予言の不確実性

Category : 辛口ごめんなさい

予言の的中率、これは多くの人が興味を持つことじゃないかと思います。今日はこの辺のことに…虎の尾を踏むような気持ちですが、書きます。いつものように私個人の経験に基づいた所感です。



世の中にはアカシックレコードや夢のお告げ、宇宙存在や天使、はたまた前世キリストという宇宙連合の一員まで。実に予言のソースはまちまちで賑やかですね。
かく言う私自身も、東西ドイツの壁崩壊やらゴルバチョフの失脚やら湾岸戦争やらの予知夢をみていた時期があったので、人ごとではないような気さえします。

私の場合は「見たくない!」と訴えたとたんに見なくなりました、予知夢。意思は尊重されるのだなあとその時、私は学んだように思います。

きっかけはどうであれ、予知を公言し続けている人は深いレベルの決意があるのかも知れません。生前の契約があるのかも知れません。いずれにしても何かしらが彼らを突き動かしているのだと思います。

未来からやって来たという男性が色々起きることを予知して、また何処かにかき消えたという話まであって。その男性は「北京オリンピックは開催されない」と言ったそうですが、北京オリンピックは華々しく開催されました…。

オバマが大統領になると予知できなかった人、まったく別な人がアメリカ合衆国大統領になるビジョンをその人は視ていたことになります。果たして…その人は何を視たのでしょう。

視たという、しかし現実とはほど遠かった…これは何を物語っているのでしょう。

2001年に彗星が地球に衝突して壊滅的な被害が起こり、その後に氷河期が訪れると預言した人もいました。同じ時期に必ず!(と言うのを私はこの耳で聞きました)函館で大地震が起きると警告、しかし何も起きませんでした。しかし、その後も当たった事例だけが一人歩き。彼はまだ予言を元気に公表し続けていますし、信奉者も世界中にいるようです。

何故、人はこれほどまでに予言に惹かれるのでしょうか?

そこには一寸先は闇という切実な問題も考えられますが、もって生まれた『神秘』に惹かれる質も人間にはあるということも多いにありそうです。目に視えない領域への憧憬や畏れ。

それにしても予言はどうしてこうも当たり外れがあるのでしょう。「必ず!起こる」とアカシックリーダーに言わしめたことが何故起きなかったりするのでしょう?

私はスゴく不思議で仕方がありませんでした。

アカシックリーダーはその辺のことを「人類の集合意識が流動的なため、予言は変わり得る」と説明していました。私はこの耳で聞きました。その時の私の気持ち…。それでも弘法も筆の誤りと責める気持ちを、その怒りを矛に収めている人の心は複雑と思います。たまたま外れただけ、当たっていることだってある。

でも、冷静になって頂きたいのですよ。「人類の集合意識が流動的なため、予言は変わり得る」のなら、何故「必ず!起こる」と断言するのでしょう。人々の祈りで惨事を回避したと言い出す人までいるんですよ。
ならば何故、人々の祈りで回避するビジョンは彼にはもたらされなかったのでしょう。それとも、もたらされていたから祈りを提唱したのでしょうか。そうなのかも知れません。

私は非難している訳ではありませんよ。不思議で仕方がないのです。

中にはかくかくしかじかのビジョンがもたらされたので、みんなで回避すべく祈りましょうという幻視家もいるようです。

私はこれら全てを現象と捉えています。何故なら未来に起こりえる全ての事象は『可能性』の域を超えるものではないということと、人の想念は『集合意識』に何らかの形で影響を受けていると考えられるからです。

これが何を物語っていると皆さんは思いますか?

これは人間という存在自体がまだ未熟ということだと私は視ています。言い過ぎですか?ならば、お聞きしたいと思います。

自分で自分のことが決められない。これは?

一寸先は未知。未来が見えず不安だ。これは?

進化した領域では全てが既知なんですよ。
あらゆる事象には原因があり、過程でどういうことが起きるかの『可能性』の数だけ未来はあるという理解が行き届いています。進化した領域に住む存在はサバイバルしているのではないのですよ。彼らは『奉仕』のためにベストを尽くしているのです。

予言者が後を絶たない背景には人類の集合意識の未熟さがあると私が視る所以はここにあります。すると「だったら、どうすればイイの!方法を教えてよ!無責任じゃないの!」と逆ギレる。それこそが未熟さの顕われではないでしょうか…、違います?
工夫と努力くらいは人に言われなくても「しろよ…」ということですよ。

あらゆる事象には原因があり、過程でどういうことが起きるか…その『可能性』の数だけ未来はあるんですよ。

このことを知る、は『既知』。知らない、は『未知』。縮図は実にシンプルなんです。

真の幻視家であれば、岐路の数だけ幻視して慎重に語ると思いますよ。地震等の自然災害の予言がなぜ外れるのかには、また別の側面があるようには思いますが。いたずらに人心に恐怖を植えつけて予言が外れ、その理由が集合意識が流動的とか何とかでは話になりません。何故予言を辞めないのかと思うんですけど、ニーズがある限りなのだと思います。ため息を禁じ得ません。当たると息を吹き返すんですよ、彼ら(笑)。

本当にニーズがある限りでしょう。何故なら、結婚相手だって彼女・彼の決意ひとつじゃないでしょうか?だけど、つい迷う…何故かというと「幸せになりたい」から、違います?

