懲りない人たちは

Category : 辛口ごめんなさい
更新まめな最近の私です(笑)。10月に入ったら例の『ご飯』に戻そうと思っています。また夏になったら入道雲もくもくの夏空テンプレートもイイかなと思っています。



ところで、
もう目の前から消えてもらいたいと思える人、いませんか?いきなりで恐縮なのですけど、まあ私自身がお呼びでないこともあると思うんですね。一応の礼儀はわきまえているつもりではありますが、合う合わないということもある。
それはそれとして、今日はいわゆるアセンション的に「ごめんなさい」な人とどう向き合うかという辺りを話題にしてみようと思います。

いつものようにこれは私のいち意見。参考程度に目を通して頂ければ幸いです。




懲りない人たちには色んな種類がある。例えば、

・お金に物言わせる
・虚偽癖
・人を陥れるためには手段を選ばない

私たちが住む人社会はごった煮社会。
同じ電車に乗り合わせても良い人ばかりとは限りません。
スピリチャルをかじると「私は波動が清まっているから、同じように清まった人しか縁がなくなってきている」とか何とか言いたがる人っています。いますが、その人はそういうプロセスにいるだけのこと。途中経過にはそういう時期もあるけれど、より不動の精神を培うためのお試しは常にあると心得た方が賢明です。

私たちは常に発展途上と知る謙虚な心を養う必要もあると思うんですね。見かけ謙虚では話になりません。そこは越えてしかるべきハードルと気づくことが肝要。山を下りて下界こそが修行の場と気づくのに似ていると思います。

ここ人社会はそんな生易しくはない。色んな人がごった返している、色んな価値観・欲が交錯する社会。
そこから私たちは改めて価値観を同じくする人が集う領域に移行していくのだと思うんですね。3次元は混沌としているからこその魂の学校。気分が悪くなる人とも短くも長くもつき合っていかねばならないこともある、そこから私たちは何を学ぶかが大切。かなり鍛えられますよね(笑)もうイイよと言いたくなるのだけれど、お試しは次から次にやってくる。手強いですね。最後まで気が抜けません。



私たちは今ラストスパートの時期に差し掛かっているようです。それは今期が人類最後のアセンションのチャンス。魂はそれを知るからこそ、こんなに詰めかけているのだとも言われています。

また地球にはそれに呼応するかのようなエネルギーも着々と届けられています。空気感が違うと感じるのはそのせいなのではないでしょうか。サポートは常にある。有り難いことです。

さて、
懲りない人は別名「学ばない人」とも言います。欲や何かに目が眩んで、せっかくの学びのチャンスを棒に振っている状態。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がそれをよく表していると思います。私は彼を菩薩と視ています。苦悩しながらも小説という形で私たちが何らかを感じる気づくきっかけを提供してくれたのですものね。

さて、
懲りない人とどうしても関わらねばならない環境にいるとして、

私たちはどう対処したら良いのでしょうね。

今日はその一例をと思いながらキー打ちしてるんですけど、私の拙い経験値からどれほどの答えを弾き出せるかは分かりませんが、

懲りない人は地上からはいなくなりません。そんなことはtakakoさんに言われなくても分かってます?ですよね(笑)
加えて、人というものは例えば・・・家族を大事にしても会社では冷血だったりします。なので一概には言えないのだけれど、自分にとって「痛い」人というのが対象にはなると思います。それでも大多数にとっても「痛っ!」という人もいますよね(笑、笑いごとじゃありませんけど)。

いずれにしても、
私に言えることは、人を変えることは出来ない。ならばと言うことで私たちは自分の心がけに着目するのだと思いますが、

要はワナワナと心を乱されないまでになれれば「しめた!」もの。そういう心を培えればと思う訳です、少なくとも私は。

そう事件は現場で(笑)。

本を読んでその気になるのは簡単です。あるいはワークショップでスピリチャルにドップリ浸かるのも。

そこで培った処を現場で発揮する・・・現場こそが魂の本丸。本もワークショップも予備校、予行演習に過ぎません。



相手が理解の範疇を越える場合は特に(笑)『自分の中心にいる』良い訓練になると感じました。実地訓練としてはまたとない好機。

関わり合う全ての人は私にとっては映し鏡。自分の心の有りようを映す鏡と思っていました。まだまだ発展途上ですから自己嫌悪に陥ることもありました。それも含めて人付き合いと思うんですね。仏の如くの慈悲心はまだまだありませんから、そうやって反応しながら未熟さを誤摩化さない姿勢が求められたように思います。

そりゃあ心の中で右の声と左の声が闘いましたさ(笑)。守護者に向かって「あんたたちには私の気持ちはわからない!」とかなんとか。でもそうこうするうちに見えてきたものってあるんですね。

