした。ひたすら自己反省と善行を積むことでしか救いの道はないという考えが刷り込まれていたんですね。

でも何から救われようとしてたんでしょうねえ。カルマ解脱ということで苦しみの連鎖から解放されようとしてたんでしょうね。


目が覚めた…!のは一冊の本がきっかけでした。『聖なる預言』あれはかなりの一撃でした。もう目からゴソッと大きいウロコが落ちました(笑)。
それから自分探しに奔走。ヒプノセラピーやチャネラー巡りと本当に必死でした。脱皮に継ぐ脱皮の日々でしたが、気がつけば何だか自分も視える人になっていた…皮肉なものです。

視えるようになってからも妙な霊能者たちに遭遇したりして「私は大丈夫かしら」なんて。人の振り見てという頭が働いて迷うことも多かったんです。それだけ視えない世界のことは微妙と思いますよ。どんな能力者の言うことも鵜呑みにしないことです。

しかしながら、

私たち自身が自分の内なる声を聞きとれない。それだけ私たちは自分に自信がない。自信があればチャネラーに大枚はたくこともしなければ、アセンション情報ブログを巡る必要もない訳ですよ。

でも、もうそういうのにはサヨナラしませんか?

ブログを巡るにしたって「こういう意見もあるのか」くらいの余裕を持っても良いと思うんですよ。私のブログを読もうなんて思う皆さんは大丈夫と思いますが。もちろん私のブログもその括りです。参考になることがひとつでもあれば幸いなのです。



ハルマゲドンがあろうが、アセンションだろうが、



どんな時代に生きていようが、

私たちはダイレクトに神と繋がる…自分を此処に向かわせた『志』、体験することで自分が何者であらんとするかを見極めようとする『発案の源泉』と繋がる、

その道を絶っていたのは私たち自身と気づくことは可能だったはずなのです。

肉体を伴って次元上昇しようがしまいが、此処を卒業する気運が高まったかどうかを自分に問うことはいつの時代であっても可能だったはずなのです。

なのに長きに渡る宗教の介在が私たちに「一人立ち」することを阻んできました。あらゆる宗教の開祖はダイレクトに神と繋がったはずなのに、弟子のそのまた弟子・・・・・・となっていくうちに形式化され教本が整い、人の上に君臨し搾取するようになっていきました。

聖フランチェスコは気づきましたよね。

小鳥はささやかな食で空高く飛び、百合は美しく咲くと。

人間だけが自分たちを束縛し、常に何かが足りないと思い込んでいる。

聖フランチェスコは求道し続けた人です。

道に終わりはないってことなんでしょうね。

私たちは不完全です。しかし完璧であること誰が望んでいるというのでしょう。私たちの精一杯生きる姿を大いなる存在は見守っているのではないでしょうか。限られた素養の中でそれを愛おしみ生きる。だって、私たちはシュミレーションして此処にやって来ているのですよ。どういう親の元に生まれ、どういう容姿で、どういう出逢いの可能性があるか予め知らされて、自分の意志で生まれてきているのです。



神に恥ずかしくない生き方、ですか?

何をして恥ずかしくない生き方と言うのでしょうか?
多分ですが、そういうブログに熱心に足を運ぶ人たちは真面目なのだと思います。正しい行いをしなければと日々肝に銘じるような。でもその裏には「でなければ地獄に落ちる」「魂が救われない」というものがあるように感じました。

恐怖を下敷きにしている…違いますか?
良い子にしていなければ、ご褒美は上げませんよ、という成長段階の魂と言えなくもないのです。それが必要な段階は確かにあります。

いずれにせよ、

全てを見通している人間は私を含めてこの世界にはいません!