幸せって誰かにしてもらうことではなく、自分で掴むものと思いますし…第一、幸せって主観でしょ?本当に人って何かとブレるし、いちいち不安がるものなんですよ。

地球上にはサバイバル…生き残りをかけた生きものの集合意識が空気中に満ち溢れています。それは恐竜がいた時代から変わりなく続く『意識』。人もその例に漏れず、なので宗教が発生したのでしょうね。安心を得たいと願う心と、目に見えない何かを感じる感性とが相まって。

予言もその一環なのかも知れません。




いかなる予言も、

可能性のひとつでしかないと私は皆さんに言いたいと思います。外れるのはそのためです。当たるのも同じ理由。当たったから「スゴい」ということではありません。

今、真に求められているのは魂の『自立』です。

人間の集合意識はサバイバルが基本となっています。生き残りを賭けている限り、利害に突き動かされている限り、世界平和など実現するはずもない。予言者の予言に一喜一憂している限り、自立もあり得ません。予言者は集合意識のうごめく『記録』にアクセスしているのですよ。中にはキリスト意識とかいう、実際どうなのよ…という得体の知れない存在にもてあそばれているチャネラーもいるでしょう。

アセンションということで色々チャネラーたちが東西闊歩しているようですが、情報は情報として振り回されないようにして頂きたいと思います。

でも、ですね。

takakoさんが予言者の言うことを信じるなと言ったから、とか出てきそうですよね。

もう人頼みはいい加減にして、

心に不安を溜め込んでいると、心に希望が満ちる機会を逸してしまいますよ。

心ってね、魂の入口なんですよ。

外にばかりアンテナを張って戦々恐々としていると、あなたの中の宝は眠ったままになってしまいます。高いセッション料や学習料など必要ない!んです。

あなたの胸の中にこそ、全ての答えがあるのです。答えは日々の暮らしやあなたの人間関係の中に、問題点としてシッカリ!示されています。クリアしなければならない事がらもあるでしょう。OKを出すべき事がらもあるのだと思います。そうやってアプローチしていくうちに何となくでも『感覚』微かな感覚として感じられることってあるはずなんです。



外れた予言はといえば、
パラレルワールドの何処かで起きているのかも知れません。私たちが選択した現実ではないということかも知れません。

確かに人類にこれから何が起きようとしているのかは興味が尽きません。

いずれにしても、私はこう思うんですね。
どう生きるかは個々の自由。今はアセンションということで賑わっていますよね。私も何かと取り沙汰しています(笑)。
アセンションってこれ!っていうふうに定義できない気がします。それでも世界情勢をニュースを通してみていて感じることってあって。

何というんでしょう。

人の想念が幾つも幾重にも群がって、我こそは我こそはって競い合っているエネルギーを私は感じていて。国と国とか、政党と政党とかいうことで他者を睨んで社会は動いているようにしか私には見えませんが。

アカシックレコードにしても、目に見えない存在からの未来予言にしても、集合意識の行く先を指し示しているのだとしたら…。それは当たった!とか、外れたとか一喜一憂するものでもないのかなと思います。

情報をまるごと鵜呑みにするのではなく、自分の内側にアクセスしてYesNoを決定するくらいの知恵は養った方が良いのでは。

え?それが出来るのなら、予言もチャネルにも走らない?

出来ないと思い込んでるだけじゃないでしょうか?

え?能力開発にはお金がかかる?

それも思い込みです。能力開発、リモートビューイングですか?その他にも色々な学校があるようですが、雨上がりのキノコのようにあちこちで予言者が…、なので間違った情報が氾濫する危険性もあるやも知れません。

もうそろそろ、そういうのから卒業しません?

行き先は、

能力などなくても、私たちの心の有りようから容易に感じ取ることが出来ます。

だから私は心に天国を築く大切さを連呼連呼している訳ですよ(笑)。

誰かに聞くより大切な作業と思いますよ、自分の心と向き合うって。



人類が何処に向かうか?

自分が何処に向かうかも分からないのに…何を騒いでいるのでしょうか。




足元を見て、
しっかり暮らしていきましょうよ、ねえ。





厭世観?

Category : アセンション

ルルドに出現した聖母は『人々を癒す』泉のメッセージをベルナデットに授けました。

一方、ファティマに出現した聖母は3人の牧童に『預言』を授けたそうですね。3つめの預言は謎が多い…ですが、人類はまさにお告げのままに驀進し続けているかに見えます。秋田の教会でもやはり「このままで行くと」という警告が授けられたとか。

聖母はいずれにしても私たちに救いの手を差し伸べているのでしょう。癒しと警告…それはまさに親が幼子に生きる術を教えるのにも通じるように思います。

しっかり生きて欲しい。幸せになって欲しい。思いやりのある子に育って欲しい。

親業とは自分が報われるがためにあるのではないのでしょう。

この世に生を受けた命の身体と心を養う、この世の大切な『お仕事』なのでしょうね。
でも、それは子育てだけに限ったことではなく、人と何かと関わる全てがそうなのだと思います。
自分が報われるかどうかは二の次三の次。果報はおねだりしてもたらされるものではなさそうですから。そういう色気はかえって右肩下がりなのかも知れません。



それにしてもこの世はゴタゴタし過ぎです。

いつも何処かで戦闘が起きていて、銃弾が止む時がありません。人社会って利害の交わる世界、その背後には相互協力が控えているんですけどね。
あるいは…グッと庶民の生活に目を転じてみても安いものに飛びつくか、ブランドを金の糸目をつけず買い漁るか。あるドラマの番宣で「食べものを頂くということは、その命を頂くということ」という台詞が流されていました。

まさに。

あるスーパーマーケットが激安で繁盛しているとTVで取り上げられていました。キャベツ5円とか!店内でアナウンスされると人々が我先に群がる様子が映し出されていました。確かに家計がキビしいのでしょう。少しでも安く買い物して家計を支えるのが主婦の知恵でもありますものね。
でも、叩き売りの様相って…。
それって野菜にしろ家畜にしろ海の幸にしろ、私たちを養ってくれている生命にも生産者にも敬意の欠片も見当たらない光景だなと私は感じてしまいました。何か…生鮮食品激安って「命を頂く」ことの敬意が置き去りにされているようでなりません。