何故そんなに心が乱れるかと言えば、

・底意地の悪い相手に腹がたっているから
・何故そういう魂の汚れることを平気でするのかと思うから
・どうして私はこういう人と縁があるのかと自分が情けなくなるから

と、まあ色々とりとめもなくある訳です、理由って。ところがある時、

こういう時こそ自己責任を果たす好機と気づいたんですね。これは大きかった。それは相手に対してではなく私自身に、なんですけど。

それはどういうことかと言うと、
いずれにしても私は相手から悪意のある行為をされたと憤り、相手に立ち向かっていったところで相手は非を認めるどころか・・・ということで傷ついた。こういうふうにパターンってあるんですよ。
このパターンは相手の首がすげ変わろうと続きます。実際そうなので否定のしようがない。悪循環だった訳です。

ところがある日、私は自分を大切にしていないことに気づいたんですね。私はもっともっと豊かな感性を持っていて、もっともっと大きいのに相手がどうのと引っかかっている。小さくまとまるな!いちいち七転八倒するでない!という心の声を聞いた気がしたのです。

私はもう一人の自分が小高い丘の上に私を立たせ「あなたの心は今、こうなっている」と見せてくれるのを感じてハッと我に返り・・・、これはアストロジーの方から聞いた話で深層意識に刻まれていたんでしょうね。

相手がどうのではなく、問題はすぐ反応する私自身にある。頭で分かっていてもなかなか切り替えって難しい。でも私は幸運にも自分の直感と繋がっていました。三寒四温ではあったけれど、現場で常に気持ちを立て直し続けました

そうして見えてきたものは自分も相手とは違う形ではあるけれど、エネルギーコントロールをしようとしていたのではないかと思ったんですね。半ば忠臣蔵よろしくの心意気になっていた。天罰下れ!くらいに思っていた訳です。

今現在、
相手は相変わらず偽善を繰り返しています。それも何だか遠いことのように感じました。私を含めて全ての人たちが学びの途中にあります。その学びを疎かにしているだけなんです、彼らは欲に目が眩んで。彼らなりの価値観に基づいて。

しかしながら隔たった距離は埋めようもありません。

この時期、学べなかった魂にはいわゆる存続の危機ではあるようです。それは罰とかいうことより、その生き方に相応しい結果がもたらされるというシンプルな宇宙の法則なのだと思います。

宇宙は呼吸を繰り返しています。大きく一気に吐き出す時が来た、今は大掃除の時期かも知れません。魂は成長の階梯にありますが、中には欲や権力の虜になってそこから出てこれないまでになっている者もいる、それも否定しようのない事実。

私にもきっとあのように学べなかった時期があったのだと思うと。あそこまでヒドいとは思いませんけど、感慨無量です。

もうそれだけ後戻りできないまでにエネルギーが高まりを見せています。



懲りない人に同調することのない心を培う。

培えた実感が感じられた時、私は彼らにではなく宇宙の計らいに感謝しました。私はキリストのように彼らの罪まで被ろうとは思いません。私はまだまだ未熟なのだと思います。

それでも、

全ての命には自己責任があることは分かります。請け負っても彼らには宿題が残る。私にも宿題は残ると知るに到った。

きっとそのずっと先に、

キリストの無償の愛があるのかも知れません。

ひとつの愛の形。



自己責任を果たすことは魂の成長の糧になります。何故なら、私たちは達成感こそが味わいたい奴ら。その醍醐味はかけがえがありません。

その最たるものが『愛』なのだと思うんですね。



懲りない人たちは、ここんとこが著しく不足してるんでしょうね。



本当に親心って「歩ませる」ことかも知れないと感じる今日この頃。

人のことより自分の頭の上の・・・かも知れませんよ。



上手くできてるなあと思ったこと

Category : 魂のご飯

HAARPに関する所感は改めて書く予定。これに限らず人類はとんでもない研究や防衛システムを持ってしまっているような気がしてならないので。


今日は最近感じたことを書いてみようと思います。

2012年12月をひとつの目安として(この年月はあくまでも目安らしい)地球は次元上昇すると言われて久しいですね。

この時期に転生しようとして精神世界に目覚めた人は押し並べて、アセンションを意図していると見て良いように思います。アセンション意図なんて何処かのブログみたいですけど(笑)、生まれる前のことを私は言っています。

これは宇宙的大イベント。

人社会はそれに呼応した色んな癒し・気づきのツールを広範囲のものにしています。そう思いませんか?ヒプノセラピーなどは被験者のみならず、施術者をも生み出しています。つまり誰もがどちらをも体験するまでになっている…これは何を物語っているかは歴然。

人と化して猶予年(笑)私たちは輪廻というサイクルを通して自己実現・体験学習を重ねてきました。中には地球以外から今回は!人間に、という方もいるようです。それだけ人類がまさに迎えようとしているアセンションは希有な機会。体験するためにも、もうひと握りの人がコソコソっと体験するといった規模ではなく、大多数が気づき・癒しに到達(出逢う)ための計画がなされたと言っても過言ではない気がします。

これだけスピリチャルが浸透した…受け入れられた時代は近代の時代の中ではなかったのではないでしょうか。日本発祥のレイキもその近代における草分け的位置にあって。着々と人社会は魂の気づきのための準備をしていたとも言えるような気さえします。

