今一番知りたいこと

Category : つぶやき

皆既日食は素晴らしいイベントでした。世界中の多くの人たちの心がひとつになった瞬間でした。
そして、誰もが三々五々それぞれの暮らしに戻って行った訳ですけど、


あれから、皆さんはいかがお過ごしですか?


正直なところ私は蒸し暑さに垂れパンダと化してまして(笑)、何だか今ひとつ覇気がなく。かと言って鬱という訳でもなく。今年に入ってから太陽の黒点が消えたり太陽フレア、皆既日食、そうそう木星に地球規模の何かが衝突したというニュースもありましたね。何という宇宙イベントが目白押しでしょう!
引力や磁力にも何らかの影響があるのでしょうね。地球に住む私たちの心身にも何らかの影響がない訳はあるまいと思う今日この頃です。

皆既日食の後、皆さんはどうですか?

体調の変化はありませんか?

私個人的な感覚では…短期間に色んな太陽系イベントが集中し、それらが微妙に体調にも影響を及ぼしているという気がしています。オーラ・クリーニグか何かが起こっているんでしょうか、此処で暮らしているだけでも色々ありますからね(笑)。
イベントが集中、地球の磁場・大気に影響を及ぼしていることだけは確かですね。集中豪雨・竜巻と不安定さが目立つ今年の夏。オタマジャクシが空から降ってきたのも記憶に新しいところです。

しかしながら、気象が荒れるのは今に始まったことではありません。何らかの周期も影響しているのだと思います。


それにしても、

私は最近気になって、アセンションに感ずる記事を提供し続けているブログをチェックしました。何故かというと、

2009年はいよいよ!アセンションの時と。まさに今年から大きな目に見える変化が起こり始めると感じるのは私だけではないようだということと、

多くのブロガーが何かしら発信し始め、皆既日食に際しては「いよいよ」という気運が高まっていた…、

だけど、誰も此処を旅立った者はいない…マヤの人々のように忽然と消えた人がひとりも見当たらない。

時期焦燥だったのでしょうか…?

これはノストラダムスの預言よろしく、1999年は何ごともなく過ぎたのと同じ末路をたどるのだろうかと、ふと脳裏を過りました。

いえ、確かに只ならぬ気配が空気中にはあります。皆既日食の後はまるでお祭りの後のような凪ぎも感じられます。エネルギー過多もあるのでしょう。宇宙イベントには目に視えない波も地球に降り注ぎました。目白押しで調子が狂ったとしても不思議ではありません。それほど強烈な一連の出来事だったと言えるでしょう。

頭が重いという方はいませんか?

あるいはダルさが取れないけれど、それは蒸し暑さのせいと思っている方もいるのではないでしょうか。確かに季節的なことも否定出来ません。いったんはなりをひそめたものの、嵐の前の静けさは去ってはいなかったのでしょうか?

私はここは抗わずにいようと思いつつも、アセンション情報の「本当のところを知りたい」という気持ちがムクムクと湧いてくるのです。何故ならば、色んな人が色んな情報を発信しているけれど、どれも確信をつくところまでには至っていない気がしてならないのです。

アセンションそのものがないのかも知れないとさえ思い始めていました。

ところが、アセンションを否定すると「NO」のサインがもたらされるのです。つまりゴーサインは出ている、後はタイミングの問題。しかしながら誰もが同時にということはあり得ないのだと思います。それは家族であっても同様かと。

そして、多くのチャネラーが語ることは本当に鵜呑みには出来ないということ。これはどうしようもありません。地底人がコンタクティを求めていますとか、宇宙連合が人類とのファースとコンタクトを計画していますとか、それらの情報は微妙の域を出ないと私は思います。
すべての情報は万人に通用するものではないと私たちは気づく必要があるのだと思います。