ここにもマネーマネーマネーな人の意識が反映されている。

でも、もうそういう思考についていけなくなった人々が出現している、これは良い兆しです。自分で畑を耕し収穫したものを日々頂く。将来は自分とこで収穫したものでレストランを開くのが夢と語る若者もいるようです。

自分で耕すとその大変さを知ることになります。自ずと感謝の気持ちが高まるのでしょう。感謝の気持ちが高まると、その人の『目』が澄んできます。そうすると自然と波動が高まり、果報はおねだにせずとももたらされるのだと思います。


アセンションン組の定義があるそうです…!驚いてしまいました、私。

ジャッジしないとか、あるがままとか、いつも陽気であることとか。さすがの私も言いたいことは理解出来ます。でも、それを鵜呑みにすると色々「私はどうせアセンション組ではないし」とかいう心がムクムクと湧き起こってきそう。

一旦は、

嫌だなと、こんな暮らしは「疲れた」と。自分は何のために生きているのだろうと。給金を得るためにだけに一日が費やされる日々に疑問を感じてとかあると思うんですよ。

ジャッジしないとか、あるがままとか、いつも陽気であることとか「出来ないよ~」「無理~」という臨界点ってあると思うんですね。なのでアセンション組教授的な人々の言葉を鵜呑みは出来ないと私は感じます。

だって、彼らは私たちの個人的な事情を把握している訳じゃないんですよ。把握してもらうにしてもセッション料が必要な人たちなんですよ、違います?

キリストはセッション料など要求しなかった。釈迦も然り。彼らが生きていた当時から貨幣経済はしっかり根付いていたのに、です。
お金儲けが生き甲斐という人もいるでしょう。それをとやかく言う権利は私にはありません。しかしながら、市場の動きを見ていても今の金権世界が音を立てて崩壊していやしませんか? いや、不況下でも儲けている人っているんですよ。何だか生き残りゲームのようだなと感じてしまう私です。

そこに嫌気がさす

それは一旦、

しっかり自分の目で見て吟味して、その機構に自分がフィットしているかを『判断』して自分の身の振り方って決めることだって、ありと思うんですね。
どういう状況でもあるがままでいられるような、いつも陽気でいられるような人ではない!私ゆえに、そう思えるだけかも知れません。

ジャッジする=アセンション出来ない組なんて、一概には言えないと思いますよ。何て傲慢な思考かと私なんか思ってしまいます。

毎日毎日、土日有給休暇は別にして満員電車に揺られ、定年を迎えるまでそうだったとしても、退職後に夢を持っている人だっていると思います。実際、退職後に趣味を活かしてお店を持ったという人だっていますからね。

本当に生き様は様々。

すべては一概には言えない。アセンション組的発想でジャッジする人はアセンションできない組とか云々すること自体がジャッジしているように思えますけど。すべては個人個人の状況を把握しないと言い切れないのではないでしょうか。ネット上では他の霊能者を無能無明とあからさまに断罪しているものもあります。「こんなことも分からないのか!」と高び~なものまで(笑)。

一概には言えませんね…。

やはり、
人は自分の心と向き合っていくしかないんだと思います。人が何と言おうと。そうですよ、かく言う私の熱弁も(笑)一応の参考程度にして後はご自分で。

でも、心に天国を築くことだけは心の片隅に置いといて下さいね。私、シツコく連呼していますよね(笑)。それだってお勧めでしかないんですけど。



癒しと警告。

聖母は無垢な人にメッセージ託すようです。

それでも私たちの祈りは聞き届けられる…?

それはケースバイケースなのでは…としか言いようがありません。



アセンション。

この人社会の有りようは本当に千差万別。厭世観を駆り立てられるニュースも後を絶ちません。

私はというと、

もうこの人社会の混沌にフィットしない自分を否定しませんが、…かと言って厭世観とも違うんですよ。どう説明すれば良いのでしょうね。

ただ…心に天国を築き出したら、視えてきた世界がある、

私はそこに自分を住まわせることにOKを出した、ということに尽きると思います。

私は嫌なことされてもジャッジせず、ニコニコとあるがままでいられる性分ではありません、残念ながら。
人を不快にさせる自己中心的な存在、人のせいにする存在は、少なくとも私が視る上の世界にはいません。心が狭いのかも知れません。しかしながら、上の世界も種々雑多なようです。すべては魂の成長に沿って、なのでしょう。


え? takakoさん、偉そうに…?

笑…言い訳はしません。それでも私は自分を心地良い環境に住まわせたいと思っているんですね。
なので、自分の反省点も含めて前向きでありたいと思っています。




変化の波が来た時は

Category : 魂のご飯

今日も友人Kさんの話をしてみたいと思います。書いても良いという許しももらっているので心置きなく(笑)書いてみようと思います。


今日のタイトルに相応しい体験を彼女は語ってくれました。彼女はかれこれ10年来の友人。一緒に旅行をするなどさせてもらってますが、また何処か行こうかというので我が家に打ち合わせに来てもらったんですね。

久しぶりに外ランチをしたのが1週間ほど前だったでしょうか。その時、上の世界は想像が具現化する…一瞬で具現化するということを私も再確認した訳ですけど。それからの変化をKさんは語ってくれたのでした。

彼女はその後、腰痛に見舞われて寝起きがキツかったのだと言います。元々ボディワーク(エステティック)を仕事にしていますから、色々メンテを試みたのだそう。でも、改善しない…そこでKさんはハタと立ち止まって内省したのだそうです。