私たちは常に選択を迫られながら生きています。自由意志とは厳しい道なのかも知れません。何故なら全ての責任を負わねばならないからです。でも思えば、子供って「一人で出来るもん!」をアピールしたがるし、何かと「ママ!見て!見て!」言いますよね(苦笑)。

そういう伸びシロがあるのに…いつからなのでしょうね、私たちが自分に制限をかけてしまったのは。

私たちはチャレンジャーなので、ハードルの高い領域にわざわざ飛び込んできたのでしょうか。それにしても捕まってしまってますけど(笑)。

私たちが自分たちに課した課題のひとつは、

大本の魂の意思との遮断でしょか。

それは青い鳥よろしく、外なんかにはないのに…随分と遠回りしてきたものです。

神と繋がろうと言うと対象にする存在が大き過ぎて、なので介在なしではと取り次ぎがなくてはと思い込んでいたのかも知れませんね。人社会はそれだけ厳しいですからね。

でも、ハイヤーセルフという表現になってはいますが、

此処に来ようとした自分自身の『意図』を思い出すことなら出来る。その意図を遡って…遡って…いくと創造の源泉の『愛』に繋がっていることに気づく。

もう介在は必要ない。

そのことに気づいたのなら、即!実行あるのみです。

私たちはそれぞれ姿形が違います(まあ双子ということはあるにしても)。違いの分だけ多様な意思が働いていると思った方が良いです。誰かがいうことを鵜呑みにするのではなく、私たちは自分の直感と繋がる努力をした方が良いと私は思っています。

介在がすべていけないと言うことも実は言えないのかも知れません。何故なら聖フラチェスコがキリストとのコネクションを持ったように、祈りと瞑想と奉仕を糧に日々求道した聖者もいたのですから。


いずれにしても、

聖なる存在とは誰かを通さず、あなた自身の心とダイレクトに繋がりを築いて頂きたいと私は思います。

私も旅先で教会に足を運ぶことがあります。皆さんも私も教会で祈る時、ダイレクトに語りかけているのですよね。そして何かしらを感じる。

それで良いのではないでしょうか。



ハルマゲドンがどうの、アセンションがどうのと言う以前に、

いつの時代に生を受けようと、

私たちは私たち自身が天地を繋ぐパイプということに気づいた時点で人生は180度違ってきます。

私が心にこそ天国を築くと力説し続けているのは、

百の雷戒より、それが強力だからですし、想念が現実を形作ると知るに至っては何をか言わんやとつくづく感じるからです。




我こそは真のメッセンジャーと信じている人の主張は主張として、ただ…「自分の話に耳を傾けなければ、永遠に輪廻の輪を回ることになる」とか何とかいう人の話は鵜呑みにしないように。

まったく後を絶ちません、こういうパーフォーマーたち。




ポイント制?

Category : つぶやき

mixi友の日記を読んで「フム」と思ったことがあります。


今日日はお給料銀行振込が主流。手取りという方はめっきり減ったのではないかと思います。中には今も手取りという方もいるかと思いますが、ニューヨーク在住のそのmixi友も「そう言われてみれば、ショッピングやレストランでの食事代や公共料金なんかは自動引き落としになってるから実際にお金でってことは少なくなりましたね」と感想をもらしていました。

昔々の人は「そんなことあり得ない」と信じないかも知れません。
数字が行き来する…貨幣経済ってここまで進化したということなのでしょうね。確かに便利にはなりました。本当に世の中変われば変わるものです。

随分前に「ゴールドを買っておきなさい」というチャネラーがいました、半端なく価値が上がると。貨幣経済はいずれ崩壊する、お札は紙切れ同然になるという話でした。
確かにドルは下落の一途を辿っています。アメロですか?新ドルを発行するのではないかという噂も飛び交っている昨今(知ってました?)。ゴールドは高騰していると言います。何とも…マネーゲームに踊らされているような気もしなくはありません。

でも、どれくらいの人口密度なんでしょうね、金相場に一喜一憂しているのは。何だか遠いことのように思えてなりません。
世の中は大きく変わろうとしているんですね、そのことだけは確かなようです。経済危機を生き抜く我々ということでマスコミもその流れに一役も二役もかって出ています。

