バシャール x 坂本政道 人類、その起源と未来

Category : 所感

amazonで『バシャール x 坂本政道 人類、その起源と未来』を取り寄せました。

久しぶりのバシャール本でしたが、なかなか読み応えがありました。全てを鵜呑みにするのではなく、ひとつでもビンゴ!があれば、そこから視界が広がることがあります。まさにこの本は私にとってそんな一冊でした。

中に

『物質的な現実の何かに情熱やワクワクする気持ちを感じるということは、
 あなたが情熱やワクワクを感じるアイデアをそこに映しだしているということ。
 そして、
 それは本当の自分自身を映しだしてくれている、ということなのです』

というバシャールの言葉がありました。




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もしあなたがワクワクときめく感覚から遠ざかっているとしたら…バシャールのこの言葉は虚しいだけかも知れません。

でも、心に天国を築く大切さを連呼連呼(笑)している私は絵空ごとには思えないのです。
こうだったらどんなに良いだろうと思い描く時、まさに自分がそこに『いる』ように。空想だと皮肉らず無邪気な心でジャッジを手放すように。

今はそれが遠いように思えるからと言って、投げ出すことはありません。

すべてのイマージュは何らかの偶然の一致で、絶妙のタイミングで起こることを私は疑っていません。実際にそういう体験をしているからです。

もしあなたが自分のこれからの道筋にある一定の方向性を『決めた』のなら、それ以降にやってくる現実は全てその「ある一定の方向性」に向かっていることを信頼して。

私たちはもう少し『軽くなる』必要があるのかも知れません。自分の現実は自分が作っていると知るあまり、少し残念に思う出来事もあるでしょう。それでもその残念な出来事をプロセスとして「これもありか」と許してあげて欲しいと私は思います。

私たちは皆、道の途中にあります。

でも案外良い線まで来ていると思うのですよ。
思うようでないことがあるとつい諦めてしまったり、疑ってしまったりしがちです。でも心に耳を澄ませて「Yes」という響きを感じたのなら、もう疑わずにいて下さい。

あなたは充分に心に天国を築く方向に向かっています。

あなたは気づいてないかも知れないけれど、少しづつそれが現実化していることを感じる瞬間に立ち会うはずです。
いえ、現に立ち会っている人がいると私は確信しています。


私たちは常に『選択』し続けています。


どうぞ、転ばぬ先の杖としての常備はしておくとして、自分は大丈夫という『選択』をし続けて頂きたいと思います。



気質の違い

Category : つぶやき

昨日の記事を読み返していて、ふと『気質』の違いを思い起こしました。めずらしく連日の更新となります。本当は書こうと思っていることは幾つかあるのですが、なかなか書くまでには至っていません。少しづつ整理しながら公開したいと思っています。


ところで突然ですが、

気質って変え難いものだと思いませんか?

私はこの辺の溝って埋められないように思うんですね。
商人気質の人と研究員肌の人はまったく相容れないように思います。商売第一で生業を立てている人を「何でもお金お金と言う」とか学者肌の人は思うでしょうし、例えば地震研究所ですか?調査はするが万が一の時には無力な組織を「研究ばかりして予測も立てられない。自分たちは汗水垂らして働いているのに悠長なご身分だこと」と商売人気質の人は不信感を持つかも知れません。
私自身、調査して予測を立てるのは重要な任務とは思いますが、何だか虚しいようにも感じます。それより被災後の対策や地震に備える指導、援助の方が重要だし、その辺に人材登用した方が有益ではと思います。

このように相容れないってこと世の中にはたくさんあるように思います。

魂の性格が全てに反映しているので、どちらが正とか上とか言えません。これは『持ち味』の問題。生き甲斐の感じ方も違うのは自然のことと思います。

ところが人は違いを盾に何かと相手を良く思わなかったりするもののようです。つまり自分の価値観には当てはまらないので、理解が出来ないのです。そして、それは違和感という認識を人に植え付けます。

人の数だけ違いがある。顔・肌の色・言語・習慣・宗教…上げたらキリなく違いは存在しています。それが火種になり争いが絶えないのが人社会。

宗教は心の支えにはなるものの、自分が唯一とか一番とかいう花火を上げている間は世界平和の一翼を担うものではないように私は思っています。宗教が憎しみの火種になっている現状がそれをよく物語っています。