これは精神的な何かかも知れないと。

彼女は私の上の世界の話に何気にシンクロを感じ取ってはいましたが、本当のところは分からないというのが本音だった…いや否定している訳じゃないんだけれど「分からない」というのが正直なところだったのだと言います。きっと皆さんも似たような気持ちではないかと思います。

それって表面意識なんですよね。深い部分ではアセンションは絵空事ではないと知っているのだと思うんですね。
そのギャップが彼女の場合は腰痛という形で身体にサインが出た…。彼女はやはり身体と向き合う仕事に従事していますからね、そのような兆候が出たのかも知れません。腰って労働の要ですからね。

Kさんは「私は何でこれまであんなに頑張っていたのかなと、takakoさんと話して思ったんです」と。
食べていかねばということで人は苦労を抱えますからね、仕方のないこと。でも、彼女の本心は自分はお金のために癒しに関わろうとしたのではないことを『知っている』。

それは魂レベルでは既知の事柄な訳です。

でも、彼女だけではなく人は食べるためにお金を得るために働かねばなりません。その狭間でずっと揺れているのが癒しや精神世界に感心を寄せる私たちの心理だと思うんですね。

Kさんはハッとしたそうです。身体は正直に反応してくれたのだと。もう自分を誤摩化せないと。

私は彼女に私がキャッチしている「上の世界では全てが循環している」という話をしました。
例えば彼女の場合は施術という形で貢献する訳です(上の世界の彼女の施術は私が視た限りでは今のものとはかなり違ったものになっています)。もう癒しを必要としている人はいないのですが、自分にご褒美をあげたい人や心地良さを味わいたいという人はいて。施術を受けた人はもちろん施術料は払いませんし、彼女も必要とはしません。しかし、貢献した分のエネルギーは彼女の『必要とする』何かに還元され、受けた人もその心地良さを自分のテリトリーで反映させることが出来る。

施術も相互協力と相互理解を深める手段として、上の世界では機能するのですね。悩みがあってとか苦痛でとかではなく。私、癒す人、あなた癒される人、ではなしに全てがバランスよく循環する世界。

お金という『媒体』は、なので必要ないのだと思います。ダイレクトにエネルギーが循環するのだし。

Kさんは「施術することが何処かで還元できるようであればイイなあと思っているんです」と、彼女自身がその循環の一員であることを夢に描いていたんですね。
人は癒されると心穏やかになりますからね、周囲に優しく接するようになります。彼女が望んでいるのはそういうことなのかも知れません。優しさや思いやりの循環。

まさに彼女の天国はそこにある!なので深いレベルから「もうこれまでみたいに頑張れない」と痛みを通して、表面意識に訴えがあったのかも知れません。

もっと自分のビジョンを大事にしようよという。

生まれたからには、自分が希望して此所に生まれたからには、
ビジョンを大事にするって、彼女にとっても私たちにとっても生きる醍醐味なんだと思うんですね。



変化の波が来た時はそういうふうに気づきが訪れ、

気づきが訪れるだけに留まらず、その波は意識をシフトさせ、使い古したやり方を切り替えて新しく出発しようとするもののようです。

それは最後のラスボス…最後にして最強の敵として顕われることもあるでしょう。しかし、そのラスボスは他者…何かしら人物や事象を通して私たち自身がどう「立ち振る舞うか」「どう向き合うか」ということなのだと私は思います。


自分のことは人に頼らないようにしたが、無口になったという人がいるようです。

でも無口になったという、そこには何か暗さがあるように感じられますが、心の対話が為され始めると一旦はそういうこともあるのかも知れません。知れませんが、厳しい言い方ではありますが、まだご自分の内なる叡智に到達していないからかと。

トンネルってあるものなんですよ。あるいはキツくても自分『が』越えなくてはならないハードルってあるんです。人『に』跳んでもらっても達成感は得られません。
どう跳ぶかの指南はあっても、最終的には自分でコツをつかんで跳ばねばならない…違います?

甘えも断ち切らねばならない、ラスボスかと思います。

自分の中の『豊かさ』に出逢うまでトンネルは長く果てしなく思えるかも知れません。それでも内なる豊かさに出逢うか出逢わないかは私たち次第なのだと思います。

出逢えない…?
それは自己信頼をこれまで養えずに来た顕われではないでしょうか。私たちは何かにつけて他者の影響を受けます。受けますが、結局はどう反応するかで自分って見えてくるもの。第一、人は反面教師。鏡ではないでしょうか。


既にアセンションの波は来ています。

Kさんの体験は本当にタイムリーな私たちへの贈りものではないでしょうか。

イマジンの大切さも然ることながら、優しさや思いやりが循環することを願っていた…それを心に灯し続けていたKさんを私は見習いたいなと思ったのでした。





アカシックレコードを読むために学習は必要か?

Category : ウェークアップコール

結論から言うと、入門書ということではあっても良いのかということになろうと思います。
ある意味読み書きに似て、取っ掛かりとしてはアカシックレコードの学校もありとは思います。

でも、皆さん…
どうしてアカシックレコードを読み解きたいとそもそも思うのか、それは人生が常に一瞬先は闇だからなのかも知れないなあと思うんですね。
あるいは何故生まれて来たか…とか、人生の意味とか、前世とかの謎に迫りたいと思う人の気持ちに応える形でアカシックレコードを読むというワークは成り立っているように思います。

でも、それがビジネスとして成立しているって、神頼みも予言も人助けも金次第な風潮ってどうなんでしょうか。

五次元世界にはお金は存在していないんですよ。

今ここで生活していようと、ヒーラーなりチャネラーの霊的レベルが五次元以上に進化していれば、セッション料を受け取らない方向で動いていると思いますよ。
神の領域のこと、宇宙の領域のことでそろばんを弾く…現時点で皮算用をしている=三次元レベルと捉えて頂いて構わないと思います。



癒しも透視も。

最初は謝礼という、助けてもらった人のお礼の気持ちだったんだと思うんですよ。それが受講料*百万円とかいうことで、それを持っていかねば受けることも出来ないってどうなんでしょう。いつからこういうふうにお金さえあれば、な思考が神の領域のことにまで浸透していったのでしょう。

貨幣経済って人間が編み出したものなんですよ、違います?