でも、その反面、自作農を目指す人もジリジリと増え続けている。これもマスコミが取り上げており、シブヤ米も出没。一種ファッション的な取り扱いもされるようになりました。
これもひと昔前には考えられなかった時流。農業がファッションになるって誰が思いついたでしょう。

区画提供を受けて自分たちの食べる分は自分たちでという。これには健康志向も影響されているようです。食の安全への関心が若い層にも広がりをみせているんですね。例え大多数が一時期の流行に乗ったとしても、何%かはホンモノになっていくんはないでしょうか。

これは貨幣経済がすべてではないという兆しのような気がして。

多分ですが、
まあ長いスパンでのことではあるでしょうけれど、通貨は物理的には消えて数字が一人歩きするようになるかも知れない…なんて仮想も成り立つ気もして。
カードやIDというふうに身分保障とリンクしたシステムに移行するのではと思ったり。そうするとゴールドを幾ら貯め込んでも…いや、資産運用という点ではポイント高いのかも知れませんね。ゴールドは一番信頼できる資産ということになるのかも知れません、マジで。

でも、これって…、貨幣から物的に変わるだけで『持てる者と持たざる者』という思考パターンは何の変化もしてなくないですか?

考えてみると、

ゴールドもオイル同様に有限。無限ではありません。後は争奪戦ですか?何ともやりきれない話ではあります。持てる者至上主義ですか?

どうしてもそこから頭が離れないんでしょうかね。

第一、

…ん?ちょっと待って下さい。

貨幣であろうと石油であろうとゴールドであろうと安心と豊かさを『買う』という思考と、

安心と豊かさは自分たちの手で作っていこうという流れも世の中が受け入れ始めているということ?

『買う』ことから『作る』への移行。

いずれにしてもどちらも生き甲斐の創造ということではあります。価値観を何処に置くかだけで。でも、価値を何処に置くかだけで大きな差が出来るかも。

その溝は埋めようもなく広がる可能性もなきにしもあらず。まあ長いスパンではあろうと思いますけど。




長いスパンをかけて、

通貨は『数字』、ポイントという形式を人社会は取るようになるかも知れません。IDで会社・都道府県・自治体・政府も国民を管理しやすくなるでしょうし、どの人がどの家庭がその所帯主がどれだけ『稼動力』があるか量る『管理システム』に移行するかも知れません。

あるいは、
独立したコミュニティがあちこちに現われて、独自のルールに則って集落を構成し流通するという社会も考えられなくはありません。

その前に、
これまでのような国民に見えにくい政治から、ガラス張りで国民の声が国政に大きく影響するという政治へ、が先決ですかね…。エネルギーも使うから『作る』時代にというCMも流れていることですし、国・自治体の予算を「何とかして使い切らないと翌年予算を減らされる。だから何としてでも使い切るぞ!」という意味不明な考えを捨てさせることも先決かも知れませんね。こういうのって民間企業だったらあり得ない、まさに『甘えの構造』とウチの者も怒っておりました。

エネルギーにしても、
フリーエネルギーですか…?もう既にあるとスピリットも伝えてきます。それが未だに世の中に流通しないのは何故なのでしょうね?

私たちは、
独自の道を進む時が来ているのかも知れません。

世の中がどうであれ。人様がどうであれ。

自分は何をしたいか。

自分はどう生きていこうとしているのか。

ましてや、どういう社会で暮らしていきたいのか。

多分ですが、
自然と流れは出来ていくと思いますよ。言い出しっぺっているものなんですよ。時流の最前線を行く人物って、こういう時代には現われるもの。



夜明けは近いぜよ、とかなんとか(笑)



多くの人たちは「もう大丈夫」と思えるまで動こうとはしないものです。みんなで渡れば怖くないが主流。面倒くさいことに巻き込まれたくない、それが大衆ってものでしょ?
大多数は自分の人生は自分の思う通りにはいかないと、まだまだ思っています。精神世界を聞きかじっている私たちはそうではないと気づいたのだけれど、それだってままならないことってある訳でしょ?