信仰はあくまでも個人個人。団体になるとおかしなことになるというのが私の偽らざる感想です。教義云々は別問題。信者にノルマを課す時点で無理が生じることはよくあることです。私の親戚にある宗教団体の熱心な信者がいるんですけど、昔は選挙の度に「**党の**さんに一票入れてね」と電話がかかってきていました。政教分離を完全に無視(笑)彼らはなりふり構わずの運動員と化す訳なんですけど、止めるのは不可能ですねえ…。彼らには彼らの信念があるのですから。

私は最終的には「あなたたちには信仰の自由があるんだし、私には拒否の自由がある。言いたいことはお互いさま。親戚であることに変わりはないけど、この話は絶対二度としないでくれる!っていうか、どんなに話を振ってきても無駄だよ」ということで二度と「清き一票を」とも「入信すれば幸せになる」とも言ってこなくなりました。

頑(かたくな)な性格も時に功を奏するようですね(笑)。

と言うことで話を元に戻すと、

何かというとお金お金という人でも決して人の役に立っていない訳ではない。それどころかその人の商売で潤う人だっている訳です。研究ばかりして役立たずと思える人が何かの特効薬を開発して多くの命を救うことだってあります。

気質の違いが人の数だけあることで社会は成り立っているとも言える訳です。上手く出来てるんですよ、職業って。

商売で成功したいという目的で転生して来ている魂はいます。そういう魂ってアイデアマンで発想の閃きに優れていることが良くあります。
流通も人社会では大切な要素。お金儲けに生き甲斐を見出す人を一概に罰点とは言えない気がします。
人を失脚させ暴利を貪り、魂に汚点を残したとして、魂はそこから学び、その経験を通して次への糧にすることが可能だからです。
ただ…権力や富の美酒にいったん浸るとなかなか抜け出せないもののようですが。美酒に浸るということは「目が覚めてない」という、懲りないヤツも佛の顔は三度までという事態になることもあるでしょうね。



気質の違いだけ職業があり、社会の役割分担があるのだと考えると、そうか!私の苦手分野を得意とする人がいるお陰で、私はその恩恵に浴しているのかと。そう思えませんか?

お金儲けの亡者のような人がいたとして、権力に目が眩んでいる人がいるとして、それはその人の魂の履歴に記録され、その人自身が背負うこと。因果応報とは魂は体験から学び次に活かすという大前提があるため、そこに則って生まれるのだと思うんですね。

話が逸れましたが、
気質の違いがある意味社会を構成しいているとも言えるように私は思います。なので、自分の気質をよく知ることも大切だと思いますし、相容れないのは気質の違い。違いを認め合い、溝を埋める必要がある場合もあるでしょう。

また溝を埋めるのではなく、心地良い距離感を心に養う必要もあるでしょう。

私はあたなのようには出来ないし、なれないけれど、あなたにはあなたの生き方があるのねという具合に。


人の数だけ違いがある。顔・肌の色・言語・習慣・宗教…上げたらキリなく違いは存在しています。それが火種になり争いが絶えないのが人社会。

それが火種ではなくなる日がやがては来るのでしょうか。

それとも、
私たちはそういう世界に移行しようとしているのでしょうか。





誰の心にも『毒』はある

Category : つぶやき

残暑お見舞い申し上げます。


私は今年いっぱいでいよいよお仕事撮影にピリオドを打つように動いています。来月が山場を迎えます。例え被写体は同じとしても心づもりってあるんですね。私が尊敬するカメラマンも長いキャリアの後に取材ではなく作品作りということで競技会にエントリーしている方がいます。自費出版で自分が納得する本を作ってらっしゃいます、出版社のオファーを蹴って。

私はこういう贅沢って素敵だなと思うんです。派手さはないし、部数だって小規模。それでも自分が納得する作品作りをする…売れるかどうかなんて気にもしない。そりゃあ売れれば嬉しいに決まっています。それでも目的はそこではない、カッコいいなあなんて思います。

私の場合、カメラマンとしてのキャリアは大したことないし、自分史とか自分が生きた証とかいうふうには思えないんですけど。雑誌に載ったとして、それは宣材には確かになる訳です。でも、もうそういうことにも興味がなくなって数年たってしまいました。
例えば…私は画像をファイリングとして時々印画紙に焼きます。まだまだプリントしてファイリングしなきゃと思うデーターは山積み。でも、中途半端になったとしてもそれはそれでイイのかなとも思うんですね。

私は良く達成感という話をします。魂の目的はそれだと言い続けています。

ならば私にとっての写真を通しての達成感は何かと言うと、

出逢い…に尽きるような気がします。二度とは来ない瞬間に立ち合うって時に鳥肌が立ち、脳裏に刻みつけられるインパクトの魅力は筆舌に尽くし難いものがあります。カメラは私にとって大切な相棒なんですね。多いに助けられもすれば、ぶっ壊れて(笑)凍りついた経験もあります。人の援助を受けたことも多々。

え?それと「誰の心にも『毒』はある」とどう関係があるの、ですか?