私に関して言えば、
私は今、東京に住んでいますが、こことは別の家が次元を越えて存在するのを否定出来ません。
ローズさんチのララちゃんと奇遇にも話が一致することが度々あったことも影響しているかと思います。例えば「takakoさん、上の家にはいなかった。どっか行ってるみたいだ」と言っていた時期、私は何らかの仕事に携わるため、その時期は上の家にはいない自分を感じてた…奇妙な言い方にはなるんですが。なので、後日ローズさんから話を聞いて驚くということが他にも多々あったのですよ。何故ララちゃんが知っているのか…、その逆も。

信じられないと思いますが、最近のウチのリビングの窓辺に複数の木霊のような(もののけ姫に出てくるみたいな)光るコたちが来るようになっています。目に視えるというより気配を感じるんですね。スゴく賑やかで「静かにしてくれる?」というとシーン(笑)。まったくこれをどう説明すれば良いのでしょうね。

目に視えない存在の数は日に日に増えているように思います。そして、私はどちらの世界をも跨いでいるような感覚を否定しようがないのです。

それでもアセンションがどういう現象として起きるのか確信に至っていません。

アセンションを啓蒙し続けた方が肉体を離れたという記事を見ました。朽ちるのであれば、それも良し。しかし、五次元アセンションをするということは三次元的な死を迎える、死をを通してということであれば、移行移行と騒ぐこともないのかなという気にもなりますが。肉体的な死を迎えることなくと謳ってた人が亡骸を置いて行くって…どういうことなのでしょうね。

これは情報として知っていても…、ということに繋がる気もします。

久しぶりにアセンション関連の記事に目を通して、
実際は、
誰も本当のところは分かっていないというところに着地点を見出しました。
どれひとつ確信を貫くものではないと。ただし、私はアセンション自体を否定出来ません。何故なら私が体験している変化は覆しようがないからです。打ち合わせをした訳でもないのにララちゃんと話が符合するとか…、何かしら目に視えない存在から伝えられることが現実化するとか…、体験しているからです。

上の家の様子も然り。

皆さんがどう捉えようとそれはそれで良いのだと思います。


私なりにアセンションに関して思うことは、
100%正確な情報はなく、皆が外輪を埋めているに過ぎないのだけれど、そこには何かしらのエッセンスが込められている…従って、私たちはそれらを参考にこそすれ、踊らされずにいようということ。

そして、もう一度ニュートラルにして、私自身の体験をここで伝えていければということ。

皆がお揃いということはないと思います。何かしら少しでも参考になればと思うのみです。



それにしても、
どこかで何かがひっくり返るような気がしてなりません…ふむ。


今一番知りたいこと?

正確で確信を貫いた情報、ですかね。すこし気合いを入れますか…!







ネガティブとポジティブという認識

Category : 所感

スピリチャル業界では定説になって久しい『ポジティブ思考』。

ネガティブからポジティブへ!と奨励する人が絶えないということはそれだけ私たちが色んな悩みを抱えているってことですし…。何とかそれらを解決して「幸せになりた~い」という切実さが私たちにあるからですよね。そして、色々と渡り歩いてみたけれど、最終的には何ごとも「自分次第」と悟る…。そこで自分の心癖に着目するようになる訳で。そこでポジティブ思考が浮上するという流れ。

でも、ここで躓く人だっている訳ですよ。その人たちの言い分を聞いてみると「頭では分かっているんですけど、そうしようとすればするほどフラストレーションが溜まってしまって…。余計に自分を責めてしまうんです」と異口同音なんですね。

私はつくづく、鋳型は鋳型として奨励されるに越したことはないとは思うけれど、一人一人育った環境も性格も違うので、何ごとも一概に良いからと奨励するのは…と思いました。

皆さんがネガティブをどう受け止めているかは分かりませんが、今日ここで私はそれさえも『捕われ』ということをお話しようと思います。いつものようにすべては私個人の考え方なので、参考にして頂ければと思います。


ネガティブは否定的なエネルギー。確かにそうです。対するポジティブは何ごとも肯定的思考に裏打ちされています。確かに自己否定は人生そのものを色褪せたものにしてしまう。ありのままの自分を受け入れるために、ひとつのツールとしてポジティブ思考が奨励されるのも頷けます。
でもそれって世の中にワークショップ出のヒーラーが続出しているのと同じ匂いがします。何だかハンコを押したような思考パターンだなあと一種洗脳のような気がする私です。

掘り下げが浅い気がしてならない。

癒しってデプロマ持っていようがいまいが、サイキックであろうがあるまいが、あまり関係ないように思います。そんなことより資質の問題、人柄が最終的な問題と私は思っています。チャネルに頼るのも過ぎれば及ばざるが如し。

チャネル情報に100%の正確性は期待出来ません!