アセンションには人の覚醒がなにより待たれる要素。

覚醒と言っても霊能力というマジック的なものではなく、一人一人が「私は誰」で「何しに生まれてきた」かを知るという…存在意味を知り、宇宙の神秘に目覚め、自分がその一部であることを自覚する…そういう気づきに到る道程。覚醒は永久に続く階梯です。

一段一段段階を経て私たちは今ここにいる奇跡に出逢う…こうして今生きていることは偶然ではないにしても、その偶然の一致に感謝せずにはいられなくなる。

そうして、やがては「自分に何ができるのだろう」と思うようになるのだと思います。

それは献身の目覚め。互いに共存するための、一方通行ではない、相互に献身し合う世界に生きようとするのだと思うんですね。なので癒しとリッチな生活が一致しないとしても気にすることはありません。お金というエネルギーは進化した領域には存在していませんし、より高い波動の世界にはすべてのエネルギーが等しく供給されるため、貨幣経済の必要がありません。

そのことを察知しながら、此処は貨幣経済だからという『理由』でセッション料を受け取り続けていると、どの時点でその『理由』を手放せばよいのか…機会を逸する危険性も出てきています。

何故率先して実行しないのか私は不思議でなりません。気づいた時点から手放す行動へ移行する…それこそが次元上昇の鍵です。

行動が鍵なのです。

コンサルタント契約をしているなら話は違ってくるのかも知れません。スピリチャル学校に百万単位の授業料が要るという話も聞きますが、もう後には引けない処まで来ている人たちが多いということなのでしょう。

私は仕事撮影は終える予定なのでこれからはほぼ無収入になります。それでも何も心配していません。

世の中は自作農ブームとか。これは自給率が高まっていく兆し。人に使われる仕事から自分の命・家族の命くらいは自分らで賄おうという時代に突入したことを多いに私たちに示していると思います。時間はかかるでしょうけれど、お金がなければ生きても食べてもいけないというのは「思い込み」だったと気づく人がどんどん増えていくことと思います。

フリーエネルギーは現に存在するのだけれど、貨幣経済が基盤の社会にはそれを良しとしない向きもあると言います。
それだけ培ってきた習慣は容易くは手放せない、それは仕方のないことなのかも知れません。だからこそ私たちは自分に出来ることから始めれば良いのだと思うんですね。

太陽光発電もその流れのひとつと思います。



精神世界の話に戻ると、
私たちの深層意識にとってアセンションは『既知』の事実なのでしょう。なので様々なアイデアが世に登場すべく色んな存在がやって来ていると、

ああ、上手くできてるんだなあと思ったんですね。

タラタラやってきて(…失礼、笑)もう後はない!何とかしなければとなれば俄然、火事場のなんとやらで本領発揮。色んなアイデアが急ピッチで展開されているなあと。秘法などは既に公の秘密。求めよ、さらば与えられんの喩えどおりですものね。

本当に上手くできてると思いますよ。

ヒプノで過去世回帰・アロマで癒し・チャネラーの数も半端ないご時世。私たちはクライアント、施術者、どちらにもなり得る時代。これはお金というエネルギーが交換代価としては機能しなくなる前兆と言えなくもないのです。

何故なら、全てはエネルギーレベルで交流していますからね。お金というものをマストで挟むというのは人間が決めたルール、貨幣経済は潤う者とそうでない者を産みました。そういうアンバランスさの上に栄枯盛衰を繰り返してきた訳ですよね、人は。

次!を目指している魂は、より波動の高みを目指そうとするものでしょ?

アンバランスの上にも下にももういることはない…しかしその垢に塗れ、加齢に伴うボロ雑巾のようにクタクタな(…私だけか、笑)この心身を癒し本来の元気を取り戻す必要がある。

本当にそのために必要なことはこの世には整っています。本・ブログ等々も然りではないでしょうか。それだけ私たちには選択の自由があり、何かを選択してその結果を自己責任でとる方向に向かっているのだと思うんですね。



幼児は何かと「一人で出来るもん!」と言いたがり、見せたがります。いつまでも赤ちゃんあつかいさせないぞ!と。そのくせ肝心な時には「ママ~」なんですけどね(笑)。
そういう私たちを高次元の存在は見守っているように思います。そして幼児もやがては一人立ちする…そういう感じで私たちの成長を喜んでいると思うんですよ。

親心でしょうね。

私たちは様々な次元から集ったものたち。

色んなアイデアを思いついたり発見したりして、この世界に何かと貢献してきたし、その恩恵にも授かってきた。

一方通行の貢献はやはり…バランスが良くありません。私たちは相互に影響しあうように出来ています。




加速する時間枠の中で。本当に上手くできてるなあと思いました。






所感(9月22日付)

Category : 所感

HAARP…というのを皆さんはご存知ですか?
[追記] http://ja.wikipedia.org/wiki/HAARP 『高周波活性オーロラ調査プログラム』に詳細あり。

私はヤスの備忘録というブログを時々みてますが、そこにHAARPに関してそれは人工地震を引き起こす性質のものというコメントが書き込みされていました。そのコメントにはURLが貼られていて、東京・大阪、都心部に住んでいる人は緊急避難して下さいと叫ばれていたんですね。