天使も神もお金を必要とはしないし、要求もしません!低級霊は要求してきます。見返りを求めてきます、しっかり。セッション料は食べていくためには必要とか何とか言って、何しろ皮算用な人多過ぎです。この時点でとは…本当にシビアと思います。



私も以前、もう10年くらい前になりますが、知り合いに誘われて精神世界系企業が主宰するアカシックレコードを読むワークショップに参加したことがありました。
その際、海外から招かれたチャネラーの指導とともにそのチャネラーの予言も披露されたんですけど、残念ながら尽く外れ…。
何月何日に必ず!**で地震が起こる、なので知り合いがそこに住んでいるなら引っ越しを勧めて下さいということで真剣に勧めたけれど、何も起きませんでした。なので後日、ある女性がそのチャネラーを責めるではなしに率直に疑問をぶつけていました。彼女は友人の信頼を失ったのに、です。

チャネラーは「必ず起きる」と断言していました。まあ当たらなかった非は認めてはいましたが、もう取り返し付かない訳ですよ。
2001年彗星が地球と衝突すると未来予想図を力説するチャネラーもいましたが、要するにチャネルもアカシックレコードリーディングも不確定なんだというのが私の印象です。オバマの出現を予想だに出来なかった…それでも元気に予言し続けているのですから、本当に呆れます、でも聴く人がいるということで需要と供給なのかも知れません。

ここでもハッキリとグループ分けの匂いがします。

アカシックレコードで読み取った…しかしながら、アカシックレコードの未来は流動的なので確定は出来ないとあるチャネラーが宣ったのを聞いて、私はそれならば何故「必ず起きる」と未来予言をするのか疑問に思い、ほどなく目が覚めました。当たることもあるし、当たらないこともある、そのような予言に何故そこまで執着するのか…そうです、彼らは執着しているのではないかと私は視ています。

恋は盲目と言いますが、まさになのかも知れません。

もし、この記事が個人の名誉を傷つけるものならば、そのチャネラーの「必ず起こる」という予言を『信じて』動いて、友人の信頼を失った、その人の名誉はどうなるというのでしょうか

信じた自分が悪いとか。

弘法も筆の誤り、もありだろうとか。

チャネラーを責めず自分を戒める方に心を向けることで矛を収めている人が大半ではないでしょうか?

それって泣き寝入りではないでしょうか?アメリカだったら訴訟問題に発展しかねない問題。もっとしっかりマナコを見開いて頂きたいと思います。

心眼は人頼みでは開眼しません!

人さまからお金というエネルギーを頂き、「必ず起きる」と宣言して「何も起きませんでした」でことなきを得ている不思議。「でも、当たっていることもあるんです」的なヨイショをする人がいるんですよ。本当にイタチごっこと思います。「あなたは将来**になる」と言われ、そうか…自分には人類救済の使命があるのか…とか『妄想』しながら、未だに東にいると聞けば東のチャネラーを尋ね、西にいると聞けばというふうにチャネラー行脚を『やめられない』人だっているのです。これは既に中毒!と言わざるを得ない、違います?

妄想と私が何故言うかというと、

サイキッカー行脚の時間があるなら、その時間枠を即!使命実践すれば?ということですし、自分が「やめられないでいる」ということすら自覚出来ていない。なのでチャネラー行脚に忙しいのではないんでしょうか?ということです。

全ての答えは私たち自身の中にあるというのに。

高い授業料…いや、その人たちにとっては高くはないのかも知れません。価値観の相違ですからね。ですが、そのお金で救われる命があると私は思うし、盲導犬育成とかに献金することだって可能と思うんですよ。その人が自分には使命があるからということで、自分に投資する分を必要とされる地域や活動している人の足しにすることは可能なはず。
自分がリーダーになって世界を変えるとか大志を抱くのは個人の自由ですけど、今は相互協力の時代です。世界は自給自足の方向に動いています。いつまでエリート意識をくすぐられているのでしょう?

世界を率いるリーダーが、チャネラー巡りやスクールに現時点で通っているなどと本気で思っているのでしょうか?

リーダーってね、自称は通用しないんですよ。人の上に立つ存在ってね、人々が育てるものなんですよ。その人の言動が人々の信頼へと結びついて、彼をリーダーに押し上げるものではないでしょうか?
例え名乗りを上げても行動が伴わず尊敬にも値しないのならドロップアウトではないでしょうか?

まさに今は実践あるのみ!なんです。

本当に困った現象です。

私はアカシックレコードはその人がどの言語を母国語としているかでも微妙に差異が生じるという印象を持っています。アカシックレコードは名称を唱えながら入っていく性質があって欧米人には日本人の名前をよく咀嚼できないようなのです。なので明確には分からないとあるチャネラーはハッキリ言ってましたよ。私はこの耳で聞きました。

その時点で私はアウト!