チャネルをする私自身がそう感じるのですよ。ソース(情報源)に依存し、情報を鵜呑みにしているのはチャネラー自身。私が知る限りでもガセ情報に翻弄されていたチャネラー、複数います。ギリシャ神話のアポロをチャネルという場面にも遭遇したことがありますが、何処かで読んだ範疇を越えるものは一切ありませんでした。つまりそれだけニュートラルでいることは難しいということです。加えてデプロマも当てにはならないということかと思います。


ネガティブに関しても、それは光と影が織りなすこの世と同じかと。光ばっかりだとそれはそれでシンドイと思いますよ、影ばかりでも困りますけど。

陰陽のバランスが肝心ではないでしょうか?

私たちが住む世界は光と影の両方が混在する世界。一方を否定してもなくなる訳ではありません。そのどちらも私たちの中にあることを『受け入れる』ことで、光が見えてくるに越したことはないのです。

何かと心配性な人がいるとしましょう。もっと陽気暮らししなさいと霊能者が言ったとしましょう。でも、上手くいかなかったら?
増々「私ってダメな人間」と自己否定に陥る危険性もはらんでいる。つまり、性格って魂自体に刷り込まれたもの。ここで暮らす限り、様々一喜一憂がある訳です。過去世からのものも合わせると膨大な量の情報が魂に蓄えられていることになります。その情報が私たちの行動パターンや人間関係に多大な影響を及ぼしている訳です。

心配性な性格には理由がある。無理からぬ諸事情を魂は抱えている訳ですよ。そこのところをマイナー思考な性格を『変えよう』『変わろうよ』というのがポジテブ・シンキングでしょ、違います?

それって一人の人間を一般論的な鋳型に押し込めるようなやり方ではないでしょうか?

十人十色なんですよ。啓蒙は啓蒙として、人ひとりひとりの個性や履歴を把握していない輩が選挙演説よろしく…はいかがなものかと。いえ、触れ回るのは自由。言論の自由な訳ですよね。
だからこそ、私たちサイドにそこんところを吟味する…情報は情報として自分なりに咀嚼するとか、パスするとか、もうそろそろ自分の感覚や直感で物ごとを選択する方向に向かった方が良いかと。

加えて言えることってあって、

心配性なのは過去にそうならざるを得ない何かを経験しているから、と考えられますよね。きっかけってあったはずなんですよ、必ず。大切なのはそこから先、

そこのところが思い当たって思い出したとしますよね。その時こそ自分を否定しないことが大切かと。その体験で痛みを知った。心に傷が生じてしまった。あるいは親から先生から友だちから自分の性格を否定されてしまった。でも、ここで気づいてもらいたいのは、

心配性でない人には心配性の人の心の叫びは伝わらないし響かない。分からないということなんです。そんなことtakakoさんに今更言われなくても知ってるわよ!とあなたは思うかも知れない。でも、その「相手の立場になって考えられない」ところに私たち人間関係の不調和があるのだし、無理解があるのじゃないでしょうか?

丈夫な性格の人には何かしら不安な性格の人の心は理解し難いものなのですよ。人は自分を基準に物ごとを認識しますからね。

私たちは違いを尊重することを学ばねばならないと私は思っています。自分が大丈夫だからと言って、伴侶も子供の友だちも恋人も大丈夫だとは限らないのです。

ネガティブとかポジティブとか言う前に、そういう微妙なサジ加減を心に留め置くことって大切と私は考えています。チャネル以前の問題なんですよ。頑固さもそうで、それは時に頑張りが利くという具合にヒットすることだってあるのです。一見短所と思える性格だって使いようですし、私たちは長所短所を合わせ持っている訳です。