そのままならない…と感じる背景には重く貨幣経済がのしかかっていますよね、全ての原因ではないにしても。

お金がなきゃ何も出来ないという頭を私たちは持っています。実際そういうシステムになっています。

でも気がついたら数字が飛び交い、一喜一憂する社会が出来上がってるじゃありませんか。カード自動引き落としが主流の世の中。ポイント制も導入され、それを換金するシステムも。

これは何を物語っているんでしょうね。

今秋から国際的な経済危機へと突入するだろうという見方もあるようです、ふむ。



それと並行して、
スローフード&スローライフな生き方への憧憬も高まりをみせています。

アニメ『風邪の谷のナウシカ』で風の谷のご長寿たちが「そりゃあワシらもちっとは火をつかう」「姫さまは働き者のキレイな手と褒めてくれる」という台詞が思い出されます。

貨幣経済は…長きに渡り、流通に便宜を図ることには多大に貢献してきました。でも、それがために私たちは充分に持てる者か充分に持たざる者かに区分されてきたのですよね。

でも、豊かさって何だろうと立ち止まる人も。

慎ましやかに暮らすって、

それって実は握りしめた拳を開く生き方じゃないかと。

まあ家電に囲まれた暮らしぶりにドップリ浸かって何言うか!ですけど(笑)、ターシャの庭ですか?ああいう生き方だって決心次第で出来るということなんですよね…決意次第で。

蜘蛛が出た!ヤモリと目があった!といちいち騒いで、ミミズ「無理~」とドンびくヤツが何言うか!ですけど。




貨幣経済はポイント制に移行、はあり得ない話ではないような気がする私。

それはそれとして有り難く受け取りつつ、

それに縛られない生き方を。



安心と豊かさを『買う』という思考から、

安心と豊かさは自分たちの手で作っていこうという流れへ。



心から私たちは選択の自由を与えられていると思わざるを得ない。持てる者と持たざる者という柵を越えて…。


実際、私は柵を越える夢を見てます、かなり前のことですが…。ひとつの参道から逸れて自分の道へ移行するビジョンも視ています。


それらは全てサイン(前兆)だったんですね…。先に道が敷かれているのじゃなく、私自身が思い描く道。



増々私としては「心に天国を築きましょう」スローガンに拍車がかかりそうです。




ありゃりゃ!ポイント制という話から大きく離れてしまいました。申し訳ありません。つぶやきに最後までおつき合い頂き、ありがとうございました。






願いと愛の間

Category : 魂のご飯

このテーマを書くにあたって最初に但し書きしておかねなならないことがあります。それは特定の人を対象にしている訳ではないということ。しかしきっと私たちは多かれ少なかれ経験することではないかと。

これは願いが何故聞き届けられないのか…という素朴な疑問にも通じるものがあるように思います。

今日はその辺のことを理解頂いて、続きを読んで頂ければ幸いです。




ますます多次元化が進んでいる中、引き寄せの法も活発に現実化しているのではないかと思います。想念の現実化はスピードアップしていますよね。そのことを実感している方も少なくないでしょう。


では、

恋愛に関してはどうなのでしょう。

あるいは思うような自己実現が出来ていない…何かしら躓きがある場合は。


意中の人の心を自分に向かせることが出来ないと私たちは苦しい思いを味わいます。振り向かせるためのまじないまであるほどです。

でも、これって愛なんでしょうか…。

愛にも色んな形がある。それは私も理解できます。愛には魂の発達段階に応じた表現があることも。しかしながら合コンで意気投合したからと言って、それって愛なのでしょうか。ただ異性を欲しているだけと私には感じられます。まあこれは私個人の考え方。こういう堅苦しい考え方をする人もいるというふうにご理解下さい。

しかし、それって愛なんですかね。寂しいとか欲しいとか…何処か本能的な要求が愛を隠れ蓑にしているように思えてなりません。まあ人を好きになるって生きものの本能ですものね。それに違いはないのかも知れません。