これ人ごとではありません。

それで早速心の声に耳を傾けてみました、もちろんガイドにも。ところが、

差し迫った危機があるという答えがまったく返ってきません。何とも穏やかな…。ではこれらの緊急エマージェンシーはガセネタなのでしょうか。私はHAARPなるものの実体を知りません。それで調べてみたのですが、どれも外輪を埋めるものばかりのように思います。人工地震を指摘する人たちのことを一概にガセとも言い切れない気がしますし…。今週から来月まで予断を許さないとの見解らしい。

加えてそれとは別に地震計測をしている民間団体がるようです。やはり東海・千葉に至る地域は要注意とのこと。こちらは信憑性あり。最近、中くらいの揺れが頻繁に起きています。非常食・水などは常備しておくに越したことはありません。

さて、
このHAARP人工地震云々にはアメリカの日本に体する圧力という説もあるようです。つまり民主党政権にチェンジしてアメリカの要求に「NO!」を言える政権が誕生。それを良しとしない向きが合衆国政権にはあるというもののようです。闇の勢力の仕組んだものという陰謀説まであります。
しかしながら、皆さん…冷静に考えてみて下さい。
アメリカは今、国内の問題が山積。国際情勢に睨みをかけながら、という後ろがない状況にあるのではないでしょうか。ドルが弱体化していることも考慮に入れれば、国力自体の他国とのバランスをこれまでのようにはいかないのでは?と私は感じます。

強いアメリカの時代は終わった。

中国・ロシア、EU連合とどこを見渡してもアメリカの丁稚(でっち)はいないことは歴然。唯一、日本は金庫番的な役割をこれまで担ってきた。金庫番としての役割を拒否したということで『用無し』と、果たしてアメリカは見なすでしょうか。
中国が強国となりアジアの覇者となった今、アメリカは中国・ロシアと友好的な関係性を築く必要とともに均衡を保たねばならない局面を迎えているとも言えます。日本は単なる金庫番として見るようではオバマ政権も見通しが甘いと言わざるを得ません。
それだけアメリカ国内にも火種を有しているのですし、それを立て直さねばならない局面にアメリカはいます。金庫番が逆らったからといって人工地震を起こすぞ!と脅している余裕はないと私は思いますが。日本の中枢が壊滅すれば、中国国力が加速している以上、どういう事態になるかはシュミレーションして然るべきかと。

もし首都圏を大地震が襲うとなると、それは地殻という見地に基いた上で自然災害と考えた方が賢明のような気がします。

仮に東京・大阪をHAARP人工地震説のように叩けば、言うことを聞かないとしても首都圏にダメージを与えるとなると…アメリカが被る損失も小さくはないということになりませんか?ロシア・中国・北朝鮮が黙ってみてるとは思えません。何らかの動きに出るはず。

中国は日本のようにアメリカに対してもどの国に対しても手揉みはしません。しないどころか世界警察として目を光らせてきたアメリカを向こうに回して一歩も退かないまでの強い国。その地位に揺るぎはないのです。しかもその人口は世界市場にとって魅力的。そのことは中国自身が知ることでもあります。別な視点で言えば、日本より中国と友好関係を築くというのがアメリカの本音ではなかろうかと思います。つまり外交の形自体が変化しているということ。アメリカに限らず何処が国際的主導権を行使する立場にあるかは微妙ではないでしょうか。

ブッシュ政権の終焉はそういった意味でも、アメリカの国際警察たる地位にも翳りが見えてきたということを指し示しているのだと思います。アメリカはこれまでのような軍事産業に活路を見出す手法から、もっと根本的に民意を反映する方針を打ち出していかねばならない瀬戸際に立っているのではないでしょうか。
オバマ政権の発足はアメリカ国民に9.11事件以降変革を臨む気運が高まっていた、その民意の証明でもあったはず。

一部の特権階級が裏で国際情勢を操っているとも言われて久しい。

今一部で騒がれているHAARPも人工地震発生機という物騒な装置を、それが事実であるならば、何故各国は黙認しているのでしょう。それは自殺行為ですよ。一部の特権階級がそれを行使する権利を有していて私たち下々には伺い知れないとしても。

HAARPとは何らかの電磁波…?周波数を発するもの、あるターゲットにその波形を当てて何たら…私には理解不可能。しかしながら脳波にも影響するとなれば、周波数と脳波の一致が見られればこういう騒動にもなりかねないのかなとも思います。
いったい誰がそのような装置で地球規模の実験をして良いと許可を出したのかも疑問です。実験という名の元に人類はまたしても過ちを犯そうとしているということでしょうか。

2012年終末説を人工的に起こそうとする人たちがあるとも実しやかに囁かれています。

その真意は知る由もありません。

ありませんが、
予言者にしてもその預言をどの次元でキャッチしているかも問題なのだと思います。何故預言が当たったり外れたりするかはそれを公言することで民意レベルのエネルギーが影響するからだという説もあります。…ったく、それでいて当たったことを殊更に謳うのですから、困ったことです。