多くのスピリチャルな人々はまだまだ掘り下げが浅い。波動を上げるとか色々熱心なようですが、そういうことが『目的』になっている風潮に私は疑問を感じています。だから、スピリチャルにお金がかかり過ぎる傾向があるのでしょし、ついソロバンをはじいてしまう人が後を絶たないのではないでしょうか。
デプロマや本、ワークショップや預言に依存している人、多過ぎです。すべてのそういった手法や能力はアシストにしか過ぎません。それはそれとして意義のあることではあるでしょうが、何故商業路線に乗っかっているか、誰も疑問に思わないって不思議じゃないですか?

盲信からも鵜呑みからも目を覚まして、少し距離を置くことも肝要かと思います。



いずれにしても、

この世は陰陽で成り立っています。

不思議なことですが、
光・光と自分は光サイドと主張している人ほど魔が入り込んでいます。それはネガティブは克服すべきものと囚われているからではないでしょうか。そういう「私は光のメッセンジャー」とかいうこと自体、もの凄い偏りですよ。だから肝心な心の仕組みが視えないのかも知れません。

ネガティブの対角線状にポジティブがある…、それは人の幻想です。

自分の中に光と影があって、その両方から魂は学ぶべきことがたくさんある。陰陽はヤジロベエみたいなものですからね、大切なのはバランスです。ネガティブもポジティブも同様かと。



自分の中に否定的なものを感じて、何とかしたいと真剣に悩んでいる方も少なくないでしょう。

老婆心ながら、私はあなたにこう言いたいと思います。

悩み…その辛さを通して、あなたは何を感じましたか?
何かしら感じ取ったと思うんですよ。その感じ取ったということ自体が大切なのではないでしょうか?

私は色々と失ってきたように思います。そして、一端に挫折も経験しました。でもね、痛みを知ることで思いやりをより深く心に植えるようになれたと感じているのですよ。して良いことと、そうではないことを知った訳です。魂が汚れるようなことはすまいと思えた訳です。
そして、喪失感から私は愛を育みました。失うことで命の尊さを知りました。

それらは否定すべき事柄などではない…そこに気づくことで視える領域があるのです。

それらは愛の入口へと繋がっています。

あなたは今はそれどころではないかも知れません。私の話は絵空ごとに聞こえるかも知れません。それでも私はあなたは幸いなのだと言いたいと思います。

あなたが今抱えている問題はジグソーパズルのピース。ひと欠片とて欠けてはならないピースなのだと思います。全体像は今は見えないでしょう。私にだって見えません。

何ひとつ無駄はないと言われて久しいですが、魂は体験から『貪欲に』何かを学ぶもののようです。魂は喜怒哀楽を通し、陰陽を通して、何かしらを体験しようとしているのですよ。

ネガティブVSポジティブ。善と悪。聖と邪。

人はそのどちらかであろうと思いたがるもの。自分は光サイドと思いたいものですが、全てはコインの裏表。私たちはこういったパラドックスに翻弄されてきた訳です。なので、謎を解こうとするエネルギーが満ち満ちて色々発信される、どの情報が正しいかに私たちは戦々恐々としたり、暗中模索してきたのですし…思い込みも仕方のないことかも知れないのです。

でももうそろそろ、そういうガイダンスからは抜けて、私たちひとりひとり、心と対話する必要があるのだと思います。ネガティブだって、体験しよう!という試みのひとつだったかも知れないのです。

魂は「ああ、こういう辛い体験をすると感情がこういうふうに乱れるのか…」と経験値を積んでいるようです。体験しないと何も語れないことを知っているんですね、魂は。

表面意識が「?」ということも、深い部分では既知なんですよ。
私たちは表面意識が「?」なのを良いことに(苦笑…笑えないんですけど)色々奔走してきた訳です。私も1時間8万円だかを外国のチャネラーに貢いだことも、痛い出費でした!
チャネラー情報は全てが正しい訳でも、全てがガセでもありません。鵜呑みは×、経験者は語る、です。


ポジティブ思考はそれはそれとして有効だとは思います。しかし、そこについてゆけない人がいるのも事実。全ては魂の資質に沿って考慮する必要があるということです。要は踊らされないこと。いちいち一喜一憂、反応しないということです。



突然ですが、
何故、聖母は悲しみの傍らにいると思いますか?