でも…私は人を愛することって本能を越えた何かを感じるのです。




私は十代の頃から「カレが欲しい」という友人の気持ちを理解できずにいました。恋愛ってそれこそ出逢い。欲しがるものなんかじゃない!「縁」という目には見えない何かが二人の男女を出会わせるものと思っていました。なので別に交際相手がいなくても痛くも痒くもない、寂しいなんて感じたこともない。まあ風変わりな女の子だったのだけは確かなようです(笑)。

彼氏が「欲しい」…欲しい?彼氏って欲しがるものなの?と。どうして?と発想してしまうんですね。そりゃあ「求めよ、さらば与えられん」とも言います。でも、愛は求める…欲しがるものではないという確信みたいなものが根強く私の中にあったのは事実。

出逢いは魂の約束。きっとこの広い空の下には赤い糸で結ばれた人がいると疑いもしませんでした。縁があるなら出逢うはずだし、きっと「あ!この人だ!」と閃くだろうと分かっていました。

実際そうでした。ハッとする瞬間があり、相手も同じように自分を気にかけていると分かる…人を好きになる瞬間って、何だか引き寄せの法とはまた別な世界観があるように感じています。
無論、お見合い結婚して年月をかけて愛を育む男女もいますよね。ただ「彼女欲しい」とか「彼氏欲しい」とかは私の辞書にはなかった。ただしちょっと背が高いとか相手のちょっとした仕草に「好きかも」なんて(笑)こともありましたけどね。


まあ生きていれば色んな出逢いを経験します。出逢いや別れがある。


私はここで『心に天国を築く』ことを奨励(笑)しています。笑いごとではありませんよね。これは本当に大切。こうなったら良いのにな、という願いを心に思い描くことは生活に張りを与えてくれます。

しかし、

相手のあることはどうなのでしょう。

もし相手に別に好きな人がいるとしたら、

どんなに心に天国を築こうとビジョンを描いても願っても叶わないとしたら、

私はある人にこのようなアドバイスをしました。いえ…その人だけではありません。異口同音に私は同じことをあらゆる場面で言ってきたように思います。それは以下のとおりです。








彼(彼女)の夢とあなたの夢は一致しないかも知れません。
想念が現実を創造するというのはウソなのかとあなたは思うかも知れません。

こと恋愛は相手あってのこと…なので思うようにならない現実にジレンマが生じてしまうのは仕方のないことですが、それではあなたは納得できないでしょう。

でも、

愛って何なんでしょうね。

誰かを愛するって。



願いと愛の間が埋まらない時、あなたはどうやって彼(彼女)への愛を表現しますか?

彼(彼女)が自分の思うようにならない。それをどうにかして自分に向けようとするのは愛ですか?それはエゴではないですか?