ヤスの備忘録も預言が的中するかが論点ではなく、検証しながら一緒に考えていきましょうというスタンスのようです。当たる当たらないが主旨ではないという姿勢。



いずれにしても、
私が感じる限りではありますが、人工地震説に踊らされ恐怖心を植えつけられること事態が危ないと思います。阪神大震災もそうだというのですが、真意は誰にも判らない…違いますか?諸説飛び交っているという域を出ない話ばかりです。

私は以前『あなたの現実に』という題の日記を書きました。例え世間で騒がれていることが事実としても、それらが全て自分の現実と一致するかは別と私は思うのです。
加えて人を変えることは出ない。私たちは常に自分の現実を創り出しています。であるならば、答えは明確。

私の現実に私は何を用意しているか…。

もちろん用心に越したことはありません。ありませんが、恐怖心で雁字搦めになっては本末転倒ではないでしょうか。情報は情報として、それと自身の内面と照らし合わせることが大切。

今回のHAARP人工地震騒動に関して、私の内側は平静。もちろんそれが時の運であり、私の魂がそれに従うのであれば話は別です。

また地震予想も一笑に伏すものではありません。ただ…5分ですか?分かるのは。これでは話にならない。どうやって避難すれば良いのかということになります。今回は阪神大震災どころではない尋常ならざる被害だろうと叫ばれています。

私は今、東京世田谷でキー打ちをしています(笑・笑いごとではありませんよね)。しかし何も心配いらないというのが私の見解です。

今満ちているエネルギーは『穏やか』。これを嵐の前の静けさということも出来ます。しかし何も心配いらないと守護者も伝えてきます。

もし緊迫した事態が差し迫っているのなら、ナマズよろしく私のレーダーが反応するはず。夢にも大地震の予兆はありません。世界の何処であっても被害が最小限であることを祈ります。もちろん家族や皆さんの無事を祈っています。

確かに浄化のプロセスで天変地異もあるでしょう。カルマの法則も鑑みれば、ということではあるとは思います。

それにしても…。

成り行きを見守ろうと思います。

皆さんも情報は情報として受け止め。決して踊らされることのないよう。ご自分の心の声と対話して、ご自分のことは行動判断して頂きたいと思います。




逆戻りに負けない心

Category : 所感

昨日『覚悟を決めることです』をアップしました。ここを閲覧している方は多くて200名くらい。皆さんに直接お会いしてお話したいのはやまやまなのですが、なかなかそうはいきません。せめてここからエールを発信していきたいと思っています。そう思うだけの理由が私にはあって…つまりこれはちゃっかり自分へのエールでもあるんですね。

意地ではなく秋晴れのような清々しさを心に持って、この時期を過ごして頂きたい。私自身もそうありたいと思いを込めて。



私は昨日、いない人の陰口井戸端会議からはそっと抜けて下さいと書きました。そして、決めつけでものを言わない方が賢明という主旨のことも書きました。しかしながら、それは多くの人には理解されにくいもののようです。私はそこでハタと考えました。

相手を批判するのは容易い。

相手の言い分も理解できる。

つまり決めつけでものを言うのは仕方がないことではないかという意見。確かにそれにも一理あるでしょう。しかしそこに同調する気にはなれないとなると…もう飛ぶ鳥跡を濁すとなってもその場を去るしかありません。TV討論よろしくケンケンガクガクしてまでもと思えるからです。

相手がどのような感性・価値観を持っているかは立ち入ってみないことには分かりません。まだまだ未知数である以上は空白を残しておく…先入観を差し挟まないようにしたいというのが私の考えなのですが、これがこれほど難しいことだとは思いもよりませんでした。
先入観で人をジャッジしても仕方がないじゃないか…だって相手はあなたのことをよく知らないのだからと言う。つまり逆の立場だったら、きっとあなたも同じように先入観でものを言うのではないですか?という…確かに無理からぬ言い分なんですよね。

彼女たちにとって私はまさに異星人なのでしょう。「普通は」ということで括れない考えを私は持ってしまったようです。

私たち人間は自分の経験値に基づいて人を見極めます。

経験値によって価値観を培ってゆく。しかしながら人は十人十色、人のことは『未知数』の括りと心得た方が良いように感じます。決めつけは失礼な話です。なので常に「心外!」だの「決めつけないで!」だのの騒ぎが絶えないのですけど、それでも人は…決めつけをやめようとはしません。やめようとしないどころか、それを「仕方ないだろう」と正当化するのですから話になりません。自分たちが自分たちの首を絞めているのに気づかないのですから。

人は自分とは異質な習慣を持つ人たちを「信じられない」とか何とか。日本国内でも異文化は存在する訳ですよね、TV番組『ヒミツの県民ショウ』はそれをよく表していると思います。

習慣・宗教・言語・肌の色…上げればキリなく異文化は存在します。その溝は埋められないと人は思い込んでいます。でも私はそれは埋められない『溝』ではなく、相手を尊重する距離感と思う訳です。違和感は埋めるものではなくて、相手のテリトリーを冒さないでいられる距離感と私は思う…。まったく異質な価値観と言えるのでしょう。