悲しみに出逢うことで心が深まり、心が養われることだってあるのです。

すべては一概には言えないのだと思います。なのでポジティブ思考についていけないからといって落ち込むことはありません。



そうそう昔、大黒天信仰している人がいて…毎日、下がり受けた神倶(?)を振って一心にご真言を唱えていたそうです。やはり陽気暮らしが提唱されていて。
ところが彼女「なんか虚しくなってきたのよね」とポツリ。大黒天信仰をとやかく言うつもりはありません。誤解のないように。

自分を浄化する4つの言葉もそうかも知れません。気乗りしないのに一心不乱になることはありません。フィット感も大切な要素なのだと思います。ご飯を食べるようにお風呂に入ると同じように暮らしの一部になれば大したものです。

何ごともTPOってことなんでしょう。


私たちは何かしら『体験』しようと意図した奴ら…なのですから。






Category : 写真・動画

私の写真ブログ『a stranger in paradise 夕陽と向かい合うように現われた虹 』でアップしている写真には龍神が写っています(左上の雲がそう、トグロ巻いてます)




IMG0719_rainbow0029.jpg



2009年7月19日(日)夕刻



愛とも愛じゃないとも言い切れない心

Category : 魂のご飯

友人とソウル2泊3日の旅に行きました。

繁華街を歩いてると日本語で「**ありますよ~」とか声がかかるんですね(笑い)。同じような顔して混じって歩いてるんですけど、服装で分かるらしく。スニーカーと日よけ帽子かぶってるのって日本人。地元の人はオシャレなヒール履いてるし、帽子なんかダサイんでしょうね(笑)カブってる人見かけませんでした。でも皆さん肌がキレイでした。日頃の食事も発酵食品とか香味野菜とかコラーゲン豊富に摂取している韓国の女性は新陳代謝が良いのでしょうね。

また行きたいと思っています。


さて、
今日は韓国繋がりで、ちょっと『冬ソナ』の話をしたいと思います。偶然にも今CSで完全版が放送されてることを知り、ソウル旅行後ということで興味を持って観てるんですね。しかももう一度観たいと思っていた回だったんです、気づいた日が…!

この冬ソナって初恋と友情がテーマ。
さすが韓流!人間関係がドロドロなんですけど(笑)、何処か爽やかな印象のドラマだなと改めて思いました。それは友情も物語の根幹を成しているからでしょうね。

チェ・ジュウ演じるユジンの健気さとぺ・ヨンジュン演じるミニョンことカンチュンサンの一途さは本当に切ない。ストーリー展開を知っていても、ニクいですねえ…軽く七転八倒中です(笑)。


で、
登場人物にサンヨクというユジンの幼なじみで婚約者の好青年がいるんですけど、

この人はミニョンにユジンの心が傾いていくのをジッとしていられず、かえって彼女を追いつめていくんですけど…。

彼の愛する人を失いたくないという想い、分かるだけに何とも言えない気持ちにさせられます。
対するミニョンがユジンのために自分は何が出来るかという良い人なので(笑)余計にサンヨクの焦りは凄まじいく、強引に色々押し進めようとするんですね。彼女も真剣に悩みながら、でも心はミニョンに傾いていく…。

私はこのユジンとミニョンことカンチュンサンに運命的な出逢いを感じていて、フィクションとは言え、魂の伴侶という言葉がふと心に過ったのでした。

紆余曲折の後、失明したカンチュンサンとユジンは結ばれます。

どんなに離れていても、どんな状況下にあっても、ユジンの幸せを願い続ける彼の生き方にそりゃ心奪われない奥さまはいなかったということなんでしょうね。ペ・ヨンジュンさんの人気はこういうひた向きな役柄も功を奏しているように思います。またオフスクリーンでの慈善活動も、なのでしょう。