私たちは全員私を含めて未熟です。でも未熟さを言い訳にして欲しくはありません。厳しい言い方ではありますが、苦痛は自分の中で解決するしかないのです。

あなたの彼(彼女)への情熱の炎を消せそうもなく夢も叶いそうもない。

それでもあなたは愛を表現することは出来るのです。

あなたはこう祈ることができるのです。



私は彼(彼女)を愛しています。今でも気持ちは変わりません。
でも彼(彼女)は別な人を愛していて、私と同じ夢を見ることは叶いません。

でも、私は私の願いが叶うようにと祈る
それと同じ情熱で
彼(彼女)の夢が叶うように祈ります。

それが私を苦しめることになったとしても
私は彼(彼女)の夢が叶うように私は神に祈ります。




愛には色んな形があるでしょう。
しかしながら、相手を自分の思うようにコントロールしようとすればするほど、そういう願いを持てば持つほど、

私たちは愛から遠ざかってしまうのです。

今世では愛を成就できないかも知れない時、その痛みを変わって引き受けてくれる人はいません。

頭では分かっている!でも、出来ない!とあなたは苛立つかも知れない。そんなのは偽善と見なすかも知れない。



しかしながら愛以上の魂が学べる機会はないのです。

思うようでない現実を突きつけられた時ほど、私たちの魂は自分を試しているのですよ。

これは「全ての山に登り。全ての谷を渡れ」ということに他ありません。全ての山とは私たちが生まれる前に準備したシチュエーションを指すのだと思います。

引き寄せの法は決して侮れません。侮れませんが、こと相手あっての恋愛に踏み込ませるべきではないと私は思っています。


例え自分は彼(彼女)とつき合うのを望んでいても、彼(彼女)は別な人とそうありたいと思っている…そんな時こそあなたは自分の好きな人の幸せを願う機会なのですよ。

なかなか簡単には出来そうにはありませんか?

それこそが制限じゃないでしょうか?

何故できないかというと、それは自分の願望と真逆だからですよね。



地球にやってくる魂は様々な愛の度数を持っています。決して一枚岩ではありません。人社会は相手の気持ちをお構いなしの犯罪が後を絶ちません。これこそが愛から遠いと言わざるを得ないのです。

誰かを愛することと欲望が背中合わせ。それが人社会のテーマではないでしょうか。エロスと愛を勘違いしている人も少なくないように思います。エロスは愛が包括しているものではあるとは思いますが。




願いと愛は

私たちが自分の都合を越えた時、自ずと歩み寄るのだと思います。人はいつになったら恋愛ごっこから卒業するのでしょう…本能を隠れ蓑して。



愛の人キリストがこの世にあってからも二千年…相手あってのこと、という学校を卒業する日はくるのでしょうか。




私はハッとさせられる体験をした…なので実践しようと務めてきただけです。偉そうにと思われようと。愛は相手を自分の思うようにするためにあるのでは決してない。相手の幸せが自分思い描くのと一致しない時こそ心から相手の幸せを願う自分でありたいと私は思うのです。


不遜な言い回ししかできなくて、申し訳ありません。





私は理想主義者ですか?





私をどのように思うかはあなた次第です。




映画『オーロラの彼方へ』

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今日昼に映画『オーロラの彼方へ』をやっていました。この映画はBSでも昨年でしたか…放送されていました。
父と息子がオーロラの出た夜から無線機を通して時空を超え「やり直し」を果たすという物語。フィクションなのは分かってるんですけど、何とも言えない余韻を残す秀作かと思います。

これはまさにパラレルワールド「もしあの時…」という軌跡を辿る旅のようでもあります。最近TSUTAYAでレンタルしてきた…タイトルは忘れましたが、サンドラ・ブロックという女優さん(私の好きな女優さんの一人。ニコール・キッドマンと共演した『プラクティカル・マジック』も好きな作品のひとつ)の、目覚める度に異なる現実に遭遇するというパラレルワールドを意識させる作品を観ました。

この『オーロラの彼方へ』は以前にもご紹介したと思うんですけど、やはり何度観てもグッと込み上げるものがあります。親子の愛情って…。
映画『フィールド・オブ・ドリームズ』もそうでしたよね。私レーザーディスクで持ってたんですけど、家の者が引越の際にデッキを没にしちゃいまして。でも最近BSで放送されたのをダビング、再会を果たしました(笑)。

私は幼い頃に父と死別。心地良い思い出しか記憶にありません。美化もイイとこなんですけど、父の私を見守る眼差しは脳裏に焼きついています。

もう一度、逢いたい。話したい。

本当に胸に迫るものがあります。

観たという方もいると思いますが、もしまだという方…お勧めです。



パラレルワールドは非現実的。何しろ概念としては理解出来るけれど、旅行みたいにいつでも行き来できる訳ではありません。
しかしながら、ふとしたきっかけでもうひとつの世界を垣間みることはあり得ます。ただの空想か否かは個々の判断に委ねるしかなさそうですが…。




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(2016年12月27日記)

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