イイじゃないかと思う訳ですよ。異文化交流。皆が同じじゃつまらないですからね。

決めつけ体質もそうで。相手がどういう価値観を持った人なのかを知らずに決めつけて…もめてるでしょ?と思うんですけどね、実際問題。お呼びでない…これは私の力量不足も原因でしょうね。

人は真新しい考えを持つ人間を自分たちに引き戻そうとします。それには色んな理由があるでしょうけれど、ひとつには安心したいってこともあると思うんですね。足並み乱すなよとかなんとか。

でも私は生来の、はみ出しもの。それを何とか周囲に馴染もうとして無理を重ねた結果はどうだったのでしょう。もちろん公衆道徳は守って然るべきとは思います。思いますが、心のこと、価値観のことって人に押しつけるものでも押しつけられるものでもないはず。

もっと私たちは解放されても良いと思います。ただし人間関係、一時的にもギクシャクするのが覚悟ということのようですが…。

決めつけでものを言わない方が良いと発言しただけで蜂の巣をつついた騒ぎになる、それは習慣だからに他なりません。私の良しとするところは多くの人が習慣とするところではない。それに尽きるのだと思います。だからと言って私だけが正しい訳でも相手が間違っている訳でもないのです。

ただ…心の道、その方向が違っただけ。道は幾通りにもあるということだと思います。

ことは些細なところから始まるようです。それが次第に大きな流れになっていくのでしょう。気がつけば対岸は遠いということかも知れません。


多次元って、魂の有り様だけ存在するのだと思います。何故なら想念が現実を創り出すからです。

私は意に反して謝罪して後になって大後悔したことが幾度もあります。自分に非があるのに意地でも謝らないぞ!というのも違うとは思いますが(笑)、立場上とか状況で「あなたが頭を下げて事を収めた方が良い」とかはもう終了かなあと思います。

そういう人間関係に翻弄される生き方で私は何を成し遂げたというのでしょう。ふむ…心の痛みを知っただけでも意味はあるのかも知れません。

人を変えることは出来ません。

しかしながら、自分らしくあるための工夫なら出来ると思いますよ。例え一時期はギクシャクするとしても。人は親しみ馴染んだ習慣に人を収めようとするもののようですから。



私は羊の群れを率いる獅子ではありません。

私を含めて皆さんひとりひとりが人生の主人公なのです。私は少しだけ前を歩くと書きました。しかしながら私について来い!と言っている訳ではありませんし、言うべきでもありません。


今は魂の自立が求められ、本当に限りない喜びへと私たちは船出しようとしています。


私は私自身の心が指し示す方へと向かっている…その姿勢をこうして伝えているに過ぎません。

心のありようは人の数だけ。

皆さんに冒険心を強要するものでもありません。少し向こう見ずな私を見て頂いて「あれだけ無茶しても結構元気にしてるじゃん」でも良いのだと思うんですね。そりゃあ落ち込むこともありますよ。それでも逆戻りをする気持ちにはなれそうにありません。

変わり者…? 上等じゃないといったところでしょうか(笑)。





覚悟を決めることです

Category : 所感

人の口に門は立てられないと言います。昔の人は本当に格言の天才!

人の噂も七十五日とも言います。今日はこの辺のことを書いてみようと思います。何しろ私たちは常に人の目に耳に晒されていますからね。心を強く持って暮らしていってもらいたい。私のささやかなエールとご理解下さい。


私は先週まるまる1週間をお仕事撮影に費やしました。カメラマンとは実に一癖も二癖もある強者揃い。私もその端くれですが、心と態度が裏腹な人たちの心地悪さ。いない順の陰口や虚偽・偽善、腹の探り合いにはほとほとついてゆけません。もうそういうのは「勘弁してよ」という隔たりを感じていました、大会期間中。

使いものにならない自分を痛感したし、もうお呼びでない空気を嗅いで、つくづく異星人かと自分のことを思いました。あのCMのジョーンズさんの気持ちが分かるような気さえして。

でも、どうしてこうも人って気持ちと言動が裏腹なんでしょうね。言葉というツールは便利ではありますが、半ば悪用の一途を辿っている人も中にはいます。
あるいは陰口…先入観で人を決めつける、これは本当に頂けません。人はそういう自分たちの有り様が不協和音を生み出していることに気づきもしないようです。言い分はそれぞれにある訳ですよね。でも、根本的に不協和音の一因を自分たちが作っていることを悟るまで、心が育っていない人が多過ぎるというのが私の正直な感想です。

視点の違いは埋めようもなく、価値観の相違も相容れようがない。どうして人はいない人の陰口を囁き合って仲間うちに同意を求めようとするのでしょう。あるいはターゲットを陥れるような耳打ちをする…自分に歯向かう者を窮地に追いやるのでしょう…もう充分に私は見聞しました。そろそろ潮時と思います。