話が逸れました(得意ですね、申し訳ありません)。

サンヨクの、
彼のユジンを失いたくない!という動機は動機として、

私、これって愛とも愛じゃないとも言い切れないなあとつくづく思ったんですね。カンチュンサンが現われなければ、ユジンと平穏無事に結ばれてたでしょう。高校時代にカンチュンサンが出現して彼に惹かれていくユジンを止められなかった…死んだとされたカンチュンサンが10年後、彼らの婚約を祝うその日に戻って来た…。
何という不運と思うんですけど、これが運命の歯車というものなのでしょうね。

結ばれるべき相手かどうかという。

**さえいなかったら、というシチュエーションは要するにミスマッチという天運なのか…。難しいですよね。男女のことは本人たちにしか分かりませんものね。でも、こういうユジンとカンチュンサンのような引き合うエネルギーのものたちって現実世界にもいて。

苦難を乗り越えて、という魂の約束を交わして転生しているカップルもいる。

こういう運命的な出逢いに私たちは惹きつけらます、ロマンをかき立てられ。ロマンって魂の栄養なんですよね。


でも…好きな人の気持ちが離れていく時、人には葛藤が生まれます。失いたくないという気持ちで心が切り裂かれそうになります。でも「失いたくない!」という感情で突っ走るって、

それって愛なんですかね…?

相手の心より自分の感情を最優先させるって、愛…なんですかね?

割り切れない思いは、
それは仕方ないとして、

愛って魂の成長の段階で幾通りりも姿を変えるのかも知れません。

なので、断ち切れない執着も一刀両断に「愛じゃない」と言い切れない気が私はするのです。失いたくないという断腸の思いから人は様々なことを経験するし、学びもするでしょう。

でも、
いつかは相手が自分の魂のパートナーかどうかを『受け入れる』時が来るのではないでしょうか。

そして、いつかは…相手の心を尊重することを学ぶのだと。

何生もかかるかも知れません。あるいはもう縁が生じないことも多いに考えられます。

愛は…

耐えることでもあると私は思っています。

自分の気持ちを最優先させるだけではなく、相手のために自分が出来るベストを考える…時に自分には何も出来ることがないことを知ることもあるでしょう。

魂って交叉するんですよ。

そして、
魂の伴侶とはふと立ち止まり、寄り添い、絶ち難いエネルギーで結ばれるのだと思います。

ボタンの掛け違いと知りつつ、愛する気持ちを止めることも出来ない。こういう経験は多くの人が一度は経験していることではないでしょうか。


愛とも愛じゃないとも言い切れない心。

これが人間ってことなのでしょうね。

鳥の求愛行動はメスのOKが出なきゃ、カップルは成立しませんよね。子孫を残すということと、相手に受け入れてもらえるかどうかがリンクしている…鳥って全部が全部じゃないんでしょうけれど、『エネルギーの一致を感じる』生きものなのでしょうね。

対(つい)って、本当に大切な『育(そだ)て育(はぐく)む作業』なんですね。

だからこそ、
魂の伴侶と巡り会いたいと思う訳ですよね。一緒に暮らし、話し、苦楽を共にしたいと願う。

愛って、本当に不思議と思います。昇華されるごとに相手の幸せを願う心が高まるように思います。魂の成長の階梯に私たちはいるんですね。



それにしても、


冬ソナって侮れません…!



崖の上のポニョ

Category : Recommend

コメント下さる方にこの場を借りてお礼を言います。私の方のタイミングが原因でお返事を逸してしまったりしています。申し訳ありません。
コメントいつも嬉しく拝見しています。皆さんのお気持ちは大切に心に刻いでいます。ありがとうございます。
返事がないなど不義理なこともあるとは思いますが、どうぞご容赦下さい。



ところで、
今日は七夕ですね…!あちこちで七夕飾りの笹を目にしました。東京は7月ですが、地域によっては旧ということで来月のところもあるでしょう。ちなみに私の出身の九州は8月。