なにもアカシックレコードだけが入口ではありません。

世界情勢も然ることながら、私たちは自分の頭の上のハエを追う必要があります。使命があるとかないとかで一喜一憂するより大切なのは日々の暮らしの中で心を養うことかと私は思っています。

遠くばかりを見て足元が疎かになっている人、多過ぎです。



五次元世界にはお金は存在していないんですよ。

今必要だからといって、運営していかねばならないとかいって、未だに報酬をあてにしている業界人は要注意かも知れません。

気づいたら実践あるのみ。思い立ったが吉日。遅いということはありません。

あなたが必要としている情報は、

あなた自身の中に存在している。

外に答えを見つけに出歩いている間はアセンションはないとお考え頂いて結構かと。外からの情報はすべて!参考にしかなり得ません。このブログも然りです。

日々の暮らしの中に。

その暮らしを通して感じる…感覚や思いの中に充分ヒントって転がっているものです。



どうぞ、目を覚まして。


依存からご自分を解放して下さい。


まあ…依存しているという自覚症状がない人には何をか言わんやですけど。

皮肉なものですね。




まるで芸術!ミステリーサークル

Category : 魂のご飯

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ス・スゴくないですか?もうここまで来るとアートかと感心しました…!

今年のいつだったか…TVでミステリーサークルを作ったのは自分たちだと名乗り出たイギリス人?男性2人と女性タレントが中国で実験するという番組を見ました。要するにミステリーでも何でもないんだよという主旨だったかと記憶していますが、これ…その巨大さと完成度の高いデザイン性は圧巻!

男2人で一晩で作れる大きさなんですかね…。彼らは売名行為なのかもとつい、彼らのことを思い出してしまいました。人間が秘密裏に作れるにしても大きさには限度があるでしょうね…。



bishopscan_2.jpg


jb1.jpg スゴい大変な作業であることだけは確かそう



それにしても素晴らしい芸術家かと!この美しいフォルムとスケール!言葉には壁がありますけど、図形や数字には普遍性があるのかも知れませんね。何かのメッセージ性も感じさせられます。

いいんじゃないですかね、神秘は神秘のままで。分かる人には分かるということなのでしょうし…。

それにしても美しい。発見した人はビックリしたでしょうね。ずっと以前に自分とこの畑に!ということで観光メッカになった…その土地の持ち主は入場料など取って稼いだのだそうです。まったく人間ってヤツは、ですね(笑)。


興味のある方は下記URLへ
http://www.cropcircleconnector.com/2009/bishopcanning/bishopcannings2009b.html


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イマジン

Category : 魂のご飯
ジョン・レノンのイマジンを耳にしたことないという大人は少ないと思います。

本当に平和って何だろう。私に出来ることって何だろうと考えされられる名曲です。プロモで奥さんのオノ・ヨウコがジョンが弾くピアノの横に寄り添うシーンが脳裏を過ります。

ところで、

皆さんはどんな夢を持っていますか? 

どんな未来が自分を待ち受けているか想像したことはありますか?

今日は、私の友人とのやりとりを元にその辺のことを書いてみようと思います。



先日、久しぶりに会ったその友人…Kさんは天使なおねえさん(笑)多分この記事も見ると思いますが、なかなかの美人。ウチの娘の憧れの女性です。

その彼女と色々話は盛り上がったんですけど、今年始めに線引きは終わったらしいというところから自然にアセンション後の世界…上の世界の話になったんですね。
私の奇想天外な話にも熱心に耳を傾ける柔軟性のある彼女ですが、私の上の世界というヨタ話を聞いていた彼女が「takakoさん、その話何となくだけど納得いきます」と言ったんですね。

彼女は海辺の家に住んでそこでサロンを開きたいんだけれど、そんなお金の余裕はないのに、何故かそう遠くない将来それが実現するような気がして。彼女自身も不思議だったそうです。根拠のない確信が胸にあるという。

私が垣間みている上の世界は自然が豊かで人口密度も低く、海と大地と空が心地良く広がる世界なんですね。しかもやはり…海の見える家は誰もが異口同音に口にする光景で私自身もその符合に鳥肌が立つ時があるほどです。

彼女もか…!

ひょっとしたらロト6かなんか大当たりして、上の世界でなくても実現するかも知れません。でも、彼女が海辺の家の話をし始めたとたんに私には彼女が描く風景が見え始めたんですね。それは三次元の光景ではありませんでした。
私がこういう感じの光景が視えるとディテールを話すとかなり近いものがあったようでした。これが何を物語っているかというと、

思い描くことの大切さ、出来る限り具体的に思い描くことが夢の実現に結びつくということ。そういうことになるだろうと思います。

三次元はマネーマネーマネーじゃありませんか?

お金さえあればという意識が世界を席巻しています。心の底ではお金以上に大切なものがあると思いながら、でも人は日銭の稼ぐことに拘束されています。ほんの一部の人だけですよ、世界人口の中で超リッチと言える人々は。それでも幸福かどうかは分かりません。歌にもありますよね、「お金はシアワセを約束してくれるように見せてくれるだけやで」でしたっけ?

サクセスストーリーにもお金は定番ですし、大邸宅に住んでプラーベートジェットに乗ってと。本当にお金がなければ何事も実現しないかのようです。

癒しに関わっている人の中には五次元世界は貨幣経済ではないことを知りながら、金銭的豊かさに疑問を持たない人が大半を占めているようです。中には天使のヒーリングとかいうことで天使に働いてもらい、自分は仲立ちと言いつつセッション料を受け取っている人までいます。

皆さんはそのことに何の疑問も持っていないかも知れませんが、何というズーズーしい行為と私は感じています。天使に働いて頂くのなら、ご自分は見返りを期待してはなりません。セッション料は『見返り』以外の何ものでもないのですよ。

だって上の世界でセッション料を当然のように受け取る人はいませんし、支払う人もいない。第一お金が存在していません。

ヒーラーの魂レベルが五次元に達しているのなら、セッション料は必要ない…それを実践していると思いますよ。もし、ここは貨幣経済だからと受け取って然るべきと公言しているとしたら、そのヒーラーの魂は未だに三次元にあると理解して頂いて結構かと思います。

未だに?

この時点で?