キリストは磔になりながら「この人たちは自分が何をしているのか分からないのです」と神に告げたといいます。
私はキリストのような大きな愛を持ち合わせていません。何様と言われても仕方ないのですが、それでもキリストが嘆いたであろう光景を見る思いがしました。

皆さん…

いない人の陰口が行き交う井戸端会議からはそっと抜けて下さい。

心と裏腹な言葉が飛び出しそうになったら、そっと沈黙を守って下さい。

不協和音を私のように批判するのは容易い。私自身も自分がどうあるべきかを内省しました。私だけが正しいのでも相手が間違っているのでもないのです。ただもう住む世界が違うのだと思うのですよ。上から目線と思われてしまうかも知れませんが、本当にただ…袖を分かったのは否定のしようがないのです。

例えば…「主婦だから、働く大変さが分からないのよ」と言われたとしましょう。

例えば…「子供を産んだことがないから、子育ての大変さが分からないのよ」と言われたとしましょう。

こういうふうだからいつまでたっても人社会は混沌としている、違います?これは根本的な問題と思いますよ。ここから一歩踏み出すきっかけがなければ、容易に人は気づかないのかも知れませんが…。

何故今次元上昇が叫ばれているか…その真意はさて置いても、私は減らず口の波長に同意するのは一切やめることにしました。気乗りのしないことを「わがまま」と誹られても引き受けないことにしました。だからと言って、相手を非難し、自分を正統化するのは違うのだと思います。ただ…もう乗れないだけなのです。

私たちは自分の現実を日々構築しています。
ひょっとしたら一波乱あるかもしれません、ないかも知れません。そこでビビって足踏みするのはもったいない気がします。

誰のための人生なのでしょう。

限りない喜びへと漕ぎ出そうとしている今、人ものの価値観に貴重な時間を費やす気にはなれません。

もし自己犠牲を伴う事態になるとしてもそれが私自身の意思であれば、それに従おうと思います。

アセンションへの階梯には『脱皮』が伴うのでしょう。それは相手あってのことかも知れませんし、自分の内面の葛藤かも知れません。



私は準備が整いました。



私はまた新たなステージへ一歩踏み出しました。私の行く先は『今の私の行い』にかかっています。もし過ちに気づいたら臆面もなく正していこうと思います。自分を浄化する4つの言葉は良い旅の道連れです。こういう覚悟が決まるきっかけになった人たちに皮肉ではなく、心から感謝したいと思います。

ただ…もう合わないだけ。誰が正しいのでも間違っているのでもありません。

自分の人生を自分の手元に戻す…、少しだけ、ほんの少しだけ前を歩きます。

人の評判に小舟のように揺れ動く必要はありません。

あなたはあなたらしくあることを気にかけていれば良いのです。誰かが渡れるような架け橋であろうという思いも含めて。



皆さんが怖がらないように「大丈夫」と指し示せる私でありたい。
心からそう思います。

ただ…それほどの器ではないことだけが気がかり…。謙遜ではありませんよ。






井戸端会議はいただけません

Category : 辛口ごめんなさい

私が所属するスポーツカメラマンの組織、女性カメラマンは5人しかいないんだそうです。つい最近知りました。女性の進出はまだまだということなんでしょうか。
…で、女性カメラマンだけの写真展をやろうという企画が上がったということで初ミーティングがあり、私も出席しました。

皆さん、想像してみてもらえます?
もう気乗りのしない撮影はしないというご隠居モードの私と現役バリバリのカメラマンが3名…え、数が合わない?そうそうもう一人は仕事で来れなかったんですけど、まあソリが合わないことといったら。私は空気読めない人な訳です。
まあそれだけなら「お呼びでない?」で済むのでしょうけど、女が3人集まるとどうして井戸端会議的陰口に花が咲くんでしょうね。

・会員の**さんはカメラマンでもないのに(ライターも所属している)ちょっと写真が撮れたからと写真展をやった。違うよね、そういうのって。

だの、

・**Jrはキモイ。

だの、

・ガーリーフォトって、あれは違うよね。

だの、

・喫茶店で展示は写真展とは言わない。

だの、よくもまあ出ること出ること。そういうのはどうでもイイこととしか思えない私に取って井戸端会議な陰口込みの会話は「ごめんなさい」な質なので、居心地悪かった訳です。でも、初対面という

聞く

Category : 魂のご飯

友人のKさんは美にコミットした施術が心地良いセラピスト。今、彼女はたかがリンパされどリンパ(笑)ということで進化しているように思います。

先月彼女を指導するお師匠さんにお会いしました。お年に関わらず(失礼)ハツラツとした男性で。その方の周囲…少なくとも2メートル圏内は確実に癒しのフィールド。何とも心地良く、これでは病気は癒されてしまうだろうと(笑)感じるほどでした。こういうエネルギーの人、実はヒーラーを生業にしている人に何人も遭遇していますが、めったにお目にかかりません。それだけ大多数のヒーラーやチャネラーはある意味でハリボテなのかもと私は思ってしまいました。