昨日『崖の上のポニョ』をレンタルして観ました。


      ponyo_01.jpg


小さな恋人たちの物語だったんですね。確かにPVで「ソウスケんとこに来た~!」と波乗りしているポニョの映像が流れていました(笑)。

まあ観てみようか…くらいのノリだったんですけど、これがなかなか心にグッと来る物語に仕上がっていました!運命的な出逢いと周りの人々の暖かさと、風景の描写が色鉛筆的で何とも心地良い映像でした。

後半、ポニョとソウスケがボートでリサ(ソウスケのママ)を探しに出る場面で、一組の親子に遭遇するんですけど。ポニョが乳飲み子とジ~っと見つめ合っていたと思うと赤ちゃんのためにと水筒のスープをママさんに差し出すんですね。ママさんがお礼を言って口に…するとポニョが「それ、赤ちゃんのだよ!」とクレーム。ママさんは優しく赤ちゃんはまだスープが飲めないこと、でも自分が飲むことで赤ちゃんのおっぱいになると言うんですね。

まっさらなポニョのいじらしいこと…。


     ponyo_03.jpg


その後、まっさらで純真なポニョと心優しいソウスケには『試練』が…。

物語はまあ、ハッピーエンドと目新しさは何もありません。でもポニョのお母さん、美しい女神様がソウスケに、

ポニョが魚であっても半魚人であっても、あなたは大丈夫ですか?と聞くんですね。ソウスケはどんな姿だって平気!ポニョはポニョなんだからと。ポニョも魔法がもう使えなくなっても人間であることを選択します。

宮崎駿さんが風景を手描きにこだわったという話を耳にしたことがありました。どんなに科学技術が日進月歩しても、普遍で大切なものがある…そこんところを大上段から教授するのではなく、そこが宮崎駿さんの粋なところ。私たちの生活圏に密着していますよね。

イイ感じです…。

そう言えば、宮崎駿さんが描く物語って愛の物語なんですよね。私が一番好きな『風の谷のナウシカ』は少し違っていましたが…でも、ナウシカも最後まで諦めないという健気さが印象的でした。

最後まで前向きでいること。

これは私たちにも求められることかも知れませんね。



ponyo_02.jpg




ありがとうという波動

Category : 魂のご飯

水の結晶の画像を見たことのあるという方もいると思います。愛と感謝の言葉を気持ちを込めて水に転写すると雪の結晶のような美しい形状が…。江本勝という方の本で画像が紹介されているそうです。
他にも色んなグッズが…ここにも商魂逞しい人の思念がうごめいてはいますが、自然って正直で忍耐強いものだなあと感心しきりの私です。

すべては波動という、すべてはエネルギーの流れという、人の思念も自然に影響しているという顕われなのだと思います。

知り合いで「ありがとう」と書いた紙を日常品に貼りまくっていた主婦がいましたが(笑)、書いて貼ればOK!なのでしょうか。私は大切なのは気持ちを込めるということだと思うんですけど。

ありがとうという言葉にも一定の波動があるのでしょう。しかしながら、言葉に気持ちを込めることで『真に波動が目覚める』のだと私は考えています。
祈りもそうです。念仏ばあさんの話をずっと前にしたことがあるんですけど、毎日毎日念仏を欠かさず唱えてたおばあちゃんが死後、閻魔さまに「地獄行き」と言い渡されたという話です。

何かの間違いでは?と食い下がるおばあさんに鬼が「こやつの唱えた念仏は」と壷いっぱいの紙を壷から出してみせると、アッという間に風で飛んでっちゃった…!要するに心がこもっていなかったという訳です。まあ…たった一枚、雷が恐ろしくて一心に唱えた念仏だけが一枚残って(笑)おばあちゃんはその功徳で行き先が極楽へチェンジしたという逸話なんですけど。

この話は侮れません。

上辺だけの親切や感謝って『休むに似たり』という真理がそこにはこめられているように思います。だって、言葉が全てであれば、言葉を持たない動植物はどうなってしまうのでしょう。

皆さん、

大切なのはテレパシーだと思いませんか?