何をか言わんや…かと。



話を戻しましょう。

私の友人Kさんとて、お金があればどんなにかラクかと思っていたと思います。でも、彼女は最近の自分の気持ち…不思議な感覚…充分に満たすお金はないんだけれど、何だか夢の家に住める予感を持っていた、これってサインなんですよね。
私たちはグッドタイミングで会って話をして、イマジンの大切さを痛感したのでした。

彼女が具体的に語り、思い描けば描くほど、上の世界の家はハッキリとし始めました。

そして、彼女はそれがそう遠くない時期に実現することを感じ始めています。


この話をマユツバとパスすることも可能です。



でも、天国は私たちの心の中にこそある。




そのことを知る人は幸いと私は思っています。

ジョン・レノンの意思を継いで。いえ、ジョン・レノンとイマジンのインスピレーションをシェアしたオノ・ヨウコは彼女らしく世界に平和を植え続けています。

悲劇を乗り越えて、失ったものの大きさを超えて。失われなかったものが彼女を支えているのだと思います。

どうぞ、心の中にあなたの夢を描いて。

出来る限り具体的に描いて。

あなたの夢が最高のタイミングで『来る』ことを信頼頂けたらと。



私は願って止まない一人です。



何故 生まれてきたか?

Category : 魂のご飯

・・・ですか?

そんなの決まってます。私たち自身が望んだからです。

今日はその辺のことを書いてみようと思います。これは私個人の意見。しかしながら、霊視を通しての私の所感ということになります。ご了承下さい。


何とも記憶にないって便利なんだか不便なんだか分かりません。都合の良い悪いもありますからね(笑)。人生は一発勝負の舞台みたいなもの。チャネラーや占星術等々は舞台でいうところのプロンプターでしょうか、台詞を忘れた際に小声でささやいてくれる…。
あるいはお受験にも喩えられるかも知れません。いずれにしても一発勝負。やり直しは「また次のお越しをお待ちしています」という仕組みになっています。

今はアセンションの時代。死を通さずに三次元から五次元に移行する人も出て来るようですが、それでもこれまでと変わりなく死に至るまでの期間を一区切りに生きる魂もいる訳です。

様々な領域から種々雑多な存在がここ地球、人社会にやってきています。

でも、誰一人余すところなく、本人の人社会に「行きたい」という意思が私たちをして、ここに存在させているんです。そのことを覚えていないというだけで、人は生きる意味とかに捕われてしまうんですね…。生きる意味を見出せないとかいうことで悩みが深い私たち。

自分が「私はあそこに行って、経験したいことがある」と言ったことを記憶していれば、大半の悩みは消えてなくなると思いますよ。だって親も兄弟も環境も何もかも全~~~部!自分が決めてきたことをみんな忘れている。ポッカリ記憶がかき消えている…だから訳がわからない。訳が分からないから「何故」「何故」とつんのめっていくんでしょ?違います?

何故、生まれてきたか?

あなたが望んだから。

これ以上の答えはないんです!

使命があるとかないとか…人ってつくづく自分は特別と思いたがるもののようです。なので余計に妙なリキが入ってしまうんですよ。

使命があるとしたら、天寿を全うするということ。

天寿を全うするという中に生きる意味が込められているし、第一自分の「転生したい」という希望が叶えられただけでも感謝じゃないでしょうか?

自殺が何故いけないかと言われるかというと、『自分の「転生したい」という希望が叶えられた』のに最悪の選択をしてしまったということなのだと思います。死者を鞭打つようですが、死んで一番後悔しているのは本人なのだと思います。

自分が「生きたい」と願ったんですよ…!

あらゆる試練は予め知らされています。魂は予習をして此所にやってきます。誰一人例外はありません。
魂の目的はただひとつ『達成感を得たい』。人生はそのための貴重なトライアルなんです。幼児はすぐ「一人でできるもん」と張り切りたがります。それは私たち魂の質なんです。

ところが地上人社会はごった煮の世界。主張と主張が入り乱れた世界です。その中には上手に自己表現できない人や人を牛耳りたい人や、無責任な人、強情な人…種々雑多に入り乱れています。何とも「やかましい!」世の中です。皆さんには聞こえないかも知れませんが、もう四六時中、心の声はやむことがありません。時差もありますからね(笑)。

思うようでないことに魂は唖然とするのだと思います。余りの混沌ぶりに。なので、挫折したり、傷ついたり、死にたいと思うことだってあるんです。あるんですけど、死んではなりません。

何故か?

あなたが来たいって言ったんでしょ?

これに尽きるからです。

私たちの多くが長蛇の列に加わって自分の番が来るのを待っています。生まれてくるのを心待ちにしてるんですよ…!
苦しみの多い人生であることも当人は納得ずくなんですよ。

何故か?

魂は転生を通して行き過ぎや足りなかった部分のバランスを取ろうとする性質があるんです。

ローズさんのブログにも、電車事故で急死に一生を得た人が自分が生き残った意味を模索し続け、自殺したという記事がありましたね。

何故、生き残ったか?

寿命がまだ尽きていないから。

つまり、生き残ったということは『生きねば』ならないんですよ。生きることで伝えられることがある。事故で亡くなった遺族の目が針のむしろだったとか、何故自分が生き残ったのかとか…。

人生は貴重なトライアルです。達成した暁の喜びを魂は知っているから、私たちは敢えて試練を受け入れてでも此所にやってくるんです。順番待ちだってするんです。

舞台俳優なら、私が言わんとする意味を理解すると思います。色々ある…失敗だって数え上げればキリがない。でも、ひとつの舞台に上がる喜びは筆舌に尽くし難い醍醐味があるんですよ。

苦境は逃げるためにやってくるのではありません。向き合うためにあるものなんです。支えようとする家族があるのに、それさえも得られない人がいるというのに。

誰が決めたと思ってるのよ!と私は声を大にして言いたいと思います。

強制されてやってきている魂なんていません!