それは私が対象としていたのがスポーツ競技、しかも言わば女の園的業界だったんですけど、常に派閥・金銭・人脈・裏工作・職権乱用などなど何処かで聞いたようでしょ?

そこを最近抜けた人物と携帯で話す機会があって、常々あまり評判の良い方ではなかったんですけど、その方の中にどうしようもなくある『毒』と癒しの才覚を見ていたんですね。久しぶりに話して、その人に何が『毒』の作用をし、何が『癒し』の気を発させるかを見た気がして。

今日はその方を通して私たちの中にある『毒』と『癒し』について書いてみようと思います。いつものようにこれは私個人の感じ方。こういう見方もあるのかという程度に読んで頂ければ幸いです。



その方は、
本当に余り良い噂はありませんでした。しかも私がまだアマチュア・カメラマンの頃からの顔見知りで私自身も要注意人物と感じるところのある人物でした。
ところが近年撮影協力をするうちに人柄に触れ、私はつくづく人の心の中には毒も薬もあるんだと思い知るようになりました。そして、それは私も含めて誰もがそうなのだと悟るに到った訳です。

では、
どういう時にその方…Dさんとしましょう、Dさんは毒を吐くのかというと、

自分はもっと認められても良いはずだというスイッチ、
実力者の名を挙げて、その人物は自分を推薦してくれるけれどというスイッチ、
業界の不正、自分たちは証拠を握っているけれど下手に動くと危ないというスイッチ、

これってどんな組織であったとしても聞かれる話と思うんですけど、要するにDさんに限らず人は思うようにならない現実や自分に不都合な人物に不平不満を抱えていませんか?
何気に自慢話と取れる話を何度もすることもある。

いかがでしょう?

何かと人を見下す物言いをする人もいます。

毒のスイッチはひとそれぞれ。でも、醸し出す『気』はその人自身にも、相手にも流れるという共通点を持っています。つまり毒って相手だけではなく、本人にも流れるもののように思います。

毒とは、言わば「あれさえなきゃイイ人なんだけど」という性質のもの。惜しいなあとつくづく思える、人の悪癖を指します。私は、人を見下す瞬間の(とは言え、人を選んで見下しているんですよ。これは頂けません)その人の吉のエネルギーに暗雲が立ち籠める様子を視て本当につくづく「あれさえなきゃ」と。人のフリ見て我が身と思ったんですね。

でも、そうだからと言って全てが「ダメじゃん」とは決めつけられないようにも思いました。私たちは皆、未熟です。一歩一歩進んだり退いたりの繰り返し、それが人生なのではないでしょうか。長所も欠点もあるのですから。人付き合い、そのサジ加減は本当に難しい。


そうして久しぶりにDさんと携帯で話して、業界を退いたことを私は知った訳です。

何と言うのでしょう…肩の力が抜けたプレッシャーから解放された良い声色をしていました。それでも業界の話をすると毒が(笑)。ところが「今、畑で携帯とったんだけど」と収穫の様子を語り始めるとグングン!良い気が流れてくるんですよ。数分もしない間の変化。

有機栽培をしていてご近所に配って喜ばれたという話。元々整体に力量を発揮していた方で「杖ついたおばあちゃんが杖なしで帰っていくものだから、皆驚いてたよ」とかちょっと自慢も交えながら。

ところがその自慢話、嫌味に感じなかったですね。不思議でしたねえ。

心から喜べて利害を超えると、人から『嫌味』が消えるのでしょうか(笑)。なんか実に楽しそうなんですよ。ところが、

元いた業界の話になると毒気再発。

Dさんの魂は収穫の喜びに出逢って肩の力が抜けて、イイ感じになったのだけれど、大奥のような権力闘争に明け暮れた日々に意識が舞い戻ると一気に良い気が盛り下がってしまうんですよ。
気が盛り下がるということは魂がNOのサインを出しているということでしょうし…。第一、皮算用で人間関係を泳ごうとすること自体、魂を曇らせているってことなんでしょうね。Dさんは決して人相的には恵まれているとは言えないんですけど、決して欲の皮がつっぱらかっている人とは言えない。それでも、そういう評判が付きまとっていたんですね。本当に顔って大事なんですね。同じご乱心でも人相や雰囲気によって「え?あの人が!」と言われたり、「あ~やっぱりね」と言われてしまいますからね。