言葉を大切に使うことももちろん必要と思います。でも大切に使うって、心をこめるってことに繋がりませんか?私たちは日々、そうやって生きることが大切なんだと思うんですよ、私。

人を育てるのも同じです。

ただ「ダメ!ダメ!」では人は育ちません。何故ダメなのかを相手が理解できるように噛み砕く工夫が必要ですし、相手の話を聞くことも大切。私たちは未熟なんですよ。

未熟さは可能性の種。

不思議ですが、未熟さと感謝の気持ちってリンクしてるんですよ。TVドラマ『ヤンクミ」ですか?真正面から向き合って、相手の心に突き刺さるような対話が圧巻のドラマですが、人って自分のために真剣になってくれる人の姿に接すると、ササクレだった心は解れるもの、時間がかかるにしてもです。

子供がグレるのは大人を信じてないから、違います?

上辺だけ良い子も親の振り見て、ではないでしょうか?

未熟だから上辺なんですよ。心の賢い人はなので、もてなしも匠と思います。相手の心に思いやりが沁みると自然と交流が生まれます。すると波動が上がるということに繋がる。

計算高いことばかり考えていると人相にも顕われますしね。



ありがとうという波動は、

素直な気持ちの表れであることが、なので求められるのだと思います。自分を浄化する4つの言葉もそうですよね。淡々ということの背景にはウソがない、ってことがあるのではないかと思います。下地があるということなのでしょうね。

手前味噌ですが、

私はウチの娘に何かやってもらったら、必ず「ありがとう」と言う習慣をつけていました。小さい頃からですよ。大袈裟ではなく猫なで声でもなく(笑)。なので、娘も自然に「ありがとう」が言えるコに育っています。

時に頭ごなしに怒ることも私はありました。ですが、必ず言い分を言わせてました。娘は怯えながらも必至で私に伝えねばなりませんでした。過酷だったと思います。でも、もし私が間違っていたなら、私は謝ることをしていました。
親だって完璧ではない訳です。感情的にだってなる…そういう私の姿を見て、娘は娘なりに「お母さんだって間違いはある」と認識したと思います。
間違いを認めずにいたら、娘は私に不信感を持ったろうと思います。私がそうでしたから。

私はおっかない母親です(笑)。でも相手が目上であろうが、目下であろうが「ありがとう」と言う私たちの背中を見て彼女は育ちました。間違ったら例え相手が子供であろうと「ごめんなさい」を言う母親を見て彼女は育ちました。

私はそれだけは意図して子育てしました。何ら取り柄のない私ですが、それだけは心を砕きました。自分の非を認めない親は傲慢です。自分の未熟さを悟ることも親業のひとつと私は考えています。

人は日常の中で心も身体も育つのだと思います。活字や絵画や映像などに触れるなどして感性を磨きながら。

そうやって自分なりの感じ方や考え方を養っていくのだと思うんですね。



波動を上げる、

そのためのワークショップも盛ん。しかしながら一日24時間の中で私たちが出来ることって案外たくさんあると思うんですよ。特別な神秘や能力に私たちは魅了されがちですが、どうってことのない日常にこそ『宝』は潜んでいるものです。

水の結晶が伝えてくれるものも、そう。

すべての静物・生物、人もその例外ではなく、波動の賜物ということではないかと思うんですね。

言葉と人の本音が一致するとは限りませんし、時に人には言えない感情に捕われることだってあると思うんですよ。
それでも、
水の結晶が美しい形状を示してくれる…偽らざる愛と感謝が伝わると素直に応えてくれる、その姿に私は見習うべきことがたくさんある気がするのです。



プロフィール

takako

Author:takako

maria letter
私が今伝えられること

リンクの「maria letter 小林です」は非公開ですが、更新はPDF配信に切り替え。ご希望の方は下記メールフォームより氏名(ハンドルネームはNG)・PDF希望をご記入の上お申し込み下さい。
(2016年12月27日記)

いったんアメブロに移転しましたが、広告の量がストレスで2015年11月にFC2でブログ復活しました。限定記事もこちらで復活。パスワードはそのままです。

リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