思い出したい?

出来ることなら思い出したい?

あのね…思い出すのもタイミングなんですよ。思い出すより大切なことってあって。今、この瞬間此所にいることに感謝して、自分に出来るベストを尽くすことがそれに当たると私は思っています。



今はアセンションの時代。

何という希有な時代に私たちは生まれて来れたんでしょうね。これを奇跡と呼ばずして…なんだと思います?

生きる意味、生まれてきた意味なんてズッと後になってでも遅くはありません。意味を知りたがっていると貴重な時間は矢のように過ぎ去って行きますよ。



私は此所にいる間は例え上手ではなくてもひとつひとつのことに…風呂を入れるにしたって、ベッドを整えるにしたって、家族が心地良く過ごせるために自分は何をどうしようかと考えて過ごしています。そりゃあウッカリもすれば、疲れることもあります。でもね。美味しいコーヒーで一息ついて、「さあ」と。今のうちに出来ることは出来る限りやっておこうと思うんですよ。何も特別な修行とかワークは必要ありません。

日々の暮らしの中で思いやりとか、心を尽くすことってたくさんありませんか?

私は自分がしたいことにもいつもチャンスを狙っていますよ(笑)。

風の心地良さ。雨の恵み。私は人工的でないものをスゴく愛おしいと感じています。あらゆる小さいものが文句も言わず健気に生きてやしませんか?

人間だけですよ。悩みを自分で探し出すのは。



生き残ったということは「生きろ」というサインです。

生きる意味なんて最後の最後についてくれば良いこと。皆さんもチャネラー行脚やヒーラー頼みもほどほどにして。一番遠い『自分の内なる声』に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

ほら、また、瞑想がどうのヒーリングがどうのと…。

*ありがとう

*ごめんささい

*私を許してください

*愛しています

この4つの言葉が紹介された昨今。もう特別な修行もワークも必要ないよと時代が私たちに告げています。


此所に来ることを誰よりも一番、私たち自身が望んでいたことを、今はピンと来ないという方もいるかも知れません。でも、心の何処かにこのことを置いておいて下さいな。

自分がたった今!貴重な体験をしていることの『奇跡』に一人でも多くの人が気づくことを願って、今日はこの辺で終わりにしようと思います。



私もいつまでこうやって書いていられるかは分かりません。

それでも書ける間に書いておこうと思う今日この頃です。


心癖を巡回する人々

Category : 辛口ごめんなさい

私も人の子。長所も短所も兼ね備えています。

性格ってそうそうチェンジするものでもなく、同じところで堂々巡りすることも度々かと思います。どんなに精神世界に通じていようと、信頼出来るグルに師事しようと、相変わらずのところを巡回している人は案外少なくないと思われます。

どうしてなんでしょう。

カルマもひととおり学び、内省も怠ってないかに見える人が禅問答のように出口を見出せずにいる…。ひとつ解決したかに見えてホッとしていると、程なくまたドンヨリとしていたりする…。

人って体験するごとに感情のヒダに色々蓄えるもののようです。何年も何年も…ひょっとすると何世も堂々巡りしているかも知れないのです。

どうして人は悩みを手放せないのでしょう。手放そうとしないのでしょう。

あなたは多分「takakoさん、手放そうとしないのじゃない」と言いたくなると思います。でも、本当にそうですか?私には悩んでいないと落ち着かないかに見えますけど。

中には物事をシンプルに捉えず、複雑な方へ複雑な方へと向かう精神構造の人までいるようです。そういう人にはそういう人の傾向ってあるんですよ。
それはね。
物事も人も斜(はす)に構えて見る癖があり。何かと思い通りにならないことに思考が吸い寄せられてっしまう。物事を論理的に紐解きたい欲求があり、『何故』につかまりやすい傾向がある。この『何故』につかまると、それは蟻地獄のよう深みにハマってしまう。

深い精神性を自分に見出そうとすればするほど、次から次に『何故』は湧いてでてくるものです。

何故という疑問符は人間の専売特許なんですよ。

鳥が空を飛ぶことから宇宙の成り立ちまで。そうやって人は確かに色々発見してきたし、発明も成し遂げてきた訳ですよね。人類は火星にまで探査する技術を開発しました。ところが自分のこととなるとどうでしょう。
究極には科学も哲学もいち個人の成り立ちには言及は出来ないのだと私は思います。

私の所感ですが、

こういうふうに堂々巡りする傾向にある人は過去世、修行僧だったり修道士だった人が多い。それでいて満足のいく結果が得られていないため何度も何度も転生を繰り返している…そういう姿が視えてきます。

彼らは気づきもしないのですよ。自分がどんなに転生の機会を待ったかを。順番待ちをしたかを。

やっと転生の機会を得ながら「私は何故生まれてきたのだろう」とかで引っかかっているんですよ。生きるって何か…とか。死とは何かとか…。彼らは活かされている、というところにまでは辿り着きながら、この謎解きに取り憑かれているかのようにも見えます。

いち個人の存在意味なんて、考えれば考えるだけ迷宮に陥るだけです。

誰が此所に来ることを欲したのかに、あなたのグルはあなたに想いを馳せさせようとしてないのでしょうか?
スピリチャル好きの人の中にはチャネラー巡りをし続けている人が少なくないように思います。何処、自分がここにいるか、ここに存在するかは人に言ってもらうのではなく、自らつかみ取らねばならないのです。

ああ、私がここに来たい!と、もう一度体験したいと願ったから、この機会を与えられたんだなと。何故、ここのところに行き着いても、しないのかが私には理解できません。



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(2016年12月27日記)

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