Dさんはまさにその点では誤解されやすいのだと思います。「Dさんって評判良くないねって言われてしまったしね」とボヤイていました。噂が一人歩きすることはよくあることですが。私が接する限りでは噂は噂として誤解されやすい言動にも注意せねばならないと思いました。Dさんは確かにクセが強く、計算高い面は否定出来ず、人により態度が一変する傾向があり、敵を作りやすい性格を有しています。計算高いだけではなく、色々苦労もしているのですけど、なかなか報われなかったようでした。

ところが、
セラピストの仕事(競技選手の骨格矯正も含め)に力量を発揮し、全国を忙しく飛び回っているのだそうです。有機農法にも喜びを見出し始めているようでした。暗雲が口から立ち籠めた…それが一瞬で消えるんですよ。

Dさんは作物に癒され、セラピストとしての手応えを感じ、

自分はもっと認められても良いはずだとか
実力者の名を挙げて、自分を推薦してくれるけれど、誰それに阻まれたとか
業界の不正、自分たちは証拠を握っているけれど下手に動くと危ないとか

そういうスイッチから自分を解放したのだと思ったんですね、それも無意識に。つくづく嫌気がさしたとかなんとか言いながら。


それで良いのだと思います。人は人を変えることは出来ません。思うようにならない現実で溺れそうになる…そうしなければ暮らしてはいけない、多くの人がそこで喘いでいます。

家族を養うため、
家賃を払うため、

世のお父さんたちは頑張っています。もちろん、会社に生き甲斐やり甲斐を見出しているお父さんもいることでしょう。
人は思うようでなかったり、様々な軋轢で毒気が内に籠ります。そして時に吐き出さずにはおれないのです。



誰の心にも『毒』はある。

それを良薬に変える手立てがない訳ではありません。簡単ではないのかも知れません。それでもない訳ではないのです。

どんなに気をつけていても時に意地悪な気持ちが沸き上がること、誰かに八つ当たりしたくなること、弱いものイジメ…上げたら切りなく何かしらが原因となって、人は暗雲の気・怒りの気を吐くことはあるものです。

どんなに意地悪な人にもそれなりに理由を持っています。そこが人は人を変えることが出来ない所以のひとつです。人を陥れる人でさえです。それが人として許されざることだとしても。


私はDさんに、人は「いる環境」によってこれほどまでに『気』が変わるものかと思いました。人は思うようでない環境に長年浸かっていると気の澱みが生じて毒を発散するもののようです。中にはそれが病気として発症する人も。

私自身、仕事撮影から撤収すると心に決めてから随分ラクになりました。気負いが抜け、もっと視野を広めて決めつけず、カメラをお伴に出掛けようと思いました。誰のためでもなく、自分が楽しむためにです。
人の評価もまったくと言って良いほど気にならなくなりました。私より上手い人は世界中に!いるのですものね。この達観は最速だったかも知れません(笑)。

心が健康であれば、人は毒は吐きません。

パワーハラスメントする上司もどっかで手放せない『理由』があり、権限行使も当然と思い込んでいるのかも知れません。それもある意味ではお気の毒な気がします。



昔々『仮縫い』という小説を読んだことがあります。

ファッション業界で権力を手にした女性の話で。最初は健気な女の子だったのが見る見るうちに権力に魅了され悪に手を染めていくんですね。そうして失脚。何もかも失って…初めて憑きものが落ちるんですけど。
人を陥れて、お金と権力の亡者となり、その座から追われてしまう…でも、その全ては『仮縫い』人生はこれから始まるという決意のような清々しさがあった、そんな物語だったと記憶しています。


何だかまとまりなかったですね。でも、人は夢中で駆け抜けた後、何かのきっかけでそれまでとは違う生き方に出逢うことがあります。生き甲斐を見出すことがあります。

生かされていることに思いが到ることがあります。



人はなかなか握りしめた手を開けないものです。途中で投げ出す気がしたり、負ける気がしたり、色んな気持ちが入り交じって一線を下りることが出来ない時ってあるものです。

それでも人生には岐路は訪れ、




Dさんに、私は手のひらを開いた人の清々しさと、思うようでなかった過去の痛みを交互に感じました。そしてそれは私たちの多くに言えることだとも感じて、感慨深かったのでした。

そして私はと言えば、鳥肌が立つような瞬間にまた立ち会いたいと何処かに出没しようと企んでいます(笑)。ニューヨークとソウルはその手始めかと。





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(2016年12月27日記)

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