生き証人のように癒しのエネルギーを醸し出している人は共通して何かしら『解(ほど)けた』印象を持っています。

私は最近こういう比喩を使うことがあるんですけど、『手のひらを開いた状態の人』って案外少ない。ヒーリングやチャネリングで成功したいという思いは決してやぶさかではないのですが、それは人生経験ともリンクしているのでしょうね…。まだまだ道のりは遠いのかも知れません。

ディプロマが市場に出回っていることも影響しているでしょうね。
精神世界には数多(あまた)スクールが開校され、その気にさえなれば誰でもヒーラーを名乗れる時代です。メソッドをとやかく言うつもりはありませんが、何処かの時点からでしょう。占いと癒しの線引きが曖昧になり、癒しも列記とした『商売』。お金儲けの手段と成立するに至っています。

その背後には第六感や目に視えないものが視えることへの憧憬も底辺にあるように思います。もちろんそれだけではないでしょうが、事ここに至ってはそういうシックスセンスって誰もが多かれ少なかれ持つ潜在能力だということも多くが知るに至っていますよね。余り多額の授業料やセッション料を貪るようなことはいかがなものかと思うのですが…もう誰にも止められないところまで来ているのでしょうね。

視える=霊性、云々とは言い切れないのが実情。

加えて、
サイキックと癒しは同列ではありません。

癒しのエネルギーは能力ではありません。

それは『愛』に根ざした心を差し出すことではないでしょうか。聖母マリアがその象徴かと思います。

話が大きく逸れてしまいましたね、本当に得意ですね(笑)


要するに敢えて言わせてもらうならば、ホンモノは実に少ないということかと思いました。Kさんが師事している方のような癒しのエネルギーを放射させた人の何とも心地良いこと。

その方に話を伺っていますので、後日改めてご紹介したいと思います。



さて、今日のお題『聞く』ですが、施術に携わっている人は特にと思いますが、被施術者の身体の状態を感じるセンサーって重要。なのでトレーニングが必要と思うんですね、場数を踏むという。人はそうやって訓練することでセンサーを研ぎすますことができます。
リーディングも同じです。リラックスして相手から伝わってくる何かを察知する。それはとても『聞く』作業と酷似しています。

聞くって聴覚だけじゃないんですね。心はそのためにあるのだと私は思うんですね。

私の場合は上手く説明はできないのですけど、映像にするとこういう感じとか、言葉にするとこういう感じとか。厳密には全てがテレパシックですから、私は通訳兼実況中継みたいなものかと思っています。

Kさんと話していて、彼女にはまだまだ彼女自身が気づかねばならない資質…眠っているものを感じたんですね。そしてそれが今まさに開花しようとしていることも同時に感じました。
Kさんはお師匠さんのことを「いくら技術を先生から習ったとしても同じようになれる訳ではない」と話しました。確かにそうだと私も思いました。ただ者じゃないんですよ(笑)。要するに持って生まれたギフト(才能)は如何ともし難い。
でもそれと同時に私は彼女を見ていて、こう思ったんですね。彼女はまだまだ『聞く』という事柄に関して可能性を持っていると。妙な言い回しですよね(笑)。

つまり私たちの誰もがまだまだ掘り起こされていない何かを秘めている。まだまだ伸びしろがある。

私たちを制限しているのは私たち自身。

とは言え、どう手のひらを開こうと思い込みや制限を解除しようと私がスーパーモデルになれる訳ではないですよね。
要は自分の持ち味を開花させるかどうかは私たち自身。魂は何かを体験したくて実現したくて、この肉体に、両親の元に『入った』訳です。魂の世界で目を覚ましたら「ビックリしたな、もう」ということで、地球での人生を仲間に激白することになるかも知れませんが(笑)。

しかしながらある意味、思うようにならない現実を受け入れるのもひとつの学びかも知れません。想念が即!現実化する世界ではあり得ない苦悩だって魂は記録に留めるんですね。そしてそこから何かしらを気づいて糧にするのだと思います。
糧にできないほどの苦悩は…トラウマということになるんでしょうね。でも、魂の世界にはリハビリの機能もあるようなので、私は何にも心配していません。

良いこともそうではないことも魂はそこで経験値を積む訳ですから。心に痛いことも誤摩化さず私は持ち帰ろうと考えているんですね。

それって自分の心の声を『聞く』ことと思います。

手放せない何かがあるとしても、それには理由があります。どうしようもできないジレンマをあなたが今体験しているとしても、そこに意味があるというのはそういうことではないでしょうか。

良いことからもそうでないことからも私たちの心は何かしらを常に感じているので、言いたいことは山ほどあると思います。
その中には心に天国を築くことも含まれると思いますよ。それは『夢を語る』部分にアクセスするということではないでしょうか。

私たちは何かと覚醒したいと思いがちです。でも、覚醒って何を指して言うのでしょうね。霊能力に目覚めても良からぬことを画策している人はいますしね。

覚醒って、私たち自身の内なる声を『聞く』、それが日に日に高まってくることではないかと思うんですね。

ハートを開くって、外ではないのですよ。私たちは自分を通して世界を見ています。自分を知ること自覚することは、なのでとても大切です。





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(2016年12月27日記)

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